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日本縦断徒歩の旅を終えて

2020年からスタートした日本列島を縦断する歩き旅が、7月9日に北海道宗谷岬にゴールしたことでようやく終わった。
コロナ禍に翻弄され迷走した旅であったが、のべ106日間、2800㎞を歩き通し、無事に完遂できたことに深く満足している。
歩いて日本列島を縦断するという、私にとって少年時代から憧れた大いなる目標であったが、終わってみれば何のことはなく、割と醒めて振り返る自分に気づく。

日本地図に引いたマジックの線を眺めてみても、本当にこの自分がしたことなのだろうか…と、他人の所業を見る気持ちで捉えている。
過去と切り離し、一区切りをつける意味でも、2年間にわたったこの旅のチャレンジについて総括してみたい。
これから徒歩縦断を目指す人々に、少しでも参考になれば幸いである。

★2020年の総括については以下参照
  日本縦断徒歩の旅~94日間の旅を終えて


【これまでの経緯】
何度も書いているが、当初は定年を迎えた2020年3月に九州佐多岬を出発し、東京オリンピックが始まる7月末に宗谷岬に到達する計画で進めていた。
しかし、航空機のチケット手配まで終わっていた出発直前に、コロナ感染対策として政府による緊急事態宣言が出され、計画の中断、そして延期となってしまった。
私が住む岐阜県は長期のまん延防止施策に入り、他県への越境自粛などままならぬ状況に。
コロナの収束も含めて、度重なる緊急事態宣言が続く先が見えない状況の中で、佐多岬から宗谷岬への一筆書きによる縦断のチャレンジは諦めざるを得なかった。

苦肉の策としてとったのが、自宅近くを通る中山道のウォーキングである。
当初は延期となった縦断の旅の足慣らしだったが、東西に続く岐阜県内の中山道の完歩を目指したくなり、更に緊急事態宣言やまん延防止施策の停止に合わせて、長野県、滋賀県といった東西の隣県へ歩を進めていった。
気づいたときには150㎞以上を歩いており、そのまま歩を延ばせば、日本縦断の線につながると思うようになってきた。

日本列島に一本の線を引く一筆書きによる縦断はできなかったが、いつしか縦断の夢は、西は佐多岬、東は宗谷岬を目指す目標に変わっていった。
そして、宗谷岬を目指す東日本編は、2020年、9月25日に苫小牧に到達。
時期的に宗谷岬までの残りの400㎞は厳しいと判断し、翌年に持ち越すことに。
佐多岬については、同年11月18日に到達。

結果的に2020年のチャレンジは、佐多岬から苫小牧までの2400㎞をのべ94日間をかけ終了した。

しかし、東京オリンピックも延期開催となり、満を持してチャレンジする予定だった2021年、解除されない緊急事態宣言に阻まれ、宗谷岬を目指す400㎞の旅は実現できないまま終わってしまった。

そして、【withコロナ】の風潮が浸透し始めた今年2022年。
収束が見えない相変わらずのコロナ禍であったが、2年越しのチャレンジのスタートを切ることになった。

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苫小牧~宗谷岬へ

【天 候】
漠然であるが、梅雨がない北海道の6月~7月は寒くも暑くもない爽やかな晴天の下、楽しく歩ける一番の好適期だと思っていた。
しかし、これが想定外の不安定な天候に悩まされることになった。
苫小牧をスタートした6月28日から3日間は、連日の雨にやられてしまった。
梅雨前線が北上し、本州が相次いで例年より一ヶ月以上も早く梅雨が明け、太平洋高気圧に押し上げられた前線が北海道から東北北部に停滞する気圧配置になるというパターンである。

私が苫小牧からスタートを切る一週間前から北海道南部は不安定な天候が続いてた。
そして、出発した私は、たちまちその“餌食”となり、梅雨時のような蒸し暑い雨の中、大型トラックの水しぶきを浴びながら国道を北上することになった。

北上するにつれ、梅雨前線とは縁が切れたのか、スタートして4日目から12日目までは行動中は一度も雨にやられることなく歩くことになったが、今度は一転して暑さとの闘いとなった。
気温は22度~26度と快適な気温にみえるが、留萌から稚内までの日本海側を歩くルートは絶えず熱中症のリスクを背負って歩いた。
折りたたみ傘を差し、水に浸したタオルを首に巻き、休憩ごとに大量の水を飲むことで対処をした。

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人家が途絶えると強い日差しをさえぎる場所もなく、時折出てくる屋根付きのバス停が砂漠のオアシスのように思えた。それさえもないサロベツ原野では折りたたみ傘で日陰を作って紫外線から身を守った。
また、水分補給も切実な問題で、20~30㎞に渡り売店や自販機がないサロベツ原野では、常時ペットボトルの水を4本担いで歩いた。

稚咲内や抜海でお世話になった宿のご主人も話していたが、今年は例年になく夏の訪れが早く、7月の初めに利尻山の雪がほとんどないのは初めてだという。
また、エアコンや扇風機をこの時期に使うこともなかったが、今年は夜も寝苦しく、ずっとTシャツ一枚で過ごせているらしい。

確かに、3日間テントで幕営したときも、寝苦しくてシュラフに入ることもできず、腹にかけるだけで夜を過ごした。

今振り返ると、温暖化が進んでいるこの国では、もはや北海道といえども“涼しくて快適な”土地とはいえないかもしれない。
後半は熱中症の一歩手前まで追い込まれ、血尿も出る事態になった体調を鑑みると、この時期のチャレンジは厳しかったといえるかもしれない。

【ルート】
苫小牧から宗谷岬を目指すルートは、一昨年、苫小牧で中断した時にほぼ心に決めていたルートである。

縦断の先達からの情報では、北竜町から留萌に通じる美馬牛峠を越える国道233号線はクマのリスクが高いことが懸念材料にあり、熊鈴をザックに下げて突破することになった。
しかし、旅を続けていくうちにクマについてはサロベツ原野のほうがはるかにリスクが高いことが分かった。稚咲内から抜海付近にはクマの目撃情報の看板が立ち、私が歩いたその日にもクマが目撃されているという状況だった。

ただし、日中にクマと遭遇することは稀であり、クマの目撃は深夜から早朝にかけてが多いようだ。海の塩を舐めにくるという説もあり、サロベツ原野では海岸沿いの国道を横切ることで目撃されているという話を聞いた。

いずれにしても徒歩や自転車の旅人は、クマと遭遇しない時間帯の行動自粛と、熊鈴の携行は必須といえそうだ。
私は、熊鈴の他にラジオを鳴らしたり、自然界には存在しない音という理由でクマが嫌がる(?)、ペットボトルを潰す音を絶えず発しながら歩いた。

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天塩町から稚内までのルートをどこにとるかは少し悩んだ。
過去の縦断者の多くが国道40号線を豊富町を経由して稚内市街地に出る内陸ルートを選んでいる。
しかし、サロベツ原野の魅力が勝り、私は日本海側を歩く道道106号線を行くことにした。

60㎞にも及ぶこのルートはわずかな宿泊施設を除くとキャンプ場もなく、売店や自販機もほとんどないという厳しいルートだったが、地平線がどこまでも続く絶景を見ながら一人歩いていくロケーションに魅了された。
2800㎞に及ぶ列島縦断の中でも印象に残るルートとなった。

【宿 泊】
12日間の日程のうち、3日間をテントで幕営し、9日間をビジネスホテル、旅館、民宿を利用した。
初山別みさき台公園キャンプ場は日本海と利尻島が見える絶景にあり、しかも無料。 公園内には温泉施設もあるという素晴らしいロケーションだった。
日程に余裕があれば何日でも滞在したいところだった。

天塩から稚内の日本海側にはキャンプ場がなく、宿泊施設を利用するしかないが、コロナ禍にあって宿泊客の人数を制限しているのが厳しい。予約が取れなければルート中でのビバークとなるが、食料や水の確保ができないため、すべて天塩町で確保して担いでいくしかない。
もっとも、稚咲内のパーキングと抜海の『こうほねの家』を除いてビバークできそうな場所もないので、宿泊施設が確保できなければこのルートを歩くことは難しいと思う。

また、稚内から宗谷岬までの間には『ふれあいの森キャンプ場』があるが、宗谷岬までは24㎞の距離がある。
私は事情により稚内市内で宿泊し、宗谷岬を狙うことになったが、本音を言うと岬にもっと近ければ嬉しいところだ。

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今回はテントを背負っての旅となったが、ルートを通して宿泊施設の確保ができれば、軽量での歩き旅は可能だったと思う。
しかし、歩き旅の性格からか、天候、体調等で計画通りに進まないことを考えると、宿の予約はどうしても直前になってしまう。

その日に宿が無くて野宿というリスクもありうるので、シュラフなどの最低限のビバーク用具もあったほうがいいかもしれない。
一度チャレンジしたかったが、屋根付きのバス停も国道沿いにはある。
クルマの騒音が気になるところだが…。

【マメ対策】
2020年の旅ではさんざん苦しんだ足のマメであるが、今回400㎞を歩いてもほとんどできなかった。
北海道を歩く直前に、1週間の旧東海道を歩く旅を行ったが、その旅で実験的に試した足の保護クリーム『プロジェクトジェイ1』の効果が大きかったと思う。
出発前に足の裏と指の間に入念にクリーム刷り込み、マメができやすい部分にはテーピングを行って歩いたが、マメができることなく歩き通せた。

