運が良いことに、晴天が続いている。 放射冷却もあって、朝の出発時は息が白くなるほど冷え込んでいる。 今日は36キロの行程なので、ひたすらずんずん歩くのみ。 黒崎から国道3号線を進み、遠賀川を渡ったところで、鹿児島本線に沿った県道299号線に入った。 JR遠賀川駅までの9キロを一気に歩く。 駅前の駐車場でザックを下ろし、靴下を脱いで足を投げ出した。 体は汗ばんでいないのに、足だけは蒸れてしかたがない。 マメの予防もあって靴下は厚手のパイルを履いている。 足が蒸れるのは良いとして、靴下が臭くなるのはいただけない。 “足臭さ男”になったのは想定外である(笑)。 靴下が乾いたところで、ザックを背負い出発。 海老津を過ぎ国道3号線に合流する手前には、旧国鉄の遺構として九州で一番古いといわれるレンガ造りのトンネルが保存されていた。 また、そこから至近にある鹿児島本線を潜るトンネルもレンガ造りでかなり古いものだった。 国道3号線は城山峠を越えると一気に下り、市街地に入るにつれ、どんどん人臭くなった。 目につくのは、ラーメン店とうどん店。 博多ラーメンで有名な福岡県だが、それ以上にうどんも熱い。 福岡県は日本でも指折りの麺王国なのだ。 適当に飛び込んだラーメン店は、なんと替え玉が10円だった。 次はうどんを食してみたい。 歩行距離が30キロを超え、退屈な国道歩きに飽きた頃、晩ごはんの調達にスーパーに寄った。 ホテルに宿泊する毎に貰っている1000円分の地域共通クーポンが重宝している。 キャンペーンがスタートしたときは使用できる店も少なかったが、今はストレスを感じないくらい増えてきた。 お陰で、毎日の晩ごはん代が浮いている。 それと、何といってもGO TOトラベル適用の宿泊代金。 35%割引はありがたい。 今年の初めに縦断の旅を始めるに当たって費用を試算したときは、こんなキャンペーンを発信するとは思っていなかった。 コロナ禍は憎いが、経済対策は歓迎である。 午後4時、古賀駅近くにあるホテルに投宿。 出発時に地図アプリで検索した距離36キロは、実際には32キロ弱でのゴールとなった。 ■2020年10月31日 福岡県北九州市~宗像市~古賀市 ■50538歩 32.84キロ ■ホテルAZ福岡古賀店 ■晴れ  ※放射冷却で冷える朝、黒崎から国道3号線を西に向かう。  ※遠賀川を渡った。  ※鹿児島本線に沿って歩く。  ※海老津駅に停車中の電車を見る。  ※旧国鉄遺構のトンネルが保存されていた。  ※鹿児島本線のレトロなトンネルを潜った。  ※城山峠。ここから一気に下った。  ※今日の昼ごはん(三気 とんこつラーメン 650円)。  ※国道3号線の退屈な歩きが続いた。  ※今日のゴール、古賀が近づいてきた。  ※ありがたいことに今日も快晴。  ※国道3号線とずっと一緒だった一日が終わる。 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
スポンサーサイト
門司は美しい街だ。 旧さと新しさが渾然一体となって、街のスティタスを高めている。 一昨年訪ねたときには修復工事中だった門司港駅の駅舎は化粧を直し、すっかり美しい姿に生まれ変わっていた。 海岸線に沿って南下する国道199号線には、整備された広い歩道に休憩所やトイレ、ベンチが置かれ、ジョギングや釣りを楽しむ人もいて、海を眺めながらのんびりと歩くことができた。 また、レンガ造りの倉庫や旧サッポロビール九州工場の巨大な建物も目を楽しませてくれ、クルマの量と排気ガスを気にしなければじゅうぶんにお釣がくる歩きとなった。 今日の行程は黒崎までなので歩行距離も26キロと短く、道草敢行。 小倉駅前を通過して、魚町のレトロなアーケード街(旦過市場)の中と小倉城に立ち寄った。 戦後から続く歴史があるアーケード街は、魚や果物、乾物や練り物、うどん屋等が軒を連ね、買い物客で賑わっていた。 古い木製の看板がずらりと掲げられた乾物屋で、店番のおばあちゃんと話す。 どこから来たの?の問いに、岐阜県から歩いてきた…と返すと、 「凄いわねぇ、歩いてとは」と、感心しきり。 看板の撮影のお礼に昆布茶を買うと、別れ際に「がんばれー!」とエールを送ってくれた。 商店街をぶらぶらと覗き、ミカン3個(100円)と沖縄おにぎり(卵焼きとハムが入ったもの 250円)、紅生姜はんぺん(140円)を購入し、小倉城の天守閣を眺めながらつまんだ。 残念ながらミカンの一つが傷んでいたが、思いっきり甘かったので、まぁ、許してやろう。 小倉城から戸畑駅に向かい、再び道草。 戸畑渡船場から連絡船に乗って、対岸の若松区に渡る。 目的は渡船場から歩いて10分ほどの商店街にあるホーロー看板の撮影だが、残念ながら目当ての看板はすでに消失しており、肩を落として帰りの船に乗ることになった。 風向きが変わったようで、少し冷え込んできた。 地図アプリで検索すると、戸畑の渡船場から予約したホテルがある黒崎駅前までは8キロ。 ずいぶん道草をしてしまったが、あとは気合いを入れて歩くのみだ。 国道3号線を休むことなく一気に歩き、午後3時過ぎにホテルに着いた。 距離が短いことを良いことに道草を楽しんだ一日となったが、蓋を開けたら結局30キロを歩いていた。 どおりで、足が痛いわけだ(笑)。 ■2020年10月30日 福岡県北九州市 ■46162歩 30.00キロ ■コンフォートホテル黒崎駅前 ■晴れ  ※門司港駅近くのアーケード商店街を歩く  ※JR門司港駅。修復工事が終わり、すっかりきれいになっていた。  ※江戸時代にあった御番所跡。  ※レンガ造りの旧サッポロビール九州工場。インパクトがある建物だ。  ※長崎番所跡地に建つレンガ造りの倉庫。  ※広い歩道を気持ちよく歩く。  ※小倉の街が遠くに見えてきた。  ※小倉駅前を通過。  ※小倉駅近くにある魚町のアーケード、旦過市場。昭和レトロの雰囲気が漂う。  ※小倉城に向かう。  ※小倉城。ボランティアの人たちがイベントの準備をしていた。  ※沖縄おにぎりをパクつく。  ※紅生姜はんぺん、これは美味かった。  ※戸畑渡船場。ここから対岸の若松に渡った。  ※渡船の料金は100円。対岸までは3分の旅。  ※若松渡船場。  ※若松港。のんびりと釣糸を垂れる人がいた。  ※黒崎が近づいた。福岡まで56キロ。 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
今日は九州に上陸する記念すべき日。 北海道から九州へのラインがつながる日である。 快晴の空の下、厚狭駅前を出発。 県道225号線から国道2号線に出る近道を進む。 朝7時を過ぎたばかりというのに、ランドセルの小学生が列を組んで歩いていく。 いったい授業は何時から始まるのか? 早過ぎやしないか… そんなことを思いながら朝靄に煙る道を歩く。 国道2号線に合流すると、広く立派な歩道が一直線に延びていた。 山陽自動車道が横切る埴生ジャンクションで国道を離れ、海岸線へ。 磯の香りを嗅ぎながらしばらく行くと『みちしお』というドライブインがあり、ここは貝汁が名物ということで、休憩がてら立ち寄る。 ホテルの朝食を食べてきたので腹は減ってないが、せっかくなので、貝汁(430円)を単品で注文した。 さすがにケンミンショーで取り上げられただけあり、大粒のアサリがこれでもか!というくらい入っていた。 ここから長府までは国道2号線、9号線と繋いでいくが、広い歩道が整備されており安心して歩くことができた。 また、歩道がない区間は国道に沿って歩行者専用道路のような側道が並行しているので、鼻歌混じりに歩けるくらい快適である。 地図を見て国道をカットする干拓地の近道を歩くのも楽しく、広大な干拓地はまるで北海道の原野を歩いているようだった。 歩き旅は安全性が担保されると、どうやら心にも余裕が生まれるのは間違いないようだ。 その条件として、歩道のある・なしが大きな要素である。 もっとも、クルマがいなけりゃ問題ないのであるが。 さて、本州の歩き旅もいよいよ終盤。 関門橋が見えてきた。 平家が滅んだという壇之浦を挟んで、対岸は九州の大地だ。 この景色を見るまでに、いったい何日、何キロの旅をしてきたのだろうか。 関門人道トンネルを潜り、福岡県に入ったときは年甲斐もなく嬉しくなって、カミさんに電話をし、映像を見せた。 午後2時半、関門橋を福岡県側から眺めながら、門司港に向かう。 門司は2年前にも訪ねており新鮮さはないが、ここまで歩いてきたという気持ちに勝るものはなく、予約したホテルまでの道をゆっくりと歩いた。 ■2020年10月29日 山口県山陽小野田市~下関市~福岡県北九州市 ■46011歩 29.90キロ ■ホテルポート門司 ■晴れ  ※門司まで34キロ。九州が近づいてきた。  ※朝靄に煙る道を行く。  ※路傍にずらりと石仏が並んでいた。  ※国道2号線。下関市に入った。  ※ドライブインみちしおの貝汁。ボリュームが凄かった。  ※国道2号線。立派な歩道が整備されていた。  ※国道を逸れて、干拓地の近道を歩いた。  ※長府の町に入った。  ※関門橋が見えてきた。いよいよ九州が近づく。   ※関門人道トンネルに入った。  ※800メートルの地下トンネルを歩く。午後14時、九州に入った。  ※福岡県側から本州を見る。  ※門司港近くにある甲宗八幡宮。 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
