雨の朝となった今日、四国が梅雨入りした。 結願まで天気は大丈夫と踏んで、5月18日に愛媛県の内子を出発したお遍路だったが、想定外の梅雨入りに掴まった日となった。 朝7時30分にホテルを出発し、JR高松駅から昨日ゴールした国分駅に向かう。 下車すると、同じ電車からSさんが降りてきた。 彼と会うのは二日ぶり。 昨日は79番を打って、国分駅まで歩いたという。 今日は80番国分寺から81→82と回り、高松に出るということだ。 連れだって80番国分寺に向かう。 マメの痛みで足を引きずる私を見て、気の毒そうな顔をしながらも、彼も同じく右足を引きずっていた。 連日の30㎞を越える歩きに「歩き過ぎじゃないですか」と牽制球を投げつけられ、お互い様だと健闘を称え合いながら山門をくぐった。 雨の中、本堂と大師堂を参拝するが、大師堂は納経所と一緒になっており、堂内にはずらりと土産物まで並んでいた。 国分寺でSさんと別れる。 がっちり握手をして、数日後に迫った結願とこれからのお互いの旅の無事を分かち合った。 出会いは一期一会だが、同じ楽しさや苦しみを共有する、歩き遍路ならではの爽やかな交流ができたことに感謝したいと思う。 国分寺からは、8㎞先の83番一宮寺まで遍路道を拾っていくが、目印がほとんどなく、地図を頭に入れて歩いた。 途中で足の痛みに我慢できなくなり、今日は飲まないでおこうと心で決めていたロキソニンを飲む。 右足を庇って歩くので、バランスが悪くなるのか、左足にもマメができている。 日本縦断でもさんざんマメに苦しんだが、マメができやすい体質だと思うしかない。 区切り打ちは間が空くと、体がお遍路に慣れるまでしばらくかかるので、非効率だといわれる。 通し打ちなら後半になるほど体が順応して、ガンガン歩けているかもしれない。 ロキソニンが効いてきたのか、少しだけ痛みが緩和されたのをここぞとばかりに、金剛杖でリズムを取りながら歩く。 38日間共に歩いてきた杖の先はいくぶん短くなり、花が咲いたように拡がっている。 天気は雨が降ったり、曇ったり、少し晴れ間が出たりと、まったく忙しい。 その都度、傘を出したり引っ込めたり。 杖と傘で両手が塞がるので、雨の日は大変だ。 菅笠を初めから買っとけばよかったと思っても、もう後の祭りである。 11時に83番一宮寺に到着。 本堂と大師堂で読経。 私の横に菅笠に杖、白装束のお遍路姿の男性が近づき、灯明もせず、読経をすることもなく手を合わせただけで納経所に行ってしまった。 私が納経所に行くと、その男性は掛け軸や納経帳にはんこを貰っていた。 人のことなのでどうでもいいが、単なるスタンプラリーなら勿体ないと思う。 寺の商業主義にまんまと乗せられているだけのような気がしないでもないが、私はこんなお遍路だけはしたくない。 恐らく、お遍路の真髄を分からぬまま結願を迎えそうだが、長く苦しい遍路道を歩き続けてきた過程で、煩悩との闘いもあったし、関わった人々に対して感謝できた素直な自分もいた。 お遍路は自分を磨く格好な場だったように思う。 クスリの効果が切れて、足の痛みが増幅始めた14時30分に、連泊するホテルに到着。 明日はここから86番志度寺までを歩く。 雨が激しく降らないことを願いたい。 ◼️2023年5月29日 香川県高松市 ◼️31329歩 20.36㎞ ◼️曇り時々雨 ◼️ホテル東宝イン高松  ※雨の80番国分寺本堂  ※同、大師堂。納経所と土産物が同居している  ※特徴的な讃岐の山と溜め池を背景に遍路道を歩く  ※遍路道の道標  ※83番一宮寺に向けて遍路道を行く  ※83番一宮寺西門  ※同、本堂  ※同、大師堂  ※今日の昼めしもうどん(こがね製麺所)  ※遍路道を高松市内に向かうと、派手なカフェがあった  ※栗林公園を左手に高松市内に向かった メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