また、シューズはモンベルのトレイルランニング用を使用したが、足にフィットして大変歩きやすかった。これもマメの防止に効果を発揮したように思う。
これまでの旅では、マメができやすい体質だと思っていたが、保護クリームとシューズによって回避できることが分かったことが、今後も長距離の歩き旅を実践する上で収穫となった。

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【アクシデント】
旅に出て10日目を迎えた7月8日、稚内市内で休憩中に血尿に見舞われた。
肉眼ではっきりと分かるレベルであり、同時に発生していた左足すねから足首にかけての痛みに関連付け、素人判断ながら横紋筋融解症を疑った。

病院を紹介してもらうために交番に立ち寄り事情を説明したところ、稚内市立病院へ救急搬送されることになってしまった。
まさに私にとっては青天の霹靂の出来事であった。

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病院で検査したところ血尿が認められ、医師からは安静と旅の中断、帰宅後に泌尿器科を受診するように勧められた。
翌日、肉眼的には血尿が改善したと判断し、あと28㎞に迫っていた宗谷岬への最後のチャレンジを行うことにした。
帰宅後、病院の泌尿器科を受診し、尿検査とエコーを行い、検体は病理検査に回され、現在精査中である。

足の痛みについては、一昨年の東北での右足の筋肉痛に酷似しており、その時は旅を継続することができずに中断することになってしまったが、今回もう一日、宗谷岬ゴールまでの日数がかかったとしたらおそらく歩くことはできなかったと思われる。
稚内から宗谷岬までの28㎞は、文字通り歯を食いしばっての足の痛みとの闘いとなった。
血尿もそうだが、最後の一日だから我慢もでき、無理を承知でチャレンジしたと思っている。

【106日間を振り返って】
日本列島を縦断した2800㎞、106日間の旅は振り返ってみるとあっという間の出来事だったような気がする。
その日の体調や宿泊施設の予約によって一日30㎞程度を目途に歩いたが、長旅に体が順応しリズムよく歩けるようになると、40㎞を越える行程もふつうにこなせるようになってきた。

全体を通して、名所や観光施設にほとんど立ち寄ることなく、黙々と歩くストイックな姿勢を貫いてきたので、傍から見れば面白味もない旅に映ったかもしれない。

しかし、そんな中にも季節の移ろいを花や樹木、昆虫、風の冷たさ、暑さで感じてきたし、歩き目線での発見も多々あった。
僅かだが人との触れ合いもあり、大げさに言えば、日本の今の姿を目に焼きつけながらの旅に仕上がったように思っている。
最南端の佐多岬と最北端の宗谷岬を、どちらも旅のゴールとして踏むことができたことは素晴らしい体験であった。

日本列島縦断の歩き旅は、私にとってこれから始まる終活の一ページであり、思いっきり贅沢な日々の積み重ねであったと思う。

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日本縦断徒歩の旅~帰宅しました

昨日の午後、13日間の旅を終えて帰宅しました。

7月9日の午前10時45分に宗谷岬にゴールした後、11時14分発のバスで稚内バスターミナルへ移動。
そこから13時の高速バスで札幌へ。
その日は札幌駅近くのホテルに宿泊し、翌7月10日の午前便で新千歳空港から中部国際空港へフライト。
電車を乗り継いで帰宅しました。

苫小牧から12日間かけて歩いてきたのに、宗谷岬からの帰宅はあっという間でした。
高速バスは私が歩いたルートも通ったので、車窓から流れる風景を見ると、思い出がよみがえって感慨ひとしおでした。

そして、今日。
病院の泌尿器科を受診しました。
尿検査では潜血反応がまだ出ており、検体を精査に回したということです。
膀胱や腎臓を調べるエコーでは異常なしということでした。

今は悪性細胞の有無も尿検査で分かるようですね。
いずれにしてもしっかり原因を探って、治療を優先したいと思います。

次回診察は2週間後です。

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※稚内駅で

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※稚内駅前で塩ラーメンを食す(ラーメンのたからや)

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※19時に札幌駅到着。選挙の最後のお願いの真っ最中だった

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日本縦断徒歩の旅【最終章・東日本編56】稚内~宗谷岬

救急車騒動から一夜明けた早朝5時、稚内駅近くにある旅館を出発。

昨夜の休養と熟睡が功を奏したのか、足の痛みも幾分和らぎ、尿の色も透明になった。
ここまできたら何としても宗谷岬に立ちたい。
医師からは激しい運動をしないで、という忠告を受けた身にも関わらず、どうにもあきらめきれなかった。

あと28㎞ですべてが終わるのだ。
宗谷岬は微笑んでくれるだろうか。

5時15分、タクシーで昨日中断した地点まで戻り、歩きだす。
犬の散歩をしている人しか見かけない静かな住宅街を抜け、宗谷岬に続く国道238号線に出た。

早朝なのに、日差しは容赦なく降り注いでいる。
最北端の地にあって、この暑さは何なのだ。
ここまでの日々を振り返ってみても、寝苦しい夜の連続だった。

そして、今日もまたとない晴天である。
まさにうってつけの最終決戦といえなくもないが、ここ数日のサロベツ原野の歩きで、熱中症寸前まで痛めつけられた身体には堪える暑さだ。
折り畳み傘を差して、首にはタオルを巻いて歩く。

足の痛みは強く鈍くを繰り返しながら、徐々に増幅しているのを感じる。
一度休んだらさらに痛みが増すような気がした。

稚内空港までの10㎞を一気に歩く。
足の痛みはマヒしているみたいで、それこそ丸太で地面を踏んでいるような感覚に、もうどうでもよくなった。
日射しは容赦なく降り注ぎ、とても日本最北の地とは思えない暑さである。

岬の手前12㎞にあるセイコーマートまでは自販機がないと思っていたので、ペットボトル4本を担いできたが、実際には2箇所に設置されていた。

休憩一回で、【日本最北端のコンビニ】の謳い文句のセイコーマートに到着。

トイレで用を足すと、便器がピンク色に染まった。
再びの血尿に驚くが、ここまで来たら前に進むしかない。

群青の海と空は、その境目がはっきりしないくらい同化している。
願ってもないくらいの天気というのに、私は足の痛みと血尿という体調異変、そして全身の水分を絞りとられるくらいの暑さにあえいでいる。

やるべきことは、一歩一歩、前に進むしかないのだ。

最後の宗谷集落を回り込むと、遠くにピラミッドを連想する鋭く尖った三角形のモニュメントが見えてきた。
日本最北端の地碑だ。
過去に訪れたことがあるから間違いない。
この2年間、忘れられない宿題のように私の頭にこびりつき、支配していた宗谷岬だ。

LINEのビデオ電話でカミさんを呼び出し、近づいてくるモニュメントに向かって実況放送よろしく、スマホを向けた。
最後のゴールは、私の一番の理解者であるカミさんと一緒に到達をしたかったのだ。

7月9日午前10時45分、宗谷岬にゴール。
28㎞を5時間30分で歩き切った。
苫小牧を出てから400㎞を12日間、日本縦断を始めて述べ106日での達成だった。

モニュメント前で、若者に撮影をお願いすると、快く引き受けてくれた。
この日のために私がザックから出した【日本列島徒歩縦断 宗谷岬到達!!】と記したPOPをもってモニュメントに上がると、その場に居合わせた10人ほどの人たちから「おめでとう!」の声がかかり、拍手で祝ってくれた。

まさか、一昨年の佐多岬と同じ展開になるとは思っていなかったが、涙ではなくうれしさが込み上げ、写った画像を確認すると、これ以上ないほどの満面の笑顔だった。

振り返ると、コロナ禍に翻弄され、予定していた最南端の佐多岬からスタートが切れず、苦肉の策として岐阜の自宅から東西に歩を伸ばすことになった縦断の旅だったが、佐多岬と宗谷岬の二つのゴールを味わうことができたのは、考えようによっては、凄く豪華でラッキーだったのではないか。

予期せぬアクシデントや苦しさもあったが、どちらの岬も私を笑顔で迎えてくれたことに感謝したい。

■2022年7月10日 稚内市街地~宗谷岬
■42489歩 28.1㎞
■晴れ

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※早朝の国道238号線を歩く

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※声問川を渡る

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※稚内市街地を振り返る

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※一直線に伸びる国道238号線は歩道が整備されていた

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※宗谷岬が見えてきた

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※日本最北端のコンビニ

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※雲はすっかりなくなり、強い日差しを浴びながら歩く。宗谷岬が近くなった

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※宗谷岬まで5㎞。最後の力を振り絞って必死で歩く

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※宗谷岬に到着。間宮林蔵とモニュメントが迎えてくれた

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※同上

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※日本最北端の地に立つ。長い旅が終わった

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日本縦断徒歩の旅【最終章・東日本編55】抜海~稚内

安倍元首相が凶弾に倒れたという、衝撃が走った日。
私にとっても歴史に残る日となってしまった。

なんと、救急車で病院に運ばれてしまったのだ。

ことの発端は、抜海にある宿を仲の良いオーナー夫婦に見送られて出発してすぐのこと。
そこから異変が始まっていた。

歩き始めて早々から左足のすねから足首にかけて痛くなってきた。
2年前に東北で右足を痛め、途中リタイアしたケースと似ており、応急処置としてロキソニンを飲み湿布を貼って歩くことにした。

日本海に聳え立つ利尻島を背景に、痛みをこらえながらそのまま道道106号線を15㎞北上し、稚内市街地に入った。

このまま5㎞先の宿泊予定地・宗谷ふれあいの森キャンプ場まで踏ん張るつもりで歩くが、痛みは増すばかり。

ちょうどホーマックHCの前にモスバーガーがあったので、休憩がてら昼食を取り、様子を見ることに。
トイレで小用を済ますことにし便器に向かったら、なんと便器が赤く染まっていた。

