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四季桜を見に行く

三連休が終わった翌日、愛知県豊田市の小原町に四季桜を見に行ってきました。

シキサクラはヒガンサクラの品種で春と秋の年に二回咲きます。
小原地内には約1000本が植えられており、毎年四季桜まつりが開かれていましたが、今年はコロナの影響でイベントは中止になりました。
それでも、ちょうど見頃になったこともあり、『川見四季桜の里』は平日にも関わらず観光バスまで出て、かなりの賑わいでした。

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※撮影/Canon EOS60D EF-S18-135mm F3.5-5.6IS
※愛知県豊田市小原町


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日本縦断徒歩の旅【番外編】多治見~御嵩宿

佐多岬から帰って、3日ほどのんびりと過ごした。
連日の長距離の歩きで緊張していたのか、体が弛緩し始めると同時に、そこらじゅうが筋肉痛になった。
我が家の二階にある、寝室までの階段の上り下りも苦労するくらいである。

しかし、足の裏はまだ皮膚がカチカチになっており、今なら長距離を歩いてもマメはできないだろう…ということで、かねてから考えていた自宅から中山道の御嵩宿(岐阜県御嵩町)までを歩くことにした。
御嵩宿は徒歩日本縦断のスタート地点となった場所である。
ここから私の旅が始まり、東西に歩を延ばすことになった記念すべきところ。
御嵩宿までを歩くことによって、自宅の玄関から佐多岬や宗谷岬までが一本の線でつながることになるわけだ。

午前8時にカミさんと自宅を出て、いつものウォーキングコースを歩く。
途中でカミさんと分かれる。
JR多治見駅方面に進んで国道19号線を横切り、国宝の永保寺を横目に見ながら御嵩町方面に向かう。
歩道が整備された県道をずんずん歩いていく。

可児市に入る手前くらいから登り坂になったが、紅葉が深まった広葉樹の森を抜ける県道は気持ちよく歩くことができた。
自宅を出てからちょうど10キロが過ぎたが、調子が良く足も痛くないので休憩も取らずに更に歩を進めた。

可児市の花フェスタ公園の入口で休憩し、せんべいを食べながら熱いお茶をすすっていると、私の目の前をリュックを背負った年配の女性が大きく手を振りながら凄い速さで歩いて行った。
(なかなかやるなぁ…)と思いながら、どんどん小さくなっていく後姿を目で追ってしまった。

御嵩町に入ると刈り入れが終わった田畑が広がり、可児川にぶつかったところで中山道が通る旧街道に合流した。
名鉄の線路に沿ってのんびりと歩くと、ゴールの名鉄御嵩駅はすぐだった。

昭和レトロな駅舎をくぐり、切符を買う。

待ってましたとばかりに、大粒の雨。
ほんの数分の差で濡れネズミになるところだった。

今日はどうやら運がいいらしい。
帰りに宝くじでも買って帰ろうか…などと思いながら電車に乗り込んだ。

今年の日本縦断の歩き旅はこれで終わりだが、来年は最後の宿題である北海道苫小牧から宗谷岬を目指す。
コロナも収まって、何の気兼ねもなく、歩くことに集中できる年になることを願いたい。

■2020年11月22日 岐阜県多治見市~御嵩町
■28140歩   18.29キロ
■曇り一時雨

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※多治見市の国宝・永保寺から虎渓山町を歩くと、天然記念物のシデコブシの群生地があった。

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※多治見市小名田町は美濃焼の窯元が多くあった。

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※多治見から御嵩町につながる県道381号線を歩く。

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※多治見のマンホールは美濃焼がデザインされていた。

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※可児市に入ると登り坂になり、広葉樹の森が紅葉していた。

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※可児市の浅間神社。もみじのジュータンで彩られていた。

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※浅間神社の石仏。

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※御嵩町に入った。

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※今にも降り出しそうな空模様の中、可児川に沿って御嵩宿を目指した。

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※12時、名鉄御嵩駅にゴール。

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※雨の中、ホームに入ってきた電車に乗り込み、短い歩き旅を終えた。


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日本縦断徒歩の旅~94日間の旅を終えて

コロナ禍に翻弄され計画が大幅に変更、迷走した中で、自宅がある岐阜県から東西に歩を延ばし、北は北海道苫小牧、南は九州最南端の佐多岬までの2400キロを歩くことができた。
苫小牧から宗谷岬までの約400Kmは来年の宿題となったが、北海道から鹿児島までの日本列島に不完全ながら一本の線を引くことができたのは収穫だった。(下図)

とにかくいろいろあった94日間であったが、来年の完歩を実現する上で、旅の総括をしてみたいと思う。

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【計画の変更と迷走】
当初の計画は、4月12日に佐多岬を出発し、北上しながら7月下旬に宗谷岬にゴールする110日間の旅の予定だった。
しかし、出発間際に新型コロナの第一波の影響を受け、飛行機の欠航、宿泊施設の休業等が相次ぎ、1ヵ月後に出発を変更延期することになった。
その間に政府による緊急事態宣言が出され、計画実現ができないまま迷走し、先が見えない状態だった。
私が住む岐阜県は5月末まで県外の移動自粛要請が出されており、その間はトレーニングを兼ねて、以前から距離を延ばしていた岐阜県内の中山道を歩くことで縦断の旅に備えた。
5月末で緊急事態宣言が解除されたが、すでに計画は大幅に遅れており、佐多岬から宗谷岬を目指す当初計画は時期的にも厳しい状況となってしまった。
また逆に宗谷岬から南下ことも考えたが、この時点で岐阜県内の中山道をほぼ歩いていたこともあり、苦肉の策として、岐阜県から東西に距離を伸ばして日本縦断を目指すことにした。

