一昨日、四国遍路から帰宅し、文字通りぐた~となっています。 老体にムチ打って歩いた区切り打ち3回目のお遍路、無事に結願を果たすことができました。 というわけで、5月は17日からのお遍路の旅出発もあって、読書はそれまでに読んだ5冊にとどまりました。 今月はしばらくのんびりと本を読んでみたいと思っていますので、本棚にある積読崩しをしていきたいですね。 5月の読書メーター読んだ本の数:5 読んだページ数:1735 ナイス数:286 男は遍路に立ち向かえ―歩き遍路四十二日間の挑戦の 感想わたくし事だが、今週から四国歩き遍路に出発する。今年3月から始めた区切り打ちの3回目で、今回は愛媛県の44番大宝寺からのスタートとなる。 2週間後の結願を目指す予定だが、この本を読んで最後まで読まなきゃよかったと後悔している。 前回中断した43番までのくだりで止めて、帰還してから最後までを読むべきだったと。 それほど、88番大窪寺で結願を果たす著者の描写が感動的なのだ。 果たして自分も、同じような感動を味わうことができるのだろうか。その瞬間はいかがなものか。 元新聞記者だけあって文章も簡潔で読みやすい。息子ほど年が離れた若者たちや、「お接待」の文化を絶やさない一期一会の四国の人々との交流は、遍路ならではの素晴らしさである。 本作は数ある歩き遍路のルポとしても秀逸なでき栄えだと思う。 帰還したら自分が体験したことを反芻しながら、たくさんのお遍路本を手に取ってみたくなった。 読了日:05月15日 著者: 森 哲志 ザ・ナイン ナチスと闘った9人の女たちの 感想戦争犯罪を隠ぺいするナチスが取ったやぶれかぶれの策ともいえる死の行進と、そこからの逃亡劇を詳細に記録しているドキュメンタリー。 驚きなのは主人公の9人が、ナチスに対抗したヨーロッパ各国のレジスタンスの女性だということ。 ホロコーストについては、被収容者のユダヤ人側、加害者のナチス側からの手記や証言は数多あるが、この設定は貴重ではないだろうか。 解放後のパリでドイツ兵に加担したとして丸刈りにされた女性たちや、その子供たちの「ボッシュの子」についても触れており、これまで読んできた関係書が一本の線に繋がったと思う。 読了日:05月12日 著者: グウェン・ストラウス 日本の同時代小説 (岩波新書)の 感想1960~2010年代までのそれぞれの時代背景をもとに、大海原に大量に散っている文学作品群を、系統分類化し整理した深い洞察力に驚く。 圧倒的な分量を読み込んだとも思えるが、一方で私小説を周回遅れのタワケ自慢、貧乏自慢と執拗にこき下ろすことに、ある種の悪意も感じた。 タワケとは、今は死語となった名古屋弁。この方言を使うことが、すでに周回遅れ、時代遅れである。 ともあれ、誰もが分かっていないノンフィクションと小説の違いや純文学とエンタメの違い、その中間の位置づけを、私見なれど分かりやすく解説した努力も買いたい。 索引に作家名のみ羅列されているが、できれば取り上げた作品名があれば、ブックガイドとしてもより利用価値が上がると思う。 ただし、本書に登場した作品の感想はあくまで著者の主観。それを頭から信じるのも読者次第か。 読了日:05月06日 著者: 斎藤 美奈子 限界ニュータウン 荒廃する超郊外の分譲地の 感想ややもすると、今自分が住んでいる郊外の分譲団地が将来限界ニュータウン化するのではないかという、一抹の不安をもって読んだ。 本書では千葉県東北部を中心に、地価狂乱のバブル期に投資目的により乱開発された限界分譲地の現状とこれからの展望についてルポしている。 おそらく全国にはこうした事例は溢れかえっており、少なからずベッドタウンといわれる郊外の大規模団地にもその片鱗がある。 住民の高齢化と児童数の減少はもとより、空き家の増加、交通インフラの低下はどこでも抱えている問題だ。 全国的な視点で捉えてもらうと更に良かった。 読了日:05月04日 著者: 吉川 祐介 雨滴は続くの 感想遺作となった長編を慈しむように読んだ。 デビュー以来ずっと読み続けてきたファンとして、〈未完〉の二文字が哀しい。 