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76番金倉寺近くのゲストハウスを6時に出発。 宿泊客は宿の規定により室内では食事ができないので、玄関脇に置かれた小さなテーブルがある狭いスペースで食べることになっている。 前日に買っておいたパンを食べようと思って部屋を出ると、女性二人がお化粧の真っ最中。 とても食事どころではなく、仕方がないので、チェックアウトをしてから近くのコンビニで食べた。 しばらく県道25号線を歩き、脇道から77番道隆寺に向かうが、化膿している右足の小指のマメが相変わらず痛い。 一歩踏み出すたびに、しびれるような痛みが脳天まで響く。 四日連続となったロキソニンを飲んでかわしているが、一向に治る気配がない。 誰もいない静かな道隆寺の境内で、読経をした。 自分の声が響き、心地よかった。 般若心経は心を込めて読むほど、じわじわと気持ちが落ち着いてくる不思議な力がある。 トチらないように読むことが精一杯のお遍路を始めた頃は、そんなことは全く感じなかった。 まだ暗記できないが、もう154回も読んでいる。 丸亀城を右手に見ながら78番郷照寺に向かう。 すると、うどん店「讃州製麺」を発見。 まだ10時前だが、ついふらふらと暖簾を潜ってしまった。 恐るべきことに、広い店内はほぼ満席。 まだ朝なのに。 これは思いっきり、不思議な光景である。 香川県民の「朝からうどん」は、本当であった。 ぶっかけうどんにゲソ天トッピングを食べて店を出た。 これで、こらから始まる山越えルートにチャレンジできそうだ。 78番郷照寺を打ち、坂出駅前のシャッター商店街を通過し、79番天皇寺に着いた。 天皇寺は境内に白峰宮という神社が同居しているちょっと変わった配置。 暑い日差しが照りつけ、汗だくになりながら読経を上げた。 それを見ていたのか、ご夫婦の参拝客が「歩きですか、これ、飲んでください」と、栄養ドリンク2本をザックの横に置いていった。 参拝客からのお接待は初めてだが、ありがたく頂戴した。 納経所でこの先のルートについて訊くと、まだ時間が早い(この時点で12時)ので、81番→82番→80番の順で打っても良いのでは、というアドバイスを貰い、10㎞先の81番白峯寺に向かうことにした。 しかし、これがかなりの勾配で、暑さと足の痛み、さらに延々と続く急な石段にヘロヘロになって到着。 標高300メートルと言えども侮れないアプローチだった。 更に、標高400メートルの82番根来寺へは5㎞の遍路道を歩くが、これもアップダウンがあり、なかなか手強い。 途中に十九丁の休憩場所があり、そこにはお接待として飲み物や菓子が置かれていた。 缶コーヒーをありがたく頂戴し、喉を潤すことができた。 15時45分に82番根来寺を打ち、十九丁まで往路を戻り、82番国分寺に向かうが、まだ7㎞もあり、17時の納経終了までには間に合いそうもない。 雨も落ちてきたので、尾根に付いた遍路道をのんびりと下ることにした。 「イノシン出没中」の看板を見て、急な下り坂に膝をガクガクにしながら、80番国分寺の脇を抜ける。 18時過ぎにJR国分駅に到着し、予約した高松駅近くのホテルに向かうため、電車の人となった。 足の痛みと暑さに翻弄された、長く苦しい40㎞を歩いた一日がようやく終わった。 ◼️2023年5月28日 香川県善通寺市~高松市 ◼️60645歩 39.41㎞ ◼️晴時々曇り ◼️ホテル東宝イン高松  ※遍路道に佇むお地蔵様  ※77番道隆寺山門  ※同、仁王像  ※同、本堂  ※同、大師堂  ※ぶっかけうどんを食す。(讃州製麺所)  ※丸亀城を右手に見ながら歩く  ※土器川を渡った  ※78番郷照寺に向かう遍路道  ※同上  ※78番郷照寺山門  ※78番郷照寺本堂  ※同、大師堂の天井装飾  ※遍路道を79番天皇寺に向かう  ※同上  ※同上。分かりやすい道標があった  ※坂出駅前のシャッターが降りた商店街  ※天皇寺に向かう遍路道  ※79番天皇寺境内。