前夜、新幹線で新山口入りし、日本縦断の再スタートを切る。 今回の予定は9日間。 どこまで行けるか分からないが、熊本あたりまで届けば合格だ。 駅前のホテルを午前7時過ぎに出発。 吐く息が白い。 出で立ちはパーカーに手袋。 下着はヒートテックに、ズボンは厚手に変わり、すっかり冬の装いである。 つい二週間前は半袖シャツで歩いていたのに、季節はあっという間に冬の扉を開けたようだ。 国道2号線に出るまでは、地図アプリで検索したJR山陽本線沿いの田んぼの近道を歩く。 線路を渡る踏切が出てこないまま踏み跡を拾っていくと、ついに道が無くなくなってしまった。 最後は朝露に濡れながら雑草をかき分け、かなりの遠回りをして国道に出ることができた。 地図アプリで近道を狙ったばかりに、こんなヘマをやっている。 今に始まったことではないが、“急がば回れ”のことわざは的を得ている。 国道2号線は吉見峠に差し掛かる登り坂から歩道が無くなり、疾走する大型トラックの脇をすり抜けるように歩く。 雑草が邪魔をして真っ直ぐ歩けず、生きた心地がしない。 交通量が多いので排気ガスも半端ではなく、マスクを外すこともできないままの緊張感が続いた。 楠の集落に入る道から国道を離れ、ようやくひと心地がついた。 旧山陽道が通っている集落には一里塚や高札場の跡もあり、集落の中心にある岡崎神社の境内には高さ20メートル以上もある大クスノキがあった。 再び国道に合流し、標高57メートルの西見峠を経由し厚狭駅前に出る県道225号線に入った。 のどかな山道は旧山陽道を示しており、入口には古い道標もあり、たわわに実ったミカンやいちじくの木を眺めながら歩く。 厚狭の町に入ると白壁の民家や酒蔵もあり、往時は山陽道が通る町として栄えていたことが想像できたが、新幹線の厚狭駅が近づくに連れ、飲食店もない寂しい通りになっていった。 午後1時半、JR厚狭駅着。 新幹線の駅とは思えないレトロな駅舎に驚く。 ホテルのチェックインまで時間があるので、駅前広場にある『厚狭の寝太郎』の銅像の下でしばしまどろんだ。 10日ぶりの歩きは体も足も重く、だるい歩行となったが、27キロを6時間弱で歩けたことは、まぁ、まぁか。 さて、明日はいよいよ九州上陸。 “しゃきっと”歩きたい。 ■2020年10月28日 山口県山口市~山陽小野田市 ■41195歩 26.77キロ ■エクストールイン山陽小野田厚狭駅前 ■曇り時々晴  ※午前7時の新山口駅。クルマ一台もいない閑散とした駅前。  ※JR山陽本線に沿って歩くが、踏切がなく焦った。  ※国道2号線にあった境界道標。  ※国道から脇道に逸れると、旧山陽道が通る集落があった。  ※標識が出てきて、歩道が突然なくなる。  ※雑草が茂る歩道が無い国道を歩く。  ※楠集落にある一里塚跡。  ※高札場跡(楠)。  ※楠集落の岡崎神社。  ※岡崎神社の境内にあるクスノキ。  ※船木の町並みを歩く。  ※同上  ※県道225号線の西見峠。ここから旧山陽道に入った。  ※左、旧山陽道の道標。  ※加茂橋を渡り、厚狭の町に入った。  ※旧山陽道が通る厚狭の町並み。  ※同上。  ※ホーロー看板も残っていた。  ※レトロな厚狭駅前。  ※厚狭駅前にる寝太郎の銅像。 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
甥の結婚式に出ました。 コロナ禍での式は、マスク姿がずらりと並ぶ異様な眺め。 マスクを着けたり、外したり…コロナを恨まずにはいられません。 帰宅してからは夫婦ともども、ぐったり。 早々に寝床に潜り込みました。 さて、明日から列島縦断の歩き旅の再開です。 深まりゆく秋の、山里の風景が楽しみです。  メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
月の大半を徒歩の旅で過ごした9月は、ほとんど読書することがなく終わった。 読書の習慣というものは、リズミカルでなければ続かない。 プラス、無性に読みたい!!という欲。 いったん止まってしまって、その後に本を手に取ることがなくても平気なら、ホンモノの読書家とは言えないだろう。 自分に当てはめてみるとおそらくそうだ。 今月に入っても本を開いていない。 読書よりも夢中になる遊びに熱中している限り、しばらく本との時間はお預けです。 9月の読書メーター読んだ本の数:2 読んだページ数:518 ナイス数:14 クワバカ~クワガタを愛し過ぎちゃった男たち~ (光文社新書)の 感想新刊を買うのは実に2年ぶり。書店で見つけたときは電流が走り、速攻でレジに持っていった。 この本はクワガタに取り憑かれたマニアたちの記録である。南西諸島に棲む希少種マルバネクワガタの採集ではハブの恐怖におののきながらも一晩中暗闇のジャングルをさ迷い、採集した天然のオオクワガタでは、その大きさを1ミリ単位で競う。クワガタを愛し過ぎるあまり人生の全てを捧げ、転げ落ちた人々の壮絶さが伝わってくる。著者は最後に、幸福とは『好き』という業火に、一度でも身を投じたか、投じなかったか、であると書いている。 読了日:09月04日 著者: 中村 計
ヒッチハイク女子、人情列島を行く!の 感想内容に多少の誇張はあっても冒険譚を読むのは楽しい。冒険記こそがノンフィクションの王道だと勝手に思っている。 この本、21才の女の子がルンルンでヒッチハイクの旅と思いきや、+民泊+所持金無…という端からみれば、とてつもなく無謀で甘い旅。人の善意にすがり、毎日の宿と食事にありつく。貞操を奪われそうな危険な目に遭っても、最後には、日本は『いい人』がたくさんいる素敵な国ときた。 単なる旅行記に留まることなく、これは冒険の記録といってもいい。 著者の無鉄砲な勇気とポジティブな行動力に拍手を送りたい。 読了日:09月02日 著者: 池田知晶読書メーターメインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
来週から徒歩縦断の旅を再開します。 持病の診察や検査、ハローワーク通い、歯医者等、毎月の用事の隙間を見つけて歩き旅の日程を調整していますが、なかなかまとまった日数が確保できないのが悩みどころです。 今回は山口県新山口(山口市)からの続きとなりますが、九州最南端のゴール地・佐多岬まではおおよそ500キロ。 日数にして20日間くらいを予定しています。 残念ながら連続20日間を確保することができないので、二回に分けてのチャレンジとなります。 その分、交通費がかさむので痛い出費となりますが、仕方ありません。 何とか11月中には佐多岬に立ちたいと思っています。 さて、今回の山陽道の旅で、京都から小郡まで歩いた距離はちょうど500キロ。 これまでの総距離は、停滞した5日間を除くと76日間1819キロとなりました(下図)。 図にすると日本列島の3分の2といったところでしょうか。 これから始まる九州の縦断旅ですが、当初計画では宮崎を回る東側ルートの予定でしたが、季節や宿泊、交通の便を考慮し、オーソドックスな熊本回りの西側ルートをとることにしました。 北海道の半分を残してしまったので、日本縦断達成は来年に持ち越しとなりますが、コロナ禍に翻弄された今年、ここまでやれたことに感謝したいと思います。 引き続き、“感染しない、させない”を念頭に置いて旅に出ます。  メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
