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摩崖仏を見に行く

相変わらずの梅雨空が続いていますね。
いつになったら明けるのやら…。
いい加減うんざりします。

京都から帰還した翌日、午前中の雨上がりを狙って岐阜県土岐市肥田町にあるミステリスポットを歩いてきました。
場所は道の駅美濃焼街道どんぶり会館のすぐ近く。
瀧が洞と呼ばれる鬱蒼とした森の中です。

雨にぬかるんだ森の中に続く道を標識に導かれて登っていくと、1770年(明和8年)に作られたという魔崖仏がありました。
花崗岩の一枚岩に掘られた石仏ですが、神変大菩薩像といわれています。
また、付近には西国三十三処観音菩薩像や苔むした八十八体の弘法像もあってまさにミステリスポット。

この場所、自宅からクルマで20分ほどの所にあるにも関わらず、これまでまったく知らなかったのもマヌケです。
まさに、『灯台下暗し』。

前日までの中山道歩きの疲れが出たのか、ぬかるんだ道に足を取られてずっコケました。
しこたま腰を打ち、ドロドロになったジーンズに辟易しながら山道を下りました。

たくさんの石仏を拝んできたのに、どうやらご利益はなかったようです(笑)。

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※八十八弘法

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※西国三十三処観音菩薩像

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※ひと際インパクトがある摩崖仏。マスクをされておりました


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日本縦断徒歩の旅【中山道編19】瀬田~大津宿~京都

最終日の今日、中山道の旅もいよいよ京都三条大橋にゴールする。
京都の天気予報は午後からの雨を告げていたので、午前中が勝負と踏んで、朝6時にホテルを出発した。
歩行距離は20キロなのでたいしたことはないが、暑さとの闘いは免れない。

瀬田からしばらくは【旧東海道】のプレートに導かれながら住宅街を縫うよう歩く。
琵琶湖の南端にある『瀬田の唐橋』を渡るとすぐに今度は瀬田川を通過し、石山の町に入った。
歩き初めてほんの一時間なのに、すでに汗まみれだ。

休む場所もないので、そのまま膳所城の山門を移築したという神社まで歩く。
誰もいない境内の舞台にもたれて靴を脱ぎ、靴下まで脱いで汗で蒸れた足を乾かしていると、神主さん登場。
一瞬怪訝そうな表情をされたがすぐに愛想を崩して、「ごゆっくり」といって社務所に入っていった。

古い商家や家屋が残る膳所の町ではちょうど登校時間に重なったのか、小さな体に不釣り合いの大きなランドセルを背負った小学生たちが歩く列の後ろを、金魚の糞のようについていく。
傍から見ると、孫を見守るおじいちゃんのように映っていたかもしれない。
もっとも、リュックを背負っていたので“怪しい人”と見られていたら困るが。

道幅も広くなり、年季が入った商家が軒を連ねる大津宿を過ぎると、国道1号線と重なった旧東海道は京阪鉄道と並走して逢坂の関に続いていった。
緩い登り坂になったが交通量が半端ではなく、排気ガスと騒音もさることながら猛烈に暑い。

国道を離れ脇道に入り、ようやく大津市と京都市の境目である追分に出た頃には全身の水分が抜け出てしまったほどヘロヘロになっていた。
しかし腰を下ろして休む場所もないので、ヨロヨロしながらそのまま山科駅近くの六地蔵まで歩く。
ベンチに腰掛けペットボトルの水を一気に一本飲み干し、足を投げ出して靴下を脱ぐと、命拾いした気持ちになった。

ここからゴールの三条大橋まで6.5キロ。
殺人的な気温は35度を上回っている。
熱中症にならずに歩いていること自体が不思議だが、還暦を過ぎた身にはあまりにも過酷である。

六地蔵で十分に休憩し出発したが、すぐに滝のように汗は流れた。
さらに厳しいことに、東海道線の高架を過ぎ細道に入ると、旧東海道は見ただけでも戦意喪失しそうな登り坂となった。

最後の力を振り絞って坂を登り切り、蹴上の浄水場を左に見ながら三条大橋に続く広い歩道を歩いて行った。

11時20分に中山道(東海道)の終点、京都三条大橋にゴール。
暑さが先立ち、感動はなかった。

中山道はこれで塩尻宿から京都まで312キロを歩いたことになったが、秋田まで歩を延ばした本命の日本縦断は830キロ。
ようやく日本列島の三分の一程度を歩いた勘定だ。

まだまだ先は長いが、コロナ感染のリスクがさらに増して、炎天下に関わらず道行く人々が一様にマスク姿なのを見ると、果たして旅の継続ができるのか分からなくなった。

感染リスクを真っ当に考えれば、無理なんだろうと思う。
マメの痛みから解放され、右足の筋肉痛も癒え、暑さとの闘いにも慣れ、長距離・長時間を歩くコツをつかんだというのに、コロナという目に見えぬ最大の敵が立ちはだかっている。

この先、どうすればいいのだろう。
何度も自問自答しながら、三条大橋から地下鉄に乗り換え京都駅に向かった。

■2020年7月21日 滋賀県大津市~京都府京都市
■33616歩  21.85キロ
■晴れ


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※瀬田の唐橋を渡る

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※唐橋を渡るとすぐに瀬田川を通過した

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※古い町並みが残る膳所の町を歩く

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※民家の軒先には家を守る鍾馗さんの姿があった

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※木曽義仲と芭蕉が眠る、義仲寺。

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※大津宿

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※大津宿

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※大津宿本陣跡

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※逢坂山あたり。京阪鉄道と国道1号線が並走する。交通量が多い。