本堂と大師堂  ※参拝客からのお接待  ※天皇寺から綾川に沿って遍路道を歩く  ※同上  ※81番白峯寺に向かう遍路道  ※標高が上がるに連れ、眺めが良くなってきた  ※草に埋もれた丁石  ※81番白峯寺の最後の石段の登り  ※81番白峯寺山門  ※81番白峯寺中山門  ※同、本堂と大師堂  ※同、大師堂  ※82番根来寺に向かう遍路道にある、あかい(井戸)と丁石  ※同上、石造り卒塔婆(香川県指定建造物)  ※同上、遍路道  ※十九丁のお接待所  ※缶コーヒーをいただいた  ※五色台の無料遍路小屋  ※82番根来寺山門  ※同、仁王像  ※同、本堂  ※同、大師堂  ※遍路道を80番国分寺に下る  ※同上  ※展望が良く、国分の町が見えた  ※溜め池の脇を歩き、国分駅に向かった  ※40㎞を歩き、国分駅にゴールした メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
右足の小指にできたマメの痛みにもだえながら、午前7時に出発。 この痛み、もう三日も苦しんでいる。 今日は痛みを我慢できず、ほんの100メートルも歩かぬうちに、ロキソニンを飲んだ。 観音寺駅前を通過し、財田川に沿って70番本山寺に向かう。 昨日、雲辺寺で会った年配のお遍路さんに追いつき、しばらく話をしながら歩く。 千葉県の人で、野宿をメインに宿泊まりを交えて通し打ちをしているという。 お遍路は3回目。 一見するとホームレスの匂いがしたが、ザックはカリマー、ウェアはモンベルで統一されていた。 遍路道でイノシンと遭遇した話で盛り上がったが、ペースが遅いので、先に行くことにして別れた。 機会があればまた会うこともあるだろう。 70番本山寺は鎌倉末期の建立で、本堂と五重塔は国宝に指定されている。 次の71番弥谷寺までは約10㎞。 国道に沿った遍路道を歩くが、距離的には国道を歩いた方が短いように思えた。 遍路道には目印もあまりないし、何より、店がない。 狙いの、うどん屋がないので、結局、弥谷寺まで昼めしにありつくことができず、山門を潜ることになった。 弥谷寺はなんと言っても、本堂までの540段の階段がお遍路泣かせである。 10㎞の道のりを歩き、この仕打ちとなるのは辛い。 空腹も重なって、アゴを出しながら登った。 大師堂は本堂をしのぐスケールで、堂の奥には洞窟に安置されたお大師像もあった。 弥谷寺から72番曼陀羅寺まではそれほど距離はないので、途中でうどん屋を探しながら歩く。 すでに13時を回っており、空腹はピーク。 頭の中は、讃岐うどんのことでいっぱいになっている。 巡礼どころか、煩悩にやられている。 72番曼陀羅寺のすぐ近くにうどん屋を見つけたが、すでに品切れで閉店していた。 こうなると、もう昼めしは諦めるしかないのか。 曼陀羅寺を打ち、1㎞先の73番出釈迦寺に向かう。 出釈迦寺では秘仏公開が行われており、多くの参拝客で賑わっていた。 歩き遍路は私だけのようで、納経して山門を出ると、和菓子屋さんのイベントコーナーがあり、お茶とどら焼のお接待を受けた。 空腹が極に達していたので、涙が出るほど嬉しかった。 現金なもので、これで煩悩から解放され、巡礼モードに切り替わるから単純である。 74番甲山寺を打ち、遍路道を75番善通寺に向う。 すると、「宮川製麺所」と書かれたうどん屋の看板が。 嬉しいことに営業中である。 15時を回っているが、にわかに巡礼モードから煩悩モードに切り替わってしまった。 店員さんから指導されるまま、どんぶりを片手にうどんを盛り付け、大盛390円プラス玉子のトッピングを食べた。 ようやく香川県で讃岐うどんにありつくことができ、善通寺に向かう。 75番善通寺はとにかくスケールが大きいし、参拝客もこれまで回った札所のなかでは格段に多い。 五重塔は見上げるほどだ。 金堂(本堂)と御影堂(大師堂)を参拝し、納経を終えた。 さて、納経終了の17時まで残り1時間。 3㎞先の76番金倉寺へ急ぐことにする。 マメの痛みを我慢しながら黙々と歩き、10分前に到着。 