日本縦断徒歩の旅から帰宅して二日目、2ヶ月毎の糖尿病内科の診察に行ってきました。 血液検査の結果は、Ha1cが7.2、空腹時血糖が136でした。 前回が7.0、126でしたので、いずれも上昇です。 徒歩の旅では毎日30キロを歩いていましたから運動量は問題ありませんが、主治医からは旅の間の食生活に注意するように指導されました。 振り返ってみると、行動中もパンやチョコレート、せんべい、ビスケット、バナナなど結構な量を空腹に任せて食べている。 規則正しい食生活にはなっておらず休憩ごとに食べているので、絶えず血糖値が上昇する原因を作っているのが良くないようです。 今回も引き続き投薬なしの経過観察となりましたが、私としてはこれだけの運動をして体重も増えていないのに、血糖値が下がってこないことに多少の焦りを感じています。 膵臓切除によってインスリンの分泌が減っていることは仕方がないとしても、運動と食生活の改善によって術前の血糖値に近づける努力は継続したいと思っています。 また、昨日は眼科で糖尿病病変の検査もしてきました。 今回は簡易検査ではなく、瞳孔を開いての出血等の病変を確認しましたが、結果は異常なしでした。 この検査も三ヶ月に一回の頻度で行うことになりました。 膵臓手術をしてから1年3カ月が経ち、懸念していた後遺症の糖尿病を併発しましたが、これ以上悪化しないようにまだまだ踏ん張りたいと思います。 次回診察は3カ月後です。  ※本文とは関係ありません メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
10月1日から始まった旅も、今日が最終日となった。 あと二日あれば九州上陸も可能だったが、帰宅して野暮用をこなさなければならぬ。 続きはそれからとなるが、ここまできたら何とか年内に佐多岬に到達できる目処がたちそうだ。 防府から小郡の新山口駅までが本日のルート。 17キロの行程なので、所要4時間といったところか。 県道187号線をずんずん歩き、改修工事をしている佐波川大橋を渡り、国道2号線に合流した。 歩道も広く快適な歩きができると思っていたら、右に長沢池を見たところで突然歩道が無くなり、いつもの点滅ライトをザックに装着した。 国道は山間に入ると決まって道幅が狭まり、歩道が無くなるというパターンが多い。 歩行者の通行の安全性が担保されないことに問題がある。 おそらくこうした場所では、事故が起こっているかもしれない。 さて、そんな国道をしばらく歩いてから旧道に入った。 クルマもほとんど通らないので、背中に目をつけなくても安心して歩ける。 古い家屋が残り、懐かしさを感じる町並みは自然に心が安らいでいく。 四辻駅前の歩道橋には【銭のふるさと すぜんじ 鋳銭司】という横断幕も張られていた。 また旧道の外れには、何の目的で置かれたか謎の、テーブルのような巨石【建石】もあり、歩いているだけでも楽しい道だった。 再び国道に合流し、新山口駅が近づくと、木造の廃屋が目に飛び込んできた。 建物の裏側には山陽本線が走っており、そのロケーションからすると思いっきり匂う。 裏側に回って見ると思った通り、たくさんのホーロー看板が貼られていた。 私たちホーロー看板マニアは、こうした建物を『看板屋敷』と呼んでいる。 看板はおそらく昭和30年代に設置されたと思うが、50年以上も前の風景がこうしてまだ残っていたことに感動である。 午前11時20分に新山口駅に到着。 予定通り11時50分発の【のぞみ】に間に合うことができた。 新幹線で京都までわずか2時間だったが、考えてみると私はこの距離を18日間かけて歩いてきたのだ。 それが、たった2時間なのか…。 とんだ拍子抜けに、苦笑いするしかなかった。 ■2020年10月18日 山口県防府市~山口市 ■26272歩 17.07キロ ■晴れ  ※今日も快晴。国道2号線を歩く。  ※佐波川大橋を渡った。  ※北九州の標識が出てきた。  ※野菜畑が広がっていた。  ※山陽本線の普通電車が行く。  ※同上。  ※【銭のふるさと】の横断幕が張られていた。  ※【建石】と呼ばれている巨石。  ※たくさんの小魚が泳いでいた。  ※旧道には古い家屋も残っていた。  ※山陽本線に沿った国道で見つけた看板屋敷。  ※小郡の町が近づいた。  ※新山口駅にゴールし、18日間の旅を終えた。 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
朝までに上がる予報の雨が、まだ降っていた。 雨具上下にザックカバーを着けて出発。 徳山駅から県道172号線に出て、工場地帯に入る。 雨に煙る煙突や巨大なタンクを見ながら抜けると、ようやく民家が現れ、福川の町に出た。 午前9時を過ぎても雨は止まず、気温も低いままで寒い。 ちょうど見つけたコンビニで温かいコーヒーを飲みながら、雨が小降りになるのを待った。 福川からは県道を離れ、グーグルマップで検索した最短距離で防府に向かう。 夜市川に沿って歩くと、荒涼たる風景が広がった。 川岸には真っ白なサギが小魚を狙い、巨大なネズミが悠然と目の前を横切っていく。 私たちが生きていくと同じように、動物や昆虫たちにも生命の営みがある。 小さな蟻一匹といえども、踏まないように避けて足を置く。 歩き旅は苦しくなると目線がどんどん下を向いていくので、そんな時こそ気遣いが必要なのだ。 国道2号線を横切り、最短距離のルートに導かれて小さな集落を通り抜け、山の中に突入。 坂道を息を切らせて登り、今度は同じくらい急斜面を下った。 地図上では最短距離でも、これではかえって時間がかかると思う…。 そんなことを考えながら歩いていくと戸田の集落に出た。 戸田には戊辰戦争の慰霊碑や神社があったり、古い商店や廃業して朽ち始めている酒蔵があった。 こうした発見があるからこそ、歩き旅は楽しい。 できれば国道は避けたいが、今回の旅を振り返ってみると、全行程の6割くらいは国道歩きに終始しているように思う。 旧街道を歩きたいと思っても、時間と距離を考えるとどうしても安易な国道に流れてしまう。 そんな意味では、西国街道と旧山陽道を繋げてのチャレンジは中途半端なもので終わりそうだ。 国道2号線はJR富海駅の数キロ手前から歩道が無くなり、例によって点滅ライトをザックに着けて歩いていく。 更に富海から防府市街地に向かう県道に入ると、歩道がないトンネルが連続。 交通量も多く、覚悟を決めて一気に抜けた。 防府市街地に入ると、いつの間にか快晴の空が広がっていた。 あとは、のんびりと宿泊ホテルまで歩くのみ。 途中でカミさんにLINEを送ると、すぐに返信が。 えっ、と思って「今日はパート休みなの?」と返す。 なんのことはない。 土曜日だということをすっかり忘れていた。 旅に出て17日が経ち、曜日でさえ忘れていた。 さて、長いようで短かった旅、明日でいったん区切りをつけることにする。 ■2020年10月17日 山口県周南市~防府市 ■39281歩 25.53キロ ■ホテルアルファーワン防府 ■雨のち晴れ  ※雨の中、福山駅前を通過する。  ※福山港を見ながら進む。  ※福山の工場地帯を抜けた。  ※福川から夜市川に沿って歩く。  ※同上。  ※戸田の集落に向かう山の中の道。  ※戸田。戊辰戦争の慰霊で建立された神社。  ※戸田。レトロな商店があった。  ※戸田。お地蔵さまもあった。  ※戸田の集落から国道2号線に合流。  ※富海に向かう途中、国道を離れて集落に入った。  ※富海から防府市街地に向かう県道には、歩道がないトンネルが連続した。  ※防府市のマンホール。  ※防府市に入ると青空が広がった。 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