血尿である。

人生初の経験にびっくり。
振り返ると、昨日から尿の色がやけに濃いことに気づいていたが、水分の摂取不足かな、と思っていた。

しかし、これはただ事ではない。

ひょっとしたら左足の筋肉痛と関連があるのか…スマホで検索してみると、横紋筋融解症という激しい運動の後で起こる症状とよく似ており、最悪の場合、腎不全を併発し、危険な状態になるので一刻も早い処置が必要と書いてある。
まさに、これはビンゴか…。

血の気が引くのを感じた。

店を出てから、どうしようか…としばらく考えて歩き出すと、ちょうど交番があり、軽い気持ちで病院を紹介してもらうために相談することにした。

しかし、ことはあらぬ方向に動き出してしまった。
私の話を聞くにつれ、お巡りさんの判断で救急車を呼ぶことになったのだ。

これは自分にとって、とんでもなく大事である。

あれよ、あれよの間に、救急車に乗せられ、稚内市立病院へ。
更に救急の入口からあっという間に診察室、そしてストレッチャーに乗せられてしまった。
この間、ほんの15分である。
まさに、バケツリレーのような手際よさだった。

この日は泌尿器科の先生がいないということで、診てくれたのは、なんと産婦人科の先生だった。
血液検査と尿検査の結果は、横紋筋融解症ではないので入院の必要もないということだったが、あきらかに血尿がでているので、その原因を調べる必要があるとのこと。

私が歩き旅をしており、あと一日で達成することを話したところ、医師としては、激しい運動は勧められないこと、帰宅後、速やかに泌尿器科を受診すべきと忠告されてしまった。

帰り際に看護師さんから、「またチャンスありますよ、今回は行くなということですね」と、優しく言われた。

さて、どうすればいいのか、取るべく行動が見つからない。
残り28㎞まで目前に迫った宗谷岬を諦めて、帰宅するのか…それともしばらく様子を見るのか…。
悩んだ挙げ句、まずは稚内市内に宿を取り、一晩ぐっすり寝て、それからこの先の行動を考えることにした。

何軒か断られたもの、ようやく確保できた旅館に入り、テレビで安倍さんのニュースをずっと見ていた。
尿の色はいくぶん薄くなってきたが、左足の痛みは消えないままだ。

ここまで来て、目前で諦めることはどうしてもできない。
往生際が悪いが、自己判断で、明日の朝血尿が出ていなかったら宗谷岬に向かうことにした。
カミさんとLINEで何度もやり取りし、反対するカミさんを半ば強引に説得した。

…ということで、私にとっても歴史に残る衝撃的かつ、波乱万丈の一日が終わった。

◼️2022年7月8日 稚内市抜海~稚内市内
◼️22702歩 14.75㎞
◼️旅館似木似
◼️晴れ

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※一夜を過ごした抜海集落を振り返る

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※日本海ともお別れだ

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※利尻島がずっと傍らにあった

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※同上

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※106号線は稚内市内に向かう峠道となった

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※利尻島もこれで見納め

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※市街地が近いというのに、クマ看板が…。熊鈴を付けて歩いた

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※足の痛みに耐えながら稚内市内を歩いた
 
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日本縦断徒歩の旅【最終章・東日本編54】稚咲内~抜海

原野にポツンと立つ一軒家の宿では、同年代のご夫婦やライダーの方たちと一緒に飲み、楽しい時間を過ごすことができた。
利尻島が夕日にくっきりと浮かび、その後の満点の星空というショータイムがどんな演出にもかなわないほど、素晴らしかった。

朝食をゆっくりと摂り、7時30分に出発。
今日は30㎞先の抜海を目指す。

サロベツ原野を行く道道106号線は、何もない大自然のなかを一本の道がまっすぐに延びているだけである。
民宿がある稚咲内から24㎞先の『こうほねの家展望所』まで自販機はないので、空のペットボトルと水筒に2リットルの水を入れ、ザックを担ぐ。

歩き始めて一時間で早くも汗だくだ。
晴れてはいるが、利尻島は見えない。
トラックやバイクが行き交う道の対向車線の白線をたどるように歩く。
ザックのショルダーに自転車用の赤色点滅ライトを付けているので、それに気づいてほとんどの対向車は大きく避けてくれる。

朝3時過ぎから明るくなる道北の気象に慣れずにいるので、睡眠不足が続いている。
日陰がまったくなく、直射日光が疲れた体に追い討ちをかける。

一瞬、ぼぉっとしてしまった。
我に返り、ザックを肩から下ろす。

熱中症で倒れる条件が揃い始めたことに気づき、傘を出して日除けとした。
次に昼の弁当として宿で貰った特大のおにぎり一個をパクつき、水を浴びるように飲んで事なきを得た。

携帯も繋がらない、何もない原野で一人息絶えるのはゴメンである。

サロベツ原野を行く旅人憧れのロードは魅力的だが、その分リスクも孕んでいる。
宿のご主人曰く、徒歩で日本縦断をすると息込んで、宗谷岬を出発して3日目にリタイアする人が多いのは、何もない原野を歩く孤独感と自然の厳しさ、水や食料が手に入らないことへの認識不足によるものだという。

ある意味同感だが、私が経験した縦断ルートの中でも、60㎞に及ぶサロベツ原野の歩きは、難易度としても間違いなくトップだと思う。
魅力的なものほど棘がある。

歩き始めて20㎞を越え、暑さに慣れてリズムよく歩けるようになると、今度はアブがまとわりついて離れなくなった。
汗を吸いに来るのか、払っても払っても常時数匹が私の体に付かず離れず飛び回っている。

これがうっとうしい。
すれ違うクルマのドライバーから見ると、何をやっているんだろうと思うかもしれないが…。
面倒なので、肌にとまってチクリと刺したところでぶっ叩くという作戦に出た。
5~6匹殺生をしたところで、いつの間にかいなくなった。

アブ騒動が終わり、24㎞歩いて『こうほねの家展望所』に到着。
ここにはルート中、唯一の自販機があり、喉の乾きに負けて、何時もなら手を出さない甘い炭酸飲料を一気に飲んだ。

北海道に来てから気づいたが、自販機にはペットボトル用の回収箱が置いてないので、ザックには空のペットボトルが何本も溜まることになる。

原野を歩いていても無造作に棄てられたゴミや空き缶、ペットボトルが目についたが、ゴミ箱を設置しないことによる行政の策が裏目に出て、ゴミの持ち帰りが徹底できず、ひいては環境破壊に繋がっていることが腹立たしい。

展望所から本日の宿まで残り6㎞となり、雄大な日本海と、池塘や湿原を見ながらなのんびりと歩く。
しかし、突然に【熊出没注意】の看板が。

なんと確認日が7月7日とある。
えぇ~、今日ではないか!

慌てて熊鈴をザックに提げて、足早に歩くことになった。

15時30分、本日泊まる宿に到着。
気さくなご主人と熊談義に花が咲き、今夜はゆっくりと眠れそうな気がした。

ゴールの宗谷岬まであと2日。
わずかになった残りの時間を楽しみたい。

◼️2022年7月7日 豊冨町稚咲内~稚内市抜海
◼️42387歩 30.02㎞
◼️旅人の宿ばっかす
◼️晴れ

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※今日もサロベツ原野の県道106号線を歩く

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※ハマナスの大群落があった

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※同上

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※106号線の地平線の先には日本海。誰もいない、何もない風景。

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※厳しい自然の中にも生命の躍動がある。ウマオイの幼虫か

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※どこまでも、いつまでも、同じような風景が続く

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※同上

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※ようやく人の手がかけられた牧草地帯があった

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※こうほねの家が見えてきた

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※稚内が一段と近づいた

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※この看板には驚かずにいられなかった

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※抜海が近づくと、湿原の中に池塘が現れた

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※同上

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※抜海の近くの霊園には、今が盛りの睡蓮が咲いていた

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※抜海の宿『ばっかす』の夕食。地産地消の食材に舌鼓。

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日本縦断徒歩の旅【最終章・東日本編53】天塩~稚咲内

一晩を過ごした天塩のキャンプ場を7時30分に出発。

宗谷岬までのルートを検討したが、国道40号線を抜ける最短ルートよりも、利尻島を眺めながらのサロベツ原野の魅力が勝り、海岸線を行く県道106を選ぶ。

このルートは稚内まで売店はおろか自販機さえもないので、食料調達ができない難点がある。
更にキャンプ場もないので、出費はかさむが、28㎞先の稚咲内にある民宿と、そこから30㎞先の抜海にある民宿を予約し、サロベツ原野に突入することにした。

天塩町市街地の外れにあるセイコーマートで昼飯とペットボトル2本を調達。
ここからは自販機さえないので、水はキャンプ場で汲んだ1リットルの予備水筒もザックに忍ばせている。

県道106号線は天塩川を渡るとサロベツ原野に突入する。
左手に日本海、右手に果てしなく広がる原野。
天気はこの旅一番の快晴。
気温は22度とそれほど高くないが、遮るものがないので、日差しが突き刺さる。

一列に28基の風力発電のプロペラが並ぶ直線の道を歩く。
ライダーが手を上げて追い越していく。

ここまで歩いてきて、歩き旅の人には会っていないが、自転車で旅しているチャリダーには3名とすれ違った。
日本最北端はライダーには人気ルートなんだろうか、とにかく多い。