先に納経をさせてもらい、本堂と大師堂を参拝することができた。 これで明日は早立ちすることができる。 予約した宿「ゲストハウスミカサツカサ」は金倉寺からすぐだった。 足の痛みと空腹の煩悩と闘うことになったが、終わってみれば、予定どおりに6つの寺を打てた上出来の一日になったと思う。 ◼️2023年5月27日 香川県観音寺市~善通寺市 ◼️48937歩 31.80㎞ ◼️晴 ◼️ゲストハウスミカサツカサ  ※観音寺駅前を過ぎ、財田川の堤防を本山寺に向かう  ※本山寺の五重塔が見えてきた  ※70番本山寺本堂と五重塔(国宝)  ※同、大師堂  ※同、水屋  ※国道11号線沿いにあった遍路小屋  ※遍路道の民家にあった道標。自費で設置したようだ  ※香川県には溜池が多い。  ※71番弥谷寺山門  ※同、仁王像  ※同上  ※弥谷寺の本堂へ続く階段  ※同、本堂  ※同、大師堂  ※弥谷寺から72番曼陀羅寺へ向かう遍路道。曼陀羅の道という歴史ある古道である  ※同上  ※72番曼陀羅寺山門  ※同、本堂  ※同、大師堂  ※73番出釈迦寺に向かう  ※出釈迦寺山門  ※出釈迦寺の大師像  ※同、本堂  ※同、大師堂  ※出釈迦寺からの眺め。善通寺方面を見る  ※どら焼とお茶のお接待を受けた。空腹にありがたかった  ※74番甲山寺に向かう遍路道  ※甲山寺山門  ※同、本堂  ※同、大師堂  ※甲山寺の守り神はうさぎ  ※遅い昼食を取った。宮川製麺所の讃岐うどん(大盛480円)  ※75番善通寺金堂  ※同、五重塔  ※同、御影堂  ※76番金倉寺山門  ※同、本堂 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
「民宿岡田」の名物おじいちゃんは95才。 夕食後のひととき、宿泊客の5人は翌日に打つ雲辺寺のルートについて、おじいちゃんからレクチャーを受けた。 背筋をピンと伸ばしたかくしゃくとした姿、歯切れの良い話かたはとても1928年(昭和3年)生まれとは見えない。 テレビ番組でも取り上げられたという有名人で、四国遍路のまさしく生き字引のような人だった。 6時30分にエプロンをしたおじいちゃんに見送られて出発。 お接待でいただいたおにぎりをザックに詰め、おじいちゃんの手書きの地図のコピーを片手に歩き出す。 林道から山道に入ると、遍路道は傾斜を増し、肌寒い気温だというのに、汗が吹き出てきた。 88ヵ所の札所では一番標高が高い場所にある雲辺寺だが、意外にあっけなく出発から1時間40分で到着。 かなり寒いので、境内でゆっくりすることもなく本堂と大師堂を参拝し、五百羅漢がずらりと並ぶ遍路道を67番大興寺に向かった。 ちなみに五百羅漢には自分とよく似た顔の像があるというが、あまりにたくさんあるので、じっくり見ることができなかった。 いつの間にか県境を越え、香川県に入った。愛媛→徳島→香川とこの二日間で三つの県境をまたいだことになる。 登りと違い、下りの遍路道は標高差1000メートルを下るので、それこそ膝がガクガクになるくらいの長いアルバイトとなった。 大興寺までは、他の民宿に泊まった東京から来た45才のSさんと抜きつ抜かれつ歩いた。 Sさんは2か月間をかけての通し打ちで、会社経営者だという。 仕事は大丈夫かと訊くと、毎日決まった時間にパソコンを使って会議をしているそうだ。 ザックがデカイのが、これで分かった。 67番大興寺の山門には、県の指定文化財となっている運慶作の仁王像があった。 この情報は、民宿のおじいちゃんからレクチャーを受けなければ知らなかったことだ。 香川はさすがにうどん県と言われるだけあって、黄金色の麦畑が至るところにあった。 明日からはうどんが主食となりそうなので、今から楽しみである。 大興寺から予約したホテルがある観音寺駅前まで9㎞ほどだが、早く着きそうなので、明日に予定していた68番神恵院と69番観音寺を打ってからチェックインすることにした。 