【アクシデント】
新潟から北海道を目指した7月の旅で、右足首を痛め秋田でリタイヤすることになってしまった。
一ヶ月の旅の予定がわずか11日目でのリタイヤは、足も痛かったが、日程的にも痛い状況になってしまい、これが後々大きな誤算となった。
結局、足首の回復待ちと8月の猛暑により、7月末に行った彦根から京都の3日間の旅を除くと9月まで活動ができない状態になった。
今思うと、7月のリタイヤがなかったら宗谷岬まで距離を伸ばし、日本縦断の完歩が実現できていたと思う。

【マメに苦しむ】
6月~9月にかけての長野から東北を歩いた東日本編では、マメの痛みにずいぶん苦しめられた。
小さな小石が靴底に当たるだけでも飛び上がる痛さで、青森県では温泉に浸かることもできないくらいひどい状態になった。
出発時にはマメの水泡を切って水を抜き、カットバンを貼り、更にテーピングをするのが日課。
靴のソールを替えたり、靴下を替えたり、テーピングを何重にも巻いたり、様々な工夫をしたが、つまるところマメを克服するのは皮膚を固くするしかないというのが結論である。
マメを我慢し、皮膚が固くなってくると自然に痛みもなくなった。
それまでは厚手の靴下とテーピングが一番効果があったようだ。
ただし、行動中はできるだけ休憩時に靴下を脱いで、足や靴を乾かすということが必要だということを学習した。

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※出発時のマメの治療とテーピングが日課となった。青森県で。

【長雨と猛暑】
梅雨の長雨が続いた7月、新潟から東北を歩いた旅は連日の悪天に嫌気がさした。
梅雨明けが遅れた8月は猛暑のために旅の再開を見送り、中断していた秋田を9月5日にスタートした。
今年の東北地方は9月に入っても各地で過去最高の気温を記録するほどの猛暑で、毎日ペットボトルを6~7本も消費する状態となった。
6月の岐阜、7月の京都でも35度超えの猛暑の中を歩いたが、炎天下の歩きは心身ともに消耗し、夏の歩き旅の過酷さを嫌というほど味わうことになった。
暑さ対策としては、熱中症のリスクを考えると歩くことを避けるのが一番だが、それでも歩くとするならば、水分をしっかり摂ることと、私の場合は日傘を差して歩くことくらいしかなかった。

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※炎天下の昼下がり、道の駅の東屋でしばしの昼寝。新潟県村上市で。

【宿泊】
94日間の旅のほとんどをビジネスホテル、民宿等の宿泊施設で泊まった。
東北、北海道は宿泊施設も少ないのでテントを持参したが、テント泊が5回、駅でのビバークが1回という結果となった。
新型コロナの影響を受けてキャンプ場が休業しており、幕営地を探す苦労もあった。
同様に民宿、旅館の廃業、休業も多くあり、宿泊地をJRの駅をいくつも戻ったところで予約するケースも多くなった。
そのため、朝一番の電車でスタート地点に戻るということも何度もすることになった。

テントやシュラフ等の幕営道具を持った旅はザックの重さも8キロ近くになり体力も必要とするが、東北と北海道を歩いた3週間の旅では体が順応し、それほど重さを気にせずに連日30kmの距離をふつうに歩けるようになっていた。
要は、慣れだろうか。
来年の苫小牧から宗谷岬までの400kmはテント泊でチャレンジする予定である。

宿泊料金については、8月から始まった政府のGO TOトラベルキャンペーンの恩恵もあって、通常料金の35%割引で泊まれたのは費用節約の上で大変ラッキーだった。
また、宿泊施設から貰う地域共通クーポン(1枚1000円)もありがたく、コンビニやスーパーで毎日の夕食や行動食を購入することができた。

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※北海道豊浦町で。コロナの影響でキャンプ場が休業しており、幕営地を探すには苦労した。

【衣類と装備】
ホテル泊を基本とした場合は28リットルのザックで約5キロ、テント泊の場合は35リットルのザックで約8キロを担いた。
これくらいだとそれほどの負荷を感じることなく歩ける。
ただし軽量化を図るために余分なものを持たないということを徹底した。
シャツ・下着類については着ているものを除くと、替えはすべて1枚が基本。
ズボンの替えは持たなかった。
また、雨具については超軽量のゴアテックスの雨具にした。
10月からの旅には防寒具としてジャージ1枚と軽量のダウンジャケットをプラスした。
洗濯はマメにしたが、ほとんどの場合、風呂場での手洗いで済ました。洗濯機は1週間に1回程度。
衣類は持ちすぎると意外に重いので、ぎりぎりの必要枚数で軽量化を図るのがベストだと思う。

装備についても軽量化を図るのを念頭に置き、テント泊の場合は幕営道具として世界最軽量の1人用のテント、夏用の軽量シュラフ、エアマットのみを持参。
コンロやガスカートリッジ、コッヘル等の炊事道具は持たず、ホテル泊との違いはテント、シュラフ、エアマットの三点セットを持つか持たないかだけにした。
それ以外の重量があるものとしては、折りたたみ傘と地図、ライト類くらいだろうか。
地図は必要なルートのページだけコピーをして持参した。

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※テント泊装備リスト。出発時にはシュラフカバーや枕、トイレットペーパー、衣類等を更に減らした。