サロベツ原野PAを過ぎたところで、一人のライダーが私の横に止まり、「ずっと歩いているんですか?」「忘れ物を取りに戻ったらみかけなかったんで、何かあったかと思いました」
…と声をかけられた。
「おそらく路肩で休んでいたので気づかなかったと思いますよ」と返答。
ありがたい気遣いに感謝であった。

サロベツ原野は果てしなく広く、傍らには海に浮かぶ利尻島の姿があった。
19歳の夏、一人で利尻山の頂に立ち、63歳になった今、一人で孤独を楽しみながら歩いている。
なんと贅沢な旅なんだろう。
絶景を一人占めしている時間に酔っている。

稚咲内にある宿のチェックインが15時からのため、何度も休憩し、時間を調整しながら歩く。
この9日間の歩きで、速足が身に付いてしまったので、ゆっくりと歩くことがかえって難しかった。

15時、予約していた民宿に到着。
原野の中にポツンと立つこの宿は、日本縦断を目指す旅人が過去に何人も泊まった宿である。

宗谷岬まであと71㎞。
いよいよ射程圏内に入った。

◼️2022年7月6日 天塩町~豊富町稚咲内
◼️44312歩 28.80㎞
◼️民宿あしたの城
◼️快晴

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※天塩市街地を抜けると、縄文遺跡があった。

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※同上

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※森の中には石仏も。

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※天塩川の河口を望む。しじみが名物のようだ

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※天塩川を渡る

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※サロベツ原野の入口に立つ案内板

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※サロベツ原野に入ると、ハマナスが咲いていた

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※北海道の固有種、エゾシロチョウ

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※28基の風力発電のプロペラが並ぶ

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※電柱もない、何もない原野を歩く

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※利尻島が大きく迫ってきた

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※サロベツ原野の中を行く

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※今夜の宿

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※素晴らしい夕焼けを見ることができた

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日本縦断徒歩の旅【最終章・東日本編52】初山別~天塩

天気は安定していないようだ。
少なからず、台風の影響を受けているのだろうか。
昨夜はバケツをひっくり返したような土砂降りとなったが、草地に張ったことと高性能のテント?のおかげで、浸水被害はなかった。

4時前に目覚め、テントから外の様子を見ると、濃い霧が立ち込めていた。
しばらく様子をみるが霧は一向に晴れる気配がない。
これでは出発できない。

歩道がない道路を歩く勇気がでないのだ。
しょうがないので二度寝を決め込む。

7時頃、ようやく霧が晴れてきたので、テントを素早く撤収し、本日のスタートをきった。
出発が遅くなったので、19㎞先の遠別町でもいいかと思ったが、明日以降の行程を考えると、38㎞先の天塩まで行きたい。
そんなことを思いながら、歩くことにした。

しばらくは曇天だったが、遠別町の道の駅が近づいた頃に晴天となった。
10時間30分に道の駅着。
ほとんど休まずに19㎞を3時間弱で歩いた。

道の駅周辺には、『熊出没中』の看板がいたるところに貼られていた。
こんな街中でもクマが出るのか、だとしたらこれまで歩いてきた道はクマだらけに違いない。

遠別から国道232号線は海岸沿いから内陸に入っていく。
色とりどりの花が咲き乱れる原生花園を突き抜けていく。

なにもないし、変化もない道をひたすら歩く。
日本縦断が終わったら何を目標にすればいいのだろうか、などと思いながら歩く。

勝手に思っているのだが、国内における歩き旅のグランドスラムは【日本縦断】【四国遍路】
【旧中山道】【旧東海道】の4つかなと思う。

日本一周は超越しているので除外するが、この4つはその気になれば誰にでもチャレンジできる目標だと思う。

とすれば、残りの四国遍路はやらなければならないだろうか…。
まだまだ先は長い。

話しがそれてしまったが、相変わらず大型トラックが行き交う国道を黙々と歩き、16時過ぎに天塩町の鏡沼海浜公園キャンプ場に到着。

サイトの近くには温泉施設もあり、汗を流すことができた。
旅に出てから体重が2.5キロ減った。
道草もせずに、求道者の如くストイックに歩くことに専念しているからか。

白夜の夜は長い。
疲れも溜まってきた。

今夜は熟睡したい。

◼️2022年7月5日 初山別村~天塩町
◼️57000歩 37.5㎞
◼️鏡沼海浜公園キャンプ場 テント泊
◼️曇りのち晴れ

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※まだ霧が残るなかを出発

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※牛がのんびりと草を食んでいた

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※廃線跡にまた出会った

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※稚内まで100㎞を切った

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※道の駅遠別で海老カツ丼を食す

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※こんな北の果てでもお米は育つのだろうか

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※幾何学的模様のような畑

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※花の海を泳ぐように歩く

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※牛が寝そべっていた

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※天塩町に入ると地平線が見えた

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※キャンプ場から見える風景

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※テント泊連続三日目。快適なキャンプ場だ

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日本縦断徒歩の旅【最終章・東日本編51】苫前~初山別

白夜なのか、夜は8時近くまで明るく、朝は3時頃から明るくなった。
久しぶりのテント泊ということもあって、何度も目が覚め、浅い眠りのまま起きてしまった。

出発の準備をし、5時前にテントを撤収し、歩き始める。
早朝といえ、国道232号線はトラックがひっきりなしに走っていく。
点滅ライトを点けて歩道に浮かび上がるザックを背負った私に、ドライバーはきっと驚くだろう…と思いながら黙々と歩く。

羽幌町に入り、道の駅にあるトイレで洗顔し、朝食を摂った。
羽幌は比較的大きな町で、ドラッグストアやスーパーもあったが、早朝とあってどこもシャッターが閉まっていた。

町外れのセイコーマートで昼飯とペットボトル2本、ついでに少し迷ったがバナナ1本を購入。
24㎞先の初山別まで店や自販機はないので、ここで確保しなければならない。
重いが、熱中症にはなりたくないので仕方がない。

天気は真っ青な空。
気温も上がり、首筋がジリジリと焼け出す。
何もない陽炎が揺れる一直線の道路を歩く。

オロロン鳥の巨大なモニュメントを見ながら歩くと、振り返った海の彼方に天売島が見えた。

日本海オロロンラインと呼ばれる国道には人家がないので、バス停があっても屋根付きがほとんど見当たらない。
陽光を遮るものがなく、灌木のわずかな日陰を見つけて休みながら歩いた。

ほんの数日前までは、雨を何とかしてくれ、と悪態をつきながら歩いていたのに、昨日からは太陽何とかしてくれ、である。
自分勝手な弱さに苦笑しかない。

12時、初山別の中心部に入り、一軒しかないセイコーマートで買い出し。
ついでに昼ごはんの弁当も購入したが、食べるところが見当たらない。

ようやく見つけた日陰は、小さな村には不釣り合いなほど立派な村会議会庁舎。
堂々と入口の階段に座って弁当をパクついたが、人に会うことまなく何も言われなかった。

晩飯をパッキングした重いザックを背負って、4㎞の道を歩き、13時30分、道の駅に併設したみさき台公園に到着。

広大なキャンプ場があり、しかも無料で使える。
目の前は利尻島を望む絶景だが、あいにく雲が厚くなり見えなかった。

テントを立てて、温泉施設へ。
二日間の汗を流すと同時に身体が弛緩していくのを感じた。

今夜はゆっくりと寝れそうだ。

◼️2022年7月4日 苫前町~初山別村
◼️48193歩 33.32㎞
◼️みさき台公園でテント泊
◼️晴れのち雲り、後雨

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※夜が明けた苫前の町を歩く。巨大な風車が回っていた

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※これまで何度もお世話になっている屋根付きバス停

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※オロロン鳥のモニュメント。遠くに天売島が見えた

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※廃校になった小学校。草に埋もれていた

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※何もない、国道を黙々と歩いた。

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※同上

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※旧国鉄の廃線跡もあった

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※稚内が近づいてきた

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※みさき台公園のキャンプ場。快適なサイトだ


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日本縦断徒歩の旅【最終章・東日本編50】留萌~苫前

北海道に来て初めての晴天の一日となった。

国道234号線をひたすら北上するが、小平町のセブンイレブンを過ぎてから道の駅『おびら番小屋』までの16㎞が、水との闘いとなった。
うっかり予備のペットボトルを購入し忘れ、ペットボトル一本でしのぐことになってしまった。
案の定、店も自販機もなく、ちびちびと飲みながら歩いた。

これで熱中症になったらまったくお笑いだが、一昨年の縦断の旅で東北で経験しているのに、学習能力が足りないようだ。
ともあれ、ようやく道の駅にたどり着き、事なきを得た。
国道232号線は、日本海を左手に見てひたすらの歩きとなったが、屋根付きの立派なバス停が砂漠のオアシスの如く、暑さに参った体を労ってくれた。

国道を疾走するライダーたちが、歩く私に気づいて片手を挙げて「がんばれ」とサインを送ってくれる。
ちょっとしたことで、元気が出る。

40㎞を歩き苫前町に到着。

しかし、道の駅は改修工事のため休業中。幕営予定だったオートキャンプ場はソロキャンプを中止しているのでダメ、と冷たく追い返されてしまった。

仕方なく国道をとぼとぼと歩き、空き地を見つけてテントを張ることになった。
道の駅での温泉も入れず、快適とは言いがたい草むらでの幕営。
思いっきりツイていない一日の終わりとなった。

