岐阜県可児市の鳩吹山(313㍍)に登ってきました。 コロナの感染リスクを避けて三連休を外したのに、けっこうな人出にびっくり。 元気のよいお年寄りや、学校が休みの子供連れが多かったですね。 さて、登山はというと…マスクをつけ、登山道では「こんにちは~」の挨拶もあえて交わさず、登ってきました。 快晴のこの日は、山頂からの眺めも素晴らしく、眼下を流れる木曽川が一望のもとでした。 実は、鳩吹山を訪ねた大きな理由があります。 麓の登山口にはカタクリの群落が広がり、今がちょうど見ごろを迎えています。 昨年に続いて、カタクリの花を見ることが目的です。 可児市の公報で開花状況を日々発信しているので、今年は外すことなく期待通りの風景を見ることができました。 それと、桜も見ごろです。 コヒガンサクラという早咲きの品種ですが、これも素晴らしい。 帰路にNHK大河ドラマの舞台になっている、明智光秀ゆかりの明智の荘に立ち寄ると、岐阜県東濃地方の天然記念物で有名なシデコブシが薄いピンクの可憐な花でお出迎え。 コロナ騒ぎで辟易している身には、一服の清涼剤になりました。 …といいつつ、帰宅してから可児市で2人の感染者が出たことに驚き。 感染者が少なく静かだった岐阜県にも、忍び寄る嫌な気配が漂ってきました。            ※撮影/Canon Power Shot SX50HS 岐阜県可児市 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
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最近のニュースで気になっているのが、名勝や天然記念物になっている各地の岩場で、ロッククライミング用に打ち込まれたとみられる金具が相次ぎ見つかっている…という話題。 岐阜県鬼岩、長野県天竜峡、山梨県昇仙峡、白山百万貫、福井県東尋坊、愛知県乳岩…どんどん拡散して枚挙にいとまがない。 今さらですが、これらの岩場を取り巻くエリアは1980年代初めからフリークライミングやボルダリングのトレーニング場として地元のクライマーたちから開拓され、次々にルートが作られたものです。 クライミングのスポットとして山岳雑誌にも取り上げられています。 ただし、雑誌の内容には常識的なけん制もあり、例えば鬼岩にある特定の巨岩については、天然記念物なので登るのは×という記述があったと思います。 当時はアメリカから入った技術をもって、岩場を傷つけずにハーケン等の道具を極力使わない"クリーンクライミング"という思想が広がりました。 その時代のクライマーたちは、花崗岩で出来た岩場や巨岩を求めて全国に散っていったわけです。 その頃に開拓した岩場が今回話題になっている場所です。 ボルトと呼ぶ金具は、カラビナを通してロープを結ぶ確保用のもので、岩場に穴をあけて打ち込みます。 おそらく日本中の岩場や巨岩、大滝にこの金具が打ち込まれていることでしょう。 私がクライミングをやっていた頃、岩場の掃除と称して、古くなったポルトの撤去作業をやったこともあります。 それにしても、なんで今さら…と思いますが、天然記念物だから、名勝だからというだけでは割り切れません。 岩を傷つける、クライミング用のボルトを打ち込まなければ登っていいのか? では、ナッツやフレンズとっいった足跡を残さない道具を使って登るのはOKか? そもそも、名勝地だから登ってはいけないのか? …というのもちょっと違う気がします。 …クライミングに夢中になっていた頃の自分もそうでしたが、"そそる岩場"があれば、クライマー心理としてぜひ登ってみたいと思うのは理解できますね。 愛知県の豊田市にある岩場に、祠が設置された神聖な場所があり、クライマーの暗黙の了解として、その岩場だけは登ってはいけないという不文律がありました。 数年前に落差133㍍ある那智の滝(世界遺産、ご神体)を登ったクライマー3名が逮捕されていますが、このニュースを見て一方で凄いチャレンジだと思いつつ、決して外れてはいけない守るべきものを感じました。 常識的には私有地や、天然記念物、名勝となっている岩場でのクライミングは避けるべきと思います。 当たり前ですが、法律や条例で禁止された特定の場所でのクライミングは×ですね。 良識をもって行動することが、クライミングを愛する人々の当たり前の指針といえるでしょう。 画像は岩場を登る、かつての私です(2005年頃)。 ちなみに、岩場に設置して取り外しができるカムという道具を使っています。  ★メインサイト「 琺瑯看板探検隊が行く」もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪ 