途中に、観音寺名物の「やきもち」を売っている汐沢製菓の店があったので、ガラス越に店内を覗くと、若い女性店員さんと目が合ってしまい、あわてて視線をずらした。 私がよほど物欲しそうな顔をしていたのか、店員さんが出てきて「これ、お接待です」と言いながら、売り物のやきもちとくるみ饅頭を私の手に握らせてくれた。 ありがたや~ 後続してきたSさんにくるみ饅頭を提供し、今のお接待の話をした。 彼は貰えなかったとがっかりしていたが、私にくれたのは、彼女の目からはおそらく私がよほど疲れてかわいそうに見えたからではないだろうかと分析。 ちなみにSさんはほとんどお接待を受けたことがないという。 私はこのところ毎日のようにお接待を受けているので、端から見れば、きっと辛そうなお遍路さんに映っているのだろう。 観音寺の中心部から財田川を渡り、神恵院と観音寺に到着。 この二つの寺は、同じ境内にそれぞれ本堂と大師堂が並んでいるという不可思議なロケーションとしても有名。 順番通りに68番を先に参拝し、次に69番を打った。 納経所は一つなので、納経帳を差し出すと、一人で二つ分の寺を墨書してくれた。 納経料金は600円だった。 札所を出て、寛永通宝の砂絵を見るために展望台に立ち寄る。 これもおじいちゃんに勧めらたスポット。 1633年(寛永10)に作られたという砂絵は写真では見てきたが、本物の迫力はなかなかだった。 これを見たらお金が入るというご利益があるということだが、宝くじでも買っておけば良かったかもしれない。 観音寺は寛永通宝の町なのか、マンホールのデザインはもちろんのこと、公園のモニュメントなど、至るところに寛永通宝があった。 これも町越しの一環だろう。 足の痛みが気になりだし、汗だくの体を一刻も早く風呂で洗いたかった。 ついでに4日ぶりの洗濯もだ。 ホテルまでの帰路にスーパーで晩ごはんを調達し、16時30分にチェックイン。 天気は下り坂のようだが、明日はゆっくりと出発できることが、うれしい。 ◼️2023年5月26日 徳島県池田町~香川県観音寺市 ◼️46435歩 30.18㎞ ◼️曇りのち晴 ◼️ハイパーイン観音寺駅前  ※林道から遍路道に入った  ※雲辺寺が近づいた遍路道の風景  ※66番雲辺寺山門  ※同、仁王像  ※同、本堂  ※同、大師堂  ※これをくぐると、願い事が叶うという  ※雲辺寺の五百羅漢  ※同上  ※遍路道は広葉樹の林のなかを行く  ※気持ちの良い遍路道が、この後急な下り坂となった  ※遍路道は集落に向かって下った  ※同上  ※67番大興寺山門  ※同、運慶作と伝わる仁王像  ※大興寺。弘法大師が植えたと伝わる大樹があった  ※大興寺の本堂と大師堂  ※大興寺境内でお接待のおにぎりを食した  ※麦畑を見ながら歩く  ※お接待でいただいた。  ※68番神恵院と観音寺の山門  ※68番神恵院本堂  ※同、大師堂  ※69番観音寺本堂  ※同、大師堂  ※寛永通宝の砂絵  ※公園にあった寛永通宝のモニュメント メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
ビジネスホテルで昼食のおにぎりのお接待を受け、6時30分に出発。 おにぎりには、私の名前と「道中、お気をつけて!」の付箋が付けられていた。 お遍路を始めてから、多くの人たちの優しさに触れている。 ありがたいことだ。 国道11号線と松山自動車道を横切り、65番三角寺に向かう遍路道に入った。 遅い田植えが始まった棚田の風景が目に和む。 遍路道は車道から山道になるが、クモの巣を払いながら緩やかな勾配をずんずん行く。 右足の小指のマメが化膿しており、消毒を繰り返して対処しているが、痛みは取れない。 山道ではいくぶん痛みが和らぐので、ここぞとばかりに早足で歩いた。 7時40分に65番三角寺に着いた。 ここまで1時間たらずなので、ちょっと拍子抜け。 誰もいない境内で白衣に着替え、本堂と大師堂を参拝。 