◼️2022年7月3日 留萌市~苫前町
◼️61259歩 40.4㎞
◼️テント泊
◼️晴れ

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※留萌港を望む

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※留萌市郊外で。廃校になった小学校があった

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※稚内の標識が出てきた

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※日本海を見ながら歩く

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※ハマヒルガオやハマナスが咲き乱れる道を歩く

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※この旅初めてのトンネル。小平町あたり

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※重要文化財の鰊の番小屋

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※海を見ながらひたすら歩く暑い一日となった

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※同上

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※快適とは言い難い幕営となった

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日本縦断徒歩の旅【最終章・東日本編49】北竜~留萌

6時30分に肌寒い曇天のなかを出発。
道の駅の駐車場には車中泊のクルマはあまり止まっていないようで、もちろんテントも見当たらない。
これから先の行程では道の駅ビバークを目論んでいるが、同志がいないと目立ってしまう。
そんなことを考えながら歩きだした。

碧水の交差点にあるセイコーマートで昼飯を調達。
この先、留萌まで食べるところは無さそうなので、少し重くなるがペットボトルの予備も購入。

国道233号線に入り、民家がポツポツ出てくる景色を見ながら5㎞ほど進むと、歩道が無くなり登坂となった。

周りは鬱蒼とした樹林帯で、いかにも一番出会いたくないヤツと遭遇しそうな雰囲気。
ここぞとばかりに熊鈴をザックにぶら下げ、ついでにラジオを取り出す。

ラジオは雑音ばかりでNHKの教育しか入らない。
ラジオ体操から始まって、ポルトガル語講座ときて、英会話となった。

クルマは、留萌まで無料区間となっている深川留萌自動車道に逃げていくので、忘れた頃に国道を通る程度。
これでは万が一にも私がクマに襲われても、気づいて貰えないかも知れない。

美馬牛峠を越え下り坂になると、熊笹がガサッと揺れたかと思った途端、目の前にエゾシカが2頭飛び出した。
あっという間に道路を横切り、反対車線の薮のなかに消えていった。

そして、四方からピー、ピーという鳴き声が。
あまりの突然の出来事に肝を冷やしたが、クマでなくて良かったと胸を撫で下ろした。

そこから峠下のバス停までは、脇目も振らず速足で下った。
右手にラジオ、左手にはクマが嫌がるという空のペットボトルを潰す音を出しながらという念の入れようだった。

景色は田園風景となり、民家も出てきたことでクマのリスクが無くなった。
あとはのんびりと歩くのみ。

幌糠の集落から藤山集落までは国道を外れて最短距離を狙い、畑の中を縫うように歩いた。
大和田のバス停を過ぎると、留萌の市街地が近くなった。
Aコープに立ち寄り、晩飯のお惣菜とビールを購入し、15時30分、ビジネスホテルに投宿した。

明日からはテントの野宿となりそうなので、汗が沁みた衣類をすべて洗濯。
これで爽やかに歩けると思いきや、一番汗臭い帽子を洗濯機に入れ忘れてしまった。

明日の予報は一時雨。
何とかもってくれたら、ありがたい。

◼️2022年7月2日
◼️50176歩 33.61㎞
◼️ホテルRイン
◼️曇り

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※碧水から国道233号線に入った

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※多くのクルマが無料区間の自動車道に入っていく

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※美馬牛峠の登坂。いかにもクマが出そうな雰囲気だった

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※峠を下って安全地帯に出た。靴下を脱いで足を乾かす。ここまでマメはできていない

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※可憐な花が目を楽しませてくれた

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※バス停で休憩。屋根付きがありがたい

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※国道から逸れて、最短距離を狙う

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※同上

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※田園風景を見ながらのんびり歩いた

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※留萌本線の一輌電車が行く

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※留萌市街地が近づいた

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※寂れた雰囲気の留萌の街を歩く


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日本縦断徒歩の旅【最終章・東日本編48】砂川~北竜

苫小牧を出てから四日目。
長距離を歩くことに体が慣れてきたのか、ロキソニンを飲んでかわしていた腰痛も影を潜め、体調も良くなってきた。
マメもテーピングと保護クリームの効果で今のところ大丈夫だ。
今日は北竜町までの約30㎞を歩く。

砂川市内から新十津川町までは石狩川の堤防を辿る。
クルマが入れないので、大手を振ってゴミひとつ落ちていない舗装された道のど真ん中を歩いていく。

すれ違うのは自転車の高校生。
礼儀正しい彼らは、すれ違い様に目礼をしていく。
そういえば、昨日も登校する小学生に出会ったとき、皆大きな声であいさつをしてくれた。
挨拶という当たり前の行為がしっかりと根付いていることに、北海道の清々しさをみた思いだ。

数年前にも訪れたことがある新十津川町の金滴酒造を通過し、国道275号線を北竜町に向かって北上する。

雨竜町にある道の駅『田園の里うりゅう』で昼食。
空腹に負けて、ラーメンとザンギ、小ライスという“禁断”の炭水化物+脂の定食を食べてしまった。
道の駅なので味はあまり期待していなかったが、どうしてどうして、炭火焼きチャーシューやゴボウまで入った醤油ラーメンが絶品。
香ばしくかりっと揚がったザンギも美味かった。

勢いに乗って、食後のデザートよろしくソフトクリームまで食べ、ベルトがきつくなった満腹の腹を抱えて歩くことになった。

空知国道と呼ばれる12号線は左右に壮大な田園風景が広がり、北海道を歩いていることを否が応でも実感できる。
勾配が増して坂道を上るとにわかに森林帯に突入。
こんなところでクマなど出るわけがないと思いつつ、熊鈴やラジオがいつでも取り出すことができるようにザックの雨蓋に移動させた。
しかし、これはまったくの杞憂で、2㎞ほど歩くと市街地となった。
まぁ、留萌へ向かう明日の予行演習だと思えばいい。

北竜町に入るとそこかしこにヒマワリのモニュメントが。
日本一のヒマワリ畑があることでも有名だが、残念ながらまだ時期が早く見ることはできなかった。

15時、北竜町の道の駅にあるホテルに到着。
この旅初めての温泉大浴場で汗を流すことができた。

◼️2022年7月1日 砂川市~北竜町
◼️44516歩 31.5㎞
◼️北竜サンフラワーパークホテル
◼️曇り時々晴

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※砂川市街地から新十津川町に向かうと美しい市民公園があった

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※石狩川を渡る

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※石狩川の堤防を歩く

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※新十津川町の金滴酒造

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※雨竜町に入ると田園風景が広がった

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※交通安全を訴えた民家があった

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※遠くに雪を抱いた稜線が見えた

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※じゃがいもの花が一面に咲いていた

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※本日の昼ごはん。ガッツリいった。禁断のセット

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※ついでにコレも

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※北竜町に入った。凄いキャッチコピー

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※広大な田園地帯を歩く

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※まるでテーマパークのような道の駅あるホテルに投宿


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日本縦断徒歩の旅【最終章・東日本編47】岩見沢~砂川

小雨が降る中、6時過30分に出発。
さすがに3日連続ではうんざりする。

予報は曇りということなので、雨が上がるのを期待して歩きだした。
岩見沢の駅に近い商店街を抜けて、国道12号線に合流。
今日のゴール地点の砂川までは一直線に34㎞を歩くことになる。

札幌から旭川を結ぶ大動脈の国道なので、車線も2~3車線あり、しっかりした歩道が左右完備されてある。
昨日までは大型トラックにさんざん飛沫を浴びせられたが、広い歩道なので濡れ鼠になることはない。

函館本線の峰延駅を過ぎたあたりで雨が上がり、雨具を脱いでザックカバーも外した。

美唄駅が近づくと、『日本一の直線道路』の看板が出てきた。
国道12号線はここから滝川まで29.2㎞に渡って直線の道路となる。
よって、砂川まではひたすらまっすぐに歩くことに。

歩道もしっかりしているし、雨も上がり、気温もちょうど良い涼しさで、これ以上の快適さはない。
それこそ鼻唄混じりにのんびりと歩いた。

茶志内駅の近くで昼食。
『味の大王』というカレーラーメンで有名な苫小牧のチェーン店だ。
この旅初めての飲食店での昼食である。

老夫婦でやられている小さな店だが、客は私一人なので、世間話をしながらゆっくりとカレーラーメンを味わうことができた。
店を出るときに「どちらまで」と訊かれたので、「今日は、砂川」「歩いて宗谷岬まで」と応えると、私のような歩き旅の物好きが時折立ち寄るということだった。

そういえば昨日泊まった追分の旅館でも、歩いて日本縦断している旅人が過去に何度か泊まったと言っていた。
私が思っている以上に、同志は多いようだ。

直線道路に飽きてきた頃、奈井江の道の駅で休憩。
待望の青空が広がった。
北海道に来て初めて見る青空だ。

気温はぐんぐん上がったようで、汗を拭きながら歩く。
つい数時間前まで、雨にやられ、悪態をつきながら歩いていたのに、現金なものである。
今度は「暑い、暑い」だ。

広大な田園風景を見ながら黙々と歩く。
【砂漠のオアシス】のような屋根付きのバス停も要所要所にあるからうれしい。
靴下を脱ぎ、足を乾かす。昨日でき始めたマメは、テーピングをしっかりしたこともあって、痛みもない。
このままマメができずにいてくれたらありがたい。

15時、砂川駅近くにある宿泊予定のホテルが近づいたところで、晩ごはんの惣菜とビールを買い出し、ホテルに向かう。
今のところ、持参したテントは日の目を見ていない。
宿が確保できるエリアでは野宿をするつもりはないので、留萌まではザックの底に眠っているかもしれない。

