膵神経内分泌腫瘍~糖尿病内科診察

初めて糖尿病内科を受診してから一ヶ月が経ち、本日、二度目の診察に行ってきました。

血液検査の結果は、Ha1c7.2、空腹時血糖130でした。
前回はそれぞれ7.6、153だったので、少し下がりました。

この一ヶ月で体重を2キロ減らし、歩き旅を始めとする運動をかなりやったのに、思ったほど下がっていなかったことに少なからずショックでした。
もっとも、Ha1cは2ヶ月間の平均値なので、もう少し下がっているかもな…と良いように解釈していますが。

結果は来月になりますが、今回の血液検査で1型糖尿病を診断する抗GAD抗体検査と膵グルカゴン/EIAをしました。
私の血糖値上昇の原因が神経内分泌腫瘍(グルカゴノーマ)の膵臓切除によることを含めての検査です。

診察では引き続き食生活に注意することと運動の継続を行うことを確認し、投薬なしでの観察となりました。

次回診察は8月。
術後一年の腹部CT検査と合わせて行います。


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タコ焼きパーティ

先週帰宅してからつかの間の休養をしています。

昨夜は長男夫婦が来てタコ焼きパーティをしました。
思い返してみても、ずいぶん長いことタコ焼きは食べていない。
何年振りか分からないくらいです。

長男夫婦が二人三脚で出際よく作る、出来上がったばかりのアツアツのタコ焼きを「ふぅーっ、ふー」しながら食べる楽しさもなかなかでした。

ハローワークにも行ったし、あとは病院の定期診察。
ドクターストップがなければ、旅の続きです。


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[ 2020/06/28 ] ▼日記 | TB(0) | CM(0)

日本縦断徒歩の旅【東日本編12】新潟~新崎

昨夜遅くに、新潟駅から名古屋行高速バスで自宅に帰還。

旅を中断した理由は、定期診察とハローワークの認定日出席のため。
費用のこともあるし、旅を続けたい気持ちは山々だが、こればかりは致し方ない。
来月は長期間歩けそうだが、真夏の歩きに耐えられるかどうか…。
今回の旅で、うだるような炎天下の中を歩く厳しさを、いやというほど味わった。

さて、昨日はバスの時間もあり、ほんの10キロ程度しか進まなかったが、新潟の大河・阿賀野川を越えることができた。
新潟駅からスタートし、県道3号線を東進し、長さ1キロ以上もある泰平橋を渡ってJR新崎駅にゴール。
朝から気温はぐんぐん上がり、橋を渡るころには29度になっていた。

橋には爽やかな川風が吹き、気持ちの良い歩きとなったが、そこから新崎駅までの1キロが反動からか怒涛の暑さ。
滴り落ちる汗は、駅に到着しても引くことはなかった。


コロナ自粛のなかスタートした日本縦断のチャレンジは、滋賀県彦根(鳥居本)から今回の新潟県新潟市まで約600キロを歩き、東西に線を伸ばしてきた。
県またぎの移動が解除されたとはいえ、コロナの影響は想像以上である。
長野県や新潟県の地方では民宿や旅館が長期休業し、閉店した飲食店や小売店をいくつも見た。
入浴施設の休業や、頼みの綱のキャンプ場でさえ今シーズンは休業という状況だった。

今後の旅を考えると、宿や食料が確保できなければ、荷物が増えるのは必須。
宿がなければ野宿が連続するケースも出てきそうだ。
これから迎える本格的な真夏に、大型ザックを背負っての旅が耐えられるかどうか…。

旅を続けるにあたってどうすればいいのか、じっくり考えたい。
うーん、悩ましい。

■JR新潟駅~JR新崎駅  14132歩  9.18キロ


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※新潟駅を出て県道3号線を歩く。早くもうだるような暑さになった

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※阿賀野川を渡る

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※JR白新線を走る電車が見えた

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※JR新崎駅にゴールした

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※10日間歩いた足。痛めた爪は黒くなり、テーピングをする毎日だった


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日本縦断徒歩の旅【東日本編11】巻~新潟

今日はこの旅始まって一番の辛い一日となった。

昨日できた左足のマメが辛くて、痛みに耐えながら足をひきづるようにして30キロを歩いた。
そして炎天下の歩きは、水を浴びるように飲んでも熱中症一歩手前まで追い込まれた。
マメについては旅の始めから悩まされていた右足は癒えたが、今度はなんともなかった左足の小指と足の裏に大きな水泡ができてしまった。

昨夜、安全ピンを刺して水を抜く応急処置をしたが、今日は歩き始めから痛みが走り、新潟駅にゴールしたときには踏み出すたびに頭に響くような痛みが走る状況となった。

テーピングを念入りにしたのはもちろん、靴下を二枚はいたり、インソールを替えてみたりしたが、効果はない。
私の足はマメができやすいのだろうか。
マメとの闘いが続くようなら今後の旅を仕切り直さなければいけない。

もう一つは暑さとの闘い。
真夏日になれば、アスファルトを歩く体感温度は相当なものになっている。
これまで一時間歩いて15分休むサイクルできたが、日陰がなかなか現れず厳しい状況となった。
これから梅雨が明け、本格的な夏を迎えたとき、歩くことそのものを考えなければと思う。
もっとも、道路工事で働く人や誘導員の人たちを見るにつけ、頭が下がる思いだが‥。

‥ともあれ、今日はJR巻駅から新潟駅まで距離を伸ばした。
昨日に続いて県道374号線を中心に歩いたが、国道116号線に出ると歩道がない歩行者侵入禁止の区間も現れ、その都度、田んぼの畦道に逃げ、大きく迂回もした。

また、コロナの影響か、飲食店は休業している店が多く、ようやく見つけるとラーメン屋ばかり。
この暑さでは、ラーメンを食べる気がしない。
結局はコンビニが砂漠のオアシスとなった。

16時、ヘロヘロになって新潟駅に到着。
足を引きづりながら、予約したホテルを目指す。

(なんでこんな辛い思いをして、歩くのだろう)
何度も何度も自問自答した、弱気な一日となった。

■2020年6月23日 新潟県巻駅~新潟駅 46098歩 29.96キロ
■新潟パークホテル

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※巻駅近くで見つけた粋な計らい

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※国道116号線から迂回した田んぼの道。

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※曽根の旧街道で見つけた神社

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※曽根ふれあい公園

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※越後赤塚の県道沿い。古い民家が軒を連ねる

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※押し売りのホーロー看板

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※新潟特有の雁木が残る民家

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※彫刻が施された地蔵堂

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※新潟の大水田地帯

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※国道116号線に沿って続く農道を歩く

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※千歳橋を渡る。新潟駅が近づいた。


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日本縦断徒歩の旅【東日本編10】小島谷~吉田~巻

燕三条駅から始発電車に乗り、昨日ゴールした小島谷駅へ。
薄曇りのなか出発。

桐原まではJR越後線に沿って歩き、国道8号線に出て信濃川を渡る。
良寛伝説が残る町、分水からは県道374号線を行く。
弥彦山が見えてくると、さすがに越後平野だ。
四方は果てしなく広がる水田である。
新潟を歩いているんだ、という実感がふつふつと沸き上がってきた。