作品をもう読むことができない寂しさは、私にとって、池波正太郎の『鬼平犯科帳24誘拐』の〈著者死去により絶筆〉以来。 自身を投影した北町貫多の性格破綻ぶりは、齢40にしても炸裂。師と仰ぐ藤澤清造への一途な思いとのギャップは首尾一貫しブレていない。 これまでの既作の中に藤澤清造を織り込んできた意味が本作で痛いほど伝わったと思う。 芥川賞が見えてきた物語の続きが読みたかったが、それも叶わぬ。罪な作家である。 読了日:05月04日 著者: 西村 賢太読書メーターメインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
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退職した会社のOB会支部の打ち合わせに行ってきました。 参加者は、私を含め幹事に選ばれた4名と前期の事務局担当1名。 ちなみに、任期は3年です。 久しぶりに会社の会議室に入り、2時間ほどの打ち合わせをしました。 その後、場所を移して居酒屋で懇親会を。 いろんな話題が出ましたが、名簿を整理するにあたり、もっぱら気になるのは会員の動向。 露骨ですが、「あの人、生きてるの?」「亡くなったんでは?」 少ない情報を持ち寄って、そんな話になりました。 そこで出たのが、つい先日亡くなった私と同じ年の元同僚。 64才という若さ。 まだやりたいことはたくさんあったのに、本人が一番悔しかったと思います。 それを思うと残念でなりません。 酒を飲みながら一致した意見は、「生きているうちにやりたいことをやる」 この一言に、つくづく同感しました。 4年前に膵臓の病に倒れたとき、病床でずっと考えて、自分なりのBucket List=棺桶リストを作りました。 簡単に言えば、「死ぬまでにやりたいこと」のリストです。 リストの一番は、何と言っても「健康を取り戻すこと」が先決でしたが、ほとんどその一つに支配されて、次が思い浮かばず、かろうじて、ずっと以前から退職後の目標としてきた「徒歩で日本縦断すること」がありました。 当時を振り返ると、苦しい入院、闘病生活から日本縦断などという体力勝負のチャレンジができるとは思っていませんでしたが、その半年後にはチャレンジできるほどの体力と気力が沸騰したことが、自分にとっても驚きでした。 その後、時間の経過とともに、私のBucket Listも少しづつ増やしてきました。 日本縦断、中山道、東海道、そして今チャレンジ中の四国遍路。 植物画の手習い。 長男の家づくりの手伝い、 コロナ禍に阻まれて延期となったままの、イタリアやスペイン旅行などなど。 達成したのもあれば、現在進行形もあります。 私にとってBucket Listは、悔いのない人生を送ることの目標でもあり、終活に向けた指針です。 4年前には2つしかなかったリストが、今は27に増えました。 これを時々見直し、更新していくことが、これからの終活の糧にしたいと思います。  ※本文とは関係ありません メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
能登半島の地震で被災された方にお見舞い申し上げます。 私が住む岐阜県でも震度1 久しぶりに揺れを感じる地震でした。 能登半島へは、酒蔵めぐりとホーロー看板の撮影で近いうちに訪ねる計画をしていただけに、しばらくは見送るしかありません。 早く平穏な日々が戻ることを願いたいと思います。 さて、好天に恵まれたこの連休ですが、ひとり暮らす義母の顔を見に、飛騨高山に行ってきました。 残雪の乗鞍岳が目にまぶしく、いつのまにか水ぬるむ季節。 遅い田植えが、始まります。  メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