明日は北竜町を目指す。
三日間で100㎞越え。
雨に翻弄された割には上出来じゃないか。

少しずつ宗谷岬が近づいてきた。

◼️2022年6月30日 岩見沢市~砂川市
◼️50623歩 36.10㎞
◼️砂川パークホテル
◼️曇り後晴れ。朝のうち小雨

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※小雨が降る中、岩見沢を後にした

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※国道12.号線には屯田兵の遺跡が多く残っていた

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※日本一の直線道路のモニュメントがあった

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※凄いネーミング

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※選挙が近づいている

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※『味の大王』でカレーラーメンを食す

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※北海道は花盛りである

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※同上

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※同上

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※すっかり晴れ上がった直線道路を歩く

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※広大な風景が広がった

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※同上

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※砂川市街地に入った

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日本縦断徒歩の旅【最終章・東日本編46】追分~岩見沢

予期せぬ北海道の梅雨に捕まっている。
向こう一週間の予報は、雨か曇り。
北海道に梅雨がないというのは、返上したほうがいいのでは。
爽やかな好天を期待してやってきたのに、まさかの悪天。
本州では猛暑だというのに、重く垂れ込めた雲が恨めしい。

今日の行程は40㎞近くになるので、追分の宿を6時に出発。
雨は気まぐれのように弱くなったり、激しくなったりをくりかえし、降り続いている。

苫小牧と岩見沢を結ぶ国道234号線を北上するが、早朝から交通量が多い。
歩道を歩いていても、疾走する大型トラックに何度も水しぶきを浴びせられ、全身濡れねずみ。
昨日から嫌というほど水をかけられているので慣れてしまったが、“水も滴る良い男”はゴメンである。

三川から由仁にかけては北海道らしい広大な景色が広がる。
麦畑やじゃがいも畑が色とりどりに展開するが、雨に煙って霞んでいる。
晴れていればさぞや素晴らしい景色だろうが、この憎たらしい雨ではどうにもならぬ。
栗山町に入り、マックスバリュでお弁当を購入。ちょうど店の前に屋根付きのバス停があり、本日初めて腰を下ろし、ゆっくりと食べることができた。

12時を回った頃、雨が上がった。
といっても、いつ落ちてくるか分からないので、雨具上下はそのままで、傘を持って歩く。
栗山から栗丘、栗沢といずれも栗の字が頭に付く町を歩いていく。
面白いのはマンホールのデザイン。
それぞれ味があって良い。三川町ではマンモスが描かれ、由仁町はキタキツネ、栗山町は日本の国蝶のオオムラサキだった。

道央自動車道の高架をくぐり、岩見沢の市街地が近づくと、足に異変が。
あの突き刺すような痛みがやってきたのだ。
右足の裏に恐れていたマメができてしまった。
雨にやられ靴の中もずぶ濡れ、更に40㎞近くも歩いていたらさすがに保護クリームの効果もなかったようだ。
旅が始まったばかりだというのに、これでは先が思いやられる。

15時30分、痛む足を引きずるように岩見沢駅前のホテル着。
二日続きの、雨に打たれた一日が終わった。

◼️2022年6月29日 安平町追分~岩見沢市
◼️57776歩 40㎞
◼️岩見沢ホテル4条
◼️雨一時曇り

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※雨が残る中、追分の町を出発

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※歩道がない国道234号線を歩く。

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※三川町に入ると北海道らしい穀倉地帯が広がった

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※歩道は雑草が生え、歩きづらい

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※国道から逸れると寂しい集落があった

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※天気が良ければ最高の風景なんだが…

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※路傍の花を見ながら歩く

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※同上

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※栗山町のマンホール

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※岩見沢市街地に入った

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日本縦断徒歩の旅【最終章・東日本編45】苫小牧~追分

苫小牧駅にほど近いホテルを6時15分に出発。
気温は15度。少し肌寒いが歩くにはちょうど良い。

予報では雨が降りだすのが正午過ぎなので、それまで距離を稼ぐために足早に歩く。

県道259号線から国道234号線に入っても交通量は減らない。
道央を貫く大動脈だけあって、大型トラックが次々に疾走していく。

沼ノ端を過ぎ、勇払川を渡ると歩道がなくなり、右側車線の白線スペースを歩く。
赤色点滅ライトをザックのショルダー部分に取り付けて、対向車に見えるように歩く。

10時頃から雨が降りだした。
しばらくは小雨だったが、12時過ぎには本降りに。
慌てて雨具の上下をひっぱりだして、轟音を鳴らして疾走してくるトラックの飛沫を浴びながら、歩道の真ん中で着た。

早来の集落のセブンイレブンで弁当を購入するが、イートインがないので、そのままザックに入れて歩くことに。
しかし、雨を凌げる場所はおろか、頼みの綱の屋根付きバス停もないので、結局諦めて、歩道の一角にザックを下ろして傘をさして弁当を広げた。
なんとも情けないが、仕方がない。

それにしても、本州は梅雨が明けたというのに、その反動で梅雨前線が北海道にかかってしまったというから運が悪い。
つい一週間前には雨に祟られて東海道を歩いたが、その雨が北海道までついてきている。
まったく、よほど雨には縁があるようだ。

安平町に入るとますます雨が激しくなり、靴の中も水浸し状態。
更に大型トラックの水しぶきで全身に滝が流れるようなずぶ濡れである。

14時30分、追分駅が近づいたところで、駅前にある旅館に投宿することに決めた。
予定では追分町内にあるキャンプ場で泊まるつもりだったが、雨には勝てない。

軟弱な自分が情けなくもあるが、初日からの洗礼だと思ってここは割りきって明日に備えることにしたい。

しかし、明日の予報は今日よりも大雨になるというから、もうどうでもよくなった。
長い旅にはこんなこともあるだろう。

明日も黙々と歩くのみである。

◼️2022年6月28日 苫小牧市~安平町追分
◼️51542歩 37㎞
◼️岩手屋旅館
◼️曇りのち雨

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※苫小牧駅前から県道259号線を歩く

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※ハマナスが自生していた

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※国道234号線に入って、勇払川を渡った

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※歩道がなくなった国道。右車線側を歩く。大型トラックがひっきりなしに疾走していく

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※ミヤマクワガタのメスが落ちていた

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※花が咲き乱れる風景

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※北海道らしい風景が続く。遠浅あたり

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※同上

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※2013年にも撮影したホーロー看板がある風景

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※午後を回ると大雨となった。追分近く

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日本縦断徒歩の旅 苫小牧に到着


東海地方は今日、早くも梅雨明けです。
中部国際空港から夕方の便で30分遅れでフライトしました。
2年前にゴールした苫小牧駅に20時過ぎに到着しました。

気温は16度。
35度の自宅を出たことが信じられないほどの涼しさです。
改めて日本の広さを感じますね。

さて、明日から宗谷岬を目指してスタートです。
無理せずにマイペースで、のんびりと歩きます。

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※20時13分、苫小牧駅到着。飲食店もなく、寂しい駅前です。

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日本縦断徒歩の旅を再開します!

コロナ禍に翻弄され、見送り続けた日本縦断徒歩の旅【最終章】を明日から再開します。
ルートは北海道の苫小牧から宗谷岬までの約400㎞を歩きます。

これをもって、九州最南端の佐多岬まが1本の線でつながることになり、文字通り2年越しの悲願達成となります。

長期予報では天候はあまりよくないようですが、楽しんで歩いてこようと思います。

出発前の装備点検もしました。
紙一枚にも軽量化を図り、総重量は7㎏。
今回はテント泊も多くなりそうです。

気休めかもしれませんが、熊鈴やラジオも用意しました。
ひげを丁寧に剃り、カミさんに手伝ってもらい電気バリカンで頭も丸めました。
ついでに、不在者投票も済ませました。

準備OK、さぁ、出発です!

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日本縦断徒歩の旅~旅のつづきを中止することにしました

私が住む岐阜県は今日から緊急事態宣言の開始です。
そして、北海道も同様に今日から開始。

今月末からあわよくばと思いつつ、日本縦断徒歩の旅の続き(苫小牧⇒宗谷岬)の出発を考えていましたが、さすがにこれではいけません。
コロナワクチンの二回接種も終わったし、まん延防止ならチャレンジしようとも思っていました。

往生際が悪すぎますね。
今年は運がなかったと思って、素直に諦めることにします。
来年、コロナ禍が収まったら、大手を振って北海道の大地を歩きたいと思います。

コロナ禍がなかったら、北海道に続いて中山道の残り(塩尻⇒日本橋)、そして四国遍路…。
うーん、これ以上は言えない。
未練たらたらです。

長雨もあって、このところモチベーションが落ちる一方で、ブログを更新する気も起らずひたすら家にこもる毎日でした。
植物画の通信講座のテキストさえ開く気にならず、日がな一日、図書館で借りた本を読んでいました。
多くの方々が同じような状況なのでは?とも思いましたが、私は仕事もしていないので、いっそうそれが気持ちの変容に現れたかもしれません。

あーだ、こーだ言ってももうすぐ9月。
気持ちを入れ替えて、しゃきっとしたいと思います。

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※本文とは関係ありません

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日本縦断徒歩の旅~延期します

今月末から予定していた徒歩の旅ですが、いろいろ考えて延期することにしました。
昨年やり残した苫小牧~宗谷岬までの400㎞のチャレンジは、北海道に緊急事態宣言、私が住む岐阜県にいまだにまん延防止重点措置が出されている状況ではとても出発できる状況ではありません。

