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東海道徒歩の旅18 水口~草津へゴール

東京日本橋から18日目。
5回にわたってリレーしてきた旧東海道の旅が、いよいよゴールを迎える。

水口宿から街道をまっすぐ歩き、泉の一里塚跡を過ぎると横田の渡し大常夜燈にぶつかった。
かつてはここから横田川(野洲川)を渡し船で渡ったというが、今は国道1号線にかかる横田橋を渡ることになる。

東海道は石部宿まで草津線の線路と並行しながら進むが、民家も多くてけっこう人臭い。
スマホで撮影するにも気を遣う。

要所には公民館に併設した休憩所もあって、トイレも完備されているのがうれしい。
歩き旅では、急にもよおしたりするので、トイレがないのは本当に苦しい。
情けないが、トイレを探しながら、そればかり考えて歩くことになる。
旧街道筋にはコンビニもないので、公園やこうした施設は、それこそ『神の助け』なのだ。

石部宿を出て、金山跡の手前から大きく迂回していく東海道を進むと、六地蔵の一里塚。
そこからすぐに『旧和中散本舗』の立派な木造家屋が出てきたが、贅を尽くした江戸時代の豪商の館らしい。
シーボルトも立ち寄って薬を買い求めたという謂れもあり、いまだにこうした建物が残っていることにも驚きだが、何と言っても古きものを守っていく姿勢が素晴らしい。

遠くに草津駅前の高層ビルが見えてくると、東海道の旅もいよいよゴールが近くなった。
JR手原駅を過ぎ、新幹線の高架をくぐり、国道1号線バイパスの上を通る橋を渡って、草津宿に入った。

ゴールまでは秒読みなので、旅の最後を慈しむように、所々に残る古い建物を眺めながらのんびりと歩いた。

12時ちょうどに中山道との合流点がある追分に到着。
JRの高架下の道標には、「左中仙道みのぢ 右東海道いせみち」と彫られていた。

2020年7月に見上げた道標が、ひどく懐かしく思えた旅の終わりだった。

■2022年10月28日 滋賀県甲賀市~草津市
■33282歩 21.63㎞
■晴れ

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※水口宿にある『水口石』と呼ばれる力石

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※水口宿のはずれにある美冨久酒造

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※横田の渡し大常夜燈

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※交通量が多い横田橋を渡る

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※住宅街にある夏見の一里塚跡

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※『ぜざいや』の看板がかかる旧和中散本舗

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※石部宿本陣跡

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※ホーロー看板を見つけた

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※六地蔵の一里塚跡

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※肩かえの松と呼ばれる松並木の残党があった

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※手原醤油醸造元

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※手のひらのベンチがあった

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※草津宿が近づき、東経136度の指標を見つけた

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※草津宿に向かう

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※草津宿の手前にあった一里塚跡

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※旧東海道は国道1号線バイパスの高架橋を渡り、草津宿に入った

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※中山道との追分にゴール

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※18日間の東海道の旅が終わった

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※東海道完歩を祝って、高級とんかつを食した。もちろんクーポン使用。(近鉄百貨店草津店かつくら とんかつ定食2730円)

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東海道徒歩の旅17 亀山~関~土山~水口

今日は、東海道の難所といわれる鈴鹿峠を越える日。
峠を越えるまでは店がなさそうなので、コンビニでサンドイッチとおにぎりを買って、昼めしに備えた。

小学生の登校の列とすれ違いながら、朝の亀山宿を歩く。

「東海道を歩いているの?」
鍵型に曲がった路地から突然現れた、ゴミ出しに向かうおばあちゃんに声をかけられた。

(ほう、どうやらこの私は旅人に見えているようだ)。
(…不審者じゃなくてよかった)。

東海道随一の白眉ともいえる景観をもつ関宿は、人っ子一人、猫も横切らないような静けさの中にあった。
電柱が埋設されているので、見上げる空が広い。

これまで何度も訪れて目新しさはないはずなのに、日本橋から17日間をかけて、ここまで歩いてきたということに感慨ひとしおなのである。

根が、単純なのだ。

感動は、カタチを変えればいくらでも味わうことができる。

関宿からは鈴鹿峠に向かって黙々と歩く。
山の中の隠れ里のような坂下宿を過ぎると、にわかに勾配が増し、東海道は植林された杉林を縫うように繋がる山道となった。

森の中にひっそりとたたずむ片山神社を見て、さらに急になった坂道を一気に登る。
東海道の難所といわれる鈴鹿峠だが、汗をかくまでもなく、意外にあっけなく登り切った。

峠にチャレンジする出で立ちとして、この時期に活動が活発になるというスズメバチにやられたくないので、白いシャツを着てみたが、それも気休めだった。

さて、そうしてたどり着いた鈴鹿峠。
平坦となった広場を切り開いたスペースには休憩所があり、そこには旅人の姿が。

40代くらいだろうか、ベンチに座っているのは、人懐っこそうな笑顔を浮かべたがっちりした大柄な男性。
傍らには、コロが付いたカートのような、それとも背負子のような器具に、たくさんの荷物をくくり付けている。

リヤカーのようにこれを引いてきたのか…。

訊けば、岡山の男性で、6日前に京都三条大橋を出発し、道の駅や公園で野宿をしながら東海道を日本橋まで歩くそうだ。
テントや生活用具をくくりつけたカートは、いかにも重そうだ。

この先の経路について情報を欲しがる彼を、無下にすることはできない。
東海道に関しては、ほんの少し先達である私としては、おせっかいながらもちょっとしたアドバイスをしなければいけない使命感に捉われてしまった。

東海道は名古屋や神奈川、東京といった都市部を通るので、はたして野宿する場所があるのか、箱根峠越では荷物は担がないと難しい…といった具合だ。

どちらにしても1日10数キロの移動では、あとひと月近くかかってしまいそうだが、頑張ってくださいとエールを送って休憩所を後にした。

お茶畑に挟まれた東海道を一気に下ると国道1号線に合流し、滋賀県に入った。
東京から数えて6つ目の県境を越えたことになる。
泣いても笑ってもこれが最後だ。

峠越えがあまりにもあっけなかったので、ここからはスピードを上げてずんずん歩く。

鬱蒼とした森の中にたたずむ田村神社を過ぎ、国道1号線を跨ぐと道の駅「あいの土山」に出た。
名物の団子や抹茶ソフトクリームなんぞ食べる。

そういえば、峠であった男性は、昨夜はここで泊まったと言っていたなぁ…今日は関に泊まるとも。
峠までほんの数キロではないか…。
要らぬお世話だが、亀のような歩みでは東京着はいつになるやら…。

東海道の宿場らしく、本陣や高札場跡が残るにぎやかな土山宿を抜ける頃には“峠の男性”のことは脳裏からすっかり消え去り、歩くスピードもさらに上がった。

16時、宿場の雰囲気を色濃く残す、水口宿に到着。
ホテルに隣接したアルプラザ平和堂で焼き鳥と鯖寿司を購入し、投宿。

政府の旅行支援もあって、宿泊料金は激安の3700円、さらに3000円分のクーポン券がおまけについた。

これで、ゴールを迎える明日は、豪華な打ち上げができそうだ。

■2022年10月27日 三重県亀山市~滋賀県甲賀市
■54027歩 35.11㎞
■晴れ
■宿泊 水口センチュリーホテル

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※早朝の亀山宿。ツタに覆われた廃屋

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※亀山城西の丸跡

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※亀山宿の風景

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※野村一里塚。土塁と樹木が残っていた

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※2005年にも撮影したホーロー看板は健在だった

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※人っ子一人いない関宿を歩く

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※同上

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※同上

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※坂下宿に向かう途中でキジに遭遇

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※坂下宿を歩く

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※坂下宿の旧尋常高等小学校(現在は鈴鹿峠自然の家)

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※鈴鹿峠の登り口にある片山神社

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※鈴鹿峠を登る

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※鈴鹿峠からは茶畑が広がっていた

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※滋賀県に入った

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※土山宿に向かう

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※土山宿の一里塚跡

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※土山宿 二階屋本陣跡

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※土山宿。古い町並みが素晴らしい

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※土山宿本陣

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※野洲川に沿って水口宿に向かう

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※今在家一里塚跡

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※水口宿に入った

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※水口宿。正面には高札場が見える

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※水口宿。古い町並みがよく残っていた

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※同上

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※同上

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東海道徒歩の旅16 桑名~四日市~亀山

旅の2日目はホテルの朝食サービスをがっつり食べてから、7時過ぎにスタートを切った。

桑名市内から静かなたたずまいの旧東海道を辿ると、常夜燈を見て員弁川にかかる町屋橋跡に出たが、ここで行き止まりとなってしまい、仕方なくUターンし県道まで戻り、員弁川を渡った。

近鉄の伊勢朝日駅前には東芝の工場があり、通勤時間と重なったこともあり、工場に吸い込まれていく社員さんたちの群れに混じって歩く。
ふと、電車に揺られて通ったサラリーマン時代を思い出したが、すでに2年以上経過し、今となっては“遠い昔”の思い出である。
平日の通勤時間に、ザックを担ぎ、好きな歩き旅にうつつを抜かす自分は、傍から見たら世捨て人のように映るだろうか。
まぁ、仕事もせずに好きなことができている幸せは、言葉に表すこともできない。