四国遍路から帰ってあっという間に3日が過ぎました。 その間に、体調が急に悪くなった老父を病院に連れて行ったり、 自分自身の定期診察(内科クリニック、歯科)と、あわただしく動いていました。 2週間、あれだけ歩いたのに、血糖値とHa1cの数値は変わらず。 これはちょっと残念でした。 うどんやラーメン、パン、おにぎりといった炭水化物中心の食事を続けていたからでしょうか。 毎日がコンビニ中心の味気ない食事になっていたので、食生活は次の旅の反省材料です。 さて、区切り打ちで歩いているお遍路ですが、結願に向けて少しづつ準備をしています。 衣類や小物類を補充し、ザックや雨具の手入れをしたり、ルートを検討したり。 そして、過去2回、あれだけ苦労した宿の手配を。 これまでは宿が確保できずに中途半端に野宿をするパターンになっていましたが、次回は野宿は止めて宿に泊まるべく、すべての予約を完了しました。 特に、周辺に宿がほとんどなく、絶えず満室状態で争奪戦になっている、66番雲辺寺と88番大窪寺の宿を確保できたのは良かったです。 さて、最終コーナーに入った内子からのお遍路の続きは、5月中旬を予定しています。 その間に、会社のOB会の幹事打ち合わせや、墓参り、カミさんの実家へ帰省、病院の術後定期検査など用事を済ませておきます。 そして、5月末には88番で結願し、1番霊山寺へのお礼参り、最後の札所である高野山奥の院で満願を迎えたいと思います。 体調を整えて、最後のチャレンジ頑張ります。  ※本文とは関係ありません メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
お遍路から帰って10日が経ちましたが、その間に予期せぬ病で臥せっていました。 足のマメから細菌が入り、足が大きく腫れ、熱が出た症状です。 お遍路の後遺症ですね。これは…と勝手に解釈しています。 でもって、主治医から本日の診察でようやく完治のお墨付きをもらいましたので、ここにご報告したいと思います。 事の発端は、帰宅してから5日目の朝。 カミさん孝行をしようと思い、北陸方面への一泊温泉旅行に出発する日でした。 朝起きると、何だか体に力が入らず、全身の節々が痛い。 おかしいなぁ…と思いながら、出発。 福井までの3時間を運転し、レストランで昼食。 ところが、その待ち時間で体調が一変しました。 悪寒が走り、目がチカチカし、全身の関節がバラバラになるような痛み。 もう、これは只事ではありません。 かつて罹った、インフルエンザの症状に似ています。 それでも昼食後にはフラフラの体で丸岡城に立ち寄り、急な階段を登って天守閣へ。 チケット売場に設置された体温計は38.2度を計測し、ブザーが鳴りましたが、おそらく計測ミスだと思ってそのまま入場しました。 お城を出て、さて、これから石川県の山間にある温泉に向かおうと思い、運転席に着こうとするも、もうフラフラで前が良く見えません。 カミさんに運転を代わってもらって倒れるように助手席に乗り込みました。 この状態では、宿に行くことはとても無理かもしれません。 とりあえずは温泉街まで行き、クリニックで診てもらってから旅館にチェックインするつもりで電話を入れました。 コロナとインフルを疑いましたが、お遍路から帰宅して人とはほとんど接していないので、もし陽性だったらまったく身に覚えがありません。 クリニックでは、熱が出てからある程度時間が経過していないとPCRやインフルの検査をしても反応しないと言われ、そればかりか、そんな体調ではせっかくの温泉もお料理も楽しめませんので、帰ったほうが良いのでは…というアドバイス。 結局、宿まであと10㎞という目前で、キャンセルの連絡を入れ、帰宅することになりました。 3時間後、カミさんの運転で自宅に戻り、そのままベットに倒れ込みました。 右足の甲は真っ赤に腫れ、悪寒と熱でフラフラでした。 翌日、かかりつけのクリニックの発熱外来へ。 コロナとインフルの同時検査をクルマの運転席で受けました。 結果はどちらも陰性だったので、車中から診察室へ。 主治医の診たてでは、血液検査の結果をみると炎症反応と白血球数が非常に高いことから、おそらく足のキズから細菌が入ったのが原因だろうということでした。 その日は抗生物質の点滴をし、帰宅しました。 それから5日目。 熱も無くなり、足の腫れも引き、血液の数値も正常値になったことで、晴れて完治となった次第です。 