更に、輪をかけるような老父の入院。
心不全と軽い肺炎を併発して3日前に緊急入院となり、その症状からコロナを疑われたようです。
二度のPCR検査で陰性が確認されたため、一般病棟に移ることになりましたが、コロナ感染予防で面会ができません。
1回目の接種は終えていますが、高齢なので早期の回復と入院が長引かないことを祈るばかりです。

さて、ワクチン接種ですが、私が住む自治体は、どうやら近隣と比べても進んでいないようです。
新聞に出ていた65歳以上の接種率は21パーセントで、県下最低レベル。
このままでは7月末までの完了も疑わしいです。
64歳以下の接種予定も未定ということで、岐阜県下でも一番遅い状況にあるようです。

これは、仕事ができない首長の責任であると言わざるを得ません。
スピードと判断力、革新性をもった首長の自治体はどこも対応が早いようですね。
まぁ、次回の選挙では入れることはないと思うけど。

そういえば、昨年のアベノマスクについても、配布はめちゃ遅かった。
…これはあんまり関係ないか。

糖尿病の基礎疾患を抱える私としては、届かない接種券をひたすら待つしかありません。
できれば、徒歩の旅までには接種を終えたいと思っていますが、いつになるやら。

…ということで、コロナ禍と老父のこと、心配ダネが好転して、縦断の旅に出れる日を待ちたいと思います。

※画像は芽吹いた朝顔とミニトマトです。

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日本縦断徒歩の旅【番外編】多治見~御嵩宿

佐多岬から帰って、3日ほどのんびりと過ごした。
連日の長距離の歩きで緊張していたのか、体が弛緩し始めると同時に、そこらじゅうが筋肉痛になった。
我が家の二階にある、寝室までの階段の上り下りも苦労するくらいである。

しかし、足の裏はまだ皮膚がカチカチになっており、今なら長距離を歩いてもマメはできないだろう…ということで、かねてから考えていた自宅から中山道の御嵩宿(岐阜県御嵩町)までを歩くことにした。
御嵩宿は徒歩日本縦断のスタート地点となった場所である。
ここから私の旅が始まり、東西に歩を延ばすことになった記念すべきところ。
御嵩宿までを歩くことによって、自宅の玄関から佐多岬や宗谷岬までが一本の線でつながることになるわけだ。

午前8時にカミさんと自宅を出て、いつものウォーキングコースを歩く。
途中でカミさんと分かれる。
JR多治見駅方面に進んで国道19号線を横切り、国宝の永保寺を横目に見ながら御嵩町方面に向かう。
歩道が整備された県道をずんずん歩いていく。

可児市に入る手前くらいから登り坂になったが、紅葉が深まった広葉樹の森を抜ける県道は気持ちよく歩くことができた。
自宅を出てからちょうど10キロが過ぎたが、調子が良く足も痛くないので休憩も取らずに更に歩を進めた。

可児市の花フェスタ公園の入口で休憩し、せんべいを食べながら熱いお茶をすすっていると、私の目の前をリュックを背負った年配の女性が大きく手を振りながら凄い速さで歩いて行った。
(なかなかやるなぁ…)と思いながら、どんどん小さくなっていく後姿を目で追ってしまった。

御嵩町に入ると刈り入れが終わった田畑が広がり、可児川にぶつかったところで中山道が通る旧街道に合流した。
名鉄の線路に沿ってのんびりと歩くと、ゴールの名鉄御嵩駅はすぐだった。

昭和レトロな駅舎をくぐり、切符を買う。

待ってましたとばかりに、大粒の雨。
ほんの数分の差で濡れネズミになるところだった。

今日はどうやら運がいいらしい。
帰りに宝くじでも買って帰ろうか…などと思いながら電車に乗り込んだ。

今年の日本縦断の歩き旅はこれで終わりだが、来年は最後の宿題である北海道苫小牧から宗谷岬を目指す。
コロナも収まって、何の気兼ねもなく、歩くことに集中できる年になることを願いたい。

■2020年11月22日 岐阜県多治見市~御嵩町
■28140歩   18.29キロ
■曇り一時雨

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※多治見市の国宝・永保寺から虎渓山町を歩くと、天然記念物のシデコブシの群生地があった。

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※多治見市小名田町は美濃焼の窯元が多くあった。

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※多治見から御嵩町につながる県道381号線を歩く。

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※多治見のマンホールは美濃焼がデザインされていた。

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※可児市に入ると登り坂になり、広葉樹の森が紅葉していた。

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※可児市の浅間神社。もみじのジュータンで彩られていた。

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※浅間神社の石仏。

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※御嵩町に入った。

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※今にも降り出しそうな空模様の中、可児川に沿って御嵩宿を目指した。

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※12時、名鉄御嵩駅にゴール。

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※雨の中、ホームに入ってきた電車に乗り込み、短い歩き旅を終えた。


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日本縦断徒歩の旅~94日間の旅を終えて

コロナ禍に翻弄され計画が大幅に変更、迷走した中で、自宅がある岐阜県から東西に歩を延ばし、北は北海道苫小牧、南は九州最南端の佐多岬までの2400キロを歩くことができた。
苫小牧から宗谷岬までの約400Kmは来年の宿題となったが、北海道から鹿児島までの日本列島に不完全ながら一本の線を引くことができたのは収穫だった。(下図)

とにかくいろいろあった94日間であったが、来年の完歩を実現する上で、旅の総括をしてみたいと思う。

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【計画の変更と迷走】
当初の計画は、4月12日に佐多岬を出発し、北上しながら7月下旬に宗谷岬にゴールする110日間の旅の予定だった。
しかし、出発間際に新型コロナの第一波の影響を受け、飛行機の欠航、宿泊施設の休業等が相次ぎ、1ヵ月後に出発を変更延期することになった。
その間に政府による緊急事態宣言が出され、計画実現ができないまま迷走し、先が見えない状態だった。
私が住む岐阜県は5月末まで県外の移動自粛要請が出されており、その間はトレーニングを兼ねて、以前から距離を延ばしていた岐阜県内の中山道を歩くことで縦断の旅に備えた。
5月末で緊急事態宣言が解除されたが、すでに計画は大幅に遅れており、佐多岬から宗谷岬を目指す当初計画は時期的にも厳しい状況となってしまった。
また逆に宗谷岬から南下ことも考えたが、この時点で岐阜県内の中山道をほぼ歩いていたこともあり、苦肉の策として、岐阜県から東西に距離を伸ばして日本縦断を目指すことにした。

【アクシデント】
新潟から北海道を目指した7月の旅で、右足首を痛め秋田でリタイヤすることになってしまった。
一ヶ月の旅の予定がわずか11日目でのリタイヤは、足も痛かったが、日程的にも痛い状況になってしまい、これが後々大きな誤算となった。
結局、足首の回復待ちと8月の猛暑により、7月末に行った彦根から京都の3日間の旅を除くと9月まで活動ができない状態になった。
今思うと、7月のリタイヤがなかったら宗谷岬まで距離を伸ばし、日本縦断の完歩が実現できていたと思う。

【マメに苦しむ】
6月~9月にかけての長野から東北を歩いた東日本編では、マメの痛みにずいぶん苦しめられた。
小さな小石が靴底に当たるだけでも飛び上がる痛さで、青森県では温泉に浸かることもできないくらいひどい状態になった。
出発時にはマメの水泡を切って水を抜き、カットバンを貼り、更にテーピングをするのが日課。
靴のソールを替えたり、靴下を替えたり、テーピングを何重にも巻いたり、様々な工夫をしたが、つまるところマメを克服するのは皮膚を固くするしかないというのが結論である。
マメを我慢し、皮膚が固くなってくると自然に痛みもなくなった。
それまでは厚手の靴下とテーピングが一番効果があったようだ。
ただし、行動中はできるだけ休憩時に靴下を脱いで、足や靴を乾かすということが必要だということを学習した。

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※出発時のマメの治療とテーピングが日課となった。青森県で。

【長雨と猛暑】
梅雨の長雨が続いた7月、新潟から東北を歩いた旅は連日の悪天に嫌気がさした。
梅雨明けが遅れた8月は猛暑のために旅の再開を見送り、中断していた秋田を9月5日にスタートした。
今年の東北地方は9月に入っても各地で過去最高の気温を記録するほどの猛暑で、毎日ペットボトルを6~7本も消費する状態となった。
6月の岐阜、7月の京都でも35度超えの猛暑の中を歩いたが、炎天下の歩きは心身ともに消耗し、夏の歩き旅の過酷さを嫌というほど味わうことになった。
暑さ対策としては、熱中症のリスクを考えると歩くことを避けるのが一番だが、それでも歩くとするならば、水分をしっかり摂ることと、私の場合は日傘を差して歩くことくらいしかなかった。

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※炎天下の昼下がり、道の駅の東屋でしばしの昼寝。新潟県村上市で。

【宿泊】
94日間の旅のほとんどをビジネスホテル、民宿等の宿泊施設で泊まった。
東北、北海道は宿泊施設も少ないのでテントを持参したが、テント泊が5回、駅でのビバークが1回という結果となった。
新型コロナの影響を受けてキャンプ場が休業しており、幕営地を探す苦労もあった。
同様に民宿、旅館の廃業、休業も多くあり、宿泊地をJRの駅をいくつも戻ったところで予約するケースも多くなった。
そのため、朝一番の電車でスタート地点に戻るということも何度もすることになった。

テントやシュラフ等の幕営道具を持った旅はザックの重さも8キロ近くになり体力も必要とするが、東北と北海道を歩いた3週間の旅では体が順応し、それほど重さを気にせずに連日30kmの距離をふつうに歩けるようになっていた。
要は、慣れだろうか。
来年の苫小牧から宗谷岬までの400kmはテント泊でチャレンジする予定である。