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※蝉丸が百人一首で詠んだ逢坂の関

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※追分の道標。この先から京都市に入った

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※休憩した六地蔵。熱中症一歩手前だった。

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※旧東海道は緩く登る細道になった

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※最後の急坂を登る

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※坂を登ると小さな集落があった

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※京都市東山区。坂本竜馬とお龍の結婚式場跡という史跡もあった

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※三条大橋にゴール。高山彦九郎の像が迎えてくれた

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※三条大橋。次はここから西日本の歩き旅が始まる


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日本縦断徒歩の旅【中山道編18】武佐宿~守山宿~草津宿~瀬田

二日続きの梅雨の中休み。
ラッキーと言いたいが、気温が34度ともなればありがた迷惑。
ペットボトルの水を浴びるように飲み、汗で濡れたタオルは乾く間もなく絞れるようだった。

通学の高校生の群れに混じって、昨日ゴールした武佐駅からスタート。
約14キロ先にある守山宿までは国道8号線に沿って歩く。
日野川を渡ると義経伝説にちなんだ史跡が次々に出てきた。
なかでも義経の元服の地と伝わる鏡神社は、鬱蒼とした森に囲まれており、何やらパワースポットのような雰囲気があった。
また、近くには平宗盛終焉の地があり、説明書きを読むと、平家が滅びたのはこの地だという。
これまで壇之浦だと思っていたが、どうやら間違って覚えていたようだ。

国道8号線を離れ守山宿に入ると、仁王門がある寺や滋賀県で唯一残る今宿の一里塚などに賑やかになってきた。
しかし、ここから草津宿まではまた単調となり、暑さとの闘いに輪をかける状態になった。

草津駅を過ぎ商店街を歩いていくと、『右東海道いせみち、左中山道美のぢ』の石柱が出てきた。
中山道はここから東海道と合流し、京都三条大橋まで続くことになる。
なるほど、この先の表示はすべて東海道となっていた。

当初は草津駅前のホテル泊の予定だったが、明日の天気が怪しいので瀬田まで頑張り、京都までの距離を縮めることにした。
16時を回ったというのに気温は下がらす、最後は汗まみれになって瀬田駅前のホテルにゴールした。

部屋のテレビは、今年一番の気温を記録したといっていた。
道理で、鼻の頭と頬っぺたが真っ赤になってるわけだ(笑)。
今夜は餃子とビールで決めようと思う。

■2020年7月20日 滋賀県近江八幡市~草津市~大津市
■40677歩 26.44キロ
■スマイルホテル大津瀬田
■晴れ

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※国道8号線を行く。大津の表示が出てきた

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※中山道は国道を逸れて、畑に続く道に入った

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※田園風景が目に眩しい

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※源義経を奉った神社があった。

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※蓮に覆われた池。

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※中山道は朝鮮人街道と合流した。野洲あたり

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※鎌倉時代作と伝えられるお地蔵さま

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※守山宿に入った

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※守山宿

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守山宿の民家

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※守山宿。東門院守山寺

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※同上。境内にはカエルの像があった。

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※滋賀県で唯一残る今宿の一里塚

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※草津宿の街並み

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※草津宿。東海道と合流した

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※草津宿。JRの線路下をくぐる場面もあった

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※草津宿本陣

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※瀬田に向かう。表示は東海道になった

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※弁天池。鵜の繁殖地になっている。瀬田は近い


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日本縦断徒歩の旅【中山道編17】鳥居本宿~高宮宿~愛知川宿~武佐宿

秋田から帰って一週間が経った。
ゴロゴロと過ごしたおかげで、右足の痛みもほぼ無くなり、この三日間は5キロのウォーキングができるまでに回復してきた。
中断した歩き旅の続きをしたいが、足の不安を抱えてはすぐに戻って再開というわけにはいかない。
さらに、コロナ感染者が増えてきているなかで、果たして旅の再開はできるのか‥。

ここ数日、降りやまぬ雨に辟易としながら、これからの旅の行方を考えていた。

出した結論は、足慣らしも兼ねて西へルートを伸ばそうということ。
中山道は6月初めに滋賀県鳥居本宿まで歩いている。
幸い、ここ数日は天気も良さそうだ。
関西ではコロナ感染のリスクが高くなっているが、予防対策をしっかりとしたうえで、まずは中山道の終点である京都三条大橋までチャレンジすることにした。

名古屋から在来線に乗り、米原で下車し、近江鉄道に乗り換えて鳥居本駅で下りた。
1ヶ月半ぶりの鳥居本である。
宿場を貫く街道を歩き出すと、早くも滝のような汗。
最高気温は32度を予想しているが、アスファルトを歩く体感温度はそんなもんじゃないだろう。
つい一週間前の東北ではさんざん雨にやられたが、炎天下の暑さも辛い。

雨は嫌だ、暑いのも嫌だ‥まったくもってわがままである。

鳥居本から高宮宿までは、私と同じく炎天下のなかを歩いている物好きなご夫婦?と抜きつ抜かれつ歩く。
国道を黙々と歩く旅と違って、中山道はお決まりの一里塚や常夜塔、神社や寺など見処もたくさんあって飽きない。

岐阜県や長野県と違って、滋賀県内の中山道には標識や案内板が少ないので、三叉路などではともすれば道を外れそうになる。
愛知川宿から武佐宿までのルートは国道8号線に沿って中山道が並走しているが、飲食店や自販機もほとんど無いので、途中でペットボトルの水がなくなったときには本当に焦った。
ようやく出てきた自販機はまさに砂漠のオアシスであった。

日除け代わりの雨傘をさして、汗を滴らせながら本日のゴールとした近江鉄道武佐駅まで25キロを歩いたが、不安材料だった右足の痛みも出ることがなかった。
そして何よりも、皮膚が盛り上がり亀の甲羅のようにカチカチになった足裏は、前回までの旅でマメの痛みにあれほど悩んだことを忘れるくらいスタスタと歩くことができた。