【食事】
朝食…ホテル泊の場合は朝食付きを予約し、ない場合はコンビニのおにぎりかサンドイッチが基本。
昼食(行動食)…昼食時に飲食店で土地の食べ物を食べたかったが、タイミングを外したり、コースによっては飲食店がなかったりで、なかなかタイムリーに実現しなかった。
ほとんどの場合、コンビニのパンかおにぎり、麺類。ビタミン不足を補うために果物としてバナナ、みかん。
行動食はオールレーズン、せんべい、柿の種、道の駅で購入する餅、まんじゅう等。
飲料については、夏はペットボトルを必ず2本を持ち、コンビニで一日2回のコーヒータイム。炎天下ではコンビニのあずきバーをよく食べた。
夕食…スーパーかコンビニの総菜が基本。飲食店での外食はほとんどしなかった。たまに夕食付きの宿に泊まったが、その場合は思いっきり食べた。
アルコールは友人と会食した以外は基本飲まなかったが、脂肪を燃焼するトクホのノンアルコールビールはほぼ毎晩飲んでいた。

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※熊本県津奈木町でのランチタイム。

【歩行について】
1日平均30kmを目安に歩いたが、総距離から平均値をとると26kmくらいになった。
歩き方のリズムとしては、出発時から10kmを休憩なしで歩き、それからほぼ5kmごとに休憩を取っていくパターンで歩いた。
連日30km超えの距離を歩くと、慣れてくるのか、20km台では物足らなくなってきた。
旅を通しての最高値は38kmだったが、軽量、天候状態が良ければ40kmくらいは行けると思う。
30kmを歩くに要する時間は、休憩を入れて平均7時間程度。7時に出発して14時頃にゴール。買い物をして15時にチェックインが基本的なパターンとなった。

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※炎天下の県道を歩く。秋田県象潟市で。

【歩道とトンネル】
中山道を除き、北海道では国道5号線、東北では7号線、中国では2号線、九州では3号線といった、いわゆる『一ケタ国道』を中心に歩くことが多かった。これらの国道は大方、歩道が整備されており歩きやすかったが、山間部に入ると歩道が無くなるケースも多くあった。
しかし、除草がされておらず歩道に覆いかぶさっていることもあり、交通量が多いなかで身の危険を感じて歩いたこともあった。

また、トンネルについても同様で、歩道の有無と交通量の多さで通過するときの難易度が大きく変わった。
九州の熊本から芦北に至る国道3号線を通る三太郎峠に連続するトンネルは、歩道がない上に距離も長いが、近年開通した南九州自動車道路(無料区間)へ交通量が分散されたことにより、通過の危険もそれほど感じなかった。
反面、実にしょっぱかったのは、山口県岩国にある国道2号線を通る全長1136メートルの欽明路トンネル。
交通量が非常に多く、歩道とは名ばかりの幅50センチほどの段差を、大型トラックの風圧に耐えながら側壁にへばり付くように歩いた。
側壁は覆い被さるようなロケーションなので、トンネルから出てきた時には、進行方向の左肩と腕がススで真っ黒になっていた。

トンネル通過用グッズとして、マスク、蛍光たすき、ヘッドランプ、赤色ライト、ザックに設置する点滅ライトを使用したが、中でも有効だったのは点滅ライトである。
これは自転車用のライトで100円ショップでも購入できるが、トンネルばかりでなく、歩道がない道においてもザックに取り付けて多用した。
明らかにこれに気づいたクルマが、私を大きく避けて走り抜けていくことが多かったので効果は大きいと思われる。

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※秋田県内の国道7号線。交通量が多く、歩道が無い状態が続く。

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※熊本の佐敷トンネル1570メートル。目立つように白いシャツとトンネル通過用のフル装備で突入。

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※ザックに取り付けた自転車用の点滅ライト。

【旅の費用】
当初計画では約80万円を予定していたが、50万円ほどで収まった。
内訳は宿泊費30万円、交通費(移動費)10万円、食費10万円といったところ。
8月から始まった政府のGO TOキャンペーンの恩恵が大きく、宿泊の多くが3000円代で泊まることができ、更に1000円分の地域共通クーポンの補助があり、当初計画より大幅に節約することができた。

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※ありがたかった地域共通クーポン。

【美しい日本~繁栄と衰退】
2400kmを歩いた縦断の旅は、日本の自然景観の素晴らしさ、美しさを改めて感じることができた。
南北に長い日本列島は地域それぞれに特色があり、家屋の造り一つとっても屋根や塀、石垣等地方色が出る変化がある。
気候が違うように、言葉の違いもしかり。無人販売所に並ぶ野菜や果物も違う。
そんな変化を歩き目線で追っていくのは、歩き旅ならではの楽しみであり、醍醐味だった。

反面、旧街道が通る山あいでは集落そのものが朽ちて無人となった廃村にも遭遇したし、人の気配がしない閑散とした町や集落も多くあった。
また、駅周辺の商業地や住宅地でも『売家』や『売地』の貼り紙、立て看板を多く見かけた。
店舗にいたっては、シャッターが下りた店や貼り紙がある休業の店、解体されないまま錆びついた巨大なパチンコ屋やボウリング場、ホテルや施設をうんざりするくらい見てきた。

新型コロナの影響ばかりではなく、こうした現状を見れば見るほど、地方の衰退は私たちが思っている以上に加速度がついているのではないだろうか。
地方にあるJRや私鉄の駅はどんどん無人化され、昭和時代に造られたレトロな公営住宅には老人の姿しかない。
都会への一極集中と地方の空洞化は、もはや当たり前になっている。