境内で、竹箒を使って掃除をしている年配の女性と大きな声で世間話をしている若い兄ちゃんが、納経所の係だった。 いかつい兄ちゃんは、私が納経帳を差し出すと、面倒くさそうに受け取り、料金皿を出した。そして、納経帳と一緒にお姿が描かれた紙片を添えるのを忘れる始末。 (コイツ、大丈夫かぁ)と、思いながら納経所を後にした。 三角寺からは舗装された林道をのんびりと下り、お大師様が村に蔓延した疫病根絶を祈願したと伝わる常福寺(椿堂)を参拝した。 国道192号線に出ると、民宿までは6㎞ほどなので、時間調整で休憩を多く取りながら歩く。 久しぶりに見た遍路小屋では、靴下を脱いで、蒸れた足を乾かした。 大型トラックがひっきりなしに通る855メートルの境目トンネルを越えるが、歩道が60センチほどしかなく、トラックの風圧で体が揺れた。 これはけっこうなストレスである。 トンネルは歩き遍路にとって鬼門でしかない。 トンネルを出ると徳島県池田町に入った。 12時40分に「民宿岡田」に到着。 歩き遍路には有名な、“名物おじいちゃん”が迎えてくれた。 到着がちょっと早すぎるかなと思ったが、それは杞憂で、おじいちゃんは、「風呂入って、昼寝でもしたら」と。 明日の雲辺寺越えに備えて、ありがたや、お言葉に甘えて、そうさせてもらいます。 ◼️2023年5月25日 四国中央市伊予三島~徳島県池田町 ◼️30928歩 20.10㎞ ◼️曇り時々晴 ◼️民宿岡田  ※戸川公園から遍路道に入った  ※遍路道の目印は助かる  ※幾何学模様のような棚田の風景  ※遍路道の道標  ※三角寺への遍路道で。こんなメッセージがあった  ※瀬戸内海が見えた  ※遍路道は山道になった  ※同上  ※65番三角寺山門への石段  ※三角山門  ※同、仁王像  ※同、本堂  ※同、大師堂  ※遍路道からの眺めが素晴らしい  ※同上  ※遍路道は棚田の間を抜けた  ※別格霊場椿堂  ※遍路小屋で休憩  ※お接待のおにぎりを頬張った  ※国道192号線の境目トンネルに向かう  ※境目トンネル  ※徳島県池田町に入り、愛媛県が終わった  ※明日は66番雲辺寺を目指す  ※12時40分、民宿岡田に到着し、短い一日が終わった メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
朝6時に西条駅前のビジネスホテルを出発。 今日は札所の参拝はないので、予約した宿がある四国中央市の伊予三島までひたすら歩く行程となる。 国道11号線に出ると、早朝にも関わらず、交通量が多い。 疾走する大型トラックの騒音が半端ではないので、できるだけ国道を避けたい。 野口の交差点から旧街道に続く遍路道に入る。 しばらく行くと、民家の前で「お遍路さん、お接待」と、小柄なおばあちゃんから呼び止められた。 昭和時代から、家の前を通るお遍路さんに声をかけているという。 オロナミンCと袋に入れたお菓子の詰め合わせをありがたくいただき、お礼に「南無大師遍照金剛」と唱えながら納め札を渡した。 最初は戸惑っていたこの対応も、落ち着いてできるようになった。 旧街道を通る遍路道は国道に沿って続くが、道端が狭い生活道路にも関わらず、クルマはひっきりなしに通る。 身の危険を感じることもあり、遍路道を離れ何度か国道を歩いてみたりしたが、やはり交通量と騒音に辟易。 善根宿がある関ノ戸から遍路道に逸れて、ようやくクルマ地獄から解放された。 湿度が低いからだろうか、気温は高いのにそれほど汗をかくこともなく、黙々と歩く。 歩き始めは、右足にできたマメの痛みに我慢しながらゆっくりだが、痛みがマヒしてくると、次第に足早となってくる。 昼を過ぎ、ようやく見つけた食堂でミンチカツ定食を食べ、「しまむら」に立ち寄り、半袖のボロシャツと靴下を2足購入。 半袖シャツは1枚しか持ってこなかったし、この暑さではとても長袖は着れない。 小学校の前を過ぎると、金剛杖の鈴の音とザックを背負った私の姿が面白いのか、下校途中の小学生の女の子が付かず離れずついてきた。 