季節が変わったのだろうか、いきなり寒くなった。 昨日までは日中半袖でも大丈夫だったが、今朝は防寒着代わりのゴアテックスの雨具を着るほどだ。 岩国駅から昨日ゴールした玖珂駅まで乗車し、通学の高校生たちと入れ替わるように改札をくぐり、玖珂の市街地から周防高森に向かう。 古い民家や白壁の土蔵を見ながら歩いていく。 高森は山陽道の宿場として栄え、本陣の跡も保存されていた。 高水まではJR岩徳線に沿って県道144号線と142号線を繋ぎ、のんびりと歩いていく。 クルマもほとんど通らず、人にも出会わない。 時折、通過する岩徳線のオレンジ色の車輌が周りの風景に見事に溶け込み、一枚の絵を見るようだった。 米川から中峠を越える142号線は、林道まがいの急勾配で、一台のクルマにも出会わなかった。 うっそうとした道には【熊出没】の看板もあり、よく見ると、泥混じりの路肩にはイノシン?それともシカ?の蹄の痕がたくさんあるではないか。 それならばと、なかば遭遇を楽しみに歩いた。 旧街道が通る高水の町に入ると古い民家や商店が並び、本陣として利用された民家や、吉田松陰ゆかりの地があったり、歴史の道としても見所があった。 高水駅近くの集落の道で出会ったご老人から、 「どこまでいくのかね」 …と、尋ねられた。 「徳山」 …と、応えたら 「まだ20キロもあるわ」 …と、驚きの表情。 ザックを背負った明らかに“よそ者”の私が珍しかったのだろうか、この老人以外にも、井戸端会議真っ最中の婆さんからも矢継ぎ早に同じ質問をされたのには閉口した。 高水を過ぎ国道2号線に合流し、徳山市街地までほぼ忠実に歩く。 これまでの前半戦が天国のような快適なウォーキングだったので、交通量が多い国道歩きは現実に放り込まれたような感じである。 徳山市内が近づくに従い、クルマと人が次第に多くなった。 ほんの数時間前まで楽しんだ、玖珂から高水までの静かな歩きが、一服の清涼剤のような気がした一日だった。 ■2020年10月16日 山口県岩国市~周南市 ■44914歩 29.19キロ ■徳山第一ホテル ■晴れ後曇り  ※早朝、岩国駅から徳山行きに乗り込む。  ※昨日ゴールした玖珂駅から出発。  ※高森には本陣跡があった。    ※人にもクルマにも出会わない。   ※岩徳線を行く車輌。絵になる風景。  ※ホーロー看板があった。  ※石仏が残っていた。  ※林道のような県道142号線。  ※県道142号線にあった。  ※高水の集落を歩く。  ※同上。  ※高水駅でしばしの休憩をした。  ※吉田松陰ゆかりの地があった。  ※国道2号線に合流。徳山が近づいた。 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
今日は30キロの山越えルートである。 玖珂は岩国と徳山の中間にあり、本来なら玖珂で宿泊し徳山につなげたかったが、唯一の宿がコロナの影響で休業。 考えた作戦は、玖珂まで歩いて電車で宿泊地の岩国に戻るという方法である。 しかし、JR岩徳線は運行本数が少なく、玖珂発岩国行きの14時35分を逃すと、2時間以上空いてしまうため、これを目指すことにし、昨日ゴールした大野浦駅を7時にスタートした。 海岸線に沿って国道2号線を南下する。 大竹から岩国市内を迂回する県道135号線に入り、錦帯橋には目もくれず小瀬川に沿って歩く。 いつの間にか山口県に入ったようだが、まったく気づかず県道1号線に合流。 ここからが山越えの本番だ。 歩道も無くなり、いつものように点滅ライトをザックに装着し、必死に歩く。 関々トンネルは全長889メートルあったが歩道もあり、マスクを着けて一気に抜けた。 県道1号線をそのまま歩き、山陽新幹線の新岩国駅前を通過。 柱野集落を過ぎ岩徳線に沿った県道15号線(欽明路道路)に入ると、またしても歩道が無くなり、交通量が多い登り坂となった。 欽明路トンネルは全長1136メートル。 歩道とは名ばかりの幅50センチほどの段差を、大型トラックの風圧に耐えながら側壁にへばり付くように進む。 側壁は覆い被さるようなロケーションなので、トンネルから出てきた時には、進行方向の左肩と腕がススで真っ黒になっていた。 こうしたトンネルは一度恐怖心を持つと一歩が出なくなるので、何も考えずにひたすら出口の明かりを目指すのが肝要だ。 いずれにしても、今回の旅では一番しょっぱいトンネルとなった。 トンネルを抜けても相変わらず歩道がない交通量が多い県道を、電車の時間に間に合わせるため、休みも取らず黙々と歩く。 次の電車に乗ることも頭をよぎったが、早くホテルに入って汗を流すことが勝った。 恐らく、排気ガスとススで顔も鼻の穴も真っ黒だろう。 肌もベトつき気持ちが悪かった。 13時45分に玖珂駅到着。 無人駅かと思いきや、年配の駅員さんが一人ぽつんと切符を売っていた。 明日はここからスタートとして徳山を目指す。 10月1日から始まった山陽路の旅もいよいよ終盤となった。 ■2020年10月15日 広島県廿日市市~大竹市~山口県岩国市 ■46815歩 30.42キロ ■ホテルアルファーワン岩国駅前 ■晴れ  ※大野浦から瀬戸内の海を見ながら歩く。  ※大竹市に入り、下関が近づいてきた。  ※小瀬川に沿って歩く。  ※関々トンネル。全長889メートル。  ※江戸時代に参勤交代で使われた渡し場跡。   ※柱野あたり。のどかな風景に癒された。  ※岩徳線のレトロな高架をくぐった。  ※欽明路トンネル。なかなかしょっぱかった。  ※玖珂駅に到着。  ※岩国行きの1輌電車がやってきた。 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
晴天が続いている。 ラッキーなことに、この二週間で雨にやられたのは一日だけだ。 今日も澄みきった青空の下、広島駅前を出発。 市内中心部から平和公園を突っ切っていく。 原爆ドームには足場が組まれ、改修工事が行われていた。 これまでの人生で何度も訪れたこの場所に、歩いて立てたことにちょっとした感動を味わうことができた。 太田川を渡り、国道2号線に入った。 五日市、廿日市と通過していくが、途中の草津地区には西国街道の道標が残っており、紛れもなくここに江戸時代の街道が通っていたことを確認できた。 宮島口が近づくと、交通量もどんどん増えてきたが、整備された歩道が海岸に沿って続いており、潮の香りを感じながら歩くことができた。 宮島は4年前に訪ねたが、歩きながら刻々と変化する島の姿を見ていることに不思議な気持ちになった。 歩き目線でしか味わえない、優越感とでも言おうか。 午後2時にJR大野浦駅にゴール。 明日以降の行程を考えて、今日はここから広島駅前まで戻り、ホテルに連泊することにした。 さて、今夜も広島焼きといこうか…。 ■2020年10月14日 広島県広島市~廿日市市 ■37518歩 24.38キロ ■ネストホテル広島駅前 ■晴れ  ※朝の広島市内を歩く。  ※今日も快晴だ。   ※原爆ドームは改修工事が行われていた。   ※太田川を渡った。  ※草津地区の思案橋に残っていた西国街道の道標。  ※下関まで200キロを切った。  ※瀬戸内の青い海を見ながら歩く。   ※宮島口フェリー乗り場で。  ※JR宮島口駅    ※今日のゴール、JR大野浦駅。  ※今夜の晩ごはん。二日続きの広島焼き(ひらた 930円)。 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
ピンと張りつめた空気が漂う、夜が明けたばかりの酒蔵ロードを歩く。 どこからか酒の香りが鼻孔をくすぐる。 西条駅から住宅街を抜け、国道486号線から2号線に入った。 志和インター入口までは歩道もあり、交通量が多くても安心して歩けたが、そこから山間になると、突然に歩道が無くなり、大山地区までの数キロが最悪の区間となった。 道路は左右とも雑草や灌木がせりだし、真っ直ぐに歩けない。 交通量は半端ではなく、大型トラックが列をなして轟音を従えて私の肩を掠めるように突っ込んでくる。 まったく生きた心地がしなかった。 “事故死”というフレーズが何度も頭をよぎったほどだ。 これまでの歩き旅で、最低最悪の区間だった。 JR瀬野駅から先も山間部に入ると歩道が無くなり、それを避けるため、一旦戻って瀬野川の対岸を通っている県道274号線を歩くことにした。 やがて広島市安芸区に入ると瀬野川の川幅が広がり、河川敷のウォーキングロードを歩く。 橋の下でしばしの休憩。 散歩の人々が視線を飛ばしていくが、ホームレスになったような気分で悪くない。 川のせせらぎがまぶしいく、風も気持ちがいい。 たくさんの小魚や鳥たちも見ることができた。 広島市の今日の気温は27度あり、今回の旅で一番の暑さとなった。 ペットボトルは4本消費し、後半は足の痛みを我慢しながら大汗を滴らせての辛い歩きになってしまった。 