たくさんの犠牲者を出した御嶽山。 60キロ離れた、自宅近くの小高い丘からよく見えます。 噴煙が風に流れて、長く尾を引いています。 これまで何度もこの山に登ってきました。 1979年に有史以来の噴火をしたときは、鈴鹿山脈の頂からその様子を見ていました。 1990年以降は、未踏の沢を探しては、その頂を踏むという沢登りに夢中になりました。 渕を泳ぎ、滝を登り、たき火を囲んで幕営をし、ようやく尾根に這い上がって頂上直下の賽の河原に出ると、硫黄臭が鼻をつく。 もくもくと吹き上げる水蒸気を見ながら、この山に登った実感を味わっていました。 そんな御嶽山が、まさかとんでもない牙を剥くとは…。 あの穏やかだった御嶽山で遊んだ日々が、遠い昔に感じます。 犠牲者を哀悼するとともに、慣れ親しんだ山が、静かになる日がくることを祈っています。    ※撮影/1枚目…Canon EOS60D EF-S18-135mm F3.5-5.6IS 2014年12月28日 多治見/2枚目…冬の御嶽山頂上を目指す。2004年12月/3枚目…御嶽山の沢で 2005年7月 ★メインサイト「 琺瑯看板探検隊が行く」もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪ 

『山の雑学百科 岳人編』という本を書きました。 東京新聞出版局から今月末に出版されます。 僕も執筆者の一人として加わっています。 興味がおありの方はぜひ手に取ってください。 本名で書いていますよ。 ヒントは「山里のホーロー看板」です。
メンテナンスしたばかりの中国製折りたたみ自転車で、名古屋の町を走ってきた。 JR東海道線枇杷島駅まで輪行し、雪雲が覆う北風が冷たい中出発。 二ツ杁の旧美濃路街道から枇杷島、栄生、則武通から名古屋駅をかすめて大門。 一気に南下し、烏森駅から昭和橋、六番町、熱田神宮前、呼続、平子。 今度は北上し、瑞穂競技場から堀田を経由し、最後はJR金山駅にゴールした。 走行距離40キロ、5時間のヘロヘロランでした。 さすがに53歳になった老骨にはきつく、最後は全身筋肉痛状態で、 ママチャリのおばさんにも追い越される始末。 まったくスピードを出せないままのゴールとなった。 来月には京都、大阪の町をホーロー看板探しで走ってこようかと思っているが、 こんな体たらくでは、計画を縮小せざるを得ないでしょうね(笑)。   ※写真上/名古屋市西区栄生の民家 写真下/ニシキ牛乳の箱(北名古屋市西枇杷島・廃業)
このところ忙しくてブログの更新もままならなかったけど、 先週の日曜日に山に行った。 といっても、きのこ狩りである。 今回は会社の同僚が一緒なので、昨年と同じ沢に入った。 (たくさん採れる場所は、絶対教えられないからな・笑) 雨の中きのこを求めて歩き回るも、やはり収穫は今ひとつだった。 帰路は温泉に浸かって筋肉をほぐすことができたし、 何よりも、気さくな連中と久しぶりに楽しい時間を過ごすことができて満足。 あれから3日経ったが、今日は朝から右腕がしびれるような脱力感と、鈍い痛みに襲われている。 先週から頚が痛くて整形外科に通っているのだが、どうやら神経痛が腕にきたみたいだ。 明日から出張だし、あーあ~年は取りたくないなぁ(笑)。 
今年も所属する山岳会のきのこ狩りに参加した。 昨夜の雨は止んで、抜けるような高い秋空の下、目指す山へ。 紅葉の出来は今ひとつだが、それに比例してきのこの収穫もあまりなかった。 特に狙いのナメコは撃沈。ほんの一握り採れただけだった。 でも、ムキタケやクリタケは採れたから良しとしよう。 帰宅してから早速、カミさんの手料理で、 「ムキタケの和風パスタ」と「ナメコとムキタケのきのこ汁」を賞味。 旨い、秋の味を満喫した。   