直線に続く県道をそんな気分で歩いていると、1台のクルマが止まり、男性が下りてきた。
ホーロー看板のサイトで交流しているTさんだった。
新潟在住の彼は私を激励するためにわざわざ会いにきてくれたのだ。
お互い初対面の短い時間だったが、差し入れまでいただいた。

県道を忠実に歩きながら、人と出会うこともない小さな町を過ぎていく。
吉田の町に入っても商店街はシャッターが下り、人の気配がなかった。
地方はどこもそうだが、空洞化が進んでいる。
駅前はがらんとして、コンビニがあるのもまれである。
新潟も例外ではなく、新潟市に一極集中しているようだ。

岩室から巻までは旧街道だったようで、古い民家が軒を連ね、神社や馬頭観音も残っていた。
今日のゴールはJR巻駅。
新潟駅前のホテルを予約したので、新潟行きの電車に乗ることになったが、ちょうど下校時間に重なったようで、ホームは高校生でごった返しの盛況となった。
町には人の姿を見なかったのに、いるところには人はいる。

今夜は、Tさんから差し入れていただいた越後の地酒を飲んで、ぐっすり眠ることにしよう。

■2020年6月22日 新潟県小島谷~吉田~巻 47343歩 30.77キロ
■コンフォートホテル新潟


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※JR越後線に沿って歩きだす。

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※交通量が多い国道116号線。信濃川を渡る。

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※分水駅前。人の姿がなかった

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※分水は良寛伝説が残る町。

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※酒呑童子にちなんだ旧跡もあった

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※広大な越後平野。米所新潟らしい風景

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※シャッターが下りた吉田駅前商店街

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岩室駅近くの町並み

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※本日のゴール、JR巻駅

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新潟駅近くの万代バスセンターのカレーを食す。
改装中のため、移転先の臨時店舗で営業していた。再訪。癖になる味。480円。


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日本縦断徒歩の旅【東日本編9】柏崎~出雲崎~小島谷

6時前に出発し、コンビニの駐車場で朝食を食べていると、ウォーキング中の年配のおじさんから声をかけられた。
歩いて旅をしている‥と応えると、「私もいつかやってみたい」「お金かかるね」‥と話が止まらない。
面倒なので、適当に相槌を打ってその場を後にした。

国道8号線に出て、ガソリンスタンドでトイレを借りると、今度は従業員から「頑張って」とエールを送られた。
これまで一度も声をかけられなかったのに、今日は朝からフレンドリーだった。

刈羽村に入ると、遠くの鉄塔に原発の点滅が見えた。
西山駅から県道574号線に入り、JR越後線と並行して歩く。
歩道も整備されており、クルマも忘れた頃にたまに通るくらいでのんびりと歩いていける。
しかし、歩道を覆う雑草が出てくる場面もあったりであなどれない。

今日は24キロ歩いて出雲崎までの予定だったが、昨日一日休養したことで足の具合もよく、さらに距離を伸ばすことにした。
燕三条駅前のホテルに予約を入れ、小島谷駅まで頑張って電車に乗り継ぐことにし、先を急いだ。

見渡すと田んぼの緑と雲ひとつない青空が素晴らしい。
今日は夏至。
一年で一番陽が長い日だ。

ついでに思いだしたが、【父の日】でもある。
LINEで家族に画像を配信してみると、
子供たちからはすぐに返信があったが、父の日に触れた内容はなかった。
みんな、忘れているんだろうね。

まぁ、好きなことをやってる親父だから、しょうがないけど。

さて、歩き旅も新潟市に近づいてきた。
どこまで行けるか、明日も頑張ろう。

■2020年6月21日 新潟県柏崎市~出雲崎市~和島村 51711歩 33.61キロ
■アパホテル燕三条

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※快晴の中、爽やかな風を感じながら歩く

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※原発の村、刈羽を行く

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※県道574号線。歩道が夏草に覆われている

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※出雲崎町に入った

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※JR越後線に沿って歩いていく

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※新潟市が近づいてきた

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※石仏が辻に佇んでいた

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※新潟の夏

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※本日のゴール、小島谷駅に到着


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日本縦断徒歩の旅【東日本編8】柏崎

雨は上がったが、風が強くて寒い。
テレビの天気予報は午後からの回復を告げているが、ホテルの部屋から鉛色の空と境目がはっきりしない日本海を見ると、一歩を踏み出す気が失せてしまった。
足のマメは痛いし、全身の蝶番がバラバラになったようにきしんでいる。
(えぇ~い、今日は休養だ!)

ホテルの連泊を決め、ごろ寝を決め込んだ。
午後から天気が回復したので柏崎市内の旧跡を見学したり、買い物がてら図書館に寄って地図を見ながらこれからの行程を検討。
マメとの格闘と距離を稼げないこととを考えて、荷物を減らすことにした。
テントやシュラフ、マット、余分な衣類を着払いで自宅に送った。

野宿はできなくなるが、体には替えられない。
今日一日しっかり休んで、明日からまた元気に歩こうと思う。

■2020年6月20日 柏崎 9433歩 6.13キロ
■ホテルアルファーワン柏崎

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※柏崎駅を歩く。商店街はシャッターが閉まっている店が多くあった

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※レトロな店もあった

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※閻魔堂

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※同上


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日本縦断徒歩の旅【東日本編7】大潟~柏崎

雨の中、早朝5時過ぎにキャンプ場を出発。
テントを東屋に張ったので夜中から降りだした雨に濡れずに済んだが、海岸にやってくるクルマの音が耳障りだった。

柿崎までは北国街道の県道129号線を行く。
早朝とあってクルマの姿はなく、雨具上下に傘を差した完全防備のスタイルで歩く。

柿崎から国道8号線に出る。
10時頃に雨が上がり、日本海の色も青く見えるようになり、歩くことの楽しさを実感。
クモの巣と羽蟻だらけのバス停で休憩し、人家が途切れると途中から歩道が無くなった。

最悪だったのが、約300メートルある米山トンネル。
ヘッドランプを付け、ザックに蛍光テープを貼り、たすきをかけて50センチほどの段差の歩道を壁にへばりつくように通過した。
トラックが次々に疾走してくるなか、恐怖のチャレンジだった。
トンネルを抜けてすぐに陸橋が二本出てくるが、二つ目の橋には歩道がなく、渡る勇気が出なかった。
今回の旅で初めて命の危険を感じた。
結局、トンネル出口まで戻り大きく迂回して越えることになったが、せめて歩道を付けてくれたらと思わずにはいられない。
国土交通省なんとかしてほしい。

鯨波から国道8号線を離れ県道369号線に入り、北国街道が通る集落を柏崎目指して歩く。
クルマもほとんど通らないので、のんびりと歩くことができた。

柏崎駅を過ぎ、駅近くのスーパーで明日の食料を買い出しして今日の宿がある潮風公園まで歩く。

再び降りだした雨に辟易しながら、温泉に浸かることだけを考えて黙々と歩いた。
長い一日が終わった。

■2020年6月19日 大潟~柏崎 48882歩 31.77キロ
■柏崎温泉ホテル

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※雨の中、柿崎の町を歩く

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※日本海を行く信越本線

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※国道8号線。歩道が無くなった。

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※北国街道が通る米山の集落を行く

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※旧街道を登ると集落が一望できた

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※歩道がなく渡ることができなかった国道8号線の陸橋を迂回路から見上げる