武佐駅からは近江鉄道に乗り近江八幡で下車し、駅前のホテルに投宿した。
イオンで調達した焼き鳥とビールが、炎天下を歩いた乾いた喉に最高だった。

■2020年7月19日 滋賀県彦根市~近江八幡市
■38856歩 25.25キロ
■ABホテル近江八幡
■晴れ


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※近江鉄道鳥居本駅。今日のスタート地点

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※炎天下の鳥居本宿を歩く

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※江戸時代に設置された道しるべがあった

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※古い民家が軒を連ねる高宮宿

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※高宮宿は中山道にあって、街並みの規模も大きい

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※近江平野が一望できた

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※醤油蔵があったが、すでに廃業しているようだった

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※一里塚は残っていない

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※滋賀県の中山道ではこうした石仏が多く残っている

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※愛知川宿を歩く

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※愛知川を渡る。近江鉄道が並走する

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※旧郵便局の建物が残っていた

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※五個荘にあった常夜塔

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※藁葺き屋根の民家。維持が大変そうだ

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※武佐宿を歩く

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※今日のゴール、近江鉄道武佐駅


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アルフレッド・ランシング著『エンデュアランス号漂流』

軽量化を図るために紙一枚の重さまで気にして歩いた今回の日本縦断の旅ですが、そんな気持ちとは裏腹にザックに忍ばせていたのがアルフレッド・ランシング著『エンデュアランス号漂流』。
1914年に南極大陸横断を目指して遭難し、17ヵ月後に28名の乗組員全員が奇跡的な生還を果たすというノンフィクションです。

旅の途中で気ままにページを開いてきましたが、468頁の大作なので読み切ることができず、ようやく今日、読了しました。

さて、本書は数多くある漂流記モノでは古典の部類になりますが、サバイバルの視点と主人公シャクルトンのリーダーシップの視点という二つの観点から、単なる漂流記モノではくくれない読み応えがある内容でした。

全編を通して主張する“諦めない精神力”は現代に生きる私たちにも通じるものがあると思いますし、リーダーを信頼したメンバーが一丸となって 数々の苦難を乗り越えていくプロセスは、人間関係が希薄になっている今の社会において清々しさを感じました。

椎名誠氏が『活字の海に寝転んで』(岩波新書)の中で推薦していてずっと気になっていましたが、もっと早く読んでおけば、歩き旅という私の小さなチャレンジにも少しは影響を与えていたかもしれません。
“諦めない”ことは、夢を実現するために必要な最低限の要素だと思います。

また、文庫版あとがきでこの作品が翻訳された経緯に、故・星野道夫氏の存在があったことに改めて驚きました。


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[ 2020/07/15 ] ▼読書 | TB(0) | CM(0)

映画『ジョジョ・ラビット』を観る

昨日、歩き旅を一時中断し秋田から自宅に戻りましたが、居座った梅雨前線のおかげで東海地方は雨の中。
一夜明けた今日も一日中降り続いています。
今回の旅であれだけ雨に辟易したのに、自宅に帰ってもこれではほとほと雨を恨みますね。

そんな中、パートに出かけるカミさんを見送ると何もすることがなくなり(笑)、久しぶりにレンタルDVD屋に行きました。

でもって、レンタルしたのが『ジョジョ・ラビット』(タイカ・ワイティティ監督 2019 米)。
この春、見逃していた映画で、ぜひ見たかったんです。

ナチスやホロコーストをモチーフにした作品はたくさんありますが、そのほとんどが暗く重たい内容といってもよいと思いますが、ユーモアあふれるコメディタッチで戦争を描いていることがこの映画の魅力ですね。

しかし、ヒットラーユーゲントに入隊した主人公ジョジョのナチスに洗脳された偏ったファシズム思想や、ユダヤ人の迫害や戦争シーンにいたってはかなりシリアスな場面も多くあります。
観終わった後、目をそむけたくなるような暗いシーンを帳消しにしてしまうのは全編に流れるユーモアにあると思いますが、監督の狙いはおそらくそこにあったんではないかと感じました。

ナチスやホロコースト関連の作品はその多くが被害者のユダヤ人側の視点から描かれたものが多いですが、そんな意味では加害者側のドイツ人の少年の目を通して描き切ったことに拍手を送りたいと思います。

ネタバレになりますが、戦争が終わってジョジョがナチの洗脳から覚醒し、ダンスで自由を表現した最後のシーンは痛快でした。


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[ 2020/07/14 ] ▼映画 | TB(0) | CM(0)

旅を一時中断しました

本日、秋田から帰還しました。
せっかく東北北部の天候が回復したというのに残念ですが、足の怪我には勝てません。
今回は一ヶ月の予定でスタートしましたが、実質8日で240キロ歩いただけで終わってしまいました。
しばらく治療に専念し、回復したらまた再開したいと思います。

それと増え続けているコロナ感染の動向。
県をまたいでの旅が今後もふつうにできるのか、気になるところです。
歩き旅とはいえ、買い物や飲食、宿泊、移動にあたっては不特定多数の人との接触は避けて通れません。
地方はともかく、都市部では感染リスクが高いエリアもあるので、最大限の防御を図って旅をする必要を感じます。

まずは足の怪我を直すのが先決ですが、もう一度計画を練り直して、日本縦断の歩き旅に取り組みたいと思います。


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日本縦断徒歩の旅【東日本編23】秋田停滞

往生際が悪いので、まだ秋田にいる。

今日はホテルの窓を激しく叩く雨音で目が覚めるという、大雨警報の朝から始まった。

7時過ぎまでベッドでゴロゴロと過ごし、雨のなか駅前にある吉野家へ。
足の具合は昨日と変わらず、駅の階段の登り下りにズキンと響く。
痛みが出てから5日目になるのに、さすがにこれでは笑えない。