そんなことを思いながら歩を進めると、力自慢を唸らせた、重さ27貫(約100㎏)もある力石がで~んと置かれていたり、酒蔵や由緒ある神社仏閣もあって、東海道が通る町の風景に彩を添えていた。

富田の一里塚を過ぎ、再開発中の近鉄富田駅付近を通過すると、4㎞毎に出てくる一里塚を数えながら黙々と歩くだけになった。
昔の旅人もそうだったのだろうか。
あと二里、あと一里…そんなことを思いながら目的地に急いだかもしれない。

四日市に入ると、市を挙げて東海道を宣伝しているのか、道筋にはやたらとゆるキャラの「小入道くん」がプリントされた幟が目についた。
それ以外にも【←東海道→】と書かれた木札やプレートもいたるところにあって、これを追っかけて行けば迷わずに歩いて行けるからうれしい。
旧街道を歩く楽しみには、地図を見ながらオリエンテーリングのように道を探索する要素もあると思うが、過剰サービスと取れなくもないが、案内がまったくなくて迷ってしまうよりはありがたい。

四日市宿の旧東海道は、諏訪神社の参道にあるアーケード商店街の中を通っており、出口では首が伸び縮みするろくろく首の大入道のハリボテが迎えてくれた。

本陣2軒と98軒の旅籠があった四日市宿には、昔の面影はまったくなく、古い民家がポツリ、ポツリと出てくる程度で、案内板がなければここが東海道とは分からなかった。

日永の追分を過ぎ、内部川を渡り、息を切らして一気に杖衝坂を登ると、石薬師宿。
気温が上がり、ペットボトルのお茶をがぶ飲みしながら、休むことなくひたすら歩く。
東海道は民家が軒を並べる道から田んぼのあぜ道、国道の高架をくぐったりしてのらりくらりと続いていく。

広重の「庄野白雨」で有名な庄野宿で資料館に立ち寄り、高札場に掲げられた木札や瓦などの貴重な資料をボランティアの女性の説明を交えて見学。
小さな宿場だが、地域に根差したこうしたサービスは素晴らしく、そこに従事する人々には頭が下がる。
いつか自分も同じようなことができたらと思うが…やはり、思うだけかな。

庄野宿で説明を受けた「女人堤防碑」を過ぎ、鈴鹿川に沿って進むと亀山も近くなった。
和田の一里塚を過ぎ、道が大きくカーブしていくと、そこが亀山宿の東の入口で、古い民家には旅籠の屋号が書かれた木札がかかっていた。

16時、JR亀山駅近くにあるホテルに入った。
晩ご飯は隣接するスーパーで買い出しした握り寿司と缶ビール。

旅に出てまだ二日目なのに、早くも顔は日焼けして黒くなった。

明日は、いよいよ鈴鹿峠越えだ。

■2022年10月26日 三重県桑名市~四日市市~鈴鹿市~亀山市
■53346歩 34.67㎞
■晴れ
■宿泊 ホテルエコノ亀山

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※員弁川にかかる町屋橋跡にある常夜燈

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※近鉄伊勢朝日駅に向かうと、古い民家も並ぶ

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※朝日町。案内板もあり道を間違えることもない

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※鈴鹿山脈を見ながら朝明川を渡った

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※要所にはこうしたプレートもあって、地図無しでも歩くことができる

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※タカハシ酒造

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※27貫目(約100㎏)もある力石

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※三ツ谷の一里塚跡

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※四日市市に入るとゆるキャラの小入道くんが迎えてくれた

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※万古焼を模ったこんなキャラも

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※左手に四日市のコンビナートを見ながら歩く

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※右手には鈴鹿山脈。御在所岳から武平峠、鎌ヶ岳がくっきりと見えた

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※文化七年建立の碑が立つ四日市宿南町

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※四日市宿。東海道は諏訪神社参道のアーケード商店街をくぐっていく

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※諏訪神社。旅の安全と孫娘の健やかな成長を祈願した

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※アーケード商店街は買い物客もまばらだった

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※圧倒されたハリボテ。一見の価値あり!?

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※四日市駅前で。小入道くんの自販機もあった

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※作家の丹羽文雄生誕の碑

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※四日市から日永に向かうと古い民家も少しだが出てきた

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※建物に挟まれて建つ日永一里塚の碑

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※昼食は煮干しラーメン(ラーメン伝丸 790円)

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※杖衝坂に向かう

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※石薬師宿の小澤本陣跡

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※石薬師の一里塚跡

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※田んぼの脇道を歩いて庄野宿に向かう

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※庄野宿入口に立つ案内板

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※昼下がりの庄野宿。気温が上がって暑くなった

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※和田一里塚。亀山宿も近い

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※亀山宿に入ると旅籠だったという古い民家も出てきた

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東海道徒歩の旅15 名古屋~桑名

前週に続いて、東海道歩きに旅立つ。

滋賀県草津から京都三条大橋までの間は、2020年の日本縦断の中山道の旅で歩いているので今回はパスし、ゴールを草津宿とする。
歩く距離は約120㎞。
4日間の行程である。

日本橋から数えて15日目、旧東海道の完歩を目指す旅が始まった。

早朝自宅を出て、JR中央西線、地下鉄と乗り継いで、前回ゴールした熱田神宮前の佐屋街道との分岐へ。
天候は曇り、気温16度。
いきなり冬がやってきたような肌寒いなか、ゆっくりと歩き出した。

常夜燈がある七里の渡し場まではすぐで、堀川の運河に広がる風景を見ても江戸時代の面影は全くない。
いにしえの旅人たちにとって、潮によっては十里にもなったという、ここから遥か七里先の桑名宿までの船旅はどんな思いで渡ったのか分からないが、陸路の場合は25㎞の行程となるので、いずれにしても一日がかりの旅となったのだろう。

陸路を歩く私は、国道1号線の南を走る県道59号線を選んで、ひたすら西に歩を進める。
県道59号線が通る中川区にはそのものズバリ東海道と書く地名があるが、紛らわしいが呼び方は「とうかいどおり」である。
松並木の跡が残っていたりするので、これも旧東海道の名残りだろうか。

今年3月に73年の歴史の幕を閉じた土古の競馬場を過ぎたが、庄内川と新川を渡るあたりで道を間違えてしまい、約1㎞のロス。
旅に出る直前に、長男の新築工事を巡ってちょっとしたトラブルに見舞われたので、どうやらそれがトラウマになってしまって頭から離れず、歩くことに集中できていないようだ。

旅を存分に楽しむためにも、この4日間で頭を空っぽにして帰還したい。

佐屋街道は稲沢市の神守から佐屋を経由して桑名に抜けるが、今回は最短距離を狙って国道1号線に沿って蟹江から弥富に抜け、木曽川を渡ることにした。

地に足が付かない不安定な歩道が併設された木曽川鉄橋を渡ると、三重県桑名市に入った。
日本橋がある東京都から数えて5つ目の県境を越え、残すは滋賀県のみとなった。

長良川と揖斐川鉄橋を渡り揖斐川の堤防に沿って歩くと、桑名の七里の渡し跡である。
「一の鳥居」と呼ばれる大鳥居から覗くと、ボートが係留されている水路に桑名城の石垣が続いているのが見えた。
この辺りが桑名宿のメインだろうか、大きな青銅の鳥居が残る桑名総社を眺めながらのんびりと歩く。

桑名宿を通る旧東海道は、直角に曲がったり、思わぬ路地に入ったり、プレートや案内板を探しながら歩く。
復元された火の見櫓もあったりして、古い町並みを眺めながらの歩きは楽しい。

午後3時を回り、空が暗くなったと思った途端、傘を出す間もなくいきなり降りだした雨に打たれた。
ウインドブレーカーのフードをかぶり、そのまま国道に出ると、ドンピシャのタイミングで予約していたホテルがあった。
まだ日は高く、歩いた距離は28㎞と物足らなくもないが、初日はこんなもんでいいだろう…と、ヘンに納得して投宿。

夕食の時間までは少し早いので、仮眠をしてから店を探すことにした。

午後6時。
ホテルを出るとまだ雨が落ちていた。
こうなると、店探しが面倒になってしまい、ホテルのすぐ前にある吉野家で妥協。

楽しみにしていた鰻や、炭火焼鶏は露と消えてしまった。

■2022年10月25日 愛知県名古屋市~愛西市~三重県桑名市
■44521歩 28.93㎞
■曇り後雨
■宿泊 ホテルエス・バリュー桑名

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※熱田の七里の渡し跡

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※堀川の運河を見ながら歩く

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※今年3月に73年の歴史の幕を閉じた土古競馬場

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※日光川を渡った

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※木曽川鉄橋を渡る。歩道は凸凹して頼りない

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※三重県に入った

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※揖斐川鉄橋を渡った

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※桑名の七里の渡し跡公園

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※桑名宿。七里の渡しの船着き場

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※桑名城の石垣が残る水路

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※青銅の鳥居が残る桑名総社

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※桑名宿は水の都のようだ

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※迷路のような旧東海道も案内板を頼りに歩くことができた

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※古い町並みが残る桑名宿

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※矢田立場跡の火の見櫓

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東海道徒歩の旅14 岡崎~名古屋

5月に東京日本橋を出発した旧東海道を歩く旅は、ぶつ切りのように何度も中断しながら歩を進めている。
4回目となった今回は、浜松から名古屋までを3日間で歩く計画だ。

名古屋まで来たら、電車を乗り継いでも自宅まで1時間かからない距離なので、ここで泊まって先に進むというわけにはいかない。
自宅でしばらく休養して、天気を見ながら残りの行程を一気に歩くつもりだ。