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※柏崎で見つけたホーロー看板が貼られた自転車屋

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柏崎市内で。岩に掘られたお地蔵さま


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日本縦断徒歩の旅【東日本編6】妙高~直江津~大潟

妙高市新井のホテルを7時に出発。
国道18号バイパスを北上。

バイパスには歩道の代わりに側道があり、クルマも通らないので鼻唄混じりに歩く。
側道は国道8号線と交差する直江津まで続いていた。
背後には雪を抱いた妙高山がそびえ、いよいよ日本海が近づいてきた。

8号線を約5キロ歩き、犀潟駅前から県道129号線に入ると、旧街道特有の古い町並みが続いていた。
屋根つきでベンチがあるバス停で、靴下を脱ぎ足のチェック。
休憩するごとにチェックをしているが、小さなマメがいくつもできていた。
毎日30キロ近くを歩き続けている代償か、マメとの闘いは終わらない。

16時、本日のねぐらとなる大潟キャンプ場に到着。
管理事務所にはコロナの影響で休園の貼り紙。
声をかけると管理人の女性が出てきた。
歩いて旅をしており、もうこれ以上は歩けないので、テントを張らして欲しい‥と泣き落とし。
料金もいらないということで、テントを張ることができた。

‥ということで、今回の旅、初テント。
松林の広いサイトには私のテント一張りのみ。
なんと、貸し切りだ。

目の前には鉛色の日本海。
まずは日本海を見るという最初の目標をクリアできた。
これからいくつもの目標を目指していく果てしない旅の通過点だ。

足の痛みを気にしながら黙々と歩く。
(何でこんなことやってるんだろう‥)
自問自答しながらのひとり旅。

明日は雨の予報。
海鳴りを子守唄代わりに、ぐっすりと眠ろう。

■2020年6月18日 新潟県妙高市~上越市
■46154歩 30.00キロ
■大潟キャンプ場でテント泊
■曇り

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※国道18号線バイパスには快適な側道が並行している

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※振り返ると妙高山がそびえていた

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※さすがに米どころ新潟。田んぼには米の銘柄が。

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※日本の原風景です

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※日本海まで8キロの表示

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※国道18号を離れ、8号線に入った

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※今日の昼飯はスーパーの弁当

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※直江津付近で

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※犀潟駅近くのバス停。ビバークできそう

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※信越本線の1両電車

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※渋柿浜付近の町並みを歩く

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※ついに日本海に出た

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※今回の旅での初テントを張った

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日本縦断徒歩の旅【東日本編5】牟礼~野尻湖~妙高

長野駅から6時23分発の始発に乗車し、昨日ゴールした牟礼駅に戻り、今日の歩き旅がスタートした。
梅雨の中休みが続いているのか、からりと晴れている。
野尻湖までの10キロを快調に歩く。
気温が20度前後なので、ペースも上がった。
野尻湖に出るまでは別荘地を見ながら、うっそうとした森を縫うように歩いた。
突然、目の前が開け、青い水が輝く湖面が広がった。
ようやく野尻湖に出たのだ。
ナウマンゾウの化石が出たことで知られる野尻湖には博物館もあり、せっかくなので見学することにした。
入館者は私ひとりで、見学後、受付の年配の女性と、歩き旅をしていることや、高校時代の同級生が野尻湖発掘調査に参加したことなど、とりとめのない話をした。

国道18号バイパスに出て、日本海に向かって黙々と歩きだす。
13時、新潟県に入った。

長野県を抜けたことに小さな感動をしながらも、これから始まる新潟県の旅にわくわくしている自分がいる。

妙高高原を過ぎ、照り返しが強いバイパスをペットボトルの水をがぶ飲みしながら、目はテントが張れそうなねぐらを探していく。

廃屋になったレストランや自動車学校、どれも薄気味悪い。
そうこうしているうちに本日の目的地の『道の駅新井』に到着。
ここは24時間営業のようで、高速のサービスエリア一体型で、こっそりテントを張れそうな場所がない。
まだ日が高く暗くなるまで待てそうもないので、結局、敷地内にあるホテルに泊まることにした。
あぁ、軟弱。
ここまで担いだテントだが、いまだに出番がない。

明日はいよいよ日本海だ。

■2020年6月17日 長野県長野市~信濃町~新潟県妙高市~更埴市
■52275歩 33.97キロ
■スーパーホテル新井
■晴れ

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※今日のスタートはしなの鉄道牟礼駅

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※息を切らせながら登ると、広大な長野の風景が広がった

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※田植えが終わった田んぼが目に眩しい

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※野尻湖に続く道はうっそうとした森を歩く

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※野尻湖に出た

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※国道18号に出た

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※新潟県に入った。ここまでが長かった

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※日本海までの表示も出てきた

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※新井が近づいてきた


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日本縦断徒歩の旅【東日本編4】屋代~長野~牟礼

体は疲れているのに、寝付かれないまま朝を迎えた。
屋代のホテルを7時出発。
今日も暑く高くなりそうだ。

国道18号線に入り千曲川を渡る。
何人もの自転車の高校生やジョギングの中高年にすれ違うが、さすがにザックを担いだ私のような風体はいない。
国道を見送って県道77号に折れ、篠ノ井方面に進むが歩道はいつのまにかなくなった。
コロナの影響は想像以上で、ペンペン草が生えたカラオケ店や入口をチェーンで繋がれた閉店したラーメン店を横目で見ながら黙々と歩いた。

16キロ歩いてようやく長野駅に到着。
アスファルトの照り返しは厳しく、汗は止めどなく流れて、肩に食い込むザックを放り出したくなった。
ここまで苦楽を共にした日傘兼用の折り畳み傘の骨が折れてしまい、コンビニで新品を購入し北長野駅から県道60号線に入った。

北国街道が通るこの道は道祖神や石仏が残っており、かつては旅人を慰めていたのだろうか。
りんごや桃畑が続く県道を、あまりの暑さに辟易としながらよろよろと登っていく。
野尻湖まではまだ15キロ以上あり、とてもふんばれない。
テントを張る場所もなく、軟弱な自分を情けなく思いながら、牟礼駅で切り上げて長野駅に戻ってホテル泊まりに決める。

明日は牟礼駅からの続きになるが、順調にいけば新潟県に突入だ。
天気はまだもちそうなので、明日もふんばりたい。

今回の旅から靴下を五本指に変えたが、今のところマメはできていない。
気づくのが遅かったようだ。

■2020年6月16日 長野県千曲市~長野市~飯綱町
■48797歩 31.77キロ
■アイランドホテル
■晴れ


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※屋代駅から国道18号線に向かう。歩道も広く快適

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※屋代の町には古い建物も残っている

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※千曲川を渡る

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※長野市に入った

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※国道沿いにも道祖神が残っていた

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※泥水のような犀川の流れ。長野駅は近い

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※長野駅に到着

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北長野駅を過ぎ、北国街道に入った

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※石仏も残っていた。どれだけの人が気づくだろうか

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※県道60号線を黙々と歩いて牟礼駅を目指した


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日本縦断徒歩の旅【東日本編3】西条~聖高原~屋代

本日から歩き旅を再開。
この4日間で長野県は梅雨入りしたが、しばらく梅雨の中休みが続きそうな予報に期待し、
旅に出ることにした。

先週ゴールしたJR西条駅(長野県筑北村)から歩きだす。
気温はすでに30度。
早くも汗が滴り、今日の歩きが一筋縄ではいかない予感がした。
今回の旅はテントを持参しているので、38リットルのバックパックを背負っている。
重さに慣れるまではゆっくりいくしかない。