旅をして思うのは、美しい風景や人がいない静かな山村、小さな町を歩くことで心が癒されていくことを感じた。
反面、肩がぶつかるくらい人がいる都会を歩けば、その喧騒に心が刺々しくなるのを感じずにはいられなかった。
しかし、自分が住んでいるのはそんな都会である(地方都市であるが)。
何でも手に入れることができる便利な都会に住むことで、生活の充足感と安心感を得ているのだ。
これを矛盾と言わずして、なんと言うのだろうか。

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※新潟県弥彦町で。

【旅の出会いとやさしさ】
94日間の旅で出会った歩き旅の同志は、山形と函館ですれ違った2名のみ。
山形で出会った大阪の方は、日本海沿いを青森から敦賀まで歩く途中。
また、函館で出会った神奈川の青年は宗谷岬から佐多岬までの日本縦断を目指す途中だった。
大阪の方とは住所を交換し、その後、無事にゴールされたことを知った。
コロナ禍の影響からか自転車で旅をしている人も少なく、全期間を通して5~6人しか見ていない。

今回の旅を通して、人のやさしさに幾度となく触れる機会があった。
新潟と北海道では「乗っていきますか」とクルマから声をかけられ、熊本ではみかん農家のおばあちゃんからみかんのお接待を受けた。
また、トイレを借りたガソリンスタンドの店員さんや旅館の女将さん、昭和レトロな商店街の乾物屋のおばあちゃんからは「がんばって!!」とエールを送られた。
通学途中の子供たちや自転車の高校生からも、すれ違いざまに何度もあいさつをされた。
極めつけはゴールの佐多岬に立ったとき、写真を撮ってくれた大勢の若い人たちから送られた拍手の輪。

コロナ禍のなか、接触することを極力避けるがために、人と話すこともなく一日が孤独に過ぎたこともあったが、人のやさしさに触れることで心が癒され、次の一歩を踏み出す活力に結びついていった。

まだまだ日本も、捨てたもんじゃないと思う。

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※人のやさしさにも触れ、北海道から鹿児島までの2400kmを歩くことができた。


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帰宅しました

昨夜、鹿児島から帰宅しました。
バス→フェリー→バス→バス→飛行機→私鉄→JR→クルマを乗り継いだ12時間の旅でした。
おかげで体が固まってしまいました。

正直言って、佐多岬まで歩いたということに、まだ実感がわきません。
振り返ってみれば、94日間の旅があっという間だったような…そんな気分です。
自分とは違う誰かが、チャレンジしたような…そんな錯覚も。

自分の足で2400キロの距離を歩き通したことが信じられませんね。

これから体のあちこちにダメージが出てくるかもと思い、今日は岩盤浴でデトックスをしてきました。

ともあれ、爆発的なコロナの猛威が気になりますが、しばらく休養して、トレーニングがてら山歩きや街道歩きでも楽しみたいと思います。

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※『ホテル佐多岬』から見た日の出

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※鹿児島駅での昼食 黒豚ロースとんかつ(大山 1480円)


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日本縦断徒歩の旅【西日本編35】根占~佐多岬

佐多岬にゴールする日を迎えた。
泣いても笑っても、今日が最終日だ。

歩行距離が35キロを越えそうなので、午前6時前に出発。
根占の町は、まだ寝静まっている。
星が瞬く暗闇である。

ザックに点滅ライトを設置し、ヘッドランプを着けて国道269号線を一時間ほど歩き、道の駅ねじめを過ぎた頃、長かった夜がようやく明けた。

歩を進めるにつれ、刻一刻と開聞岳が間近に迫ってくるのはレベルの高い美しい映像を見るようで退屈しない。

やがて雨が降り出したが、20分ほどで止んだ。
すると、開聞岳に巨大な虹がかかったではないか。
シャッターチャンスとばかりに、スマホで撮りまくったが、あとで確認すると一枚もまともなものはなかった。

国道269号線は伊座敷の集落で終わりとなるが、その前に現れたのが伊座敷トンネル。
最近開通したバイパストンネルであるが、これまでの縦断の旅で経験したトンネルのなかでは最長だった。
海岸線を行く旧道は展望も良くそそられたが、ここは時間短縮を狙ってトンネルに突入することにした。

しかし、その選択は100メートルも行かない内にすぐに後悔することになる。
なんと2000メートル以上もあるではないか。
トンネルの入口に全長を示す標識がなかったので、まさかこれほど長いとは思わなかった。
救いは、しっかりした歩道があること、トンネル内が明るいこと、そして何よりも交通量が少ないことであった。
しかし、さすがに30分近くも歩いていると、マスクを着けていても排気ガスで頭がクラクラするし、逃げ出せないという閉所恐怖は心臓に悪かった。

トンネルをようやく抜けると、出口すぐにはAコープがあり、駐車場にいたご老人から声をかけられた。
「海岸を歩けば良かったのに。景色も良いし」
ご老人はトンネル内を鬼の形相で必死に歩いている私を見たそうだ。
表情など暗くて見える筈がないのに…と思ったが、心配してくれただけでもありがたかった。

伊座敷集落から県道68号線に入ると、道はどんどん斜度を増して息が荒くなってきた。
汗が止まらない。
野球帽はびしょ濡れだ。

やっとのことで峠を越えると、今度はどんどん下って、大泊の集落に出た。
今日の宿泊はここにある『ホテル佐多岬』なので、ホテルに立ち寄って、佐多岬に到着後のお迎えをお願いした。
さすがに歩いて往路を戻る根性はないので、快く引き受けてくれてありがたかった。