さて、3日目を迎えた岡崎からの続きだが、子供たちの登校時間と重なった八丁味噌の蔵元が並ぶ通りを抜けると、国道1号線に出て矢作川を渡った。

池鯉鮒宿までは散発的に続く松並木を追っかけるように歩くが、旧東海道は国道1号線から大きく逸れているので、クルマの騒音や排気ガスに悩まされることなくのんびりと行く。

名鉄三河線の線路を横切り、知立市街地に入ったところが池鯉鮒宿。
小規模ながら本陣跡や知立城跡が残っていた。

豊明を過ぎ、国道1号線に沿って歩くと、有松の町並みがある鳴海宿に入った。
過去に何度か訪ねたことがある町だが、通しで歩くのは初めてである。

電柱が埋没された町並みは、圧巻の一言。
広く青い空に重厚な木造の商家や白壁土蔵が軒を連ね、そのまま江戸時代にタイムスリップしたような錯覚を感じた。

日本橋を発してこれまで歩いてきた宿場の中では、スケール、パフォーマンスは断トツの一位ではないだろうか。
かつて自分が生まれ、住んだ町・名古屋にこれほどの文化遺産があったことに改めて驚いてしまった。

名古屋城以外見どころもなく、魅力がない町と揶揄される名古屋だが、有松の素晴らしさをもっと宣伝してもいいのではないだろうか。
地元民でも訪ねたことが無い人が、きっと多いと思う。

さらに、熱田神宮がある宮宿まで続く、有松から鳴海、笠寺、呼続までの旧東海道は、過去に何度かクルマでも通ったことがある道で、歩いてみて初めて、ここが東海道だったのかという認識だった。

しっかりと保存されて残っている笠寺の一里塚があることも、東海道を歩く今回の旅までその存在すら知らなかった。
歴史の道だということを露ほども知らぬまま、なにも気にせずに何度か通ったことがある道なのだ。
随所に置かれた『東海道』の石碑や道路に直接ペイントされた案内標識が無ければ、興味もないまま歩いてきたと思う。

そんな意味では、東海道歩きにチャレンジして、歩き目線で意識したからこそ気づくことができた風景だったと思う。

浜松を出発して3日目、15時に佐屋街道との分岐の碑がある宮宿にゴール。
貧血を起こしたり、足が痛んだり、体調は万全ではなかったが、100㎞以上を歩き切ることができた。

歩道橋を渡って、熱田神宮の大鳥居をくぐり、ここまで無事に旅ができた感謝と、残り4日間の旅の無事、孫娘の健やかな成長を祈って旅を終えた。

さて、次回のチャレンジはいつにしようか。

■2022年10月13日 愛知県岡崎市~安城市~知立市~豊明市~名古屋市
■50553歩 32.85㎞
■晴れ時々曇り

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※岡崎のハ丁蔵通りを歩く

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※同上

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※矢作川を渡った

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※池鯉鮒宿までは松並木が断続的に出てきた

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※永安寺の雲竜の松

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※永安寺境内の石仏

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※来迎寺の一里塚

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※松並木が続く旧東海道

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※名鉄知立三河線の線路を横切り、池鯉鮒宿に入る

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※池鯉鮒宿常夜燈

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※池鯉鮒宿から富士松方面に歩く

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※同上

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※豊明の阿野一里塚

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※有松の町並みに突入した

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※同上

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※同上

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※同上

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※同上

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※同上

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※同上

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※有松一里塚跡

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※鳴海宿を歩く

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※鳴海宿の常夜燈

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※笠寺一里塚

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※小規模ながら古い家屋が残る笠寺の町並み

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※笠寺観音

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※塩付街道と呼ばれる呼続の町並みを歩く

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※呼続には東海道の石碑が整備されていた

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※宮宿に続く道には歩道に案内標識のペイントがあり、これを辿れば間違うことがなかった

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※都々逸(どどいつ)発祥の碑

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※宮宿。佐屋街道との分岐の碑

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※熱田神宮に参拝し、今回の旅を終えた

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東海道徒歩の旅13 豊橋~岡崎

どんよりとした曇り空の下、2日目がスタートした。

駅に急ぐ通勤のサラリーマンや女子高生の群れを横目に、豊橋駅から延びる線路を渡り、旧東海道に合流。
本陣跡を過ぎ、【東海道】の標識に導かれるまま直角に曲がり、坂を下ると豊川を渡る豊橋に出た。

江戸時代は『吉田大橋』と呼ばれ、岡崎の矢作橋、瀬田の唐橋とともに東海道三大大橋といわれていたという。

御油宿までは国道1号線と並行する旧東海道を歩くが、交通量が多いにも関わらず、歩道がまったくない区間もあったりして、それなりに神経を使いながら通過した。

後ろからクルマに追突されるのが怖いので、歩道がない道は条件反射のごとく逆車線を歩くことにしている。
対向車のドライバーから見ると、正面から歩いてくる私に気づかぬ筈はなく、皆一様に大きく避けていく。

歩き旅では、自分の身は自分で守らなくてはいけないので、ルールを無視しているのは心苦しいが致し方ない。
歩行者の安全を考えると、せめて国道や県道クラスなら歩道の設置を急ぐ必要性を感じる。日本の道路事情はクルマ優先過ぎて、歩行者に優しくできていないのが腹のたつところだ。

…とブツブツ嘆いても足はひたすら前に進む。
御油宿に入ると、大社神社で参拝し、旅の安全と、6月に生まれた孫の健やかな成長を祈願した。

御油宿には旅人の相手をしたという飯盛り女の墓があるというが、うっかり見過ごしてしまい、気づいたときには松並木に差しかかかっていた。
飯盛り女は、旅籠の奉公人であり、遊女でもある位置づけで、農家の息女たちが奉公の名のもとに売られてきたという哀しい歴史があるという。

赤坂宿に残る200年前に建てられたという旅籠『大橋屋』では、ボランティアのご老人からそうした話を聞くことができた。
ガイドブックから得た知識しか持っていない身にとっては、こうした人たちの存在はありがたい。

自分も機会があればやってみたいと思っているが、何分、下衆な人間なので、ボランティアというのはちよっと無理かもしれない。

正午近くになり赤坂宿に入る。
本陣跡のすぐ隣にうなぎ屋を見つけたが、寂れた外観を見て敬遠し、暖簾をくぐるのを見送った。
しかし、これがアダとなり、そこから本宿までの1時間半近くはまったく飲食店がない状態が続き、空腹を抱えて歩くことになってしまった。

本宿駅近くでようやく見つけたラーメン店で、3枚をつなぎ合わせると赤ん坊の腕一本くらいあるチャーシューが浮かんだ旨いラーメンを食べたが、これがいけなかった。
歩いても、歩いても、胸やけと口中の塩っ辛さが込み上げてくる。

それを中和しようと思って、立ち寄ったコンビニで甘いシュークリームを食べたら、今度は満腹で苦しくてしょうがない。
こうなりゃあ、少しでも体を軽くするためにひたすら歩くしかないと判断し、藤川宿から岡崎へは脇目も降らずに黙々と歩くことにした。

16時を回り、岡崎市中心部に入ると『二十七曲がり』の道標に導かれるまま、それこそ右に左に歩いていく。
最後は岡崎城の公園を突っ切り、ドンピシャのタイミングで宿泊予定のホテルの前に出た。

しかし、ここでアクシデントが…。
ホテルを目前に、横断歩道を渡ろうと信号待ちをしていたときのこと。
すーと血の気が引き、突然目の前が真っ暗になり、その場で倒れて尻もちをついてしまった。

すぐに我に返って起き上がったが、どうやら、立ちくらみから貧血を起こしたようだ。
これで胸の痛みを伴っていたら、間違いなく心筋梗塞で病院送りだったろうと思う。
どちらにしても、頭を打たなくてよかった。

連日30㎞を超える歩きと、水分補給不足が招いた結果かもしれない。
7月の北海道では、血尿に見舞われたし…。

思っている以上に、自分は年寄りで、体力が低下しているんだろうなぁ…。

そんなことを自己分析しながら、ホテルのベットであぐらをかき、ちゃっかりとビール片手に大盛の焼きそばをがっつくのだった(笑)。

■2022年10月12日 愛知県豊橋市~豊川市~岡崎市
■52081歩 33.85㎞
■曇り
■岡崎オーワホテル

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※吉田宿の本陣

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※豊橋市内。東海道の標識に導かれて歩く

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※豊川が流れる豊橋を渡る

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※下地駅近くの旧東海道

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※同上

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※国道1号線沿いに置かれた道祖神

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※御油宿入口にある大社神社

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※御油宿

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※御油の松並木(天然記念物指定)