天気も良くなった週末、自転車で名古屋市中村区をぶらりと走った。 名古屋駅→中川運河→米野駅→大門通り→岩塚…こんな感じの20キロくらいのコース。 黄金陸橋の上から見た名古屋駅の高層ビル群は、5年前の同じ場所から撮った写真と比べてみると、 名古屋モード学園のスパイラルタワーが増えていた。 旧中村遊郭があった大門界隈も更に開発が進み、いにしえの建物も近代的なビルの間に埋もれるようにただずんでいた。 昔は明らかに遊郭だったと思われるタイル張りの丸窓がついた建物も、人の気配もなく廃屋となっていた。 歴史の名残りもこうしてひっそりと消えていくのだろうか。 サイクリングのゴールは、庄内川の万場大橋近くの岩塚町。 ちょうど、神社の縁日に重なり、凄い人出だった。 人波で身動き取れない狭い道を、無理やり自転車を押して通り抜けた。 さぞ迷惑だったろうと、反省。     ※写真上から…黄金陸橋から見た名古屋駅高層ビル群/中村区大門の旧遊郭の建物/近鉄米野駅付近の「まるまん学生服」ホーロー看板。今日の相棒と/中村区岩塚町の七所神社では縁日「きねこさ祭り」が行われていた。
“三河の小京都”と呼ばれる、愛知県西尾市を訪ねた。 JR安城駅までは中央線~東海道線を乗り継いでの輪行。そこから1時間半をかけて西尾へ。 何度か訪ねたことがある町だが、6年ぶりにじっくりと自転車で回ってみると、 昭和の風景があきらかに少なくなっているのを実感した。 それでも、肴町(さかなまち)や、天王町、本町を走ると、まだまだ昭和の匂いは健在だった。 なかでも圧巻は「西尾劇場」だろうか。 芝居小屋として昭和15年に創業し、映画を上映し始めたのは昭和26年頃だったらしい。 中に入ると、ホールは駄菓子屋になっており、「まだ映画館やってるの?」と、ぶしつけな質問をしてしまった僕に対して、「何いっとるだわ」…と店番兼切符売りのおばあちゃんを怒らしてしまった。 昭和の文化遺産として永く残して欲しいと思う。 「ことぶき」の昔ながらのソース味のお好み焼き(200円)も、キャベツがたっぷり入って旨かった。 セピア色に輝く西尾の町を歩いたら、映画「異人達の夏」(1988年 大林宣彦監督)を思い出した。 いつの日か、また訪ねてみたくなった。    
朝から晴れ上がった空を見たら、無性に自転車で走ってみたくなった。 前日の京都であれだけ走っても、まだ足りない(笑)。 いきなり思いついたこともあって、そんなに遠出もできないから、自宅からクルマで1時間ほどの岐阜県明智町と岩村町を訪ねた。 古い町並みが残るどちらの町も、季節はずれなのか、週末だというのに観光客の姿はまばらだった。 先日降った雪が残っている町並みのど真ん中を自転車で走っても、クルマはやってこないし、写真も気にせずに撮ることができた。 帰りに、瑞浪市にある人気ラーメン店「あきん亭」で、お土産用のラーメンを買って帰った。 …というわけで、お気に入りのショットを少し貼っておきます。    ※写真上から…明智町の町並み/旧明智郵便局/岩村町の町並みで
この冬三度目の京都を旅した。 今回は輪行での日帰り旅である。在来線の満員電車を乗り継いで、自宅を出てから3時間後にようやく京都駅へ。 駅前で自転車を組立て、いざ出発。 出町柳から同志社を経由して、壬生までのぐるりと回るコースだが、かつて新撰組の屯所があった壬生を訪ねるのは初めてだ。 このところ、ホーロー看板を探すことよりも京都の路地に興味がいってしまい、ここはと思う路地裏に潜入することを楽しんでいる。 最も、そこは人の生活の場であるから、下着泥棒や不法侵入者にならぬくらいの配慮はしているつもりだ。 全国を回ってみて、僕的には大阪と京都の路地がその代表格だと思っているが、今回も面白い発見があった。 京都の路地には、腐敗した掃き溜めのような臭いはなく、歴史を感じる匂いと、凛とした生活臭がある。 冬場の旅は京都と決めて、足繁く通ってみたいと思う。   ※写真上から…壬生界隈の町家/老舗の油屋と相棒