さて、佐多岬までの最後の6キロである。
道はすぐに急勾配になり、咲き乱れるハイビスカスに目をやる余裕もなく、息を切らせて歩く。

午後13時30分。
佐多岬駐車場に到着。
そのままトンネルをくぐり、展望台へ。

13時45分、佐多岬灯台を望む最先端に到着した。
この日のために用意していた『日本列島徒歩縦断 佐多岬到達!!』と書いたPOPをザックから取り出し、その場にいた10人ほどの若い男女のグループに撮影を頼んだ。

彼らは私が掲げたPOPを見て、
「マジで歩いて来たんですか!」…と言って、
私が「北海道から歩いてここまで来た」と応えると、
あろうことか、その場で拍手が上がった。
拍手が拍手を呼び、やがて大きな輪になっていった。

予期せぬ温かい拍手に、年甲斐もなく、感激が込み上げてきた瞬間だった。

■2020年11月18日 鹿児島県南大隅町
■49628歩 32.25キロ
■ホテル佐多岬
■晴れ一時雨

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※夜が明けると、開聞岳がすっきりと見えた。

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※幕末に薩摩潘が設置した砲台跡があった。

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※大川の『田の神』という石仏があった。

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※美しい映像を見るような開聞岳の姿。

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※龍の尾のような佐多岬の稜線が見えた。

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※突然の雨が止むと、開聞岳に虹がかかった。

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※佐多岬まではまだまだ遠い。

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※全長2000メートル超えの伊座敷トンネル。右は旧道のトンネル。

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※トンネル内部。これでまだ半分だ。

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※県道68号線に入ると、傾斜が増した。

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※森と海に挟まれた小さな集落が見えた。

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※素晴らしい景色を見ながら歩く。

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※開聞岳はずっと傍らにあった。

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※大泊。佐多岬に向かうパークロードのゲートをくぐった。

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※佐多岬に向かって海岸線を歩く。

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※道は傾斜を増し、素晴らしい景観となった。

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※佐多岬の駐車場の直前にある北緯31度線の碑の前で。

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※トンネルをくぐり、佐多岬展望台に向かう。

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※素晴らしい展望が広がった。

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※展望台から見た開聞岳。

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※展望台で。長かった旅が終わった。次は残した宗谷岬を目指す。


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日本縦断徒歩の旅【西日本編34】垂水~根占

ゴールの佐多岬まであと2日に迫った。

今日の宿泊予定地は南大隅町の根占であるが、事前に調べたところ、ここには宿が数軒しかなく、そのうちの一番新しくて大きな宿がコロナの影響で休業となっており、民宿も同様だった。
最悪の場合、テント持参を考えたが、運良くビジネスホテルを予約することができたので、今回の旅は重荷を担がなくても済んだといういわくがある。
連日、30キロの距離を歩けているのは、一重に荷物が軽いおかげだと思っている。

午前7時前に垂水のホテルを出発。
九州の日の出は遅いので、この時間になってようやく明るくなってくる。

鹿屋市の古江町までは国道220号線を歩く。
錦江湾に沿った海岸通は歩道も整備されており、ベンチもあって快適だ。
南国特有のガマジュルの木も等間隔に植えられており、真っ赤なハイビスカスの花も咲いている。
ここがとても日本だと思えないくらいだ。
そして、季節外れの暑さ。
歩き初めて一時間で汗が滴り、我慢できずついにTシャツ姿になった。

古江からは国道を離れ、海岸づたいに県道68号線を行く。
かつての軌道の跡だろうか、サイクリングロードとなっている立派な歩道を歩いた。

海に浮かぶ岩場に建つ荒平神社を過ぎ、歩道が無くなった国道269号線に入ると雨が降りだした。
骨が折れた満身創痍状態の折りたたみ傘を差して歩く。
この傘は6月に長野県を歩いているときに『しまむら』で買ったが、以来、縦断の旅にずっと連れてきている。
へんな愛着があって、ボロボロになっても手放せないでいる。この旅が終わったら成仏させてやろう。

雨も上がり、道の駅錦江にしきの里に出ると、ミカン1袋(5個250円)と紫芋で作った『けせん団子』(6個300円)を購入。
ビタミン不足を補うために、今回の旅では毎日のようにミカンを食べている。
そして道の駅の楽しみは、地元特有の餅や饅頭といった和菓子。
甘いものに目がないので、珍しいものがあると行動食としてついつい買ってしまう。
糖尿病の主治医から甘いものを食べ過ぎないように指導されているのに、“自分に甘い”のでは仕方がない。

そうそう、道の駅で休憩中に『なにわ』ナンバーの初老の男性4人連れに出会ったが、その内の一人が開聞岳を指差し「桜島は立派だなぁ」と呟いたのには思わず苦笑い。
更にその人は、傍らの私に「兄ちゃん、どこまでいくの?」
62のオヤジに対して兄ちゃんとは…あんたと年、変わらんがなぁ…と思いながら、面倒なので「岬まで」と応えた。
土足で踏み込んでくるデリカシーがないこういう輩に対しては間違っても「佐多岬」と応えてはいけない。
おそらく『さだまさし』と解釈するかもしれない…。
そんなわけないか。

城ヶ崎に出ると、更に大きくなった開聞岳が真正面に見えた。
開聞岳には20年ほど前に登ったことがあるが、その頃は体力が有り余っていたので、山麓から頂上までランニングよろしく駆け登った。
今ではとても無理だが、対岸に浮かぶ円錐形の秀麗な姿を見ると、もう一度登ってみたくなった。