私に追い付くために、何度も走っては横に並ぶ。 ランドセルと肩にかけた水筒。黄色い帽子と紺の制服のスカートが可愛い。 「おじさん、どこまでいくの?」 そんな会話から、女の子が2年生で、学年には26人しかいないこと、一年生は15人ということを聞いたりして、300メートルほどを一緒に歩いた。 「クルマに気をつけて」と声をかけ、横道に逸れた女の子と別れた。 ほんのひとときの交流だったが、小学生になったら、こんなふうになるかなぁ…と、今月一歳になる孫の無垢な笑顔にダブらせてしまい、不意に目頭が熱くなった。 スーパーで今夜の晩ごはんと明日の朝、昼の食料を買い出し、伊予三島駅前のホテルに向かう。 途中で、足が痛いという年配のお遍路さんと一瞬に歩く。 偶然にも今夜の宿と明日の宿が同じだということが分かり、今後のルートの情報を交換しながら歩いた。 終わってみれば、歩行距離は37㎞。 半袖のポロシャツで歩いたツケが回ったからか、首筋や腕も日焼けで真っ赤。 どおりで、ヒリヒリするわけだ。 ◼️2023年5月24日 伊予西条駅前~四国中央市伊予三島 ◼️57851歩 37.60㎞ ◼️快晴 ◼️ビジネスホテルマイルド  ※遍路道の目印。三角寺まではまだまだ遠い  ※六地蔵大師堂があった  ※お接待でいただいた  ※遍路道は国道11号線も通っていく  ※善根宿があった。しばし休憩した  ※四国中央市に入った  ※再び、遍路道へ。これを何度も繰り返した  ※のどかな田園風景を歩く  ※田植えが終わった田んぼは、幾何学的なアートだ  ※大衆食堂でミンチカツ定食を食べる  ※遍路道には酒蔵もあった メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
ゲストハウス「BEKKU」の泊まり客は、自転車でお遍路をしている26才フリーターのR君と、私の二人。 オーナーの女将さんと3人で夕食を取りながら、話がはずんだ。 公然とお接待や送迎を要求してくる客や、予約もせずにいきなりやってくる客、連絡なしのキャンセルなど、同じお遍路とも思えない傍若無人ぶりの話に驚く。 これでは人としての常識が疑われる。 お遍路をするに値しない人がいることで、四国遍路の価値を下げていると言ってもいいのではないか。 宿はボランティアでやっているわけではないので、身に覚えがあるお遍路さんは襟を正さなくてはならないだろう。 朝6時30分に、女将さんに見送られて出発。 お接待の茹で玉子は行動食にキープした。 歩き始めてすぐに雨となった。 石槌山の稜線は厚い雲に閉ざされてしまったようだ。 宿から60番横峰寺までは11㎞の距離。 トイレや休息所がある登山口までは折り畳み傘を差して歩く。 8㎞を一気に歩くが、両足の小指にマメができており、これが痛い。 登山口にはR君の自転車がデポしてあり、下山してくるR君と登山道の途中で再会できそうだ。 登山道は石段や手すりもあって整備されているが、雨で濡れた道は滑るし、頭上の木から落ちてくる雨の滴が鬱陶しい。 途中で下山してきたR君とすれ違う。 餞別にバナナを提供した。 食費を切り詰めて、米を炊きながら野宿をしてきたR君に、かつての私自身の若い頃を見た思いがするのだ。 “青年は荒野を目指せ”“熱い冒険をして欲しい” 彼に贈る言葉はいくらでもある。 その若さが羨ましかった。 2.2㎞の登山道を一気に登り、9時30分に横峰寺の山門に着いた。 雨は止んだが、標高が上がった分だけ気温は急降下したようだ。 白衣に着替えて、本堂と大師堂を参拝。 その間にすっかり汗も冷えてしまった。 下山は61番香園寺奥の院を経由して香園寺に向かうルートを選んだ。 雨をたっぷり含んだ下草と、樹上からの水滴で全身ずぶ濡れである。 休憩すると寒いので、奥の院までの6㎞を一気に下り、休息所で雨具や傘を乾かし、昼食を取った。 そこからはのんびりと下り、香園寺に到着。 高くそびえるような本堂は、まるでコンサートホールのような圧倒的な存在感。 