会社の先輩に誘われて、サイクリングクラブの新春ランに参加した。 これまでチンタラと道草しながら単独で走っていたのとは違い、 大勢で、走りに徹するサイクリングは、ついていくのにしゃかりきで、 自分のスタイルとはずい分違うなぁ…というのが正直な感想だった。 しかし、いやいや、どうして、この爽快感はなんだ!!! 仲間と走ることの楽しさと、その後の飲み会は…案外自分のフィーリングに合っているのではないか? 単独の旅を求めながらも、一方で人の輪の中に入っていきたい自分がいるのは、どうやら間違いないようだ。 帰宅してから、古いアルバムのページをめくって、30年前の自転車野郎だった頃の写真を眺めてみた。 星飛雄馬のように瞳の中に炎は見えないけど(笑)、間違いなく将来の冒険を夢見ていた。 登山のトレーニングとして始めた自転車だったが、いつしか走ることすら面倒になって、 更に、トレーニングは会社帰りの水泳に変わり、益々山の世界にのめり込んでいった。 台湾の沢登りを最後に、その山も5年前から休止状態になってしまった。 「時代は繰り返す」というけど、人生の折り返し地点を過ぎて、昔、夢中になってたことが、 またやりたくなってきている。 懲りない性分に苦笑もするが、しばらくは自転車に夢中になってみたくなった。    ※写真上から…奥美濃の峠で/今日の相棒/本巣町の風景
江戸時代から栄えた、信州へ抜ける中馬街道の宿場町、愛知県の足助町へ自転車旅をした。 輪行袋に入れた自転車を担いで、JR中央線~愛知環状鉄道と乗り継ぎ、四郷駅で下車。 ここから国道153号線を足助町へ。 約20キロの道のりは、適度のアップダウンもあって快適に走行したが、 足助の町に入ったところで、右のギアチェンジのワイヤーが伸びてしまった。 しかし、中途半端な修理道具しかもっていなかったため修理ができず、 結局、足助の町で見つけた自転車屋の世話になることとなった。 余分な出費もさることながら、これはちょっと情けなかった。 さて、久しぶりに訪ねた足助の町は、正月を迎える準備が始まっていた。 目抜き通りの衣料品店は暮れの大売出し、酒屋には正月用のお酒が山積みされていた。 ぶらりと訪ねた師走の町の風景も、なかなかだった。 
新たに相棒として加わった自転車を試走した。 会社の先輩から譲ってもらったロードバイクだ。 自宅からぐるっと20キロほど走ってみたが、 登り坂でははぁはぁ、ぜぇぜぇ(笑)。 一番軽いギア比でペダルを漕いでも、重い重い。 太ももがつりそうだった。 フロントギアをもう1枚追加しないと、僕の体力では登れそうもない。 まぁ、しょうがないか…年には勝てんものな。。。
会社の先輩に誘われて、奥美濃の滝谷山(398㍍)に行ってきた。 当初はまったく行く気などなかったが、このところ悩んでる腰痛と、 ブルーになっていた気持ちを癒したくて参加してみた。 メンバーは9名。おそらく僕が一番若いと思う。 山岳会で活動していた頃は、馬力がある若い連中と競い合って登っていたが、 こうしたメンバーは初めてだ。 それに、ハイキングレベルの山といえども、久しぶりの山行である。 ズルッと滑って、足でも捻挫したら笑い事ですまされない。 緩やかな尾根道を腰に負担をかけないように、しんがりでのんびりと歩いた。 晴れたり時雨れたり、めまぐるしく天気が変わるほんの4時間程度の山歩きだったけど、 少しはリフレッシュできた山旅に仕上がった。 頂上から見た濃尾平野の広さと、冬枯れの山の匂いが何ともいえず気持ちがよかった。       ※写真上から/城跡がある大谷山/濃尾平野の展望が素晴らしい/滝谷山頂上/眼が覚めるような紅葉/下山途中で見つけた竹林/登山口にある野古墳群(岐阜県大野町)
所属する山岳会のきのこ山行に参加した。 毎年恒例なんだけど、今年は会社の友人2名も同行することになった。 前夜の酒宴に始まって、きのこ狩り、〆は温泉。 久しぶりに壮快な遊びができた。 目が覚めるような紅葉と、旨い酒。 何も言うことはありません。 …と言いながら、帰路の林道でタイヤがパンクした。 穴が開いた箇所が悪くて、結局おしゃか。 痛い出費となってしまった。  