午後3時をすぎ、歩行距離が30キロを越え、根占の町に入った。
ここから佐多岬までは37キロ。
投宿したホテルの女将さんいわく、「岬の登り、きついですよ」

最後の一日は、なかなかハードになりそうだ。

■2020年11月17日 鹿児島県垂水市~南大隅町
■52386歩 34.05キロ
■ビジネスホテルオルビス
■晴れ時々雲り、一時雨

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※いよいよ佐多岬を目指す最終ラウンドが始まった。

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※南国の樹木が植えられた海岸通を歩く。

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※真っ青な空と青い海が素晴らしい。

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※荒平神社。

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※降りだした雨のなか、黙々と歩いた。

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※高須川を渡り、浜田の町に入った。

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※道の駅に併設されたキャンプ場には影絵のモニュメントがあった。

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※道の駅で購入。

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※紫芋で作ったけせん団子。

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※神之川大橋を渡った。

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※城ヶ崎展望台から見た開聞岳。

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※大根占の町で見つけたホーロー看板。

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※蟹が威嚇していた。

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※本土の南の果てまで来た。

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※今日のゴール、根占の町。佐多岬まであと37キロ。


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日本縦断徒歩の旅【西日本編33】伊集院~鹿児島~垂水

21年ぶりの、11月での二日連続の夏日を記録した鹿児島。
あろうことか、私はドンピシャのタイミングでそこにいる。

まるで梅雨時のような、じめじめした空気のなかを出発。
今日もテレビの天気予報は季節外れの夏日を予想していた。
つい二日前まで朝の出発時に着ていたジャージの上着とダウンジャケットはザックの中だ。

伊集院から鹿児島市までは県道24号線を忠実に歩くことにする。
道は狭いが歩道があるので安心できる。
…と思っていたら、上伊集院駅を過ぎて南九州自動車道と並行し始めると、突然に歩道が無くなってしまった。
道が狭くカーブが連続する上、雑草が覆い被さっている。更に交通量が多いので、のんびりと歩いてはいられない。
次に歩道が現れる田上インター入口まで、休むことなく黙々と歩いた。

鹿児島市に入り、その名もずばり『替え玉屋』という、鹿児島ラーメンの店で昼食。
失礼なきよう、当然、替え玉を頼んだ。

汗を拭きつつ、鹿児島湾に注ぐ清滝川に沿ってどんどん下っていくと、鴨池フェリーターミナルが近づき、眼前に大きな山容が迫ってきた。
鹿児島のシンボル、桜島である。

鹿児島にはこれまでも幾度となく訪れているが、改めて間近に見ると、その迫力に圧倒される。
この山を毎日眺めている鹿児島の子どもたちは、きっと小さなことを気にしないおおらかな性格に育つのではないだろうか…と思わずにいられない。

13時50分発の垂水行きのフェリーに乗船。
桜島をずっと見ながらの40分間だった。

ついに大隅半島に一歩を踏み出すのだ。
その行き止まりは、佐多岬。
いよいよ目標の佐多岬が射程圏内に入ったのだ。

嬉しさが自然に込み上げてきたが、船を降りた他のお客の手前笑うことを我慢し、降りだしたにわか雨に濡れながらフェリー乗り場を後にした。

佐多岬までは残り70㎞。
ここまできたら、足の痛みも筋肉痛も我慢し、気合いで歩き通したい。

■鹿児島県日置市~鹿児島市~垂水市
■36538歩 23.74キロ
■ホテルAZ鹿児島垂水
■晴れ時々雲り、一時雨


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※県道24号線を行く。雲は多いが、今日も好天だ。

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※無店舗販売所を多く見た。様々な野菜が並んでいた。

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※県道が南九州自動車道と並行すると、突然に歩道が無くなった。

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※本日の昼ごはん。とんこつラーメン(替え玉屋 670円・替え玉100円)

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※鹿児島市内に入り、清滝川に沿ってフェリー埠頭を目指して歩いた。

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※ホーロー看板で有名な『カクイわた』の工場があった。

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※鴨池フェリー乗り場。ここから対岸の垂水に渡る。

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※フェリーから望む桜島。圧倒的な存在感だ。

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※垂水港に到着し、佐多岬を目指す一歩を踏み出した。

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※なんと、ハイビスカスが咲いていた。

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※ホテルまでの道を歩く。対岸には開聞岳が見えた。


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日本縦断徒歩の旅【西日本編32】薩摩川内~伊集院

さすがに南国である。
昨日に続いて、25度超えの暑い日となった。
11月も半ばを過ぎたというのに、この暑さ。
道行く人たちは半袖である。
つい一週間前は信州の温泉地で寒さに震えていたのに、改めて日本列島の広さと大きさを感じた一日だった。

薩摩川内駅前から商店街を抜け、今日も国道3号線との付き合いが始まった。
南九州自動車道の薩摩川内都ICを過ぎると国道は山あいに入り、小さな集落を避けながら縫うように伸びていく。
一里塚のように一定の間隔に植えられた榎の大木や石造りの橋など、薩摩街道の痕跡がいたるところに見ることができるので、退屈せずに歩くことができた。

いちき串木野市に入り、神村学園という目を見張るような巨大な教育施設を見ながら歩く。
見たくなくても、校舎に掲げられた横断幕を目で追ってしまう。
プロ野球選手やゴルフ、オリンピック選手などを多数輩出している名門校のようだ。