しかし、 この季節外れの暑さ、いつまで続くのだろう。 振り返ってみれば、旅に出て13日間の内、長袖シャツで歩いたのは二日間だけである。 半袖シャツは一枚しか持って来なかったので、毎日の手洗いと洗濯の繰り返しになっている。 『しまむら』や『ワークマン』にはもう夏物はなく、我慢するしかないようだ。 つい半月ほど前、北海道で寒さに震えていたことが嘘のようだ。 とにかく暑い一日だったが、16時に広島駅前のホテルに到着。 シャワーを浴びてさっぱりしたところで広島焼きの店に飛び込み、冷たいビールでうがいとなった。 ■2020年10月13日 広島県東広島市~広島市 ■51462歩 33.45キロ ■ネストホテル広島駅前 ■晴れ  ※西条の酒蔵ロードを歩く。  ※同上。賀茂鶴酒造。  ※下関の標識が出てきた。   ※国道2号線を歩く。  ※瀬野川の河川敷に下りていく。  ※広い河川敷を歩く。  ※橋の下で足を投げ出し、しばしの休憩。  ※西国街道が通っていた頃の松並木があった。  ※さすがに広島。  ※広島駅が近づいた。  ※今日の晩ごはんは、広島焼き(てっ平1000円) メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
今日は35キロ超えとなるので、夜が明けたばかりの6時半に出発。 西に行くにしたがって夜明けが遅くなるのは仕方がないが、行動時間に影響するのは厳しい。 国道2号線は沼田川に沿って伸びているが、早くも朝の渋滞が始まっており、歩道を歩いていても騒音が半端でない。 本郷からは国道を離れたり戻ったりしながら西国街道を拾っていく。 古墳や旧町役場の建物が残っていたり、新たな発見もあって楽しい。 新庄までは登り坂になった国道を歩くが、歩道も無くなり、例によって点滅ライトをザックにセットして一気に登って峠を越え、そして一気に下った。 湯坂温泉郷を遠目に見ながら、更に山間部に入っていく国道を息を切らせて登る。 国道に沿って立派な歩道が付いており、プレートには【広島⇔岡山】とあった。 西条に入ると明治時代に造られた石門が保存されている集落を通過。 元々、西国街道にあったものを移築したようだ。 歩行距離も30キロを越え、足が痛くなってきた。 昨日から新たなマメができ始めており、今回の旅12日目にして初めてのテーピングとなったが、原因は、このところの暑さによる足の蒸れと連日の30キロ超えの歩行かと思われる。 マメとの闘いはつきものなので仕方がないが、あわよくば、あと一週間ひどくならないように踏ん張って欲しい。 午後3時、宿泊予定の西条のホテルに到着。 天然温泉が併設されたホテルなので、疲れた体には良さそうだ。 ホテルに到着後、5日ぶりの洗濯をし、どっぷりと温泉に浸かった。 足のマメが、沁みた、沁みた~。 ■2020年10月12日 広島県三原市~東広島市 ■51878歩 33.72キロ ■ホテルカモ ■晴れ時々曇り  ※早朝の三原駅前を歩く。  ※古い民家が軒を並べる、三原市港町あたり。  ※沼田川を渡る。  ※国道2号線を歩く。  ※本郷町南方の旧町役場。  ※彼岸花も、もう終わり。  ※古墳があった。南方。  ※こちらも古墳。神社の石段の上にあった。  ※これはアキアカネ。   ※路傍を彩る秋の花。  ※歩行者用の歩道に貼られたプレート。  ※西国街道から移築された石門。西条。 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
台風一過の晴天である。 10月も10日を過ぎたというのに、真夏を思わせる気温。 昨日から半袖シャツを着て、汗を拭いつつ歩いている。 今日のルートはほぼ国道2号線を歩くので、クルマの騒音と排気ガスとの闘いとなる。 福山から尾道までは整備された歩道をどんどん歩いていく。 尾道市内はこれまで何度も訪れているので、勝手知ったる道である。 日曜とあって観光客の姿も多く、尾道ラーメンの名店『ふじたつ本店』には相変わらずの大行列ができていたし、アイスモナカで有名な『からさわ』の前にも人だかり。 いつもなら敬遠する人混みだが、あまりに暑くて、私も人だかりの中に混ざってしまったが…。 こうしてみると、尾道の観光客も戻ってきているようである。 政府のGO TOキャンペーンや地域共通クーポン施策もあって、コロナの影響は少しずつ改善されているのかもしれない。 あとは感染対策をしっかり継続することが大事といえそうだ。 とはいえ、飲食店やホテル、駅、コンビニでもマスクを着けていない人を見かけるし、気が緩んできていることも感じる。 午後を回り、尾道から三原に向かうが、心地よい海風どころか、真夏の照り返しのなかを歩いていく。 海側の顔半分と腕に陽があたり、ジリジリ焼けていくのを感じる。 少年たちがのんびりと釣糸を垂れる赤石鼻を過ぎ、三原市に入ると、暑さと寝不足で疲れが出てきたのか歩くペースが落ち、何度も休みながら三原駅前にある宿泊ホテルを目指した。 実は、一昨日の火災報知器騒動に続き昨夜も眠れない夜を過ごすことになったのだ。 隣の部屋のオバサン?が、午前0時を回ったのに一時間以上もの長電話。 壁が薄いのか会話が筒抜けで、しかも電話を通して相手の声まで聞こえてくる始末。 よほど文句を言ってやろうかと思ったが、曲がりなりにもこちとらは(笑)紳士なので、我慢をした。 …というわけで、このレポートを書いている今夜は、ぐっすりと眠れることを期待したい。 明日は37キロ先の西条を目指す。 ■2020年10月10日 広島県福山市~尾道市~三原市 ■46847歩 30.45キロ ■ホテルTODAI ■晴れ  ※歩道が整備された国道2号線を歩く。福山市  ※JR山陽本線が並走する。  ※尾道市に入った。  ※本日の昼ごはんは、尾道ラーメン(味龍 780円)  ※尾道大橋を越えた。  ※尾道市内は脇道に入ると、こうした風景に出会うことができた。  ※『からさわ』さんのアイスモナカ 150円  ※瀬戸内の青い海がまぶしい。  ※これはギンヤンマ?ちょっと小さい。  ※広島が近づいてきた。  ※赤石鼻。少年たちが釣りを楽しんでいた。  ※三原市の市街地を歩く。 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
昨日ゴールしたJR金光駅からスタート。 台風の影響は去ったようだ。 天気は薄曇りで青空も見えている。 金光駅からは川沿いの堤防を歩いていく。 散歩する人やジョギングする人とすれ違いながら、黙々と歩いた。 里庄町に入り国道2号線を逸れて旧道に進むと、酒蔵がある古い町並みが現れた。 レトロな雰囲気ばかりでなく、凛とした趣きをもった町並みである。 更に笠岡駅までの旧道は白壁の旧家も多く残っており、無味乾燥な面白味もない国道歩きからは比べ物にならないくらい楽しい町歩きとなった。 【売家】の貼り紙がある白壁の旧家もあった。 笠岡駅からは国道2号線を忠実に歩いたが、交通量が多く騒音を気にしながら黙々と歩くしかなかった。 行程の半分を静かな旧道歩きをしただけに、そのギャップが大きかった。 福山駅が近づくと、ようやくそれから解放されたような気分になり、予約したホテルに入ることができた。 ホテルに投宿後、昔の同僚と会い、久しぶりに杯を傾けた。 明日は尾道から三原までを歩くが、瀬戸内の潮の香りと風を感じることができれば言うことはない。 ■2020年10月10日 岡山県浅口市~広島県福山市 ■40985歩 26.64キロ ■ホテル123福山 ■曇り時々晴れ  ※金光駅から川の堤防を歩いた。  里庄町に入ると酒蔵の例煙突が見えた。  ※磯千鳥酒造  ※笠岡市の旧道。常夜灯があった。  ※笠岡市の旧道を歩く。  ※同上  ※山陽本線笠岡駅付近  ※笠岡市の旧家  ※笠岡駅前にあったカブトガニの彫刻。  ※今日の昼ごはん。シャコ丼(シャコ丼の店 850円)   ※広島県に入った。  ※福山駅前。福山城が見えている。  ※福山市内の居酒屋で。瀬戸内の魚で酔う。 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