聖高原までの国道403号線は緩やかな登りが続くが、歩道もあって安心して歩けるのが救いだ。
JR聖高原駅から麻績宿に入り、そのまま善光寺街道を進む。
街道は国道に沿って聖高原まで続いていた。

16キロ歩いて、14時に聖高原に到着。
キャンプ場があるので、ここでテント泊の予定だったが、まだ日が高く、
思った以上に歩けているので、あと12キロふんばり、千曲市屋代駅前にあるホテルまで行くことにした。
歩道がなくなった国道403号線を下ると、姥捨駅の手前から大パノラマが広がった。
眼下には千曲市や長野市が一望、さすがに夜景のスポットということもうなづける。
棚田も見事だった。

18時、屋代駅前のホテル着。
暑い一日だったが、マメもできずに快適に歩けたのがよかった。
明日は長野市から野尻湖を目指す。

■2020年6月15日 長野県筑北村西条~千曲市屋代
■42660歩 27.72キロ
■ホテルルートイン千曲更埴
■晴れ

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※西条駅から国道403号線を歩きだす。早くも大汗。

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※善光寺街道が通り、道祖神が迎えてくれる

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※麻績宿

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※国道と並行して善光寺街道が通っていた

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※聖高原

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※姥捨駅が近づくと大パノラマが広がった

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※千曲川を渡り、屋代に入った


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日本縦断徒歩の旅【備忘録】装備編

【装 備】
究極は何も持たない旅。
小さなザックにタオル一枚と折りたたみ傘、シュラフカバーと最小限の着替え。
これだけで所かまわずゴロンと横になり、朝を待つ。

登山、とりわけ沢登りという遊びに夢中になっていたころは、テントを持たず、雨をしのげる薄いシート一枚を張って、その下で着の身着のまま何日も過ごすというということを普通にやっていた。
3,000㍍の稜線でハイ松の隙間や雪洞でビバークしたこともある。
山の中なら今でもできそうだが、人の目を気にするところではすぐに『職質』や『オヤジ狩り』の標的にされかねない。
人がいるところほど危険であり、余計なリスクを背負うことになる。
何も持たない究極の旅はあきらめることにして、今回の旅はルートや宿泊施設の有無によって装備を使い分けていく。
例えばザックについては、20リットル~45リットルまで4つのザックを使い分ける。

【中山道編】では日帰り、あるいは1泊2日のホテル泊が中心となるので、テントやシュラフ等の幕営道具は持たずにザックも軽量の20リットル程度のサブザックで歩く。
6月からの【東日本編】は宿泊施設がある場合は積極的に利用するが、ない場合を想定してテントとシュラフ持参の野宿が基本。ザックも35リットル以上のバックパックとなる。
もちろん軽量化をとことん追求した装備にし、目安は水、食料除きで6キロ以下に抑えるつもりだ。
荷物を重くする自炊は考えていないので、コンロやコッヘル、燃料類は持たずに食料はすべて現地調達とする。冷えたコンビニ弁当もそのうち慣れるだろう。

10月から始まる【西日本編】は滋賀県彦根から山口県下関までの都市部はホテル泊が中心となり、サブザックで歩けそうだが、宿泊施設が少ない九州東部はテント、シュラフ持参となりそうだ。
季節は冬を迎えるので衣類も多くなり、軽量化が厳しくなるかもしれない。

テントについては1人用の『ヘリテイジハイレヴォ』を購入した。これはボールとフライシート込みで1キロを切る世界最軽量であるが、結露防止用のメッシュ部分があり、防寒対策が必要になりそうだ。
また、シューズについては普段のウォーキングで履きなれている『ミズノウォーキングBoa』を使用するが、ワイヤーで締めるタイプなので、もしもの故障を考えて応急処置用の靴紐を持参する。
ミズノBoaは革製なので防水の面で問題はないが夏の歩きでは蒸れそうだ。
夏の旅では防水機能なしのメッシュ製の『モンベルパームランドジョガー』の使用を考えているが、この靴はトレイルランニング用に作られた靴だけに、アスファルトにも靴底が吸い付くような感触と、雨でも滑らない点が気に入っている。
ちなみに日帰りが中心となった【中山道編】では、『ニューバランスウォーキング880』を使用した。靴底が柔らかいのが難点だが、軽量なのでスピードアップできるシューズである。

そして、備品の中で持参するかどうか最後まで悩んだのがカメラ。
重さを考えて、スマホで撮影することに決めた。ブログの更新もすべてスマホで行うことにし、バッテリーチャージャーとUSBメモリーを持参して、スマホ内の画像をこまめに移すことにした。


以下、全装備リスト。

【ザック】…装備、ルートに応じて4つのザックを使い分ける
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【装備リスト】
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※衣類は着用時の枚数を含む(日帰り~ホテル泊 テント泊 共通 )
01 ザック…モンベルバランスライト20ℓ ※404g 
02 ザック…ミレードームSLR28ℓ ※900g 
03 ザック…グレゴリースタウト35ℓ ※1130g
04 ザック…グレゴリースタウト45ℓ ※1290g
05 シュラフ…モンベル ダウンハガー800#5 ※450g
06 シュラフカバー ※420g 冬用
07 テント…ヘリテイジハイレヴォ1人用(ポール込) ※980g
08 エアマット ※457g
09 銀マット ※52g
10 エア枕 ※82g
11 折りたたみ傘(日傘兼用) ※287g
12 ウエストポーチ
13 雨具…モンベルパーサライトパンツ ※97g
14 雨具…モンベルパーサライトジャケット ※134g
15 雨具…モンベルサンダーパスジャケット ※325g 冬用
16 ダウンジャケット…ユニクロ ※224g 冬用
17 ジャージ上着…ユニクロ ※390g 冬用
18 Tシャツ半袖×3 ※130g 夏用
19 長袖シャツ×2 ※165g 冬用
20 パンツ(中厚手)…モンベル/黒 ※355g  冬用
21 パンツ(薄手)…モンベル/黒 ※220g 夏用
22 下着×3 ※60g
23 靴下×3(5本指)※70g
24 帽子
25 ヘッドランプ ※70g
26 電池用ランタン ※79g
27 万歩計
28 コンパス
29 スマホ
30 バッテリーチャージャー×2 ※160g
31 USBメモリー×2、充電器・充電用コード ※100g
32 洗面用具、入浴セット、タオル ※200g
33 芯を抜いたトイレットペーパー×1
34 薬…胃薬、抗アレルギー薬、ロキソニン、消毒薬、オロナイン軟膏、目薬、カットバン、バンドエイドキズパワーパット、湿布薬、安全ピン、テーピング、マスク5枚、アルコール除菌液、ハサミ他
35 地図(ツーリングマップル)
36 筆記具
37 現金・保険証・キャッシュカード
38 サングラス(レンズのみ)
39 たすき・ザックに貼る反射テープ(夜間・トンネル通過用)
40 靴ひも予備/洗濯用ひも
41 シューズ…ミズノウォーキングBoa 冬用
42 シューズ…モンベルパームランドジョガー 夏用                 