市来駅を過ぎたところで、飲食店を発見。
今日もコンビニで済ますことになるかと思っていたが、九州に入ったらぜひ食べたかったチャンポン麺にありつくことができた。

マスクを着けて暖簾をくぐると、狭い店内は満席の状況。
その瞬間に『三密』の三文字が脳裏をよぎったが、空腹には勝てず席に着くことに。
味は申し分なかった。
家族で切り盛りしているのだろうか、高校生くらいのお嬢さんが、客の退席したあとのテーブルや椅子を一生懸命にアルコール消毒をしている姿に好感が持てた。

振り返ってみると、こうした風景は今年の初めまではなかったはず。
料理が運ばれてくるまでマスクを着けていることなど、風邪を引いていてもしたことがなかった。
今はそれも当たり前になり、広い畑で一人で農作業をしているお年寄りがマスクをしている姿を見たりすると、何だか複雑な気持ちになる。
コロナという目に見えぬ敵は、世の中をそこまで変えたのか…などと。

私は歩いているときは、息苦しいのでマスクをしていない。
人と接触する時はもちろんマスクをするが、コンビニやホテルの食堂などでマスクをしていない客を見ると、思わず避けてしまう。
マスクをせずに歩いているのに、自分勝手はなはだしい解釈である。
たったマスク一枚で、人の心までぎすぎすさせる世の中、早く終わって欲しいと思わずにいられない。

感染爆発がすぐそこまで迫っている状況のなかで、のんきに歩き旅を続ける私をコロナ禍の人たちはどう見るだろうか。
そんなことを考えるだけでも憂うつになるが、今は何も考えないで目の前にある道に足を運ぶだけ。
それだけに集中し、目前に迫った佐多岬を目指すだけだ。

午後3時に伊集院駅前にあるホテルに到着。
8時間の歩きからようやく解放された。

部屋に入って鏡を見ると、見慣れた顔が別人と思うくらい真っ黒に日焼けしていた。

■2020年11月15日 鹿児島県薩摩川内市~いちき串木野~日置市
■44969歩 29.22キロ
■ホテルAZ鹿児島伊集院
■晴れ

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※薩摩川内の市街地を離れ、川内川を渡った。

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※国道3号線を行く。

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※薩摩街道が横切る。

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※このたこ焼きチェーン、九州に入ってから何軒も見かけた。

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※鹿児島まで43キロとなった。

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※国道3号線を歩くと、こんな大樹があった。

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※薩摩街道に残る十里塚の榎。

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※門司から350㎞となった。

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※いちき串木野に入った。

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※本日の昼ごはんは、チャンポン麺(みよし760円)

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※ホーロー看板が貼られた看板屋敷があった。

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※市来の田園風景。

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※廃業した焼酎の醸造元があった。湯之元温泉。

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※美山から国道を離れ、県道24号線に入った。

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※県道24号線には竹林と窯元があった。

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※無店舗販売所。ミカン3個を100円で購入。

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※伊集院の市街地に入った。


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日本縦断徒歩の旅【西日本編31】阿久根~薩摩川内

“ないないづくし”の宿を7時に出発。

玄関を出てすぐ、今日の行程をコピーした地図を部屋に忘れたことに気づき、戻ろうとするも、玄関ドアがロックされて開かない。
事前に貰っていた玄関解錠コードを打ち込んでも開かず、地図は泣く泣く諦めることに。
スタッフは9時からしか出社せず、それまでは無人という恐るべきシステム。
連絡してやり取りする時間も面倒なので、そのままホテルを後にした。

阿久根市街地を過ぎ、オーシャン&サンセットロードと呼ばれる海岸通に出ると、真っ青な海が広がった。
空は5日連続の快晴、これ以上ない“青の世界”にどっぷりと浸かっている。
おれんじ鉄道の牛ノ浜駅前から道の駅阿久根までの海岸線は、夕日の景観も素晴らしいという。

道の駅を過ぎると歩道が無くなり、ザックに点滅ライトをセットして、白線の上を辿るように歩く。
途中、反対車線でミカンを並べている売店のおじいちゃんから、
「おはよう!がんばってるねー」と、声をかけられた。
嬉しくなって、手を振って挨拶を返した。

今日は土曜とあって、バイクツーリングも多い。
すれ違い様に合図を送ってくれるライダーもいて、ここが縦断の定番ルートだということを改めて認識した。

九州に入ってからは、一人のチャリダーにすれ違った以外、歩き旅の人にはまったく出会っていない。
もっとも、これまでの89日間で出会ったのは二人しかいないので、新型コロナの影響を差し引いても、いかに長距離歩き旅が稀少なのか分かる。

ふと思ったが、9月に函館で出会った神奈川県の青年は、今頃どのあたりを歩いているだろうか。
すでに佐多岬に到達したかもしれないな…などと思いながら歩いた。

国道3号線は西方集落を過ぎると海岸線を離れ、内陸に入った。
短いトンネルを二つ越えるが、交通量が多い上、歩道も中途半端な段差しかないので慎重に突破した。

すでに正午を回っているが、飲食店は見当たらず、ようやく出てきたコンビニでおにぎりにありつくことができた。
九州に入ってからは、もっぱら高菜漬のおにぎりばかり食べている。
信州では野沢菜漬のおにぎりやおやきが定番だったので、まさに“ところ変われば”を地でいっている。

改めて日本は広く、食文化一つをとっても地方色の変化を感じる。
無店舗販売をみても、北海道ではジャガイモや野菜であったし、青森ではりんご、秋田ではトマト、そして鹿児島ではミカンである。
こうした変化を見ているだけでも旅の楽しみがあり、醍醐味を感じている。