ホテルでの二日続きの缶詰めもつまらないので、気分転換に昨年亡くなった叔父に線香を上げることにした。
新幹線こまちに乗車し、角館で下車。
横殴りの雨のなかを歩く。
ほんの数百メートルなのに、足の痛みと違和感が出てきた。

(今回はここらで白旗上げてもいいよな‥)
と弱気の自分をいじりながら、叔父の家に向かった。

私が突然やってきたということで、近くに住むもう一人の叔父やいとこたちも合流し、久しぶりの再会を楽しむことができた。
徒歩で秋田に来たと聞いて皆一様に驚いたのは可笑しかったが、おそらく本音は呆れていたんだろうと思う。
私が逆の立場なら間違いなくそうだ。

ともあれ、ほんの半日の短い旅だったが、訪ねることができて良かったと思う。
帰り際に木箱に入った稲庭うどんのお土産を渡されたが、重いし、旅をしているので固辞したが、結局受け取ってしまった。
紙一枚にもこだわり軽量化を図って挑んだ今回の旅が、この時点で終わったんだ、と改めて思うことになった。

さて、明日。
帰りの切符はまだ買ってない。

この期に及んで、往生際も諦めも悪い自分がいる。

すっかり忘れていたが、昨日は膵臓の手術をしてちょうど一年。
私にとっては、命をつなぐことができた記念日だ。

今こうして、徒歩での日本縦断に挑んでいる自分がいることに感謝したい。

■2020年7月12日 秋田県秋田市
■ホテルアルファーワン秋田
■雨


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※角館駅で


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日本縦断徒歩の旅【東日本編22】秋田停滞

天候予報は当たり、秋田は大雨警報が出るほどの荒天となった。
右足の痛みはいくぶん良くなったが、まだ本調子には遠い。

雨を良いことに、ホテルにこもってごろ寝を決め込んだ。
昼食がてら外に出たときは雨は止んでいたが、部屋に戻るとまた降りだした。

足の痛みと天候。
明日、もう一度様子を見て進退を決めようと思う。

■2020年7月11日 秋田県秋田市
■ホテルアルファーワン秋田
■雨

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※『日乃屋』メンチカツカレー 860円


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日本縦断徒歩の旅【東日本編21】秋田停滞

朝起きても右足の痛みは変わらなかった。
チェックアウトぎりぎりの10時までホテルにこもり、JR羽後本荘駅から秋田駅に移動。
秋田駅前のホテルを予約しているので、とりあえず本荘を離れ、ついでに整形外科で診てもらうことにした。

秋田駅に着き、駅前にあるスポーツ整形外科病院へ。
県外者、さらに複数の他県を移動してきたということで待合室には入れず、外来患者の診察が終わるまで外で待つことに。
一時間待って、裏口から診察室に入った。

医師と看護師が防護服とフェースガードをつけて登場。
テレビで何度も観ているが、ホンモノの防護服を見たのは初めてだ。
私はもろにコロナ感染疑いの要注意者になっているようだった。

痛みと腫れがあるということで、疲労骨折を疑われエコーで検査するが、診断は足を酷使したことからくる筋肉疲労だった。
対処は痛みが退くまで足を休めることしかないので、「時間がかかるかも」と言われた。
もう一言は「再開してもまたなるかもね」だった。
湿布はあるのでロキソニンを3日分貰い病院を出たが、これから先の旅に予期せぬ暗雲が立ち込めたようで、気持ちの整理がつかぬまま予約したホテルへ痛む足を引きずりながらとぼとぼと歩いた。

さて、どうしようか。
東京のコロナ感染者は過去最高の243名を数え、足も痛むし、梅雨前線は居座ったままで秋田の天候回復はしばらく望めない。
ネガティブな思考になればなるほどマイナス要素を無意識に並べ、心はリタイアへ真っ直ぐ進んでしまう。

ここは様子見にして、それからの判断でもいいんじゃないか‥。
もう少し冷静に考えることも必要である。
‥ということで、明日の足の具合を見て結論を出すことにした。

夜、東北赴任時代の同僚二人と飲む。
二年ぶりの再会だったが、二人ともしっかりと着実に成長していた。
こうした姿を見ると、自分のこと以上にうれしく思う。
退職したら会社に関わることと、現役メンバーとの関係をたち切るつもりだったが、いざ懐かしい顔を前にして酒をくぐらせると、あっという間に仕事をやっていた“あの頃”に戻るのだった。

■2020年7月10日 秋田県由利本荘市~秋田市
■ホテルアルファーワン秋田
■くもり

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日本縦断徒歩の旅【東日本編20】象潟~西目

泊まったホテルが温泉付きだったので、朝から入浴して痛みがある右足を揉んだ。
ロキソニンを飲み、湿布を貼って出発。
何とか由利本荘までの28キロを頑張りたい。

日本海が見渡せる道の駅鳥海を過ぎ、国道7号線を逸れて金浦の町に入った。
今日は曇天だが雨が降ってないだけありがたい。
天気が良ければ雄大な鳥海山が見えるはずだが、重い雲に閉ざされてわずかに裾野が見えているだけである。
このまま勇姿を見ずに終わりそうだ。

雑草に埋もれてしまった飲食店や廃墟になった巨大ホテルを横目に歩く。
コロナの影響もあったのだろうか、ここまで歩いてきて旅館や民宿の廃業、休業をたくさん見てきた。

そんな中、金浦駅の近くで大正時代創業という洋菓子屋を発見。
コロナ禍で休業している店が多いので期待してなかったが、店内に明かりが灯っていた。
店の看板商品の『鳥海山麓窯出しシュークリーム』を衝動買い。
店内で食べると言ったら、コーヒーも出してくれた。
血糖値の不安を抱える身なので、甘いものを控えてきたが、誘惑に負けてしまった。
もちろん、シュークリームは美味しかった。