  総重量 日帰り~ホテル泊…約3㎏  テント泊…約6㎏


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日本縦断徒歩の旅【備忘録】日程とルート

【日 程】
沖縄を除く日本列島を北海道の宗谷岬から鹿児島県の佐多岬まで計ってみると、約3,000キロ。
どのルートを辿るかでその数値は変化するが、概ね2,750~2,850キロといったところだ。
先人が記した著作やブログを見ると、北からと南からのスタートの違いはあるが、日本海側を辿っているケースが多い。
出発時の季節にもよるが宗谷岬を夏にスタートするのが一般的だ。

前にも書いたが、当初は佐多岬を3月に出発し、一筆書きで宗谷岬に7月末にゴールする計画を目指していた。
しかし、新型コロナウィルス感染拡大によって出発ができず、計画が大きく迷走することになってしまった。

6月までは自粛ムードの中、自宅がある岐阜県から隣県の長野県、滋賀県の中山道を約230キロ歩くことができたが、スタート地点の佐多岬に立つことができないまま梅雨を迎えることになった。
年内に日本縦断を達成することが当初からの目標であり、これを遂行するためにはこれまでに歩いた中山道から東西にルートを延ばすことも一案だと考えた。
分断型の苦し紛れの妥協案となったが、長野県から北海道宗谷岬までの東日本を6月~9月末までに、滋賀県~鹿児島県佐多岬までを10月~12月末までの年内達成を目指して歩くことにした。

東日本、西日本とも通しで達成できればベストであるが、定期検査やクスリの手配といった体のメンテナンスがあること、ハローワークの失業認定日の出席によって自宅に帰る必要があり、小刻みに継投しながら宗谷岬と佐多岬を目指したい。
思惑通りに私が歩いた足跡が、日本列島を縦断する一本の線になれば最高である。

【ルート】
計画を練り直して、歩くルートを自宅がある岐阜県を中心とした【中山道編】と、【東日本編】【西日本編】の大きく3つのブロックに分けた。
【中山道編】では滋賀県彦根市鳥居本宿から長野県塩尻宿までの区間をすでに歩いたので、【東日本編】の縦断ルートは塩尻から長野、新潟の日本海側ルートを取り、下北半島経由で北海道に上陸し、宗谷岬を目指すルートにした。
北海道は、函館から長万部→苫小牧→札幌→滝川を経由し、留萌からは日本海側を行き、宗谷岬にゴールする。
中山峠を経由する長万部から札幌までの内陸部は距離は短いがヒグマのリスクがあるので、私が想定しているルートは遠回りとなるが海沿いの人気が多い苫小牧ルートだ。
最も、札幌近郊でもヒグマの出没情報は普通にあるし、秩父別を経由する滝川から留萌のルートも過去にドライブした時にはけっこうな山の中を走った記憶がある。
どこにいてもヒグマのリスクはありそうなので、こればかりは運を天に任せるしかないようだ。
また、コロナの感染状況次第では大都市・札幌を迂回するルートも視野に入れる必要がありそうだ。

【西日本編】は、中山道の滋賀県鳥居本宿からスタートし、京都→大阪→広島→下関から九州に上陸。
宮崎経由の東側ルートを取り、最南端の佐多岬を目指したい。


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日本縦断徒歩の旅【備忘録】はじめに

前代未聞のウィルス感染に翻弄される中、ずっと温めていた計画を実行することにしました。
日本列島3000キロを歩いて旅するチャレンジです。

会社を辞めた理由もそこにあります。
3月初めの退職と同時に出発するつもりで準備をしてきましが、ドンピシャのタイミングで新型コロナウィルスの脅威が浮上。
すでにザックのパッキングを終え、飛行機のチケットも発券済のなかで、さんざん悩んで出発を1ヵ月延期することにしました。
しかし、4月中旬の再出発はさらに状況が悪化し、緊急事態宣言が出され、二度目の出発見送りとなりました。

5月に緊急事態宣言が解除され、学校や職場に人々が戻りつつある今も自粛ムードはまだ続いていますが、チャレンジをどうにもあきらめきれず、トレーニングの意味も含めて、その間は自宅がある岐阜県内の中山道を歩いてきました。
当初の計画であった4か月間をかけての最南端の鹿児島佐多岬から最北端の北海道宗谷岬までの“一筆書き”のチャレンジは諦めることにしましたが、コロナの状況を確認しながら自宅から東西に、小刻みに足跡を伸ばしていくことに切り替えました。

今月19日からは隣県への移動を含めて観光への緩和がされることになりそうですが、コロナの感染リスクが減ったわけではありません。
屁理屈かもしれませんが、人口密度が低い地方をテントを担いで旅するほうがはるかに安全であるがゆえ、人との接触はできるだけ避けて感染予防を心がけることを肝に銘じ、日本列島縦断のチャレンジを実行することにしました。

さて、これからの数か月間、いやもっと長くかな? 当ブログの内容は『日本縦断徒歩の旅』のレポートが多くなりますが、どうぞ気長にお付き合いくださるようお願いします。
…と、大風呂敷を広げましたが、途中であっけなくリタイヤするかもしれません(笑)。

もっとも、再び緊急事態宣言や外出禁止令が出れば、自治体の指示に従わざるをえないし…。
ともあれ、無事に旅が続けられることを祈るばかりです。


~夢を現実にしたい
日本列島を歩いて縦断することは、ずっと昔からの夢だったような気がします。
冒険にあこがれた少年のころか、それとも登山を始めた学生のころか。
人力で、それも自分の足で、南北に長い日本列島に一本の線を引き、足跡を残したいと思っていました。

思い返すと、この突拍子もなく、傍から見れば呆れた(人が言うには)チャレンジをことあるごとに熱く語ってきました。
登山に夢中になっていたころは、ぶなの森に囲まれた渓谷で、焚火を囲んで酒を酌み交わしながら。
吹雪がゴーゴーと唸りを上げる、雪稜に張ったテントの中で震えながら…山の仲間たちに。
そして、会社の同僚には、飲み会や定年を迎えた送別会で。
大風呂敷を広げることで、自分自身にプレッシャーをかけ、夢を現実のものに近づけてきました。

60才で契約社員として再雇用されたあと、62才で会社を辞め、年金が支給される63才までの一年間を好きなことに費やすという、これが当初の計画でした。
日本縦断もこの中に入っていたし、離島めぐりも、カミさんとの海外旅行も並べていました。

それを根底から覆す出来事が60才で患った病気です。
膵神経内分泌腫瘍(P-NET)という10万人あたり数人しかいない希少がんに罹患し、四か月間の療養生活を送ることになりました。
手術で膵臓の半分(体尾部)を切除し、脾臓、胆のうを摘出、リンパ節郭清を行いました。みぞおちからへそ下まで開腹した傷口の痛みは術後一年近く経った今もうずきます。
実はそれより5年前には原発性アルドステロン症というホルモンの疾患で、腫瘍ができた左副腎を摘出しています。

