このところの猛暑と一段と加速を増しているコロナ禍のなかで、ちょっとした外出をすることさえ躊躇しています。
空虚で閉塞的な状況が長く続けば、知らぬ間に心身のバランスを崩すことになる…分かっていても、無職で、日がな一日を過ごす我が身にはなんと一日が長いことか(笑)。
今更ですが、私にとってのストレス解消法の一つが読書。本を読むことでむなしく過ぎていく時間を埋め、一日をそつなく過ごすリズムを得ているのかもしれません。
さて、日本縦断の歩き旅を中断してから自宅にこもり続け、“積読本”を崩しながら活字を追う毎日のなかで、印象に残った本を紹介したいと思います。
縁あって、著者からいただいた『日本列島縦断歩き旅-宗谷から佐多へ-』(2011年3月刊 エルアイユー)です。
還暦を迎えた著者が3シーズン(平成20~22年)85日間をかけて、日本列島を北海道宗谷岬から鹿児島県佐多岬まで徒歩で縦断した記録です。
同様な徒歩旅の本は多くありますが、日記形式によるリアルな描写が読む側の気持ちを惹きつけ、一緒に旅をしているような、緊張感と心地よさを感じます。
宿の情報はもちろん、昼食のリンゴ一個の値段まで詳細に記録した内容がインパクトを広げています。
後に続くチャレンジャーたちへの貴重な資料になるのではないでしょうか。
著者あとがきで、旅の中で宿や食事、洗濯、トイレといった衣食住や天気の心配から解放されることがなく雑念に支配されたと語っていますが、これは中途半端に縦断の旅をかじっている私にも思いっきり共感できますね。
歩いているときに何を考えているのか…と振り返ってみれば、今夜はどこに泊まろうか、そろそろ宿を確保しなきゃあ、自販機なくなったらどうしよう、もよおしたらトイレあるかな…私の場合はそんなことばかり考えて歩いていました。
更に、雨にやられたり、暑さにやられたり、そのたびに悪態をつきながら歩くという、傍から見ても旅を楽しんでいるという風情ではありません。
しかし、旅に順応し、心底旅を楽しむ姿勢に変えることによって、歩くことの意味はより深さを増すようです。
著者は移動速度と身の丈からのみ感じ取れる自然の美しさを体感し、過疎化が進む現状を目の当たりにし、この国の行く末を案じています。
また、道中で接した多くの人々の寛容さにも触れており、積極的に人と関わっていく姿勢が見て取れます。
そんな意味では、3000キロの旅は人生の記憶に残るだけではなく、何かを気づき、変わることができた大きなチャレンジであったと思います。
最後に、
私にとってこの本、これからの歩き旅の指針になるような気がします。
歩くことの意味を自問自答しながら、残りの旅を楽しみたいと思います。

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