宿泊料金については、8月から始まった政府のGO TOトラベルキャンペーンの恩恵もあって、通常料金の35%割引で泊まれたのは費用節約の上で大変ラッキーだった。
また、宿泊施設から貰う地域共通クーポン(1枚1000円)もありがたく、コンビニやスーパーで毎日の夕食や行動食を購入することができた。

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※北海道豊浦町で。コロナの影響でキャンプ場が休業しており、幕営地を探すには苦労した。

【衣類と装備】
ホテル泊を基本とした場合は28リットルのザックで約5キロ、テント泊の場合は35リットルのザックで約8キロを担いた。
これくらいだとそれほどの負荷を感じることなく歩ける。
ただし軽量化を図るために余分なものを持たないということを徹底した。
シャツ・下着類については着ているものを除くと、替えはすべて1枚が基本。
ズボンの替えは持たなかった。
また、雨具については超軽量のゴアテックスの雨具にした。
10月からの旅には防寒具としてジャージ1枚と軽量のダウンジャケットをプラスした。
洗濯はマメにしたが、ほとんどの場合、風呂場での手洗いで済ました。洗濯機は1週間に1回程度。
衣類は持ちすぎると意外に重いので、ぎりぎりの必要枚数で軽量化を図るのがベストだと思う。

装備についても軽量化を図るのを念頭に置き、テント泊の場合は幕営道具として世界最軽量の1人用のテント、夏用の軽量シュラフ、エアマットのみを持参。
コンロやガスカートリッジ、コッヘル等の炊事道具は持たず、ホテル泊との違いはテント、シュラフ、エアマットの三点セットを持つか持たないかだけにした。
それ以外の重量があるものとしては、折りたたみ傘と地図、ライト類くらいだろうか。
地図は必要なルートのページだけコピーをして持参した。

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※テント泊装備リスト。出発時にはシュラフカバーや枕、トイレットペーパー、衣類等を更に減らした。

【食事】
朝食…ホテル泊の場合は朝食付きを予約し、ない場合はコンビニのおにぎりかサンドイッチが基本。
昼食(行動食)…昼食時に飲食店で土地の食べ物を食べたかったが、タイミングを外したり、コースによっては飲食店がなかったりで、なかなかタイムリーに実現しなかった。
ほとんどの場合、コンビニのパンかおにぎり、麺類。ビタミン不足を補うために果物としてバナナ、みかん。
行動食はオールレーズン、せんべい、柿の種、道の駅で購入する餅、まんじゅう等。
飲料については、夏はペットボトルを必ず2本を持ち、コンビニで一日2回のコーヒータイム。炎天下ではコンビニのあずきバーをよく食べた。
夕食…スーパーかコンビニの総菜が基本。飲食店での外食はほとんどしなかった。たまに夕食付きの宿に泊まったが、その場合は思いっきり食べた。
アルコールは友人と会食した以外は基本飲まなかったが、脂肪を燃焼するトクホのノンアルコールビールはほぼ毎晩飲んでいた。

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※熊本県津奈木町でのランチタイム。

【歩行について】
1日平均30kmを目安に歩いたが、総距離から平均値をとると26kmくらいになった。
歩き方のリズムとしては、出発時から10kmを休憩なしで歩き、それからほぼ5kmごとに休憩を取っていくパターンで歩いた。
連日30km超えの距離を歩くと、慣れてくるのか、20km台では物足らなくなってきた。
旅を通しての最高値は38kmだったが、軽量、天候状態が良ければ40kmくらいは行けると思う。
30kmを歩くに要する時間は、休憩を入れて平均7時間程度。7時に出発して14時頃にゴール。買い物をして15時にチェックインが基本的なパターンとなった。

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※炎天下の県道を歩く。秋田県象潟市で。

【歩道とトンネル】
中山道を除き、北海道では国道5号線、東北では7号線、中国では2号線、九州では3号線といった、いわゆる『一ケタ国道』を中心に歩くことが多かった。これらの国道は大方、歩道が整備されており歩きやすかったが、山間部に入ると歩道が無くなるケースも多くあった。
しかし、除草がされておらず歩道に覆いかぶさっていることもあり、交通量が多いなかで身の危険を感じて歩いたこともあった。

また、トンネルについても同様で、歩道の有無と交通量の多さで通過するときの難易度が大きく変わった。
九州の熊本から芦北に至る国道3号線を通る三太郎峠に連続するトンネルは、歩道がない上に距離も長いが、近年開通した南九州自動車道路(無料区間)へ交通量が分散されたことにより、通過の危険もそれほど感じなかった。
反面、実にしょっぱかったのは、山口県岩国にある国道2号線を通る全長1136メートルの欽明路トンネル。
交通量が非常に多く、歩道とは名ばかりの幅50センチほどの段差を、大型トラックの風圧に耐えながら側壁にへばり付くように歩いた。
側壁は覆い被さるようなロケーションなので、トンネルから出てきた時には、進行方向の左肩と腕がススで真っ黒になっていた。

トンネル通過用グッズとして、マスク、蛍光たすき、ヘッドランプ、赤色ライト、ザックに設置する点滅ライトを使用したが、中でも有効だったのは点滅ライトである。
これは自転車用のライトで100円ショップでも購入できるが、トンネルばかりでなく、歩道がない道においてもザックに取り付けて多用した。
明らかにこれに気づいたクルマが、私を大きく避けて走り抜けていくことが多かったので効果は大きいと思われる。

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※秋田県内の国道7号線。交通量が多く、歩道が無い状態が続く。

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※熊本の佐敷トンネル1570メートル。目立つように白いシャツとトンネル通過用のフル装備で突入。

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※ザックに取り付けた自転車用の点滅ライト。

【旅の費用】
当初計画では約80万円を予定していたが、50万円ほどで収まった。
内訳は宿泊費30万円、交通費(移動費)10万円、食費10万円といったところ。
8月から始まった政府のGO TOキャンペーンの恩恵が大きく、宿泊の多くが3000円代で泊まることができ、更に1000円分の地域共通クーポンの補助があり、当初計画より大幅に節約することができた。

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※ありがたかった地域共通クーポン。

【美しい日本~繁栄と衰退】
2400kmを歩いた縦断の旅は、日本の自然景観の素晴らしさ、美しさを改めて感じることができた。
南北に長い日本列島は地域それぞれに特色があり、家屋の造り一つとっても屋根や塀、石垣等地方色が出る変化がある。
気候が違うように、言葉の違いもしかり。無人販売所に並ぶ野菜や果物も違う。
そんな変化を歩き目線で追っていくのは、歩き旅ならではの楽しみであり、醍醐味だった。

反面、旧街道が通る山あいでは集落そのものが朽ちて無人となった廃村にも遭遇したし、人の気配がしない閑散とした町や集落も多くあった。
また、駅周辺の商業地や住宅地でも『売家』や『売地』の貼り紙、立て看板を多く見かけた。
店舗にいたっては、シャッターが下りた店や貼り紙がある休業の店、解体されないまま錆びついた巨大なパチンコ屋やボウリング場、ホテルや施設をうんざりするくらい見てきた。

新型コロナの影響ばかりではなく、こうした現状を見れば見るほど、地方の衰退は私たちが思っている以上に加速度がついているのではないだろうか。
地方にあるJRや私鉄の駅はどんどん無人化され、昭和時代に造られたレトロな公営住宅には老人の姿しかない。
都会への一極集中と地方の空洞化は、もはや当たり前になっている。

旅をして思うのは、美しい風景や人がいない静かな山村、小さな町を歩くことで心が癒されていくことを感じた。
反面、肩がぶつかるくらい人がいる都会を歩けば、その喧騒に心が刺々しくなるのを感じずにはいられなかった。
しかし、自分が住んでいるのはそんな都会である(地方都市であるが)。
何でも手に入れることができる便利な都会に住むことで、生活の充足感と安心感を得ているのだ。
これを矛盾と言わずして、なんと言うのだろうか。

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※新潟県弥彦町で。

【旅の出会いとやさしさ】
94日間の旅で出会った歩き旅の同志は、山形と函館ですれ違った2名のみ。
山形で出会った大阪の方は、日本海沿いを青森から敦賀まで歩く途中。
また、函館で出会った神奈川の青年は宗谷岬から佐多岬までの日本縦断を目指す途中だった。
大阪の方とは住所を交換し、その後、無事にゴールされたことを知った。
コロナ禍の影響からか自転車で旅をしている人も少なく、全期間を通して5~6人しか見ていない。

今回の旅を通して、人のやさしさに幾度となく触れる機会があった。
新潟と北海道では「乗っていきますか」とクルマから声をかけられ、熊本ではみかん農家のおばあちゃんからみかんのお接待を受けた。
また、トイレを借りたガソリンスタンドの店員さんや旅館の女将さん、昭和レトロな商店街の乾物屋のおばあちゃんからは「がんばって!!」とエールを送られた。
通学途中の子供たちや自転車の高校生からも、すれ違いざまに何度もあいさつをされた。
極めつけはゴールの佐多岬に立ったとき、写真を撮ってくれた大勢の若い人たちから送られた拍手の輪。

コロナ禍のなか、接触することを極力避けるがために、人と話すこともなく一日が孤独に過ぎたこともあったが、人のやさしさに触れることで心が癒され、次の一歩を踏み出す活力に結びついていった。

まだまだ日本も、捨てたもんじゃないと思う。

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※人のやさしさにも触れ、北海道から鹿児島までの2400kmを歩くことができた。


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