いってみれば、私のお腹は空っぽ状態。
文字通り“空っぽオヤジ”です。
再発・転移の不安がよぎるこれから先のことを考えると、のんびりともしていられない。
契約更新の62才まで待っていられません。
会社を辞めて、不退転の気持ちで長年の夢にチャレンジできるのは体力・気力がある今しかないと思いました。
幸い体調は罹患前と変わらないほどに回復しており、足腰もカミさんとの毎週ウォーキングで問題はなさそうです。

あとは、あきらめずに歩き続けることへの執着とモチベーションを維持することでしょうか。
少年のころに漠然と思い描いた夢を、自分が“生きた証”として記憶に残すという、自分なりのこだわり。

機は熟しました。
齢61才。
コロナという敵と共存しながら、広げた大風呂敷が嘘で終わらないように、有言実行の旅に出ます。


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※3月の出発時に作成した“幻の計画書”


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日本縦断徒歩の旅【東日本編2】 松本~明科~西条

松本駅前のホテルを早朝出発。
無料の健康朝食がウリのホテルなのに、バイキングは中止され、弁当支給だった。
今では当たり前だが、玄関にはアルコール噴霧液が置かれ、フロントには透明ビニールのタペストリーが下がっていた。
コロナ対策とはいえ、ホテルのサービスもずいぶん変わってきている。

松本駅から北西に伸びる『じょうねん街道』を歩く。
歩道がない一方通行の道だが、通勤のクルマだろうかひっきりなしに背後から襲ってくる。
正面に見える雪が残る常念岳の特徴的なピラミッドの山容に心を躍らせながらも、後ろからクルマに追突されないかとヒヤヒヤしながら先を急いだ。

明科方面に向かう国道19号に出ると、しっかりした歩道もあって幾分気が楽になった。
左に蝶ヶ岳、常念岳を始め、後立山連峰につながる北アルプスの稜線を眺めながら梓川に沿って進んでいく。

8時を過ぎたばかりだというのに、早くも炎天下の様相。
汗がしたたり落ち、猛烈に暑い。
トラックが轟音を発しながらすぐ脇をひっきりなしに過ぎていく。
日傘と帽子が飛ばされそうだ。

31度をさす国道の温度計を横目に見ながら、ちょっとした日陰を見つけて休息。
靴下をぬぎ、まずは足のマメをチェック。
そして大量の水を飲む。
続けて即効性のエネルギー補給ゼリーをすする。

先月の末から2日ほど自宅で休養した以外は毎日25キロ以上を歩いてきたが、右足にできたマメが治るヒマがないほど、歩いてきた。
不思議に左足にはできないのに、右足は5本すべての指にマメができて、水泡が潰れるのを繰り返している。
歩き旅はマメとの闘いなのか。
登山をしていた頃も何度かマメはできたが、登山道と違ってアスファルトの道は勝手が違うようだ。
膝やふくらはぎにも負荷がかかるようで、筋肉痛との闘いでもある。

16キロ歩いて明科駅に到着。
駅前交番で、この先の国道403号線の状況を確認した。
連続するトンネルに歩道があるかが、一番の関心事。
もしなければ、命の危険にさらされることになる。

親切なお巡りさん曰く、
 ・トンネル内には歩道がある
 ・国道に沿って旧国鉄時代の廃線跡があるので、せっかくならこれを歩いてみたら
…という、うれしい情報をもらうことができた。

最後に、「歩き旅をしている」と言ったら、「この炎天下に、この山を越えていくというのは、ありえない」と言われてしまった。
ともあれ、熱中症に注意するように念を押され、交番を後にした。

お巡りさんおススメの廃線跡のコースは正解だった。
レンガ造りのトンネルは涼しく、センサーで反応した明かりも点いた。
線路が撤去された道は森林浴のオンパレード。
全長6キロの癒しの空間を味わせてもらった。

しかし、国道に出るとそこからが地獄の関門が待っていた。
ダラダラと坂を登っていく歩道がない国道は、交通量も多くひっきりなしにクルマがいきり立って疾走してくる。
歩道がないので、できるだけガードレールに寄りかかり歩く。
途中で道路工事の現場に差し掛かり、片側通行の区間となると道幅が狭まり、さらに緊張の度合いが増した。

そして、とどめは連続するトンネル地獄。
蛍光塗料が塗られた安全たすきとマスクを着けて突入。
歩道の幅は50センチ足らずで、人ひとりが歩けるのがやっと。
クルマは前後からトンネル内を轟音とともに走り抜けていく。

1本目は1200㍍。
長く続いた暗闇から出口の明かりが見えてようやく抜け出ると、排気ガスで頭がくらくらした。
その後、トンネルは2本続き、再び歩道が切れたカーブが続く国道を対向車を睨みつきながら歩き、ようやく歩道がある“安全圏”に出た。

日本列島を徒歩で縦断する旅の、最初の洗礼を受けた思いだった。
炎天下の歩き、歩道がない危険な国道、トンネル…日本の風土、道路は人にやさしくできていない。
それに覆いかぶさるように邪魔をするコロナの脅威。

それでも自分は一歩を踏み出してしまった。
中山道の鳥居本宿(滋賀県彦根市)から歩いた距離は300キロを超えた。
止めるなら今のうち、いや後戻りはできない…そんなことを自問自答しながら、下り坂になった歩道がない国道をJR西条駅に向かって黙々と歩いた。

4日間の予定で出た短い旅も1日早く切り上げることにし、松本駅経由で『特急しなの』に乗車し、帰宅した。
木曜日から梅雨入する可能性と、しばらく雨が続く状況を鑑みてのことだが、本音は炎天下の歩きと足の痛みからきた体のダメージを回復させるのが目的。

天候回復を見計らって、再び長野市、そして日本海を目指すことにする。


待ってろよ、“酷道403号線”(笑)


■2020年6月10日 長野県松本市~安曇野市~筑北村
■39466歩 25.65キロ
■晴れ

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※常念岳を正面に見ながら歩く『じょうねん街道』。歩道がない一方通行路。

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※国道19号線沿いで見つけた石仏

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※安曇野特有の道祖神もあった

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※国道19号。明科を目指す。歩道はあるが交通量は多い。

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※国道19号。梓川に沿って歩く

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※常念岳から大天井岳、燕岳の稜線が目に鮮やか。だが、炎天下とあって思いっきり暑い!!