思い起こすと、今回の病には伏線があったようです。 お遍路をスタートして9日目に、民宿ですごい寝汗をかきました。 その前々日に道の駅で眠れないまま野宿してから体調が今一つだったので、体温調節がうまくいっていないと自己診断していました。 また、その頃から小さなマメがいくつかできてきたので、消毒をして安全ピンで水を抜いていました。 夜になると右足の甲が浮腫んだりしていましたが、朝には浮腫みは消えていたのでいつものことだと思って、それほど気にしていませんでした。 しかし、お遍路11日目以降は、宿に泊まるたびに寝汗をかき、衣類も布団もびしょ濡れ状態に。 それでも、日中の行動中は体調も良く、元気で歩けてました。 そんな状態で2週間のお遍路を終え、帰宅しました。 そして、いつものように日課のウォーキングを再開したりしていました。 しかし、寝汗は改善せず、夜中に何度も下着やパジャマを替える始末。 そして迎えた帰宅から10日目の朝に起こったことが、前述の内容です。 おそらく、お遍路中に入り込んだ細菌がずっとくすぶっていたんでしょうね。 体力の低下とともに、それが暴れ出した。 そんなところだと思います。 温泉旅行を楽しみにしていたカミさんには、謝るしかありません。 それにしても、足のマメ。 たかがマメとあなどるなかれ。 今回は、痛い教訓となりました。  ※丸岡城(福井県坂井市) メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
2週間の四国遍路の旅を終え、高知から帰って4日が経ちました。 マメの痛みも取れ、足のむくみも元に戻りました。 昨日は、旅の途中で欠けてしまった歯の治療も。 いつのまにか、巷は百花繚乱。 年々早くなる桜の開花と花盛り。 寒い、寒いと震えていた季節も終わりですね。 さて、次は何をしようか。 遍路の旅の続きも視野に入れながら、次のチャレンジを考えます。  メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
88才になった父の米寿祝をしました。 ほんとうは数え年の87才でするようですが、ずるずると過ぎてしまいようやくできることになりました。 コロナ禍のご時世なので、孫世代は見送り、参加者は私たち夫婦と、妹(長女)、妹(次女)夫婦の計6名。 当初は料理屋でやろうかという案もありましたが、どうやら米寿祝に関してはあまり大っぴらにやらないほうが良いということもあるようで、妹(次女)夫婦の自宅でこじんまりと行うことにしました。 このところ少し忘れっぽくなった老父に、ジグソーパズルと脳トレクイズの本をプレゼント。 パズルは500ピースなので、ちょっと難易度が高そうですが。 父は12人兄妹の上から5番目。 なんと、上3名がまだ健在です。 それも、長兄は98才。 長寿の家系なんですね。 一昨年、心臓のカテーテル手術をした父は、経過観察で医師から「あと5年は大丈夫」と太鼓判を押されており、どうやらこのまま、ワガママと憎まれ口を周囲に振りまきながら生きていくと思います。 「命は生きるために生まれてくる」 先日亡くなった漫画家の松本零士さんの言葉。 かたや、私の敬愛する池波正太郎の言葉は、 「人は死ぬために生まれてくる」 この二つの言葉は、裏返しのようにもみえますが、どちらも同じ意味ではないかと思います。 生きているうちに、何をなすべきか。 何ができるか。 満足した一生を送ることができたのか。 決して、好々爺じゃない父ですが、もっともっと長生きをしてもらいたいと思います。     メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