とても寺院とは思えない。 二階に上がると、金ぴかの御本尊が奉られていた。 これまで回ってきた札所は総じて地味な寺が多かったが、これは別格だろう。 香園寺からは国道11号線に沿って、62番宝寿寺、63番吉祥寺、64番前神寺を打った。 16時30分に、伊予西条駅前のビジネスホテルに到着。 標高745メートルの横峰寺を登って下りるまでは、気が張っていたからか、それほど疲れを感じなかった。 しかし、その後の国道歩きで暑さにやられたからか、ホテルに着いたときは、体が重くさすがにぐったりときた。 いやはや、年には勝てない。 (このところの、最後の決めゼリフ・笑) ◼️2023年5月23日 西条市丹原~伊予西条駅前 ◼️52243歩 33.95㎞ ◼️雨のち晴 ◼️西条セントラルホテル  ※宿から県道147号線を石槌山に向かい、中山川を渡る  ※石槌の稜線は雨に煙っていた  ※横峰寺に向かう登山道を登る  ※同上  ※60番横峰寺山門  ※同、本堂  ※同、大師堂  ※下山道から遍路道に入った  ※横峰寺から61番香園寺に向かう遍路道  ※同上  ※香園寺奥の院  ※同上  ※61番香園寺境内  ※まるでコンサートホールのような香園寺本堂  ※同、内部  ※62番宝寿寺本堂  同、大師堂  ※同、境内  ※63番吉祥寺山門  ※同、本堂。改修中だった  ※同、境内にあったくぐり吉祥天  ※64番前神寺山門  ※同、本堂  ※同、大師堂  ※加茂川を渡り、西条駅前の宿に向かった メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
大西駅前のビジネスホテルを朝6時に出発。 泊まり客は私一人だというのに、85才のオーナーの女将さんが、玄関まで見送ってくれた。 別れ際に今治タオルのハンカチをお接待でいただいた。 思えば、私が到着するのを見計らって、風呂を沸かしてくれていたし、洗濯も手伝ってくれた。 ホテルは古く、決してきれいとはいえないが、女将さんのその気持ちに感謝したい。 さて、今日は54番延命寺から59番国分寺までの6つの寺を打つ、忙しい一日となった。 外国人の若い女性の歩き遍路と何度も顔を合わせたが、一言も話しをすることもなく、お互い会釈を交わしただけで終わってしまったのが残念だ。 下心があって言っているわけでは毛頭ないが、一期一会の歩き遍路なので、積極的に交流するのも遍路の楽しみだと思う。 それはさておき、今日の歩いた距離は終わってみれば、40㎞。 二日続きの40㎞超えは、さすがに老体には堪えた。 足も痛いし、体も筋肉痛。 いやはや、年には勝てない。 明日は、石鎚山に迫る60番横峰寺のチャレンジ。 後半戦の山場である。 いにしえの遍路道は、どんな景色を見せてくれるだろうか? それが楽しみで心が躍動するが、いかんせん、雨が降りだした。 どうか、雨が上がってくれますように。 ◼️2023年5月22日 今治市大西~西条市丹原 ◼️60764歩 39.49㎞ ◼️晴れ後曇り ◼️ゲストハウスBEKKU  ※大西駅前から遍路道を歩き出した  ※54番延命寺本堂  ※同、大師堂  55番南光坊に向かう  ※55番南光坊山門  ※同上  ※同、本堂  ※同、大師堂  ※56番泰山寺本堂  ※同、大師堂  ※56番泰山寺から57番栄福寺に向かう  ※同上  ※57番栄福寺本堂  ※同、大師堂  ※栄福寺から58番仙遊寺に向かう遍路道は工場のために、大きく迂回した  ※仙遊寺に向かう  ※58番仙遊寺山門  ※仙遊寺境内  ※仙遊寺から国分寺に行く遍路道  ※同上  ※59番国分寺境内  ※同上、弘法大師像と握手をすると、一つだけ願い事ができるという  ※ホーロー看板屋敷があった メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
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