再び7号線に戻り歩き出すが、右足の痛みがどんどん増してきた。
バス停の待合所で靴下を脱ぎ、足を揉む。
筋肉痛かと思っていたが、おそらく神経痛のようだ。
足を上げる動作に痛みが走る。

ここからが苦しい歩きを強いられることになった。
痛みがひどくなるとバス停の待合所を探し、歩くよりも長く休む状態になってしまった。
さらに厄介なことに、由利本荘市に入ると国道7号線は歩道がない区間が続き、痛みをこらえながら必死に歩く。

昼食のコンビニおにぎりを食べてロキソニンを飲んだが、速効性があるクスリの効果もなく、ついに西目の道の駅でリタイア。
痛みも極に達し、足が上がらない状態だった。
予約した由利本荘のホテルまであと5キロの地点だったが、ここでタクシーを呼ぶことにした。
情けないが、白旗である。

痛みをこらえて歩いた距離は22キロ。
天気も悪くなかったし、マメの痛みもなかっただけに不本意な一日になってしまった。

誰もがそうだろうが、なんらかのアクシデントに遭うと、過去の経験値から置かれている状態を『これなら大丈夫』とか、『アカン』とか判断する。
過去に北アルプスを縦走したとき、膝の神経痛に苦しみながら下山したことがあったし、昨年受けた開腹手術の痛みも半端じゃなかった‥そんなことを思い出しながら、今日の痛みは『もう、アカン』だった(笑)。

しばらくホテルでの休養も考えて、続きは明日、ダメだったら明後日、まずは体調を万全に整えることに専念したいと思う。

今日は東京のコロナ感染者が200名を超えたという。
秋田県の天気予報は明後日からの大雨を告げている。
梅雨末期、しかもコロナ禍のなかでのチャレンジを選んだ自分である。
リスクは承知だったはずだが、いずれすべてが好転することを祈りたい。

■2020年7月9日 秋田県にかほ市~由利本荘市 34482歩 22.41キロ
■本荘グランドホテル
■くもり

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※象潟の町で見つけたホーロー看板。といっても、数年前にすでに撮影済み

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※道の駅鳥海から見える日本海

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※金浦の町にあった老舗菓子店

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※看板商品を食す

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※金浦で。天気が良ければ鳥海山が見えるはず

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※国道7号線沿いで。何の養殖だろう

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※仏さまもあった

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※由利本荘市に入ると、国道7号線は歩道がなくなった。必死に歩く

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※8日前に新潟を出発して224キロ。よく歩いてきたと思う

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※バス停の待合所は足の痛みを癒す場となった。


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日本縦断徒歩の旅【東日本編19】酒田~象潟

昨日からの、しつこい雨に捕まっている。
今日も一向に止まない雨の中、歯をくいしばって歩くことになった。

旧秋田街道が通る酒田の市街地を抜け、おけさおばこラインと呼ばれる国道7号線に出ると凄い交通量に圧倒された。
広い歩道を歩くもトラックはお構い無しに水しぶきを浴びせ、疾走していく。
のっけから引いたが、よりによってこの悪天のなか、こんな暴力的な国道を35キロも歩くことを思うと、さらに憂鬱になった。

山形県と秋田県の県境の町・遊佐町に入り、ずぶ濡れになって道の駅鳥海に到着。
濡れた靴下を脱ぎ、裸足になって蕎麦をすすった。

一息ついて再び雨の中を歩き出す。
吹浦からは海岸線を通る国道345号線を進むことにするが、入口には『歩道工事のため、歩行者は迂回してください』とあった。
3キロに渡って老朽化した歩道の掛けかえ工事をしているようで、有名な史跡の十六羅漢岩あたりも工事をしているみたいだった。
ここは迷わず十六羅漢岩を見るために突入することにし、何ヵ所もある工事区間を横目に見ながら突破した。
よくよく考えると、十六羅漢岩は以前にも訪れたことがあったので無理することもなかったが、岩に彫られた仏さまに旅の安全を祈願したかったのが本音のところ。

再び国道7号線に合流し、集落が出てくるたびに横道に逸れながら歩く。
複雑で立派な彫刻が施された神社があったり、『アマハゲ』という、『なまはげ』とは違う風習の宣伝があったり、集落にはなんらかの発見があって興味深い。

芭蕉ゆかりの奥の細道が通る三崎公園で秋田県に入ったが、雨の中では感動も薄く、いっそう激しくなった雨に悪態をつきながらやけくそになって歩いていく。
右足首からすねにかけて痛みが走り、休む場所もないのでひたすら我慢の時間だった。
ようやく見つけたバス停の待合所で湿布を貼ったが、痛みはどんどんひどくなり、最後は足を引きずるように象潟の町に入った。
素人判断だが、痛みの原因は傾斜した歩道を長時間歩き、筋肉の同じ部分に負担をかけたことにあるのではと思っている。

16時に、濡れ鼠のようなほうほうの体で宿泊予定のホテルに到着。
出発したのは朝6時過ぎだったので、10時間コースとなった。

ホテルには温泉があり、痛んだ足をよく揉んで湿布を貼ってロキソニンを飲んだ。
明日、痛みが引かないようなら考えなければならない。

こんなところでリタイアしたくないので、歩けることを祈るしかない。

■2020年7月8日 山形県酒田市~秋田県にかほ市 53039歩 34.47キロ
■たつみ寛洋ホテル
■雨のちくもり

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※酒田市内で。旧秋田街道が通る

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※青森、秋田の標識が出てきた

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※国道7号線を歩く

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※吹浦川を渡る

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※十六羅漢岩

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※羽越本線と並行して歩いていく

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※アマハゲとは何者?