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※明科からは旧国鉄の約6キロ続く廃線跡を歩く

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※廃線跡『三五山トンネル』

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※トンネル内はセンサーが反応し明かりが点灯

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※廃線跡は森林浴気分

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※踏切跡も残っていた

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※レンガ造りの『漆久保トンネル』

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※“酷道403号線”の連続するトンネルを歩く

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※今回のゴールJR西条駅。長野まであと48キロ。


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日本縦断徒歩の旅【東日本編1】 本山宿~洗馬宿~塩尻~松本

旅に出て2日目。
JR日出塩駅から中山道本山宿→洗馬宿→塩尻→郷原宿→松本と歩きました。

気温32度、さすがに暑く、水を浴びるように飲みながら炎天下の歩きとなりました。
塩尻から中山道を離れ、これから長野を目指して北上をしていきますが、今回からのタイトルを日本縦断徒歩の旅としたいと思います。
今日は松本泊まりですが、26年ぶりに山の仲間(ご夫婦)と再会し、松本城近くの蕎麦屋で飲みました。
彼は転勤で住むことになった松本を終の棲家として、北アルプスが見える高台に居を構えていました。
犬を飼い、家庭菜園をし、薪ストーブのある暮らしを家族で楽しむ毎日。

酔いが回るにつれ、海外の山を目指し、岩登りや沢登りでロープを組んだ若かった日々が走馬灯のように思い出され、昔話に花が咲きました。
お互いに年をとりましたが、持つべきものは友、人生これからだと改めて実感できたひとときでした。

日本列島を歩いて旅する私のチャレンジを、“贅沢で、粋な遊び”と表現してくれました。

さて、明日は長野に向けて歩きます。
どこまで行けるか分かりませんが、焦らず、北アルプスを眺めながらのんびり行こうと思います。

■2020年6月9日 長野県塩尻市~松本市
■47855歩  31.1キロ
■スーパーホテル松本
■晴れ

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※本山宿

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※洗馬宿で見つけた水原弘のハイアース

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※洗馬宿

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※塩尻市平出で出会った石仏

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※長野名物、牛乳パンを食す。これ一つで580キロカロリー。足のマメがおぞましい!!

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※塩尻市平出の一里塚

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※平出遺跡の復元住居

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※松本市に入りました。気温32度。溶けそうでした。


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日本縦断徒歩の旅【中山道編16】宮ノ越宿~藪原宿~奈良井宿~贄川宿~日出塩駅

旅に出ました。

今日は中山道の続きで、宮ノ越宿から藪原宿、奈良井宿、贄川宿と歩き、日出塩駅からJRで塩尻に出ました。

梅雨入り前のあがきでしょうか、30度超えはさすがに暑く、鳥居峠越えはバテバテとなりました。
今回の旅は4日間をかけて塩尻から中山道を離れ、長野市近くまで歩く予定です。

中山道はいったんここで中断し、小刻みの継投策となりますが、日本列島を東西に分けて歩くつもりです。
本来なら3月の退職と同時に九州最南端の佐多岬を出発し、オリンピックが始まる7月末には北海道最北端の宗谷岬に立つ予定でした。
今更、コロナを憎んでもしかたありませんが、計画が狂ってしまったことが残念でなりません。
自粛ムードのなか始めた中山道歩きで少しづつ距離を伸ばしていくうちに、西は滋賀県鳥居本宿、東は長野県宮ノ越宿まで約230キロとなり、このまま北と南に向かおうと思った次第です。

九州から北海道までの一本の線を引くという計画はなくなりましたが、コロナとにらめっこしながらの新しい旅のやり方として小刻みに続けていこうと思います。

まず、目指すは北海道宗谷岬。
それが終わったら九州佐多岬。

コロナの脅威がくすぶっている北海道に上陸できるかどうか分かりませんが、まずは北を目指します。

さて、大風呂敷を広げてみましたが、どんな旅になるやら。


■2020年6月8日 長野県木曽町~木祖村~塩尻市
■43651歩 28.37キロ
■ホテル中村屋
■晴れ

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※藪原宿

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※炎天下の中、藪原宿を歩く

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※鳥居峠の道

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※鳥居峠の一里塚

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※奈良井宿は近い

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※奈良井宿

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※古い町並みが保存されている地区としては、奈良井宿は中山道一です

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※贄川宿関所


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日本縦断徒歩の旅【中山道編14・15】加納宿~河渡宿~赤坂宿~垂井宿~関ケ原宿~醒ヶ井宿~鳥居本宿

中山道宮ノ越宿(長野県木曽町)から中一日、1泊2日で加納宿(岐阜市)から鳥居本宿(滋賀県彦根市)を歩いてきました。
今回はパートに復帰したカミさんを置いての一人旅です。

初日はJR岐阜駅から炎天下の中を歩きだしました。
加納宿から長良川を渡り、河渡宿へ。
あっという間に汗だくです。
この日の気温は今年一番の暑さ、岐阜市で33度超え。
とにかく暑いので、熱中症と脱水症状を気にしながら日傘をさして歩きました。

中山道を忠実に歩いていきますが、さすがにすれ違う人もなく、汗をふきふき黙々と歩くのみ。
途中のコンビニで買った冷凍ミカンをかじりながら、とにかく歩く。

ヘロヘロになって美江寺宿から赤坂宿に到着。
本陣跡の公園のベンチで涼みながら、足のマメを治療。
痛みをこらえながら最後の力を振り絞って垂井宿まで歩きました。
JR垂井駅から一駅戻って大垣駅前のホテルに投宿し、27キロを歩いた灼熱地獄の一日が終了。

翌日、JR垂井駅まで戻り、垂井宿をスタート。
気温は昨日よりも幾分涼しく、さわやかな風もあってラッキーでした。
垂井→関ケ原→今須→柏原→醒ヶ井→番場→鳥居本と、7つの宿場を歩きましたが、土曜日ということもあり、何人かのウォーカーと出会いました。
一里塚や高札場跡、本陣跡と石仏といった中山道ならではの見どころもたくさんあり、国道を歩く部分も少なかったこともあり、充実した街道歩きができたと思います。
28キロ歩いて、近江鉄道の鳥居本駅でゴール。
一駅戻った彦根駅からJRに乗り換え、米原~名古屋経由で帰還しました。
今回の旅で岐阜県内の17宿を完歩し、滋賀県に突入。
京都まで残り69キロとなりました。

■2020年6月5日 岐阜県岐阜市~大垣市~垂井町 41256歩 27.2キロ 
■2020年6月6日 岐阜県垂井町~関ケ原町~滋賀県米原市~彦根市 43505歩 28.7キロ 
■くれたけインプレミアム大垣駅前
■晴れのち曇り

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※加納宿の西の端

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※加納宿から河渡宿の途中でで見つけた古い民家

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※河渡橋から長良川を渡る

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※レトロな建物がありました

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※河渡宿の馬頭観音

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※河渡宿。規模が小さいながらも古い町並みがありました

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※美江寺宿の高札場跡

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※美江寺宿のフォトスポット

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※赤坂宿

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※赤坂宿の廃線跡

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※垂井宿

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※今須宿の一里塚

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※岐阜県と滋賀県を跨ぐ

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※柏原宿

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※醒ヶ井宿

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※番場宿

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※鳥居本宿

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※レトロな鳥居本駅にゴールしました
※スマホで撮影 岐阜県岐阜市~滋賀県彦根市 2020年6月5日~6日


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日本縦断徒歩の旅【中山道編12・13】三留野宿~須原宿~上松宿~木曽福島宿~宮ノ越宿

中山道ウォーキング初の1泊2日の旅をしてきました。
4月22日に馬籠→妻籠→南木曽駅までを歩いたので、今回はその続きとなります。

初日は南木曽駅から三留野宿→野尻宿→須原宿→上松宿までの約30キロを歩きました。
交通量が多い国道19号線に沿って歩く部分と山里の静かな道を行くところと半々くらいでしょうか。
須原宿近くには『木曽清水』と呼ばれる岩出観音堂があり、横浜から来たという中山道を歩いているご夫婦にお会いしました。
また外人の女性サイクリストにも出会いました。
コロナ自粛から解放され、ようやく木曽路にも旅人が戻ってきているようです。
初日は上松宿まで歩きましたが、初の30キロ超えとなったこともあり、足の指にマメができたカミさんが辛そうでした。
この日の宿は木曽福島駅前の旅館に泊まりましたが、女将さん曰く、二ヵ月ぶりの再開で、私たちがその第一号ということでした。