このところ、NHKBS番組で、毎日観ているのが「トランスジャパンアルプスレース(TJAR)」。 日本海(富山)から太平洋(静岡)へ日本を縦断する山岳レースです。 概要としては、 距離:415km 獲得標高:27000m 制限時間:8日 参加条件①過去70Km以上のトレイルランニングレースを完走 参加条件②過去標高2,000m以上の場所において10泊以上のキャンプ経験がある事 …ということで、 日本中から集まった猛者たちがアルプスを駆け抜ける熾烈な闘い。 しかも賞金はゼロ。 観ているだけで身震いするほどの感動を味わっています。 2022年の参加者には63才の方もいて、私と同年代なので応援していましたが、薬師岳であえなくリタイヤとなってしまいました。 1位は、なんと4日間と12時間という驚異的な記録で優勝しています。 もちろん私がこんな過酷なレースに参加することはできませんが、以前から単独で日本海から太平洋の縦断をやってみたいという憧れをもっていました。 平地ではなく、どうせならアルプスの縦走で、峰から峰へ。 考えただけでも身震いするほどの魅力です。 踏破する山とルートについては、過去にすべて登った経験があるので問題はないと思いますが、あとは体力でしょうか。 レースでは8日間という制限がありますが、一人のんびりと旅するスタイルなら3週間くらいかけての旅になるかと思います。 大風呂敷を広げてしまいましたが、無謀なチャレンジにならぬよう、いつの日にか実現することを夢見て計画を温めていきたいと思います。  メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
明けましておめでとうごさいます 17年目を迎えた当ブログを本年もどうぞよろしくお願いします。 さて、この年末年始ですが、大晦日は新築の長男宅で、長男嫁の家族と鍋をつつきながら過ごしました。 そして今日は、長男宅のお披露目。 老いた父や私の妹夫婦、甥っ子夫婦も集まり、にぎやかにお披露目会をすることがてきました。 外構工事が年内に完成できず、年越しとなってしまいましたが、天気にも恵まれた良いイベントになりました。 老いた父も喜んでいました。 物価高、増税、勢いを増したコロナ禍、戦争による不穏な社会情勢など、今年は昨年よりもさらに大変な年になりそうですが、したたかに生きることができれば申し分ありません。 皆さまにとっても、良き一年になることをお祈りします。  メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
今年もあと数時間で終わりですね。 今日が大晦日だなんて信じられません。 本当に早いです。 当ブログにお越しいただいた皆様には、今年一年お世話になりました。 来年も良い年になることをお祈りします。 さて、来年は65才。 前期高齢者となり、名実ともに年金生活者の仲間入りです。 …と言いながらも、まだまだ若いつもりですが。 体力と気力が続くかぎり、また大きなチャレンジをしてみたいですね。 …と、前座はこれくらいにして(笑)、 いろんなことがあった一年でしたが、今年も恒例の【初めて経験したこと】を並べてみましょうか(笑)。 ・ 初孫が誕生☆☆☆ 5月に孫が生まれ、おじいちゃんになりました。 まさか、自分がジジイになるとは思わなかったですね。 逆にカミさんは、ようやくおばあちゃんになったと喜んでいましたがね。 ・ 日本列島徒歩縦断達成☆☆☆ 7月に北海道の苫小牧から宗谷岬までの400㎞を12日間で歩き、2年越しの宿題を片付けました。 振り返ってみると、自分がこんなチャレンジをほんとうにやったのかという気分。 まさに“為せば成る”“やればできる”ですね。 ・ 旧東海道を徒歩で完歩☆☆ 東京日本橋から滋賀県草津までの480㎞を18日間で達成。 草津から京都三条大橋までは2020年に歩いているので、草津をゴールとしましたが、マイペースでのんびりと歩くことができました。 昨年の中山道に続いて五街道の大物をやっつけました。来年は残りの甲州街道、日光街道、奥州街道、そして四国遍路。さらにその先はスペインのカミーノ・デ・サンティアゴにチャレンジしたいと思います。 ・ 初めて行った観光地…群馬県草津温泉、富岡製糸場、大谷石資料館、京都伏見稲荷、福井県東尋坊、恐竜博物館、永平寺 ・ 長男の家づくりに参戦☆ 土地探しから間取り作り、外構までをコーディネート。 