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※赤坂宿の高札場跡

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※赤坂宿旅籠の大橋屋。一般公開されている

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※赤坂宿を歩く

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※赤坂宿の常夜燈

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※岡崎市に入った

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※本宿の一里塚跡

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※今日のランチは、『五十六商店』の中華そば

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※藤川宿東棒鼻

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※藤川宿

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※藤川宿高札場跡

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※同、本陣跡

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※藤川から岡崎に向かうと松並木が続いた

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※不気味なフィギュアが迎えてくれた

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※大平の一里塚

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※常夜燈

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※岡崎宿の二十七曲がりを歩く

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※岡崎宿御馳走屋敷跡に置かれた鯛のレプリカ

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※岡崎市郷土館

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※岡崎城

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東海道徒歩の旅12 浜松~豊橋

早朝自宅を出て、いつものように在来線と新幹線を乗り継いで、浜松駅8時15分到着。
中断していた浜松から一週間ぶりに歩き出す。

気温がぐっと下がったのか、季節は確実に秋に入ったようだ。
頬にあたる風が冷たいので、今日のスタイルは長そでシャツにさらにウインドブレーカーを重ね着している。
豊橋まで37㎞を歩くので、新幹線の高架をくぐると、心なしか速足となった。

舞坂宿までは単調だったが、松並木を過ぎ浜名湖が見えてくるとがぜん賑やかになってきた。

新居宿には復元された関所や旅籠、本陣跡もあり、見どころも多いが、先を急ぐので立ち寄ることもなく、写真を撮りながら足早に通り過ぎた。

それにしても風が強く、体が持っていかれそうな向かい風に辟易しながら黙々と歩く。
帽子を何度も飛ばされるので諦めてザックに入れて歩くが、出発間際にカミさんにバリカンで丸めてもらったアタマが寒くて仕方がなかった(笑)。

鬱蒼と茂る樹々の間から太平洋を望むことができる潮見坂を登り、白須賀宿に入るとようやく行程の半分である。
潮見坂は海抜わずか28メートルしかないのに、登るのに息が切れてしまう体たらくである。
その分、白須賀宿までは緩い下り坂になり、現金なものでそれこそ鼻歌交じりだ。

国道1号線に出て疾走するクルマの騒音に苛立ちながら歩き、新幹線と在来線の高架をくぐって二川宿に到着。
旧家や本陣跡の建物、高札場跡も残っており、日本橋から歩いてきた宿場の中では江戸情緒が色濃く残る町並みだった。

16時を回り、すでに歩行距離は30㎞を超え、足に痛みが出てきた。
今日はこのあたりでいいかなぁ…と、弱気の虫に支配されたが、気づいたときにはJR二川駅に背を向けていた。

吉田宿がある豊橋まであと7㎞。

ひたすら歩くしかない。

しかし、運が悪いことに火打坂を登ったところで大きく道を外れてしまった。
これで1㎞以上のロス。

気づいたときには、もう苦笑いでしかなかった。
すでに薄暗くなり、ザックに点滅する赤色ライトを取りつけて歩いた。

豊橋駅が近づいたところで見つけたスーパーで、晩飯のお惣菜とビールを購入し、すっかり暗くなった18時にホテルに到着。

秋の日はつるべ落とし。
あれほど強かった風は収まり、どこから聞こえてくるのか、虫の音がやけに賑やかだった。

■2022年10月11日 静岡県浜松市~湖西市~愛知県豊橋市
■57994歩 37.69㎞
■晴れ
■豊橋ニュー東洋ホテル2

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※藤原秀衡を弔う御堂、二つ御堂

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※舞坂宿の松並木

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※舞坂宿

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※舞坂宿本陣跡

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※舞坂宿。浜名湖のほとりに立つ渡船場跡

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※浜名湖弁天島橋を渡る

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※お城を模した廃墟となった元ドライブイン

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※浜名湖の西の端

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※新居宿の関所資料館

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※新居宿の旅籠、紀伊国屋

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※新居宿本陣跡

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※新居宿から白須賀宿に向かうと松並木が続いた

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※白須賀宿元町の町並み

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※同上

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※潮見坂。太平洋が見えた

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※白須賀宿の町並み

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※同上

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※長かった静岡県を離れ、愛知県に突入した

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※細谷の一里塚跡

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※二川宿には古い町並みが多く残っていた

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※同上

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※二川宿本陣

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東海道徒歩の旅11 袋井~浜松

JR磐田駅から昨日ゴールした袋井駅に戻り、3日目がスタートした。

天気は下り坂である。
雨が降り出すまでに歩けるだけ歩きたい、と思いながらピッチを上げる。
袋井宿は東海道のどまん中を謳っているのか、町を歩くとやたらと“どまん中”のロゴが目に付いた。

木原一里塚を過ぎ、国道1号線バイパスに合流しすると、地図上では遠州鈴ヶ森刑場跡に出るが、まったく気づかずに通り過ぎてしまった。

見附宿に入ると、にわかに宿場町の雰囲気が濃厚になった。
本陣跡を過ぎ、明治8年に建てられた旧見附学校に立ち寄る。

ここには明治から昭和中期までの教科書や学用品などが展示されており、興味深く見ることができた。

中でも『肥後守』という小刀。
鉛筆削り器がまだ高価だった頃、私は間違いなくこれで鉛筆を削ったことを思い出した。
そういえば当時の子供たちは筆箱には必ず小刀を入れていたし、小刀のことを肥後守といって、誰もが指を怪我することなく器用に操っていた。

今となっては、懐かしい遠い思い出である。

見附宿に別れを告げ、緩い坂道を南下しながら下り、国分寺跡を過ぎると、JR磐田駅が見えてきた。
見覚えがある通りだなぁ…と思って十字路を曲がると、何のことはない、旧東海道は昨日宿泊したホテルの前を通っていた。

一里塚や常夜燈を見て進み、集落のなかで道を見失いながら適当に歩くと、天竜川橋に出た。
ガイドブックには「橋には歩道が無いので注意」と書いてあるので気になっていたが、実際にそこに立ってみると、トラックがひっきりなしに疾走してくるではないか。
交通量も半端ではなく、歩道もない道幅が狭い橋を渡るには気が引けてしまった。
これでは命がいくつあっても足りないし、ここに突っ込むには相当な勇気がいる。

困ったなぁ…と思いながらすぐ隣に並走している国道1号線バイパスに架かる新天竜川橋を見ると、立派な専用歩道が付いているではないか。

(な~んだ)と思いつつ、ここは当たり前に安全策を取ることにした。

橋を渡り、船着き場跡の案内を見て直角に曲がると、ドンピシャのタイミングで餃子の暖簾が揺れる店を発見。
さらに先には、うなぎの看板を掲げた店もあった。

餃子とうなぎは、どちらも浜松の二大名物だ。
しばし迷ったが、軍配は餃子に上がり、11時半の開店と同時に、誰もいないカウンターの客となった。

店を出ると、天気は予報通りの下り坂の様相を呈してきた。
雨がぱらつき始めたので傘をさして歩くが、すぐに止むと、今度は一転して眩しいほどの晴天。
コンビニに寄ってはペットボトルを購入する、不快指数100%の暑さとなった。
何ともせわしない、不安定な天気である。

予報ではこれから週末までの3日間、雨が続くということになっている。
当初は、名古屋まで歩く6日間の計画でスタートした旅だったが、わざわざ好き好んで雨の中を歩くこともないだろうと…すでに頭の中には軟弱の風が吹き始めていた。

進むか、止めるか…そんなことを反芻しながら歩く。

JR浜松駅が見えてくると、心は決まった。

最初の意気込みとは裏腹に、なんともあっけない幕切れであったが、今回の旅のゴールは浜松で締めることとなった。

さて、この続きはいつにしようか。

■2022年10月5日 静岡県袋井市~磐田市~浜松市
■34328歩 22.31㎞
■曇り一時雨

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※袋井宿の高札場跡

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※袋井宿の常夜燈

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※旧東海道にはいたるところに当時の浮世絵の風景画があった

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※木原一里塚

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※国道1号線と並走する、旧東海道の松並木

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※見附宿の旧見附学校。現存する日本最古の洋風木造建築小学校校舎

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※同上の授業風景

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※同上の展示物。肥後守があった

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※見附宿の国分寺跡。現在、復元整備が進められている

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※宮之一色一里塚跡

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※立派な専用歩道がある新天竜川橋を渡る

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※浜松餃子を食す(餃子のかめ 15個850円)

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※伊豆石でできた明治期の蔵

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※浜松宿が近づくと松並木になった

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東海道徒歩の旅10 島田~掛川~袋井

快晴の下、7時に出発。
前日に32㎞を歩いたというのに、それほどの疲れを感じていない。

(おぉ、調子いいぞ)…と思ったのもつかの間、大井川川越遺跡の集落が見えてきたところで、左足の脛が痛くなってきた。
7月の列島縦断の旅でゴール寸前の稚内で痛めた状態と同じ。
厄介なことになりそうな予感が頭をよぎった。