寝不足の朝を迎えた。 昨夜泊まったホテルで火災報知器が鳴り響き、飛び起きたのだ。 午前0時過ぎの出来事で、原因は火事ではなく誤作動だったが、故障が改善されず、その後一時間以上に渡って規則正しく(笑)5分毎に鳴るという最悪の事態になった。 部屋から出て文句を言う宿泊客や、廊下を走り回るホテルのスタッフ、お詫びの館内放送があったり、もはや眠れる状況ではなくなってしまった。 寝不足で重い頭のまま、午前6時半に出発。 天気は、午前中から台風の影響による終日の雨を予報していたので、雨が降るまでにできるだけ距離を稼ぐことにし、早立ちを決めた。 岡山駅前から山陽新幹線に沿って伸びる県道242号線を歩き出す。 すでに朝の渋滞が始まっていた。 雨はいつ落ちてもいいように、雨具の上下を着け、ザックカバーも着けた“完全武装”。 10キロを休憩なしのぶっ通しで歩く。 寝不足の割には調子が良いではないか。 今日のゴールは金光駅までの予定だが、32キロあるので、雨が降るまでにどれだけ歩けるかが勝負となる。 雨にやられると、途端にモチベーションが落ちてしまうのは意志の弱さだろうか。 ほとんど休むことなく、新倉敷駅までの約20キロを一気に歩いた。 ラッキーなことに雨は落ちてこない。 むしろ回復傾向にあるようで、空は明るくなってきている。 ゴールの金光駅までは、山陽新幹線の高架下や田んぼ、蓮根畑の中を縫うように歩いた。 13時半に金光駅到着。 32キロを7時間で歩いた。 一時間平均4.6キロを休みなしで歩いた計算となった。 とはいえ、冒険家・植村直巳が徒歩で日本縦断をした記録では、一日平均55キロを51日間で歩いたそうだ。 私の場合は、一日30キロがいいところ。 まだまだ先が長い。 焦らずにのんびり行こう。 ■2020年10月9日 岡山県岡山市~倉敷市~浅口市 ■49056歩 31.88キロ ■ユニバーサルホテル倉敷 ■曇り  ※渋滞が始まった朝の県道を歩く  ※山陽新幹線に並走する県道を歩いていく。  ※刈り取りを待つばかりの稲が頭を垂れていた。  ※高梁川を渡った。  ※山陽本線沿いを歩くとこうした民家に出会った。  ※山陽本線を行く電車  ※新倉敷駅を通過。  ※山陽新幹線の高架下を歩く。  ※幼い頃、“くっつき虫”でよく遊んだ。  ※沈下橋のようなロケーションを歩く。    ※蓮根畑を歩く。  ※川の堤防を歩く。  ※金光の町が近づくと辻には石仏があった。  ※金光から倉敷に戻り、遅い昼食。(ふるいち仲店 ぶっかけうどん510円)  ※倉敷美観地区にあるホテルに投宿。 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
途切れることなく、雨が降り続いた一日となった。 台風の影響による雨は防水性能の靴の中まで濡らし、雨具上下を着けているもの、頭のてっぺんからつま先まで濡れ鼠。 岡山駅前にゴールしたときには、まるで敗残兵のような惨めな姿となった。 朝8時に、老舗旅館の若女将に見送られて出発。 西片上から伊部、香登までは国道に並走した西国街道を歩く。 伊部は備前焼の里といわれるだけあって、レンガ造りの煙突が何本も突き出ている様は情緒を感じる風景である。 吉井川に掛かる備前大橋を渡ると歩道が無くなり、点滅ライトをザックにセットする。 しかし、傘を差して歩いているので、運転者には気づかないかもしれない。 国道250号線に合流し、そのまま岡山市街地まで歩くことにしたが、雨は益々激しくなり、歩道には水溜まりができ真っ直ぐに歩けない状態になってきた。 最初は靴を濡らさないように注意して歩いていたが、中まで濡れてしまうと、もはやヤケクソである。 それからは水溜まりも気にすることなくガンガン歩いた。 旭川を渡り、後楽園を回り込むように歩いていくが、さすがにこの雨では立ち寄る気も起こらず、岡山城の天守閣からの遠望もお預けとなった。 15時過ぎに岡山駅前のホテルに到着。 いつものように、部屋に入って真っ先に靴下を脱ぐ。 これまでの旅で、さんざん痛みに泣いた私の足のマメは、今ではフジツボのように盛り上がり、固くなっている。 そのマメが真っ白にふやけてしまい、なんともおぞましかった。 ■2020年10月8日 岡山県備前市~岡山市 ■40228歩 26.14キロ ■ホテルリブマックス岡山WEST ■雨  ※西片上の西国街道。  ※伊部の一里塚跡。  ※備前焼の里、伊部の風景。  ※伊部の西国街道。  ※伊部。すでに廃窯となったツタが絡むレンガ煙突。  ※吉井川を渡る。  ※岡山市に入ると、桃太郎が迎えてくれた。  ※本日の昼ごはんはラーメン(筑豊ラーメン山小屋 680円)   ※後楽園も雨に煙っていた。  ※岡山駅近くで見つけた古い町並み。番町あたり。 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
亀の歩みのごとく、のんびりと歩いている。 ここ数日は25キロを切った距離数である。 別段急いでいるわけでもないが、宿泊地に合わせて歩くとこうなってしまう。 その分、贅沢な旅をさせてもらっている。 時間はたっぷりあるので、ゆっくりと休憩をとりながら歩く。 今日のコースは西国街道を離れ、国道250号線を備前市の西片上まで歩いた。 赤穂から日生までに鳥打峠と福浦峠の二つのアップダウンを越えるが、岡山県境となる福浦峠からは歩道が無くなり、ザックに点滅ライトを取り付けて下った。 瀬戸内海に面した街、日生(ひなせ)はカキの養殖で有名で、なかでもご当地グルメとして人気があるカキオコは町起こしの起爆剤となるくらい日生の名物になっている。 日生は過去にも訪れたことがあるが、その時はカキオコを食べることができず、以来ずっと気になっていたのである。 国道から脇道の集落に入ると、カキオコののぼりを立てた店がいたるところにあったが、できるだけこじんまりとした、できればオバチャンが一人で切り盛りしている店を探す。 狙い通りの店を発見し、店に飛び込んだことはいいが、オバチャン曰く、 「カキオコは今の時期、やってないよ」 …という、つれない返事。 そうなんだ、今はカキの時期じゃないのか…。 まったく無知であった。 カキは冬の食い物なのだ。 しかし、どうしてもカキオコを諦めきれず、続いて暖簾をくぐった店で「冷凍のカキになるけど、できますよ」という嬉しい返答を得て、ようやくありつくことができた。 私的には冷凍カキでも十分に旨かったが、1月から2月にかけてが一番美味しくなるということだった。 ボリュームがあるカキオコで満腹になり、腹をさすりながら西片上に向かって歩く。 国道250号線は海岸線に沿って伸びているが、相変わらず歩道がない状況が続いている。 ザックに付けた点滅ライトは、運転者から見るとどんな風に映るのだろうか。 へんな奴が歩いているなぁ…。 まぁ、その程度だろうか。 西片上の町に入り、今日の宿、『ゑびすや旅館』に投宿。 安政三年創業の老舗旅館である。 案内された部屋が、緒方洪庵先生が幾度となく泊まったという部屋。 私のような無学の人間には畏れおおいが、今夜は先生のご威光にあやかって、いにしえの時代を偲びながらぐっすりと眠ることにしよう。 ■2020年10月7日 兵庫県赤穂市~岡山県備前市 ■35112歩 22.82キロ ■ゑびすや旅館 ■晴れ後雨  ※黄金色の田んぼの風景を見ながら国道250号線を歩く  ※稲刈りが終わった風景もあった。  ※鳥打峠から田園都市を見る。  ※秋も深まってきたようだ。  ※深浦峠を越えて岡山県に入った。   ※JR赤穂線のイエロー電車がいく。  ※日生の街が近づいてきた。   ※日生駅。  ※日生の街を歩く。古い町並みも残っていた。  ※念願のカキオコを食す(泉富久 1000円)。   ※海沿いの集落を歩く。灘田あたり。  ※西片上港の海上集落。  ※西片上の路地風景。  ※本日の宿、安政三年創業のゑびすや旅館。  ※夕食。贅沢な旅に感謝。 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