コーディネートというとカッコいいですが、まぁ、家づくりの先輩としてお節介ながら首を突っ込んだだけです。 土地の契約トラブルや外構ドタキャンなど紆余曲折はありましたが、年も押し迫ったギリギリのタイミングでほぼ完成です。 暇に任せて、まるっと一年楽しむことができました。 ・ 初めて救急搬送された☆☆ 7月の日本縦断徒歩の旅で、宗谷岬を目前にして、血尿による体調不良で救急車で搬送されました。 過去に会社の同僚が倒れたときに、付き添いとして同乗したことはありますが、自分が搬送されたのは生まれて初めてです。 ・ 初めて食べたもの…北海道のサロベツ原野で食べたホタテ丼、深谷の煮ぼうとう、福井小浜のホウボウの刺身 ・ 植物画講座終了☆ 昨年6月から始めた植物画(ボタニカルアート)の通信講座を4月に終了。6つの課題を全優で終えることができました。 さあ、これから描きまくるぞ!と思っただけで、それ以後まったく手を付けていません。 来年はちょっと描いてみようかな、と思っていますが…。 こうして並べてみると、今年は64才の人生の中で、最もいろんなことがあった年になったと思います。 サラリーマンをリタイヤして2年が経過し、のんびりと過ごす日々を送る中でも、初めて経験したことがたくさんありました。 膵神経内分泌腫瘍の経過観察は再発、転移もなく術後3年を経過し、後遺症としての膵性糖尿病にはなりましたが、今のところ投薬なしで踏ん張っています。 暴飲暴食と甘いものは控えて、このままストイックに頑張りたいですね。 さて、来年はどんな年になるやら。 いくつになっても"初めての経験"を求めて、チャレンジを続けたいと思います。  ※雪の乗鞍岳 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
天気予報は当たりますね。 明け方から降りだした雪が見る見るうちに積もりだし、10センチほどの大雪に。 この数年は積雪することは滅多になかったのですが、これは久しぶりの雪です。 自宅前の道は真っ白で、まるで雪国にいるようでした。 玄関前やカーポートの雪下ろしをしましたが、そのあとは腰が痛くて…。 いけませんね、慣れないことをするのは。 すっかり雪が解けて、道路に雪も無くなった午後。 長男夫婦が孫を連れて来宅。 すき焼きをつつきながら、今年を振り返る。 年の初めからスタートした長男の家づくりも、一年かがり。 訊けば、この雪のせいで外構工事は休みとのこと。 このままだと年内いっぱいかかってしまうようだ。 焦っても仕方ないですね。 天気には勝てません。 何より、今日は孫のかわいい姿を見ることができて、楽しいクリスマスとなりました。    メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
長男の新居でたこ焼きパーティをしました。 引っ越して1ヶ月。 片付けもほぼ終わって落ち着いてきたようです。 首の坐りが遅くて心配もしましたが、6ヶ月となった孫は寝返りも打てるようになりすくすくと育っています。 同じ町内に住んでいるとはいえ、お互いの干渉はなるべくしないように距離感を保つようにしていますが、 やはり孫はかわいい。 なんやかんやと理由をつけて、孫の顔を見に行ったりしています。 さて、長男の家。 業者のドタキャン債務不履行に遭い、外構はそのままになっていましたが、次の業者と契約し、ようやく今週から年内の完成に向けて着工できることになりました。 追って、レポしていこうと思います。   メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
義父の三回忌に行ってきました。 間近に見える乗鞍岳は雪化粧。 これから長い冬が始まります。 認知症が進行しているひとり暮らしの義母をどうするか…兄妹で相談するも、答えは出ず。 なによりも、住んでいる土地を離れたくないと、義母は都会で暮らすことをかたくなに拒んでいる。 その気持ち、分かる気がします。  メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