ペットボトルのお茶でロキソニンを流し込み、消炎湿布を貼り続行した。
このまま痛みが治まってくれたらありがたい。

東海道最大の難所といわれた大井川の渡しがあったという大井川川越遺跡には、復元された家屋が公開されており、無料で見学することができた。
川が荒れて、水かさが増すと旅人たちはここで足止めを食ったのだろうか。
映画にもなった藤沢周平の『雨あがる』では、おそらくこの地を舞台にして、降りやまぬ雨を待つ旅人たちと浪人夫妻の厚情が描かれている。

これでは「エイホー、エイホ」と担がれて渡らなくてもいけそうかなぁ…と、思いのほか浅瀬の流れが望見できる大井川橋を渡ると、金谷宿に入った。

この夏の台風の影響で大井川鉄道は不通になっている。
思い出すのは学生時代に南アルプスに入山するため初めてここを訪れたことだ。金谷駅からトロッコ軌道を走るミニ電車に乗り換え、晩秋の畑薙ダムに向かった。

3000メートルを超す聖岳の登山は、想像以上に厳しい雪との闘いとなってしまった。
ピッケル代わりに這い松の枝を使い、背負った重荷と急斜面のラッセルにあえいだ。
山が持つ厳しさの洗礼を受けた登山だった。

あれから40数年が経ち、小さなザックを背負い、それこそ鼻歌交じりにのんびりとこの町を訪ね、そして歩いている。
町の姿は大きく変わってしまったが、間違いなくここにも私の青春があったんだと、青臭いことを思い出してしまった

JRの金谷駅から石畳の道を登りきり、そのまま菊川坂の石畳を下ると諏訪原城跡に出た。
武田勝頼の居城で、復元されたお堀のスケールが素晴らしかった。
ここまでは、坂道はあってもほんのトレーニング程度で、クスリが効いてきたのか、足の痛みもなくなったので快調に飛ばした。

しかし、問題はこの先にあった。
箱根、鈴鹿峠とともに東海道の三大難所の峠といわれたのが、小夜の中山峠。

菊川集落からいきなりの急坂の登りに唖然とした。
汗を拭きつつ息を切らせて、茶畑の中を縫うように登る。
つい先日の健康診断で、突然死の因子があることを指摘されたことを思い出した。
いきなりガツーンと来るのだろうか?
茶畑の中で野垂れ死ぬのは、できれば避けたい。

急な坂を登ると平坦な道となったが、こんな場所にも民家は点在していた。
どうやらお茶農家のようで、整然と列をなした茶葉を農業機械で刈り取る、農家の人たちの作業ぶりを見ながら歩いた。

中山峠には夜泣き石や芭蕉の句碑が残る久遠寺、旅籠の扇屋など見どころもあったが、再び茶畑の中を歩き日坂宿に向かうと、『二の曲がり』という、それこそ転げ滑りそうな急坂となった。

驚くのは坂の途中に民家が何軒かあったこと。
クルマでも登るのが怖いくらいの急な坂に住む人たちを思うと、いやはや日本は広いとつくづく思ってしまった。

坂を下り、国道1号線を渡り、日坂宿に入った。
本陣跡は復元された門を除いて公園になっているが、小さな宿場町といえども、町起こしを意識しているのか、民家の軒下には往時の宿名を掲げた木札が貼られていた。
『いせや』『きのくにや』はそのまま出身地を名乗ったものだろうか。
当時は旅籠が33軒あったというが、『川坂屋』のように建物がそのままに保存されている旅籠もあり、小さな宿場ならではの雰囲気が色濃く漂っていた。

日坂宿から掛川宿までは一里塚や馬頭観音を見ながらのんびりと歩いた。
掛川城は改修工事の真っ最中で天守には足場が組まれており、見学することができず、そのまま通過。

東名高速道路を横切ったあたりから松並木が連続して現れるようになり、旧東海道を歩いている気分がおのずと高揚してくるのを感じた。

今日の行程は予約したホテルがある磐田駅前まで歩くつもりだったが、歩行距離が30㎞を超えたこともあり、疲れも出てきた。
それに反応してか、JR袋井駅が近づいたところで急にモチベーションが落ちてしまった。

急ぐ旅でもないし、ネガティブにストイックに、黙々と歩くのもかえって疲れてしまう。
今日はここまで…と決めて、袋井駅で歩くのを止め、磐田駅まで電車移動することにした。

この日は磐田駅近くのマックスバリューでビールとお惣菜を購入し、安宿の客となった。
さすがに安宿、トイレにはウオッシュレットがついておらず、二日間歩いた“股ズレ”の代償を癒すことができなかったのは、思わぬ不覚だった。

■2022年10月4日 静岡県島田市~掛川市~袋井市
■46559歩 30.26㎞
■晴れ
■Tabist IWATAステーションホテル

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※島田宿の大井神社

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※大井川越遺跡の復元された集落

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※同上

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※島田市博物館にある大井川川越え模型

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※大井川の川会所跡

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※大井川を渡った

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※大井川鉄道金谷駅

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※金谷宿を歩く

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※金谷宿本陣跡

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※諏訪原城跡

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※金谷宿から菊川宿に向かう石畳

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※中山峠佐夜鹿の一里塚

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※茶畑の中を行く中山峠の登り

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※同上

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※日坂宿の常夜燈

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※日坂宿本陣跡

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※日坂宿の旅籠、川坂屋

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※日坂宿高札場跡

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※掛川宿に向かう道で移動スーパーに出会った

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※シャッターが閉まった掛川のアーケード商店街

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※ソース鶏カツ丼を食べる(掛川市・政平670円)

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※掛川城は改修工事中だった

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※袋井宿に向かうと松並木が連続して出てきた

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※久津部の一里塚跡

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東海道徒歩の旅9 静岡~島田

暑かった9月も終わり、秋の気配を感じる季節になった。

ハローワークで紹介してもらった行政の臨時職員の採用面接にも落っこちたし(笑)、このところ関わってきた長男の自宅の新築も完成に向けて一段落したので、6月以来中断していた旧東海道を歩くことにした。

早朝自宅を出て、JRの在来線から新幹線を乗り継ぎ、静岡駅に8時30分到着。
秋の気配どころか、すでに太陽はさんさんと輝いている。

予想気温は30度超え。
季節外れの暑い一日になりそうだ。

静岡駅構内から地下道を経て、札の辻に出た。
このあたりは府中宿があったところだが、ビルに囲まれた界隈には江戸時代の宿場当時の面影はまったくない。

由比正雪の碑を過ぎ、安倍川に出た。
橋のたもとには『石部屋』という安倍川餅の店が暖簾を下げていた。

いったんは店の前を通り過ぎ橋に一歩を踏み出すが、やはり安倍川餅の誘惑に負けてしまい、踵を返して暖簾をくぐった(笑)。
店主に言われるままに、文化元年創業の餅(700円)をパクついた。
糖尿の身には禁断の食い物だが、これから30㎞近く歩くことを良いように解釈して、弾力があるなかに甘くとろける老舗の味を堪能した。

一里塚を過ぎ丸子宿に入ると、またまた誘惑の物件が。
旧東海道で最も有名な老舗『丁子屋』が姿を現した。
広重が描いた「丸子名物茶店」の風情そのままで佇む、名物麦めしとろろの店だ。

しかし、残念なことに11時開店とあって、30分以上の待ち時間があり、先を急ぐことを選んで、泣く泣く茅葺屋根に背を向けた。
…と思いつつも、よくよく考えたら私は別段とろろ汁は好きではない。
幼いころからとろろを食べると口の周りがかゆくなったりしたので、長じてからも余程のことがなければ食べないのだ。
そんなことを思いながら歩いた。

高札場がある土手には彼岸花が咲き、秋真っ盛りである。
国道1号線バイパスに出ると道の駅があったので、昼食がてら休憩。
静岡おでんを食べて、しばしベンチでまどろんだ。

ちょうどこの日は11時半から30分間のFMラジオの番組に私が出ることになっており、周波数を合わせてスマホから流れる自分の声を聴いた。
一週間前に録音した時は、うまくしゃべることができずに結構落ち込んでいたのだが、そこはなんとか編集してくれたようだ。
どちらにしても、公共の電波に乗った自分の声を聴くのは気恥ずかしいし、何より心臓に悪かった。

道の駅から旧東海道に入り、宇津ノ谷峠に向かう。
石畳が敷かれた坂道に寄り添うように建つ集落には、家々には屋号が下がり、往時の雰囲気がよく残っていた。
ここからは竹林や雑木の道を歩き、峠を越えてから十石坂観音堂がある岡部宿に下った。

岡部宿は旅籠の柏屋や本陣跡もあり、わずかながら宿場の雰囲気を留めていた。

予報は当たったようで、とにかく暑い。
とめどなく流れる汗を拭きつつ藤枝に向かう。

古東海道追分を過ぎ、JR東海道線に沿って歩くようになると、松林が連続するようになった。
すでに夕暮れが近づき薄暗くなりつつあったが、ホテルを予約している島田まであとわずかなので、何も考えずに黙々と歩く。
松林が途切れたところに、”スーパーボランティア尾畠春夫”さんの写真が。
ちょうどこの場所をリヤカーを引いて通過したようだ。