二日目はJRで上松駅まで戻り、スタート。
名勝地『木曽の桟』を過ぎ、再び木曽福島宿の旅館の前を通過。
更に宮ノ越宿まで歩き、JR宮ノ越駅から帰還しました。
JR原野駅近くには『中山道東西中間地の標柱』があり、京都と日本橋の中間点にあたります。
西は岐阜市の加納宿までしか歩いていないので、私にとってはまだ半分ではありませんが、よくぞここまで歩いてきたな、という思いは十分に感じました。

暑い中、二日間で約50キロを歩きましたが、長距離をテンポよく歩く感触をつかむことができたのが収穫となりました。
来週からフルタイムで仕事に復帰するカミさんはここでいったんリタイヤし、暇を待て余す私の一人旅が始まります。
3月に決行する予定だった日本列島縦断徒歩の旅が、コロナの影響で中途半端なものになってしまいましたが、中山道の歩き旅を機にコースを伸ばしていきたいと思います。

■2020年6月2日 長野県南木曽町~上松町 48062歩 31.24キロ 
■2020年6月3日 長野県上松町~木曽福島町~木曽町 29563歩 19.21キロ 
■木曽萬蔵の宿むらちや(木曽福島)
■晴れ

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※三留野宿を歩く

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※野尻宿

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※野尻宿で見つけた廃屋

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※炎天下の国道歩きとなった

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※岩出観音堂。『木曽清水』と呼ばれる

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※岩出観音堂

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※上松宿寝覚の床近くの中山道を歩く

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※木曽の桟

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木曽福島宿の廃ホテル

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※木曽福島宿

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※中山道中間地点の碑

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※宮ノ越宿

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※宮ノ越宿本陣
※スマホで撮影 長野県南木曽町~大桑村~上松町~木曽町~日義村 2020年6月2日~3日


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日本縦断徒歩の旅【中山道編11】各務原駅~加納宿

前回から中一日開けてのチャレンジです。
JR各務原駅をスタートし、加納宿を目指しました。
まだ5月だというのに、気温は30度超え。
いやはや、岐阜の夏は暑いですね。

航空自衛隊岐阜基地を左に見ながら交通量の多い国道21号線を歩くと、六軒の一里塚跡。
にわか一里塚ファンになったカミさんは一里塚が出てくるたびに喜び、4キロ毎に歩いた実績をダイエットに結びつけているようだ。

各務原市は思った以上に大きな町で、快適な市民公園やきれいな商店街もあって住みやすそうな町に見えたが、頭上に響く突然の航空機の爆音に興ざめ。
文字通り炎天下になってきた道を黙々と歩く。

新加納立場跡を過ぎるとカエルを祀った神社や古い町屋も現れて、中山道らしくなってきた。
原型をとどめている細畑の一里塚を過ぎ、名鉄茶所駅の踏切を渡ったところから加納宿となった。

JR岐阜駅からも近いのでこの界隈は何度も訪ねているが、加納城跡の碑や脇本陣の碑、中山道の文字が入っている道路の排水溝の蓋などを見ると、これまでまったく意識せずに歩いていたことに気づいた。
加納宿には『二文字屋』という有名なうなぎ屋があり、正直言って、加納宿についての自分の印象はそれしかなかった。
中山道ウォーキングを始めてから気づいたことも多く、道路脇にたたずむ小さな石仏にも目を向けることができるようになったことをうれしく思う。

全行程534キロのうち、まだ100キロ弱しか歩いていないが、これからどんな風景と出会うことができるのか楽しみになってきた。
そんなことを思いながら、この日のゴールのJR岐阜駅に急いだ。

■2020年5月29日 岐阜県各務原市~岐阜市
■25248歩 16.41キロ 
■日帰り
■晴れ

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※国道21号沿いにたたずむ地蔵堂のお地蔵様

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※各務原市神明神社にある馬頭観音

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※神明神社

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※各務原市新加納界隈を歩く

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※日吉神社のカエル

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※細畑の一里塚

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※加納宿を歩く

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※スマホで撮影 岐阜県各務原市~岐阜市 2020年5月29日


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日本縦断徒歩の旅【中山道編10】太田宿~鵜沼宿~各務原駅

中山道歩きも10回目を数えました。
69次534キロの完全踏破を目指す人たちは、起点となる東の東京日本橋か西の京都三条大橋のどちらかからスタートすると思いますが、私たち夫婦は自宅から近い真ん中の岐阜県御嵩宿から始めたので、東西どちらを目指すにしてもすごく中途半端なスタイルになりました。
理想を言えば、スタートとゴールが一本の線でつながるパターンがいいですね。

…ということで、今回は太田宿から鵜沼宿を越えてJR各務原駅までの約13キロを歩きました。
美濃加茂市役所にクルマを置き、観光課で太田宿のパンフを貰い出発。
これまで何度も訪ねている太田宿ですが、改めて町並みを歩くと、古い建物はもちろん、駐車場や休憩所が整い市が保存に力を入れていることが分かります。

静かな宿場を離れ、国道21号に出て木曽川の景勝地日本ラインに沿って歩くと、半端でない交通量。
土砂を積んだ大型ダンプが列を作ってすぐ脇を走り抜け、そのたびにひやりとします。
排気ガス対策でマスクをすると、あまりの暑さで目が回りました。
まだ5月だというのにこの日の気温は30度近くもあり、早くも汗みどろです。

「金一両 京都 飛脚」の文字が残る石柱が残る岩谷観音を過ぎ、中山道は坂祝町のはずれからうとう峠の道に入りますが、うっかり入口を見逃してしまい、気づいたときには1キロ以上国道を進むというチョンボ。
結局、そのまま国道から脇道に逸れて鵜沼宿に入りました。
次回、機会があればこの間のルートを再訪しなければなりません。

鵜沼宿は2月にも訪ねているのでそのまま素通りしましたが、やはりコロナの影響なのか、脇本陣の資料館は閉館していました。
ここから加納宿までは17キロあるので、少しでも距離をかせぐことにし、途中のJR各務原駅まで歩き、今回の日帰りウォーキングを終えました。

街中を歩くこのルートは面白みに欠けるし、なによりクルマが多く、アスファルトの照り返しの暑さもきつい。
こんな感じで京都に向かうのでしょうか。

夏のウォーキングは、暑さとの闘いですね。

■2020年5月27日 岐阜県美濃太田市~各務原市
■23276歩 15.12キロ
■日帰り
■晴れ

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※太田宿の目抜き通り

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※太田宿本陣跡。門しか残っていない

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※日本ラインロマンチック街道を歩く

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※岩谷観音 「金一両」の石碑

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※岩谷観音 一見の価値あり

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※鵜沼宿高札場

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※鵜沼宿の酒蔵

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※鵜沼宿を歩く

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※この日のゴール、JR各務原駅
※スマホで撮影 岐阜県美濃加茂市~坂祝町~各務原市 2020年5月27日


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