紅葉が終われば、次は四季桜。 晩秋を飾る恒例のお花見イベントです。 今年も愛知県豊田市小原にある『四季桜の里』の里に行ってきました。 平日なのに、けっこうな観光客の姿が。 大型バスのツアーもひっきりなしにやってきます。 紅葉の名所の香嵐渓から近いので、コースに組み込まれているのでしょうか。 年を追うごとに観光客も増え、人気スポットになっているみたいです。 同じ時期に訪ねた昨年は五分咲でしたが、今年はほぼ満開。 その代わりに、紅葉は終わりかけでした。 イチョウもすっかり葉を落としていました。 昨年は入山禁止になっていた遊歩道も整備されており、晩秋に咲く可憐な花を愛でながら、のんびりとハイキングを楽しんで山を下りました。          ※『四季桜の里』愛知県豊田市小原町川見 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
自宅近くのとっておきの場所へ、紅葉を見に行ってきました。 毎年訪ねていますが、今年も期待通りの美しさ。 花や森を見て感動できる季節がある大地。 大げさですが、日本に生まれて良かったと思います。        ※岐阜県土岐市曽木公園 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
一人で暮らす義母の様子を見に、飛騨高山に行ってきました。 5月に植えたゴーヤは、まだしぶとく実がなっていました。 この夏の不安定な天候で、不作だったトマトも収穫。 最後の栗を拾い、ナツメの実をかじり、帰路に立ち寄った道の駅で天然のナメコを買って… すぐそこまで来ている冬の扉を感じながら過ごしてきました。 雑木林を歩くいつもの散歩コースでは、なんと、スジクワガタを発見。 10月も下旬になって、いやはや、しぶとい。 こいつは、おそらく越冬するんでしょうかね。 来年、また会えることとを楽しみにして、そっと帰しておきました。     メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
岐阜県土岐市に10月7日にグランドオープンした『イオンモール土岐』に行ってきました。 オープン当日は激混み、渋滞必至なので、地元民を対象にした前日のプレオープンに足を運びました。 16時過ぎに入店しましたが、平日木曜日というのに駐車場は8割方埋まり、店内の混雑率は50%ということでした。 少なめに見積もっても、人が多いなぁ…という感じでしたが、これで混雑率100%になったらとんでもないくらいの人なんでしょうね。 さて、モールですが、核店舗のイオンスタイルを始め140店舗が並ぶというスケールですが、その中身は正直言ってなんとも中途半端な陣容。 買い物好きのカミさん曰く、 無印良品、カルディ、ユニクロ(代わりにGU)、トイザらスが無い!! フードコート好きな食にこだわる私は、丸亀製麺、リンガーハット、若鯱屋が無い!! イオンスタイルは食品と日用品売場のみで、衣料品や雑貨売場が無い!! 靴下や下着、鍋やスリッパ、スーツやネクタイ(私には必要ないけど・笑)、旅行用品はどこで買うの? そして、それ以上にがっかりなのは、 映画館が無い!!これはいただけない。 私が住む隣のT市から映画館が消えて25年が経ち、数年前にイオンモールの計画が立ち上がってから、映画館=イオンシネマができることを指折り数えて待ってました。 毎月のように映画館に足を運ぶ私たち夫婦は、40分かけて隣県のイオンモールに行っています。 これが自宅からわずか10分程の地にイオンモールができると聞いたら、期待しないではいられません。 いつも思い描いていたのは、モールのレストラン街で夕食をし、それからゆっくりとレイトショーを…老後の楽しみとしてそんな夢を持っていましたが、映画館がないなんてあまりにも残酷です。 オープンのあいさつでは、地元民の念願だった映画館の設置を諸般の事情で見送ったことをモール社長が述べていたようですが、言い訳をいくら聞いても仕方ありません。 今さら、映画館がないことを批判するSNSのコメントに反応しても遅いですけどね。 