三連休の初日、朝から晴れ上がったのを見計らって、ぶらりと輪旅に出た。 目指すは、愛知県瀬戸市。 僕が住む岐阜県T市からは峠を一つ越えたとなりの町だ。 えっさえっさと相棒のランドナー(ミヤタルマン)のペダルをひたすら漕ぐ。 汗タラタラ、のどカラカラ…。 さすがに焼き物の町だけあって、窯元がいたるところにある。 “窯垣の小道”という石垣に陶器が埋め込まれたシャレたロケーションもあった。 昼飯は、もちろん瀬戸を代表するB級グルメ「瀬戸焼きそば」。 腹も一杯になって、適当に写真を撮りながら帰宅したが、さすがに登り坂の峠超えは膝が悲鳴を上げた(笑)。 とはいえ、暇な一日、相棒との久々の輪旅を、充分楽しんだ日になった。    ※写真上から…窯垣の小道(瀬戸市古瀬戸町)/いたるところにある窯元。登り窯の窯元/品野町の古い家屋。ホーロー製の町名看板が貼られていた
梅雨が明けた昨日、相棒(ルマン・ランドナー)と小さな旅をした。 お蔵入りしてた愛車だが、28年ぶりにハンドルを握ったのだ。 チャレンジしたのは、岐阜県本巣から大野町、神戸町、揖斐川町をぐるっと一周する40キロのコース。 さすがに32度の炎天下となると、ペットボトルの水を何本も飲みながら漕いだ。 最後はへべれけ状態でゴール。4時間の輪旅でした。 おかげで顔も腕も真っ赤か(笑)。 (28年も前の自転車だから、人間でいえば、僕と同じでもうジジイの年頃だよな) …そんなこと思いながら、でも、思った以上に快調に走る相棒に、 「まだまだいける」と、大きくうなずくのだった。 
会社の先輩に修理を依頼していたランドナー(ミヤタ・ルマン)がメンテナンスされて戻ってきた。 1982年製だから28年前の自転車だ。 思えばこの愛車で京都、新潟、信州、渥美半島など随分と旅をした。 実質の使用期間は1年ほどだから、27年も倉庫のコヤシになっていたのだ。 輪行袋から引っ張り出したときは、ハンドルのグリップゴムやタイヤは溶け、サドルもボロボロだった。 それを自転車好きの先輩がコツコツと治してくれたのだ。 入社したばかりの最初のボーナスをはたいて買った愛車は、昭和レトロの骨董品だ。 しかし、今となっては“往年の名車”と呼ばれるくらいのプレミアムがついているらしい。 さて、ピカピカに生まれ変わった僕の愛車、今度はコヤシにしないで、機会を見て輪旅に出てみたくなった。 
整体治療から一晩経ったが、いつもより強い鈍痛が腰を走っている(悲)。 こうして治っていくのだろうか…まぁ、気長にやるしかない。 朝から、会社の先輩が我が家に遊びにきた。 近くの酒蔵開きに寄るついでだが、こちらも“そのついで”をいいことに、 昔使っていた、自転車を預けることにした。 何を隠そう、彼は自転車乗りである。 岐阜県のサイクリング愛好会の顧問をしており、自転車のことはめっぽう詳しい。 僕の愛車は、27年も前に乗っていたランドナー(ミヤタ・ルマン)と呼ばれるツーリングタイプである。 当時、ボーナスを全部はたいて買ったほどだから、けっこうな買い物だった。 週末になると、北陸や京都、信州などこれを担いでずいぶんと輪行をした。 その当時は独身だったし、登山やアウトドアにけっこう嵌まっていたから、 これで日本一周なんぞできたら最高だと、漠然とした夢を持っていた。 その愛車が20数年も物置のコヤシになっていたわけである。 今回、ひょんなことから、社内で自転車の話になったときに、 彼がメンテナンスを買って出てくれたわけである。 ボロボロになった輪行袋から愛車を引っ張り出してみると、 思わず、二人で「ひぇ~」…だった(笑)。 ハンドルやサドルのゴム部分は熱で溶け、タイヤもぺしゃんこだった。 しかし、変速機やブレーキパーツは錆もなくピカピカで、充分使えるシロモノだった。 メンテナンスはタイヤやパーツを交換し、組み立ててみるという。 もうすっかり組み立て方や、パンク修理の方法も忘れてしまったが、 甦った愛車にまたがり、走ってみるのが今から楽しみになってきた。 5月にはサイクリングで酒蔵巡りをしようや、という話にもなったし、 春に向かって、これからが楽しくなりそうだ。 おっと、その前に腰を治さなくちゃぁ…。
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