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※飛島が遠くに見えた

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※歩いてきた海岸線を振り返る

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※雨の中、秋田県に入った

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※小砂川集落にある八幡神社

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※素晴らしい彫刻

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※今日のゴール、象潟に入った


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日本縦断徒歩の旅【東日本編18】鶴岡~酒田

覚悟はしていたが、一日中雨にやられた日になった。
旅を再開してから運良く雨をかわしていたのは、単なるラッキーだったこと。
今となってはそう思う。

鶴岡駅から羽越本線を羽前大山駅まで戻りスタート。
駅の待合で雨具の上下を着て、更に傘をさして一歩を踏み出した。

県道38号線を酒田に向かって北上するが、コンビニがすぐに出てきてからその後はまったく店どころか自販機さえ現れなかった。
回りは広大な農業地帯なので、さえぎるものはなく、雨宿りする場もない。
広域農道を歩いているようだ。
これを炎天下に歩いたら、熱中症との闘いになったかもしれない。

交通量が多い県道は大型トラックがひっきりなしに通り、歩道を進む私の全身に水しぶきがかかる。
これでは“水も滴る良い男”どころではない。
雨が弱まると雨具を脱ぎ、強く降りだすと電話ボックスに入って再び着た。
さらにこの県道は10数キロに渡って休憩する場もなかったので、唯一雨がしのげた日本海東北自動車道が横切る真下でコンビニのおにぎりを立ったまま食べることになった。

靴の中はびしょ濡れで気持ち悪いが、休んで靴を脱ぐ場もないないので、酒田市街を目指してひたすら歩く。
泥の色となった真室川を渡り、ようやく酒田に入った。

仙台赴任時代に何度も出張した酒田なので今さら見るところもないが、雨が小降りになったこともあり山居倉庫とけやき並木が見たくなり立ち寄ることに。

ところが、山居倉庫の駐車場でやたら話好きの中年男性から声をかけられた。
私を酒田が初めての観光客と思ったようで、オススメの見学ルートの能書きを演説し始めたので、適当にあしらってその場から退散した。

今日の泊まりは山居倉庫の近くにあるホテル。
チェックインの後、洗濯機に汚れモノを放り込み、従業員オススメのワンタン麺が美味い店へ。
夜は酒田の友人と飲んだ。
久しぶりの再会に話がはずみ、この旅初めてのアルコール摂取になった。

天気予報は明日も雨を告げている。
太陽を見ない状況は当分続きそうだ。

■2020年7月7日 山形県鶴岡市~酒田市 34605歩 22.49キロ
■酒田グリーンホテル
■雨

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※鶴岡市大山の町。造り酒屋の煙突が見える

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※県道38号線を進む

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※人面魚、久しぶりに見たフレーズ

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※雨が降る中、酒田市に入った

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※最上川を渡る。酒田市街地が近づいた

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※山居倉庫で。

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山居倉庫のけやき並木

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※『川柳』のワンタン麺を食す。750円

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※美味しい店で旨い料理を味わう。『冨重』


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日本縦断徒歩の旅【東日本編17】鼠ヶ関~鶴岡

九州でとんでもない大雨被害が発生しているというのに、のんきに山形県を歩いている。
どうすることもできないが、災害がこれ以上拡大しないよう祈るばかりである。

憎っき梅雨前線は、明日の酒田地方の大雨を予報したので、由良温泉に泊まる予定を変更して鶴岡まで頑張ることにした。
これによって明日の酒田までの行程が少なくなり、雨でも踏ん張れそうだ。

今日は鼠ヶ関を出て国道7号線を海岸線に沿ってひたすら北上した。
付かず離れずだった粟島はいつしか見えなくなった。
あつみ温泉を過ぎ、三瀬から日本海を離れたが由良峠の登り坂がきつかった。
海岸線の平坦な道をずっと歩いてきたこれまでのツケが回ったようで、ボタボタと大粒の汗を落としながら登りきった。

峠を下ったところで国道7号線を離れ、雨が降りだした県道336号線に入り羽前大山駅にゴール。
鶴岡までの一駅を電車に乗り、鶴岡駅前のホテルに投宿した。

今日の出来事で書き留めておきたいことがあった。
私と同じ歩き旅をしている人に出会ったのだ。
大阪の70才の方で青森を出発し、テントを背負って敦賀まで歩くという。
今日が17日目ということだった。
ということは、私が青森に到着するのはまだ17日かかるとことになりそうだ。
その方は20年以上かけて日本中に足跡を残しており、これまで踏破したルート図を見せてもらったが、ただ驚くばかりだった。
ほんの10分くらいの立ち話だったが、お互いの行程の情報を交換し、帰宅後に連絡することを約束し、別れた。
私もそうだし、その方も言っていたが、今回の旅で歩き旅の人に会ったのは初めてということだった。
コロナ禍のなかで歩いている人はそうそういないだろうと、お互いに納得する一幕となった。

さて、明日は酒田に向かう。
この6日間、まともに太陽を拝んでいない。
大雨にならないことを祈るばかりだ。

■2020年7月6日 山形県鶴岡市 50119歩 32.57キロ
■ホテルイン鶴岡
■くもり後雨

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※鼠ヶ関は江戸時代に北国街道の関所があった

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※鼠ヶ関の集落を歩く

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※秋田の表示が出てきた

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※あつみ温泉に入った

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※こんなモニュメントもあった

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※五十川付近で。立岩

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※国道7号線には歩行者専用トンネルがあった

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※由良峠から由良の町並みを俯瞰する

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※広大な庄内平野。鶴岡が近づく

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※羽前大山の酒蔵。4年前に訪ねたことがあった

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※酒蔵にあったホーロー看板

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※今日のゴール、雨に煙る羽前大山駅。


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日本縦断徒歩の旅【東日本編16】桑川~鼠ヶ関

ボリュームたっぷりの食事と親切な対応をしてくれた民宿のご夫婦に見送られて出発。
ご主人曰く、これまでに何人も徒歩縦断の旅人を泊めたそうだ。
もっとも、還暦過ぎの人はほとんどいなかったようだが。