尾畠さんは徒歩で日本縦断をした大先輩なので、尊敬の念をもってその生き方を見てきたが、まさかここで足跡に触れることができるとは思っていなかった。
写真は、リヤカーを引く尾畠さんを大勢の人が囲み、その表情は嬉しそうだが、当の本人はどうやらあまりの人気の過熱ぶりに辟易して、このあとリタイヤしてしまったという。

何事も、目立たず、人知れず、できればいうことないんだが。
でも、80才を過ぎてのこのパワーは凄いとしか言いようがない。
かの石川文洋さんも80才を過ぎて二度目の徒歩日本縦断を達成しているし、エベレストの三浦雄一郎さんにしかり、まったくもって頭が下がる。

すっかり暗くなった18時過ぎ、島田駅前のホテルに向かう。
飲食店もほとんどない駅前は閑散として寂しい。

ようやく見つけたコンビニで弁当を買い、ホテルへと急いだ。
旅の初日は、いつものように軽い疲労感とわずかな充実感と共に更けていった。

■2022年10月3日 静岡県静岡市~藤枝市~島田市
■49300歩 32.04㎞
■晴れ
■ホテルセレクトイン島田駅前

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※静岡駅を出るとすぐに府中宿の札の辻の碑があった

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※創業200年の石部屋の安倍川餅

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※安倍川を渡る

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※とろろ飯で有名な丸子宿の丁子屋

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※丸子宿本陣跡

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※丸子宿高札場跡

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※国道1号線を離れ、宇津ノ谷峠に向かう旧東海道に入る

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※宇津ノ谷峠手前にある集落。往時の面影が色濃く残る

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※同上

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※同上

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※宇津ノ谷峠の登り

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※石仏が佇む峠道

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※宇津ノ谷峠の集落を歩く

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※岡部宿の旅籠、柏屋

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※朝比奈川の土手に咲き乱れる彼岸花

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※樹高23.7メートルの須賀神社の大クスノキを見上げる

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※閑散とした藤枝宿。シャッター商店街を歩く

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※瀬戸川を渡り、藤枝宿を後にした

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※旧東海道らしい松並木が続く

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※島田宿も近い。尾畠春夫さんの足跡を見つけた

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東海道徒歩の旅8 清水~静岡

166㎞を歩いた東海道の旅を終え、昨日、帰宅しました。
雨に祟られた一週間でしたが、最終日の昨日は梅雨の中休みの晴天。
たった半日で日焼けして真っ黒になりました。
では、7日目のレポです。

旅に出てから7日目。
今日が最終日である。
府中宿(静岡)でいったん中断して、来週からの北海道の歩き旅のスタートに備えることにする。
この続きは秋にでも再開しようと思う。

清水から静岡までは11㎞の行程なので、急ぐこともなく午前8時過ぎに出発。
スクールゾーンの緑のラインには要所要所に【東海道】のロゴと松のイラストがあり、迷うことなく歩くことができる。
草薙一里塚を過ぎると新幹線とJRを跨いで国道1号線へ。

アスファルトの照り返しと、蒸し暑さに辟易しながら歩く。
ペットボトルの水を朝から2本消費。
さすがに炎天下の歩きは堪える。

箱根越えでは雨に打たれ寒い思いをしたのに、一転して今度は暑さにめげている。
自分勝手この上ない。

静鉄の古庄駅から長沼駅間には一里塚跡があるが、どうやら国道沿いにあったようだ。
北側に走る旧道を歩いて気づかなかった。

静岡駅が近づくとにわかに人通りが多くなり、10時30分に駅に到着。
わずか11㎞歩いただけなので物足らなくもあるが、次回再開することを考えてここで打ち止めとした。

時間もたっぷりあるので、静岡市内でホーロー看板を探すことにし、駿府城址や浅間神社に立ち寄ったりして6㎞ほど道草して静岡駅に戻った。

今回の旅は、日本縦断歩き旅の最終章となる北海道苫小牧~宗谷岬までの400㎞の旅の前哨戦として臨んだが、振り返ってみると十分な手ごたえを得ることができたチャレンジに仕上がったと思う。

何よりもコンスタントに歩けたし、シューズやマメ防止の保護クリームといった新兵器を試すこともできた。
長距離を歩くことの感覚も取り戻すことができた。

この経験を生かして、来週からの北海道の旅を楽しみたい。

■2022年6月18日 静岡県静岡市
■17816歩 11.03㎞
■晴れ

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※ホテルの窓から富士山が見えた

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※かわいい河童の像がある川を渡った

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※江尻宿の案内板。東海道の史跡はあまり残っていないようだ

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※追分羊羹の碑 今でも店は営業している

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※草薙一里塚跡。なぜか巨大なタヌキの焼き物が…

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※新幹線とJRの跨線橋を渡った

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※新静岡駅が近づき、静鉄の線路に沿って歩いた

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※本日のゴールJR静岡駅。166㎞歩いた旅が終わった

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東海道徒歩の旅7 吉原~清水

一昨日に痛めた右足の親指は、爪が紫色に変色し剥がれかけている。
一歩踏み出すたびにズキズキと痛む。
カットバンを貼り、テーピングをし、ロキソニンを飲んで出発。
旅に出てから毎日痛み止めの世話になっている。
その反面、6日目にしてマメができていないことが素晴らしい。
いつもならマメの痛みに苦しんでいるところだが、トレイルラン用のシューズと新兵器のマメ防止クリームの効果だろうか。
北海道の前哨戦として実験は成功したようだ。

吉原本町駅近くのホテルを8時にスタートし、富士市の目抜通りを進むが、市庁舎や市民公園、ホテル、ロゼシアターといった建造物は巨大で豪華。
儲かっている自治体のようだ。

松岡水神社に立ち寄り、参拝。ベンチに座って靴下を脱いで休憩していると、目の前を速足で歩く同志を発見。
私よりいくぶん年配とお見受けしたが、なかなか追いつけない。
私も足の速さには自信があるが、上には上がいる。
この人とは言葉を交わすことなく、抜きつ抜かれながら興津宿までその姿を確認できた。

それと、蒲原宿の手前で出会った一行。
なんと、着物に手甲、脚絆、笠を被り、足元は草鞋履きという江戸時代の格好そのもの。
女性も時代劇から飛び出てきたような旅姿だ。
ちんどん屋か何かのイベントかと思ったが、どうやら趣味で楽しんでいるグループのようだった。

蒲原宿は比較的古い建物が残っており、旧東海道ではいにしえの雰囲気を感じるところである。
日本橋から歩いてきた宿場のなかでも一番か。
もっとも、景観的には関宿や有松宿のほうがはるかに上だが。

由比宿に入ったところで、雨となった。
あっという間にラッキョウのような雨に代わり、民家の軒下を借りて雨具の上下を着た。
雨宿りも兼ねて、由比駅近くにあった旅館兼食堂に飛び込む。
由比は桜えびの町として有名で、かき揚げ定食に舌鼓を打った。
さて、ここからが今日のハイライトというべき旧東海道随一の景勝地、薩埵峠を越えるコースになるが、雨がこれでもかというくらい激しくなってきた。
甘夏やビワが実る峠の登り道は、流れてきた水が溢れ川のようになっている。
シューズの中は水浸しだ。
土砂崩れに巻き込まれる姿が一瞬、脳裏をよぎったが、それを振り払うように半ばやけくそでズブ濡れになって歩いた。

峠から遊歩道となった旧東海道は山の斜面をトラバースしていくが、まさかの通行止めに阻まれてしまった。
興津に出る最短のルートが、東名高速に沿って大きく迂回する羽目になり、2㎞ほど余分に歩くことになった。
興津川を渡り興津駅に出ると、激しかった雨もようやく小降りに代わり、清水までの4㎞を黙々と歩いた。

15時45分、買い出しを済ませて予約したホテルに到着。
しかし、チェックインで30分待ちの行列に並ぶことに。
清水エスパルスの試合があるという。

雨に打たれ、敗残兵のごとく疲れた体に、辛い仕打ちだった。

◼️2022年6月18日 静岡県富士市~静岡市清水区
◼️43080歩 28.00㎞
◼️曇りのち雨
◼️東横イン清水駅前

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※吉原宿の案内図。どう見ても分かりにくい案内だった。

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※富士山の町、富士市のモニュメント

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※富士川の畔に建つ水神社。

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※富士川を渡ると、この旅初めての富士山が見えた。

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※岩渕の一里塚。

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※蒲原宿

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※由比宿本陣。雨が降りだした。

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※桜えびの町、由比を歩く

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※桜えびとしらすのかき揚げ定食を食した

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※薩埵峠に向かう街道には古い町並みがあった

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※土砂降りの雨の中、薩埵峠に立った

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※峠からの旧東海道は通行止めになっていた

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※興津宿の案内板

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東海道徒歩の旅6 三島~吉原

昨日の箱根越えで、石畳につまずいて右足の親指の爪を痛めた。
右足のすねの痛みも残っているので、ロキソニンを飲み、テーピングをした。

三島大社からほど近い、旧東海道沿いにあるホテルを8時に出発。
朝の通勤風景が始まった旧東海道が通る県道145号線は、三島広小路駅を右手に西に向かって伸びていく。
満員電車に揺られたサラリーマンを辞めて2年が経ったが、いまだに仕事の夢を見る。
今は好きな歩き旅にうつつをぬかしているが、40年間の仕事の垢はなかなか落ちない。
因果なものだ。