肌寒い朝から始まった。 ここにきてようやく長袖シャツの出番である。 昨夜は昔の同僚と8年ぶりの邂逅。 旅に出てから人と話すこともほとんどなかったので、大いに話し、飲んだ。 おかげで朝の出発時には、アルコールが抜けきれていなかった。 今日の行程は赤穂までなので23キロと短い。 姫路から電車で移動し、昨日ゴールした網干駅から歩き出す。 揖保川を渡るまでは、稲刈りを待つばかりの黄金色の田んぼに挟まれた道を歩いていく。 しかし、広い田んぼに囲まれた迷路のような場所で迷ってしまい、かなりの遠回りをして揖保川を渡った。 更に、ここから竜野駅に向かう県道441号線に出るまでに二度目の迷走。 スマホと地図を交互ににらめっこしながら、民家が密集するエリアからようやく抜け出すことができた。 県道442号線に入ると、道は山陽新幹線と並走するようになるが、驚いたのはひっきりなしに新幹線が通ること。 老婆心ながら、地域の住民にとって騒音は大丈夫だろうかと思わずにいられなかった。 竜野から相生につながる西国街道に出ると、わずかだが古い民家も出てきた。 実は2010年にホーロー看板を探してこの道をクルマで走っているが、その時に撮影した地酒の看板が貼られた酒屋はすでに廃業しており、看板の姿も消えていた。 相生の市街地を過ぎ国道250号線に入ると、カーブが連続する登り坂になった。 歩道がない白線ラインを高取峠まで一気に登る。 交通量が多く、大型トラックもどんどん走ってくる。 今回は自転車用の赤い点滅ライトをザックに取り付けた。 気休めだが、運転手が気づいてくれたらありがたい。 高取峠には、忠臣蔵でのエピソードの一つとなった浅野内匠頭の切腹を知らせる江戸からの早駕籠の像があった。 峠を下り千種川を渡ると、赤穂の町に入った。 これまで何度となく訪れているので観光はパスし、イオンで晩ごはんの買い出しをしてホテルに入った。 さて、旅も6日目に入り、歩くペースもリズミカルになってきた。 気になるのは台風の動向。 どうやら明日から週末にかけて天気が崩れるようだ。 願わくは、ホテル停滞は避けたい。 頼むから、無事に歩かせて欲しい。 ■2020年10月6日 兵庫県姫路市~赤穂市 ■36044歩 23.42キロ ■東横イン播州赤穂駅前 ■晴れ  ※網干駅から田んぼに囲まれた道を歩く  ※揖保川を渡った。  ※ヒガシマル醤油の原料となる大豆の栽培地があった。たつの市。  ※神社の境内にも秋の気配があった。  ※相生の市街地を歩く。  ※今日の昼メシはゴボウ天うどん(丸亀製麺480円)。  ※カーブと坂が続く国道250号線を一気に登る。  ※ザックに点滅ライトを付けた。  ※高取峠のモニュメント。  ※赤穂市に入ると、千種川の橋にはこんなモニュメントが。  ※赤穂の市街地が近づいた。   ※14時半、播州赤穂駅に到着。 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
雲行きが怪しい空を見上げていたら、雨が落ちてきた。 ザックカバーを付け、傘を差して加古川を渡る。 宝殿駅に続く西国街道は、古い家屋や商店もあって興味深い。 ライフワークのホーロー看板探しにも“匂う”街道だが、一枚も見つけることができず期待外れに終わった。 ホーロー看板はすでに“前世紀の遺物”でしかないようだ。 今では滅多に見かけることがなくなった。 今回の旅でも京都からここまでの間、見かけることがなかった。 しかし、高砂市に入ってようやく発見。 古い家屋に貼られた『仁丹』のホーロー看板である。 実はこの看板は、2010年にこの場所ですでに撮影をしている。 あれから10年経って、まだ残っていたことに驚きである。 もう一つ言うと、ここまで歩いて来て看板を再び見ることができたことに、我ながら感心してしまった。 11時を過ぎ、姫路駅近くで昼食を取り、更に進む。 加古川から姫路駅までは15キロほどなので、まだまだ歩き足らない。 行けるところまで頑張ることにし、とりあえず12キロ先の網干駅を目指すことにした。 すっかり回復した天気は、10月とは思えない強い日差し。 カラリとしているので気持ちが良い。 そういえば、5日前に京都を出てからずっと半袖シャツで歩いている。 長袖シャツやパーカーは一度も使わずじまいだ。 イオンモールを過ぎ、網干駅が近づいた頃、妹から不意のメール。 同居する老父のわがままに手を焼いているようだ。 文面から察すると、ずいぶんストレスがたまっていそうだが、今はどうすることもできぬ。 勝手気ままな旅も、携帯を通してあっという間に俗世間と繋がってしまう。 なんのわずらしさもなく好きなことがやれれば最高だか、そうはいかないのが人生。 まぁ、妹には悪いが、俗世間のことは忘れて今は旅に集中しよう。 今夜は姫路で昔の同僚と飲むことにした。 突然、連絡をしても快く応じてくれた、持つべきものは友。 これもまた人生。 ■2020年10月5日 兵庫県加古川市~姫路市 ■41797歩 27.16キロ ■ホテルウィングインターナショナル姫路 ■曇り後晴れ  ※加古川のアーケードにはこんなモニュメントが。カツめしが名物なんですね。  ※加古川の西国街道を歩く。  ※高砂市で。旧郵便局が残っていた。  ※高砂市で。仁丹のホーロー看板が貼られた家屋を再訪。  ※姫路市に入ると、至るところに溜池があった。  ※姫路駅前を通過。  レトロな駅舎の英賀保駅。  ※夢前川からの風景。  網干駅に向かうが、川沿いを歩いていたら道が途絶えてしまった。  ※本日の宿泊地、姫路へ。姫路城が間近に見えた。 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
昨日ゴールした垂水駅前からスタート。 重苦しい鉛色の空と、境目がはっきりしない同じ色の海を見ながら歩く。 今日も国道2号線が相棒となりそうだ。 垂水から3キロほど歩いて明石海峡大橋の下をくぐった。 下から見上げると、とてつもなくでかい。 先月、青森を歩いていたときに泊まった温泉宿で、この明石海峡大橋を造ったという人に出会ったことを不意に思いだした。 その人は出稼ぎで工事に携わったと言っていたが、この橋を間近に見上げると、自慢したくなるのもよく分かる。 考えてみれば、橋やトンネル、ビルの大小問わず、すべての構造物に関わった人がいるわけである。 設計を含めると、その数は天文学的な数字になるだろう。 どちらにしても、自分が関わったことが記憶だけでなく、実績として後世に残ることが素晴らしいと思う。 明石駅前を過ぎ、名物の明石焼きの店を探しながら歩くが、国道沿いには見当たらず、結局食べることができないまま西明石も通過。 西国街道の痕跡を探すために国道を意識的に外して生活道を歩く。 旧街道とおぼしき土蔵を持った古い家屋もちらほらと出てきたが、西国街道を示す道標もないので今一つ確証にかける。 自治体上げての保護保存がなければ、案内板一つ設置されないので、そこに住まう人々もよもや自宅の前の道が旧街道と気づかない人も多いかもしれない。 14時過ぎに東加古川駅前を通過し、ホテルを予約した加古川駅前に到着。 寂しい駅前にちょっとばかし驚く。 GO TOキャンペーンが始まり、今月からはホテルのチェックイン時に1000円分の地域共通クーポンを貰うことになった。 しかし、これはなかなか使用できる店がなく、使い勝手が悪い。 例えば、コンビニにしても使うことができるのはファミリーマートだけだ。 目の前のセブンイレブンでは使えない。 飲食店もしかり、ほとんど使えない。 政府の発表では加盟店がまだ当初の目標の20パーセントのようだ。 とはいえ、せっかくのクーポンなので使える店を探して有難く恩恵を受けている。 さて、明日はいよいよ姫路に入る。 岡山県が近づいてきた。 ■2020年10月4日 兵庫県神戸市~加古川市 ■39267歩 25.52キロ ■スーパーホテル加古川駅前 ■曇り  ※明石海峡大橋をくぐった。  ※明石海峡大橋と対岸の淡路島が見えた。  ※国道2号線は海岸線を行く。  ※川がなく橋だけが残った、暗きょ。  ※明石を過ぎ、国道2号線を外れ西国街道の生活道を歩く。   ※今日はパワーをつけるため、がっつりいった。1000キロカロリー。   ※加古川市の西国街道で出会った風景。  ※加古川駅前  ※使い勝手が悪い地域共通クーポン メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