桑川から始まる景勝地『笹川流れ』はかつての北国街道の難所として知られ、今川集落あたりの海岸線まで奇岩、岩峰が続いていた。
昨日から見守られるように離れない粟島は、歩を進めるにつれ遠くなっていった。

国道345号線は桑川から越後寒川までの10キロくらいの区間で歩道がなくなったが、日曜とあって交通量が少ないのが救いだった。
さらにトンネルが連続したが、トンネル内には幅50センチほどの歩道があり、念のためザックに蛍光ステッカーを貼り、肩に蛍光たすきをかけて歩いた。

鼠ヶ関の手前で県境を突破し、山形県に入った。
南北に長い新潟県を突破するのに延べ9日を費やしたことになるが、今となっては長野県を越えて新潟県に入ったときの感動はすっかり忘れている。

今日の行程は22キロほどなので、宿がある鼠ヶ関には14時頃に着いた。
今夜泊まる民宿を電話で予約する際に、女将さんから頑なに15時以後にチェックインして欲しいと言われ、返す言葉もなかったが、理由は毎日くたくたになるので、休み時間が必要だということだった。

‥ということで、鼠ヶ関に早く着いてしまってもすることがなく、弁天島が見える公園でぼんやりと海を眺めることになった。

晴れない梅雨空に一日中捕まった日だったが、今日も雨具を着ることなく歩くことができた。
宿に着いたときに雨が降りだしたのは、昨日と同じラッキーなパターンだった。

■2020年7月5日 新潟県村上市~山形県鶴岡市 35692歩 23.19キロ
■民宿 咲
■くもり

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※桑川の民宿を出ると、笹川流れの景色が始まった。

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※トンネルが連続する国道345号線

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※トンネル内には歩道があった

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※粟島は今日もずっと寄り添ってくれた

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※今川の集落を歩く

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※海岸にはゴミが目立つ

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※歩道に落ちていたフグ。釣り人が捨てたのだろうか

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※粟島が遠くになった

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海岸線を走る羽越本線の車輌

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※県境の指標

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※新潟県は長かった。山形県に突入

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※鼠ヶ関の公園から粟島を見る

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※民宿で。雨が降っているのに夕日が見えた


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日本縦断徒歩の旅【東日本編15】村上~桑川

時間に追われたり、気にする生活はこの春の退職で終わりを告げたはずなのに、脳内時計は相変わらず時間を気にしている。
休憩していても、(あと10分で出発しよう)
歩いていても(60分歩いたら休憩しよう)‥こんな感じだ。

毎日規則正しく満員電車に揺られていた、長年のサラリーマン生活の性は簡単には消えないようだ。
今日は18キロの行程しかないので、時間を気にせずに、時計を見ずにのんびり歩くことにした。
景色の良い場所があったらザックを下ろし、腹が減ったら飯を食い、気が向いたらカミさんにLINEをする。
時間を忘れることで非日常の楽しさを味わう。
これこそ旅の醍醐味だ。

歩く旅はなんとも贅沢だとつくづく思う。
時間配分はすべて自分の足が決めるからだ。

今日は明け方まで強く降っていた雨が止んでからの遅い出発となった。
村上の市街地から日本海に出ると海上に粟島の姿があり、ずっと島を見ながらの歩きである。
潮の香りが鼻をついて離れない。

国道345号線は整備された歩道がついており安心して歩くことができた。
海ばかりでは飽きるので、集落が出てくるたびに横道に逸れると、小さな発見もあった。
集落内には津波の避難経路の表示や防火水槽が目につき、民家の玄関先には水汲み場も。
まだまだ知らないことは多い。

越後早川駅を過ぎると粟島の島影はどんどん近づき、ゴールの桑川に着いたときには手に届く近さとなった。
持ちこたえてくれた梅雨空は、この旅初めての民宿の暖簾をくぐると同時に、申し合わせたように雨になった。

■2020年7月4日 新潟県村上市 29167歩 18.95キロ
■民宿ちどり
■くもり


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※明治時代の最後の即身成仏が安置されている村上の観音寺

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※観音寺で。仁王像があった

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※日本海に出ると三面川と海岸線がすっきりと見えた

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※国道沿いに佇むお地蔵さま

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※粟島が遠くに見えた

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※集落の民家には水汲み場があった

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※国道345号線の歩道は広く快適

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※バス停の休憩場。しばし昼寝

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※越後早川駅。

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※粟島が近づいてきた

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※集落を歩く

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※旅人は北を目指す

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※粟島が更に大きくなった

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※この注意書き、豊富な海の幸があることを教えている

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※景勝地笹川流れの桑川に到着

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※民宿の食べきれないほどの夕食に舌鼓を打った


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日本縦断徒歩の旅【東日本編14】中条~村上

放浪画家の山下清は線路に沿って歩いたという。
海援隊が歌った「思えば遠くに来たもんだ」では、歌詞の中にレールに耳を当てるフレーズが出てくる。
今でこそ線路内の立ち入りは許されないが、その昔はおおらかな時代だった。

私も線路に沿った道を歩いている。
トラックが行き交う国道は、歩いていても騒々しくて落ち着かないし、何といっても無機的だ。
生活感が漂う線路沿いは、歩くたびに景色が変わり、それを見ているだけで心が踊る。