一里塚を過ぎ沼津市内に入ると、東海道を逸れて千本松原に立ち寄った。
太平洋と松林、そして富士山のコラボ。
三拍子揃ったこれ以上ない贅沢な景観だが、あいにくの曇天とあって富士山は見えなかった。

旧東海道はJR東海道線に沿って続いていくが、片浜から田子の浦までは一里塚や本陣跡の碑が忘れたころに出てくるだけで、面白味もない道をひたすら歩くだけになった。
その上、いつものごとく飲食店がまったくない。
正午の時報と同時にようやく見つけた富士宮焼きそばの店に飛び込み、腹ごしらえすることができた。

店主の話では、この先も数㎞先にラーメン屋が一軒あるだけという。
更にこの店には砂漠のオアシスのごとく、多くの東海道歩きの同志が立ち寄るそうだ。
三島からだと1時半頃に来店する人が多いそうだが、「お客さんは足が速いね」と言われた。

店を出ると、天気が回復したのか晴れてきた。
気温も高いし、湿度が高い。
吹き出る汗を拭いながら歩く。

新幹線の高架を潜ると『左富士の碑』に出たが、本来ならどかーんと見える富士山はまったく見ることができなかった。
振り返って見ると、旅の初日に新横浜に向かう新幹線の車窓から見えただけである。
昨日の箱根越えもそうだが、富士山のまさに懐に飛び込むくらい近くにいるのに、その気配も感じない。
まぁ、日頃の行いが悪いからだろう。

炎天下の中、岳南鉄道の吉原本町駅を通過し、シャッターが下りているのが目立つ規模が大きいアーケード商店街を歩く。
UNYドンキーで晩ごはんの買い出しをして、予約したホテルに投宿。

午後からは蒸し暑い一日となったが、旅も5日目となると身体が慣れてきたのか、思った以上にリズミカルに歩くことができた。

◼️2022年6月17日 静岡県三島市~富士市
◼️40122歩 26.07㎞
◼️ホテル24in富士山
◼️曇り後晴れ

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※三島宿世古本陣跡

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※宝池寺内にある一里塚

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※黄瀬川を渡り、沼津市に入る

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※太平洋と千本松原

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※千本松原は遊歩道が整備されていた

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原宿の一里塚跡

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※富士宮焼きそばを食す

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※立圓寺の仁王像

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※吉原駅近くの運河

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※左富士の碑。富士山は今日も見えない

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※吉原本町から続くアーケード商店街

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東海道徒歩の旅5 箱根湯本~三島

小田原から小田急箱根登山鉄道に乗り込み、昨日ゴールした箱根湯本駅からスタート。
早朝の7時前とあって、温泉街には猫一匹いない。

旧東海道は箱根新道と平行した県道だが、意外にもクルマの往来は多く、歩道もないので神経を使う。
更に、道が勾配をあげるにつれ霧が濃くなり、小雨も降りだす始末。
予報では晴れて暑くなるとのことだったが、まったく外れている。

畑宿の集落から一里塚を見て、薄暗い旧街道に入った。
樹上から落ちてくる雨しずくでずぶ濡れになりながら、石畳を息を切らして登る。
シューズはぬかるみに何度もはまってどろどろだ。

江戸時代から創業している甘酒茶屋で休憩。
茅葺きの建物も年季が入っているが、店内は囲炉裏の煙が立ち込め、全身に臭いがついてしまった。

力餅を食べて腹ごしらえをしていると、女性の店員さんから道中安全祈願の御札と、芳名帳を差し出された。
なんでも、歩いて登ってきた人にサインをしてもらうのが店の慣わしという。
モロに個人情報だが、自治体名とフルネームでサインした。

いくぶん緩くなった坂道を登り、権現坂をどんどん下っていくと視界が開け、元箱根の町から芦ノ湖に出た。
いつの間にか小雨は上がり、曇りとなったがかなり寒い。
ゴアテックスの雨具の下は半袖シャツだが、とても脱ぐことはできない。
30度近くになるという予報はいったいどうなったんだろう。

杉並木を通過し、箱根の関所を抜けると箱根駅伝のモニュメントがあった。
湯本からここまで歩いてきて思ったが、ランナーたちの体力に驚かずにはいられなかった。

交通量が多い国道を歩き、11時30分に霧が立ち込めた箱根峠着。
湯本からの14㎞に4時間30分かかってしまった。

さて、ここからが三島まで延々と続く下りである。
旧街道は国道に沿って石畳の道となるが、昨年の台風で通行止めとなった区間を大きく迂回したりして歩いた。

三島側の旧街道は、三島市の中心部に入る東海道本線とぶつかるまで、ほぼ石畳の道が連続する。
初めは情緒があって良いと思っていたが、濡れた石は滑るし、不規則な石の高さに靴底を通して足が痛くなってくる。
復元作業の苦労を思うとまったく頭が下がるばかりだが、石畳より土の道のほうがはるかに歩きやすいのは間違いないだろう。

14時、ようやく石畳から解放され、三島の街をのんびりと歩き、三島大社に立ち寄った。
家内安全と生まれたばかりの初孫の健やかな成長を祈願し、ホテルに向かった。

富士山も見えないあいにくの天気となったが、今日のコースは旧東海道一番の白眉ともいえるコースには間違いない。
鬱蒼とした森の中、ひたすら歩く石畳をゲップが出るほど堪能できた。

何より、道中、誰にもすれ違うことなく静かな旅を楽しめたことに感謝したい。

◼️2022年6月16日 神奈川県箱根町~静岡県三島市
◼️44300歩 28.79㎞
◼️霧雨のち曇り
◼️セレクトイン三島

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※湯本の温泉街を歩く

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※県道をそれ、旧街道に入ると石畳になった

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※甘酒茶屋の力餅。道中安全の御札をもらった

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※石畳が連続する登りとなった

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※芦ノ湖に出た

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※今回の旅ではモンベルのトレイルランシューズを使用。履き心地も良いし、足の負担もなさそう。北海道の旅でも使えそうだ。

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※今回の新兵器。プロテクトJ1。ランナー愛用のマメ防止クリーム。過去、苦しんだマメは今のところできていない。

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※巨大な杉並木が続く。

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※箱根の関所を通り抜けた

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※箱根駅伝のモニュメントがあった

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※箱根峠。静岡県に入った

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※延々と続く石畳

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※路傍にたたずむ石仏

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※山中城(日本百名城)に立ち寄った

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※三島市内に近づくと松並木となった

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※富士山は見えなかった

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※三島大社に参拝

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東海道徒歩の旅4 大磯~箱根湯本

昨日ゴールした大磯駅からスタート。
右脚のすねの痛みが治まらないので、ロキソニンを飲んでの出発となった。

二日続きの雨である。
梅雨の時期なのでしかたないが、雨に濡れて歩くことはモチベーションが下がるばかりで、楽しさを見いだせない。
一昨年の列島縦断の旅では5日間連続の雨にやられたので、それを思うと明日以降の回復が見えているだけましかもしれない。
ともあれ、今日も傘と雨具で歩きだした。

大磯は伊藤博文や吉田茂の別邸があった町としても知られており、開園時間ちょうどに吉田邸を見学。
なかでも贅をつくした日本庭園が素晴らしく、ちょうど食べ頃の熟した梅の実が転がっており、思わず拾いたくなった。
しかし、『梅の実は拾わないで下さい』の注意書が。
まぁ、しっかりしている。

旧東海道は国道1号線を行くが、歩道も広くて快適だ。
なんといっても身の安全が担保できるのが大きい。
縦断の旅や中山道歩きでは、歩道がない道や危険なトンネルを何度も経験したが、それを思うと天国である。
それこそ鼻歌交じりに歩ける快適さである。

しかし、それとは裏腹に飲食店が少なく、今日も店探しに苦労をした。
コンビニでは味気ないので、今回の旅では飲食店にこだわっているが、小田原駅に近づいたところでようやく発見。
『小田原タンメン』という野菜たっぷりの麺を食すことができた。

今が盛りの紫陽花や菖蒲が咲き乱れる小田原城に立ち寄った後、箱根湯本まで足を伸ばすことにした。
小田原から箱根峠を越えて三島までは“箱根八里”と呼ばれるだけあって、その距離は32㎞。

山越えの登りを考えると少しでも距離を減らしたい…と考えて、湯本までの4㎞を歩く。
まとわりつく霧のように降る雨の中を黙々と歩き、14時45分、箱根湯本駅到着。

ほんとうなら、温泉宿で一泊したいところだが、路銀も少ない旅人である。
小田原に戻って安宿の一夜を過ごすことになった。

◼️2022年6月15日 神奈川県大磯町~小田原市~箱根町
◼️33774歩 21.95㎞
◼️小雨
◼️ビジネスホテル伊勢 

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※吉田茂邸の日本庭園

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※大磯の一里塚跡

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※酒匂川を渡ると小田原宿に入る

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※小田原タンメン。野菜たっぷりで美味かった

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※小田原宿の一里塚

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※『小田原うさぎ』のどら焼を食した

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※小田原城の紫陽花と菖蒲

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※小田原城。初めて訪ねました

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※箱根湯本にゴール

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東海道徒歩の旅3 戸塚~大磯

昨日ゴールした戸塚駅からスタート。

通学時間帯に重なったのか、子供たちの群れに逆行しながら進む。
富塚八幡宮で旅の安全を祈って、緩い登り坂になった国道を歩いた。

原宿の一里塚を見て、だらだらと続く坂道を歩くが、改めて横浜が坂の街だと認識した。

雨は予報通りにきっちりと落ちてきたが、梅雨時特有のうっとうしい雨。
傘を差したり閉じたりしていたが、いつの間にか雨具と傘のフル装備になってしまった。

藤沢市に入ると、にわかに東海道を歩いているという実感がでてきた。
街をあげての宣伝もあって、交流館という東海道の案内所や案内板も、随所にあった。
史跡の多さやあるなしにもよるが、行政によっての温度差を感じた。