西宮は町全体が美しい。 けやき並木の歩道にはゴミ一つ落ちていない。 それもそのはず、早朝の町には一生懸命に掃除をする人々の姿があった。 西国街道は芦屋から国道21号線に合流し、広い歩道を気持ちよく歩く。 土曜日とあって、散歩やジョギングをする人たちを多く見た。 土地柄からか外国人も多い。 旅に出て3日目、歩くペースに慣れてきたのか、マメもできず快調である。 今回はミズノのウォーキングシューズを履いているが、革製で防水機能がかえって邪魔している。 この暑さでは蒸れてしかたがないのだ。 休憩を取る度に靴下まで脱いで、湿った靴下と足を乾かしている。 住吉から三宮まではほぼ2号線を歩くが、西国街道らしい遺構を見ることなく人でごった返す三宮駅に着いた。 さすがにこの人混みではマスクを着けざるを得ない。 三宮センター街からアーケードを歩き元町まで行く予定だったが、この喧騒にたじろぎアーケード突入は諦めた。 JR神戸駅を過ぎると、ようやく人の群れと“三密”から解放され、マスクを外して広い歩道を真っ直ぐ歩くことができた。 それにしても神戸の町は人が多く、活気がある。 電車はひっきりなしに走り、飲食店やコンビニもわんさとある。 つい10日前まで北海道の原野を歩いていたことが嘘のようだ。 神戸の町を横切る川を橋から覗いても、そこにはゴミが浮いているだけで、鮭は遡ってこない。 国道2号線をどんどん歩いていく。 須磨から垂水までは瀬戸内の海を見ながら潮の香りを嗅いでいく。 かつて、源平の合戦があった地でもあり、西国街道から山陽道に続いていくエリアである。 釣竿を抱えた親子連れや、サイクリングの若者立ちとすれ違いながら16時にJR垂水駅に到着。 西宮から30キロ近く歩いてきたので、今日はここまでとした。 垂水には手頃な宿がなく、5駅戻った新長田駅前のホテルに投宿。 国道歩きに終始した一日となったが、雨にやられることなく快調に歩けた日に仕上がったと思う。 ■2020年10月3日 兵庫県西宮市~神戸市 ■45209歩 29.38キロ ■ホテルウィングインターナショナル神戸新長田駅前 ■曇り  ※路傍にはお地蔵さまの姿があった。  ※西宮神社  ※国道2号線を行く  ※三宮駅が見えてきた。  ※喧騒の元町を歩く。  ※高田嘉兵衛献上の石燈籠がある神社。  ※小さな運河を渡った。  ※須磨駅前。  ※須磨浦公園を右手に国道2号線を歩く。  ※平敦盛を奉る塚があった。神戸市須磨区。  ※瀬戸内の海を見ながら歩いた。  ※須磨から垂水にかけての国道2号は、山陽電鉄とJRに挟まれてひっきりなしに電車が走る。  ※明石や姫路が近づいてきた。  ※本日のゴール、JR垂水駅。 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
午前7時前、JR高槻駅に吸い込まれるサラリーマンの群れに混ざって構内を抜ける。 ザックを背負った場違いのスタイルは、周りを見ても私しかいない。 (皆んな、仕事してるんだ…) 無職で好きなことをしている自分が、何だか後ろめたい。 (いかん、いかん) 退職して半年が経っても、まだ仕事が気になっている。 無職生活を心底楽しむまでになっていない自分に苦笑した。 高槻駅前から西国街道に合流し、芥川一里塚を過ぎると旧街道の雰囲気が少しずつ出てきた。 ひっそりと佇む地蔵堂に手を合わせて、芥川橋を渡った。 西国街道は蛇行しながら二つの古墳の脇を抜けていくが、道標がないので道を見失ってしまい、住宅地の中で右往左往する始末。 結局、国道171号線に出てしまい、そのまま郡山宿本陣まで直進することになってしまった。 西国街道は国道171号線に沿って続いているが、交通量が多い国道と違って生活道を歩くのは様々な発見があって楽しい。 家の外観や間取りに興味がある自分には、町並みを見ているだけでも飽きることがない。 午後を回って空腹のまま飲食店を探すが、西国街道を歩いていてもまったく見つからない。 コンビニさえ出てこない状態で、行動食のせんべいをパリパリやりながら歩いた。 箕面市に入って見つけた鉄板焼の店に飛び込み、ホルモン焼きそばを食べ、ようやく一息つくことができた。 仁王門がある昆陽寺を過ぎると兵庫県西宮市に入った。 二日間で京都府、大阪府、兵庫県と三つの府県を跨いだが、新潟や秋田では一週間以上同じ県を歩いていたことを振り返ると、何だか違和感がある。 日本は広いようで狭いのか…。 15時を回って、西宮市の中心部から宿泊ホテルがある阪神本線西宮駅に向かった。 晩ごはんの買い出しで立ち寄った駅前のダイエーの入口に、阪神大震災の被災した時計が展示されているのを見た。 仙台赴任時代に嫌というほど見た被災遺構が走馬灯のようによみがえり、東日本大震災の悪夢を連想せずにはいられなかった。 二日目の今日は、道に迷うというアクシデントはあったが、西国街道をほぼ忠実に歩くことができた。 10月とは思えない暑い一日だったが、雲一つない秋晴れが楽しい歩き旅を演出してくれたことに感謝したい。 ■2020年10月2日 大阪府高槻市~兵庫県西宮市 ■53066歩 34.49キロ ■ホテルリブマックス西宮 ■晴れ  ※JR高槻駅からすぐにある芥川一里塚。  ※年季が入った酒屋。  ※旧街道らしい古い民家が軒を連ねる。  ※郡山宿本陣。   ※西国街道が通る箕面市。  ※箕面市。巻落の高札場。  ※阪急箕面線の踏切を渡った。  ※池田市の十二神社。境内でしばし憩う。  ※猪名川の軍行橋を渡った。  ※ようやく昼メシにありついた(箕面市 呑喜屋 800円)  ※道標がないと、ここが西国街道かどうか分からない。  ※昆陽寺(伊丹市)  ※同上。仁王像があった。  ※武庫川を渡って西宮市に入った。  ※西宮市。けやき並木を歩く  ※西宮駅前ダイエー入口にある被災時計。 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
今日から西日本編をスタートする。 目指すは九州最南端の佐多岬。 何度かに分けてのチャレンジになるが、年内の達成を目指すつもりだ。 早朝、名古屋から新幹線を乗り継いで、午前9時に京都三条大橋に立った。 7月に中山道を歩き、ゴールした場所である。 あの時は気温36度の炎天下だったが、今日は27度。 ほんのわずかだが風も爽やかで、秋の気配を感じた。 鴨川の河川敷に伸びる歩道を快適に歩いていく。 ジョギングやサイクリング、のんびりと散歩する人々に混じって、まずは京都駅を目指す。 彼岸花が咲く川岸には鴨の親子もいて、歩くことが楽しくなってくる。 京都駅までは一時間ほどで到着。 ここから東寺まで歩き、西国街道のスタート地点に立った。 今日の行程は西国街道を忠実に辿ることにし、三条大橋から大阪府の高槻までの27キロを歩く。 つい6日前まで北海道を歩いていたが、やはり長距離歩行となるとペース配分やリズムが取りづらく、気づくとかなりペースが早くなっている。 ゆっくりと同じペースで歩くことが疲れない歩き方のコツ…ということをこれまでの経験で学習したが、旅の初日はどうしてもバランスが悪くなってしまう。 まぁ、マメができなければいいが。 西国街道は時折出てくる道標や常夜燈がなければ、旧街道とは思えないごく普通の生活道に見える。 しかし、西向日駅から長岡京駅までの間は雰囲気がある古い町並みも残っており、街道歩きの醍醐味を感じた。 また、山崎から島本にかけてもサントリー山崎醸造所を始め、旧桜井駅跡や歴史文化資料館など見所も多くあり、街道歩きならではの歩き旅を楽しむことができた。 高槻市に入り、西国街道が通る県道67号線を離れ国道171号線沿いにあるイオンへ。 晩ごはんと明日の朝食を買い出ししたが、目測を誤り、宿泊予定の高槻市駅前のホテルまで2キロ近く重荷をかつぐことになった。 15時にホテル着。 旅の初日の今夜は、焼鳥とビールで決めることにした。 明日は30キロ先の西宮を目指す。 ■2020年10月1日 京都府京都市~大阪府高槻市 ■42339歩 27.52キロ ■高槻W&Mホテル ■晴れ  ※京都三条大橋をスタート。  ※鴨川の河川敷を歩く。爽やかな風が吹いていた。  ※青い空に赤い彼岸花が映える。  ※京都駅を通過した。  ※西国街道のスタート地点、東寺に立った。  ※羅城門跡を通過した。  ※西国街道は生活道を通っていく。クルマが少ないので、のんびり歩ける。  ※道標がなければ西国街道とは分からない。  ※桂川を渡った。  ※桂川から京都北山の稜線が見えた。  ※東向日駅近くで。西国街道な道標と常夜燈があった。   ※五辻の常夜燈  ※雰囲気がある町並み。   ※畑山神社。  ※高槻の町が近づいてきた メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪  
| HOME |
|