今日は中条から坂町までの区間を羽越本線に沿って歩いた。
カタコトと走る普通電車や貨物列車が田園風景に見事に映えていた。

鮭が遡る荒川を渡り、広域農道から仕方なく国道7号線に入ると1台のクルマが私の横に止まった。
「どこまで行くんですか?乗ってきませんか」
親切な中年の女性から声をかけられた。
「歩いてるんです。ありがとう」‥と、返答すると、女性は「お気をつけて」と言葉を残して去っていった。

声をかけられたのは初めて。
素直に嬉しく、歩くペースも一段上がったほどだった。
そうそう、今日は真っ黒に日焼けした自転車の女の子にもすれ違った。
声をかけれなかったが、荷物満載のツーリング仕様だった。

今日は20キロほどの行程なので、道の駅でのんびりと昼寝をしたり、ゆとりをもって歩くことができた。
昨日とは打って変わった晴天の下、汗を拭きつつ村上市に到着。
ホテルのチェックインまで時間があるので、市内をぶらり。
さすがに鮭の町、軒から吊るされた鮭を初めて見た。
これを見れただけでも、この町を訪ねてよかったと思う。

さて、気になるのはコロナの状況。
東京の感染者が124人を数えた今日、今後の旅に暗雲が立ち込めないことを祈りたい。

■2020年7月3日 新潟県胎内市~村上市 39493歩 25.67キロ
■タウンホテル村上
■晴れ時々くもり

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※中条を出て、まっすぐに伸びる広域農道を歩く

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※地方ではありふれた風景

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※やさしく流れる胎内川を渡った

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※夏真っ盛りの新潟

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※線路に沿って歩く

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※平木田駅前で見つけた廃屋

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※坂町の駅前通り

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※荒川は鮭の町

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※430メートルの荒川橋を渡る

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※荒川は鮭が遡上する川だ

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※道の駅でしばしの昼寝

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※村上の町を歩く

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※鮭の町、村上ならではの風景

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※鍛冶町の鍛冶屋さん

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※造り酒屋もあった


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日本縦断徒歩の旅【東日本編13】新崎~中条

一週間ぶりの新崎駅前に立つ。
前回は灼熱にあえいで、ほうほうの体でたどり着いたが、再スタートの今日は重苦しい曇天。
半袖では肌寒い気温だ。

交通量が多い県道3号線を歩き出すが、通学の高校生の群れと重なり、避けながら歩く。
佐々木駅を右手に見て、県道は左へ直角に曲がった。

降りだした雨の中、傘をさして黙々と歩く。
ぶどうやさくらんぼの畑が広がり、直売所にふらふらと足が向きそうになったが、(いかん、いかん)と、すんでのところで自制した。

糖尿病内科の主治医から、間食は血糖値を上げるので、旅先でも注意するようにアドバイスを受けたこともあり、今回の旅から極力パスすることにした。
昼飯はしっかりと、できれば飲食店で食べるということにするのが目標だ。
しかし、紫雲寺を過ぎても飲食店どころかコンビニさえない。
やっとのことで見つけたラーメン屋は、暖簾が出ているのに引き戸を開けたら店内は真っ暗だった。
空腹も限界に近くなり、万が一のために用意した予備食のせんべいを食べなから歩く。
紫雲寺町のはずれで食堂発見。
ようやく昼飯にありつくことができた。

落堀橋で県道を離れ、中条まで流れる舟戸川の堤防を歩く。
新潟らしい圧倒的な田園風景が眼前に広がる。

しかし、それはつかの間の感動だった。
風が出るのと同時に大粒の雨が降りだし、あっという間にずぶ濡れになってしまった。
堤防を歩く身には雨宿りする場もなく、雨具の上下を着て傘をさして、遥か先に見えている橋の下まで走る。

ラッキョウのような雨とはこのことをいうのか、凄まじい雨だった。
雨は降ったり止んだりを繰り返し、その都度、雨具を着たり脱いだり、ザックにレインカバーを着けたり‥中条の町に出るまでそんな調子が続いた。

中条は土蔵の街というようだが、期待したほどの風景を見つけることができなかった。
もっとも三度目の中条なので、今さらだが。
イオンで買い出しをし、16時に中条グランドホテルに到着。

約30キロを歩いた初日だったが、足の痛みもなく良いペースで進めた一日になった。
しかし、このところ暴れだした歯痛が気になるところ。

新潟県の歩きはまだまだ続く。

■2020年7月2日 新潟県新潟市~胎内市 45418歩 29.52キロ
■中条グランドホテル
■雨


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※県道3号線に沿って旧新発田街道の道が伸びていた

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※バス停は雨が凌げるし、格好の休憩所になる

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※JR白新線を走る電車が遠くに見えた

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※梅雨真っ盛り

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※聖籠町に入るとさくらんぼ畑が広がった

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※紫雲寺町に入った

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※これはご愛嬌

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※五目ラーメンを食す(きりさわ 750円)

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舟戸川に沿って歩く

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※広大な田園風景。新潟ならではの景色

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※止まない雨のなか、ひたすら歩く

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※胎内市中条の町並み

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※同上


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旅を再開しました

ドクターストップもなかったので、歩き旅を再開することにしました。

今日はパートに行くカミさんを送り出してから名古屋駅に向かい、高速バスで新潟に移動。
明日は前回のゴール地点の新崎に戻ってスタートです。
梅雨前線が北上し、これから歩く東北地方はぐずついた天気が続きそうですが、それも想定内です。

コロナの動向も気になるし、どこまで行けるか分かりませんが、焦らず、のんびりと旅を楽しもうと思います。

■2020年7月1日 新潟県新潟市
■ニイガタステーションホテル
■曇り


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