藤沢から茅ヶ崎間は松並木が続き、景観も素晴らしいが、それ以上に東海道を歩いていることを感じる。
中山道ではあまり見かけなかった松並木だが、道幅も広い東海道には似合っているように思う。

茅ヶ崎駅の近くで昼食。昨日に続いてサンマーメンにチャレンジしたかったが、見つけることができず、年甲斐もなく唐揚定食でガッツリいった。

雨に打たれながら相模川をわたり、平塚に入る。アーケードがある商店街を抜けると、本陣跡や高札場跡が出てきたが、いずれも案内板のみだった。
化粧坂というしゃれた名の松並木がある坂を登り、いっそう強くなった雨の中、大磯駅に到着。
本日のゴールとした。

大磯駅周辺には宿がないので、一駅戻った平塚駅前でホテルを確保。
一日中、雨にやられた2日目が終った。

◼️2022年6月14日 神奈川県横浜市~平塚市~大磯町
◼️38016歩  24.72㎞ 
◼️雨
◼️グランドホテル神奈中 平塚

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※戸塚から藤沢までは坂が連続した

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※日本橋を発って、46㎞を歩いてきた

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※諏訪神社

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※源義経首洗いの井戸

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※東海道らしい松並木が続いた

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※茅ヶ崎駅前でランチ。唐揚定食でがっつりいった

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※平塚宿。一里塚の碑

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※平塚宿の脇本陣跡

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※雨の日にはアジサイが良く似合う?

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※化粧坂を歩く

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東海道徒歩の旅2 鶴見~戸塚

本日から東海道を歩き始めました。
今月末に迫った、北海道の徒歩旅のトレーニングを兼ねてです。

今回は5月に日本橋からスタートし、わずか一日でリタイアしてしまった鶴見から歩きます。

早朝自宅を出発し、新幹線とJRを乗り継ぎ、10時前に鶴見に到着。
天気は晴れ。
暑くなりそうだ。

一方通行の魚河岸通りを生麦駅に向かって歩くが、早くも汗だく。
予報では27度だが、体感温度はそれ以上だ。
キリンビールの工場のすぐ脇にある生麦事件の碑を見て、横浜駅に向かう。

神奈川宿の高札場を見逃すというヘマをやってしまったが、天王町駅あたりから展開する保土ヶ谷宿まではほぼ忠実に東海道を歩く。
しかし、午後を回ったのに飲食店が見つからない。
今日は横浜名物のサンマーメン一択狙いなのだ。
蕎麦屋やとんかつ屋は見つかるも、サンマーメンの店が見当たらない。
中華屋を見つけてもメニューにないではないか。
果たして、サンマーメンは横浜の名物なのか?
半ば諦めかけた頃、天王町駅近くの中華屋で発見。
人生初めてのサンマーメンを味わった。
野菜がたっぷりで美味かった。

保土ヶ谷宿は国道1号線に沿って、本陣跡や一里塚跡があったが、バラバラと出てくるので、昔の宿場跡の面影はなかった。

権太坂を皮切りに、上ったり下りたりの坂道が続く東海道を歩くが、暑さもあってけっこうきつい。
その上、右脚のふくらはぎが痛みだした。
2年前の歩き旅で痛みでリタイアしたのを思いだし、不安がよぎった。
応急処置として、ロキソニンテープを貼って脚を揉んだ。

少しは効果があったのか、本日のゴール予定の戸塚駅まで踏ん張ることができた。

さて、明日はここからスタートとし、平塚を目指す。
下り坂という天気がもってくれればうれしい。

◼️6月13日 神奈川県横浜市鶴見~戸塚
◼️31960歩  20.77㎞
◼️晴れ
◼️ホテルグランドサン横浜

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※この碑から100メートルほどの地点で事件が起きた

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※小さな運河を渡った

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※神奈川宿の老舗料亭

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※保土ヶ谷駅近くの商店街。賑わっていた

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※ラーメンや餃子の自販機があった

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※初めて食したサンマーメン

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※本陣跡

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※品濃一里塚跡

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※旧東海道の案内板

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東海道徒歩の旅1 日本橋~鶴見

都内で4日間ホーロー看板探しを楽しんだ後、5月14日に日本橋を出発し、東海道を西に向かうことにした。

今回は5月17日に持病の定期検診が控えているため、わずか2日の短い日程だが、行けるところまで歩くことにする。
6月末の北海道徒歩の旅に向けたトレーニングの意味合いも含んだ旅である。

前夜から降り続く強い雨が収まるのを待って、日本橋馬喰町のホテルを出発。
1.5㎞歩いて昨年10月に中山道の旅でゴールした日本橋に立つ。

前回の旅では麒麟像には触れたが、最後の最後に五街道の起点となる『日本国道路元標』のプレートを踏み忘れるというへまをやったので、今回は橋の真下、道路の真ん中に埋め込まれている元標を、クルマがいないのを見計らって踏んだ。

降りしきる雨の中、8時25分に日本橋をスタート。
京橋から銀座通りはビル風にあおられた雨が全身をずぶ濡れにした。
江戸歌舞伎発祥の地や銀座の柳の碑など、これまで何度も銀座を歩いているにも関わらず、関心がなかったのか気づかなかった名勝を見ながら歩く。

それにしても雨が強い。
ゴアテックスの雨具を着ていても、まるで梅雨時のようにムレるし、ちんけな折りたたみ傘も風にへし曲げられて役に立たない。

泉岳寺を過ぎ品川駅が見えてきた頃、ようやく雨が上がり、JR東海道線と京浜東北線を跨ぎ坂道を下り、品川宿に入った。

品川宿は大井町まで続くので規模もそれなりに大きいが、商店街が続くばかりで古い建物もなく見どころは少ない。
本陣跡や大仏がある寺の境内を覗き見しながらぶらぶらと歩いた。

線香の煙がたなびく鈴ヶ森の刑場跡を過ぎると国道15号に合流し、そこから先は多摩川を渡るまではひたすら国道歩きとなった。

途中の中華料理店で昼食。
野菜炒め定食を食べるがこれがめっぽう美味かった。
味は店の外見じゃないとつくづく実感。

多摩川を渡り神奈川県に入ると、日差しも強くなってきた。
川崎宿でホーロー看板を撮影するために往復3㎞を道草し東海道に戻り、芭蕉の句碑や市場の一里塚を通過。

コンビニに立ち寄りコーヒーを飲みながら、さて本日の宿をどうしようかとスマホで検索するが、なんと目的地の横浜はおろか鶴見、川崎も含めて宿がまったくヒットしない。
あっても一泊2万円超え。
調べてみると、この日は横浜スタジアムでベイスターズの試合があり、どこのホテルも満室のようだった。
まったくそれに気づかず、宿は当日予約でなんとかなると思っていたのが浅はかだった。

今更東京に戻って泊まるのも癪に障るので、今回は14時に鶴見で中断し、帰宅することにした。
意気揚々と歩き始めた東海道だが、わずか一日25㎞の旅で終わってしまった。
野宿する根性もないし、まぁ、こうしたアクシデントも仕方がない。

JR鶴見駅から東神奈川で乗り換え、新横浜までは横浜スタジアムへ行く乗客で身動きが取れないほどごった返した車両に辟易した。
崎陽軒のシウマイ弁当をお土産に新横浜から新幹線で帰宅。

東京で80㎞、東海道で25㎞歩いた5日間の旅だったが、小さなマメができたくらいで体調は良好、まずまずのトレーニングになったと思う。

次回は、鶴見からのリベンジをできるだけ早い段階で実行に移したくなった。

◼️2022年5月14日 東京都中央区日本橋~神奈川県横浜市鶴見
◼️38871歩 25.26㎞
◼️雨のち曇り

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※『日本国道路元標』のプレートを踏む

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※降りしきる雨の中、日本橋をスタート

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※同上

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※銀座一丁目入口にある江戸歌舞伎発祥の地

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※銀座三越のライオン像もコロナには勝てない

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※銀座の中心部も雨なので人出も少ないようだ

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※品川宿に入った

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※品川宿本陣

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※品川宿海晏寺の大仏

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※野菜炒め定食を食す 700円

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※多摩川を渡った

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※12時30分、県境を越え神奈川県に入った。

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※川崎宿の外れにある芭蕉の句碑

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※市場の一里塚跡

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※鶴見川を渡り、JR鶴見駅で旅の中断となった

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