広大な敷地にはゴーカート場や温浴施設、中古車センター、住宅展示場、ガソリンスタンドなどありますが、差別化を図るならどこにでもある施設を誘致するよりも、文化・娯楽の発信基地でもある映画館をぜひ造って欲しかったところです。 人口減に悩む地域にとって、造成された分譲地に若い世代の流入を少しでも促進できるスティタスとなるなら、映画館の設置再検討を願いたいですね。 …とはいえ、自宅近くにできたイオンモールです。 プレミアムアウトレットもすぐ近くにあり、25年前に引っ越してきたときは、文字通り“陸の孤島”のような我が町でしたが、今では市内有数の大型団地になり、周辺もずいぶん賑やかになってきました。 人気のメジャー店舗や映画館がなかったり、魅力は今一つですが、地元民として足を運んでお金を落としていこうと思います。 でも、映画は、他のイオンモールに浮気しますがね(笑)。   メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
暑かった9月も今日で終わり。 学芸会的ドタバタ炎上番組の朝ドラ『ちむどんどん』がようやく終わったと思ったら、夕方には期末を象徴するような三遊亭円楽死去のニュース。 長年の『笑点』ファンでしたが、ここ数ヶ月は円楽が抜けてから観なくなってしまい、復帰を待ち焦がれていました。 その矢先の死去。 さぞ本人も悔しかったことでしょう。 72才、早いですね。 頭の回転も速く、毒舌も面白い好きな落語家だっただけに、残念です。 笑点メンバーも敬老会の様相になってきたので、この機会に総入れ替えもありかもしれませんね。 さて、先日、地元FM局でラジオの録音をしてきました。 日本列島徒歩縦断の記事が新聞に載ったつながりで連絡があり、一昨年にもお世話になった30分の番組に出ることになりました。 パーソナリティーのお姉さんの軽快なトークに合わせて話しましたが、思ったことの半分も言えずに終わってしまいました。 なかなか難しいですね。 まぁ、録音なので適当に編集してくれるでしょう。 放送は来週の予定です。  メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
生後100日が経った孫の、お食い初めに立ち会いました。 場所は、『木曽路』さん。 今は便利ですね。 一切合切、お店で仕切ってもらえます。 体一つで行けばいいですからね。 もう30年以上前ですが、私の子供たちは、両親を呼んで自宅でやりましたから。 【お食い初めの儀式】に則って、係の女性店員さんが掛け声とともに進行します。 「大きくな~れ、大きくな~れ!」 私たちも、こんな感じでそれに合わせて声を出すだけです。 孫は、何だか分からない表情できょとんとしていましたが、 これで丈夫に育ってくれれば、いうことありませんね。     メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
台風が近づいている昨日、カミさんの実家がある飛騨高山に行ってきました。 目的は稲刈りのお手伝いですが、警報が出るほどの雨になったため、水を抜いた田んぼに再び水が溜まってしまい、予定していた稲刈りは見送ることになりました。 他にすることもないので、小雨のなか畑の野菜を収穫。 ゴーヤがとんでもないくらい大量にぶら下がっていました。 持って帰って食べる分だけデカいのを10本ほど採りましたが、誰も食べる人もいないので後は熟して自然に落ちるのを待つだけです。 続いて、ナス、ししとう、枝豆を収穫して、栗畑へ。 収穫にはまだ早かったですが、とりあえず転がっているイガを剥いて、栗ご飯を作る分だけ採ってきました。 5月に苗を植えてから育ててきた野菜たちですが、今年も畑仕事を楽しませてくれました。 最後の収穫となりましたが、 感謝、感謝です。    メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
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