民俗学者の宮本常一は「旅に出たら、物干し竿の洗濯物を見よ」と、父親から教えられたことを著作に書いている。
着物は地方色が出るという例えである。

食べ物ばかりでなく、家屋の屋根や壁、石垣、はたまた神社やドラッグストアチェーンの分布でさえ、地方色と勢力図が見えてくる。
南北に長い日本列島を歩き目線で見て、変化を観察することは、多少なりとも見識を拡げてくれるようだ。

さて、快晴に恵まれた今日は、夏が舞い戻ったかのような暑さとなった。
子供たちは半袖のTシャツで遊んでいたし、私にしても、薄手のシャツでさえしっかりと汗を滲ませた。
薩摩川内駅前にあるホテルに入ったときは、汗まみれであった。

さすがに南国、鹿児島である。
明日以降も好天が続くことを祈りたい。

■2020年11月14日 鹿児島県阿久根市~薩摩川内市
■43754歩 28.44キロ
■東横イン薩摩川内駅前
■晴れ

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※阿久根駅前を歩く。多くの店にはシャッターアートがあった。

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※さすがに南国、コスモスがまだ咲いていた。

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※国道3号線は入り江の海岸沿いを行く。

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※夕日が素晴らしいという牛ノ浜駅。

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※青い海と空の海岸通を歩く。

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※素晴らしい景色に感動。

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※南国の景観を見ながら歩く、贅沢な旅。

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※海岸、国道、おれんじ鉄道…三拍子揃った風景。

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※津波避難の案内板があった。

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※国道3号線。短いトンネルが二ヶ所出てきた。

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※国道3号線は海岸を離れ、内陸に入った。

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※門司から333㎞。ゾロ目である。

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※薩摩川内市内に入った。

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※同上。

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※薩摩川内市は綱引きが有名。しかし、今年のイベントはコロナで中止となった。


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日本縦断徒歩の旅【西日本編30】水俣~阿久根

疲れが溜まってきたのか、熟睡できないまま朝を迎えた。
今日の歩行距離は30キロ超え。
道草をしないかぎり、ほぼ100%国道3号線を歩くことになる。
単調で面白味はないが、道に迷うことはないだろう。

国道3号線は、おれんじ鉄道に沿って右手に水俣港を望みながら南下する。
袋駅を過ぎると県境を越え、鹿児島県出水市に入った。
ついに鹿児島に足を踏み入れたのだ。
これまで多くの県境を越えてきたが、歩き旅の最後を飾る県だけあって、感慨ひとしおだった。

出水は鶴の渡来地としても有名で、この先至るところに鶴のモニュメントや看板を見ることができた。

県境から米ノ津までは八代海を見ながら歩くが、同時に『北薩オレンジロード』と呼ばれるだけあって、みかん畑が広がり、無店舗販売所も目についた。

店を覗くと、一袋7~8個入って300円が相場。
そんなに食べれないし、何よりも重い。
店番をしていたおばあちゃんに2、3個分けて欲しいとお願いすると、
「歩いてるの?」「どこまで行くの?」
…と、矢継ぎ早に質問された。
「佐多岬まで歩きます」と返答すると、
おばあちゃんは、こぼれんばかりの笑顔で、
「好きなだけ持っていって」
と言って、みかんを私の手に乗せてくれた。
代金も受けとってくれず困ったが、ここはおばあちゃんに甘えて、3個をいただき店を辞した。

そのみかん、早速バス停のベンチで食べたが、甘くて美味しかった。

高尾野町に入り、鶴の渡来地を間近に国道を歩く。
広大な田園地帯をよく観ると、なんと、鶴がいるではないか。
黒くてデカイのは、ナベツルだろうか。
野生の鶴を見るのは、北海道の釧路でタンチョウツルを見て以来だ。
しばらく見ていると、3羽は大きな羽を拡げて優雅に羽ばたいていった。

単調な国道歩きが、タンチョウの話題を連想することになるとは思わなかったが、どっちにしろ良いものを見せてもらった。

午後を回り、阿久根市に入っても多少の起伏があるものの、単調な国道歩きが続いた。
先日、長野の温泉旅行に同行した長男の言葉をふと思いだした。
「何で、歩くの?」
彼には、歩いて日本縦断することを全く理解できないという。
その問いに対して、私の答え。
「歩きたいから、歩く」

これでは、「山があるから登る」と同じではないか。
これまでのところ、この手の質問には面倒なので「歩きたいから、歩く」で通しているが、本音は違う。

歩いて日本を縦断することは、自分にとっての『終活』だと思っている。
昨年、大病をしてそれがはっきりと認識できるようになった。
徒歩縦断に限らず、これからチャレンジすることはスケールの大小問わず、私にとっては『終活』なのだ。
生きてるうちに、やりたいことをやる。
やりきらなくてもいい。
やってみることが大事だと思っている。

午後4時、阿久根駅近くのホテルに投宿。
GO TOトラベルの割引を利用しても2850円という激安料金。
オープンしたばかりなので清潔、キレイなのはいいが、エコを謳っているだけに、“ないないづくし”だった。
パジャマなし、目覚まし時計なし、電話なし、テレビなし、髭剃りなし…。
究極は、夜間は従業員が誰もいなくなるということ。
こんなシステム、聞いたことがない。

さて、今夜は雑音を気にせず、熟睡しよう。
(寝坊しないようにしなくては…)

■2020年11月13日 熊本県水俣市~鹿児島県阿久根市
■46748歩 30.38キロ
■お宿みどこい
■晴れ

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※早朝の水俣市内を歩く。

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※レトロな外観の水俣駅から国道3号線に入った。

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※野菜の種付け作業を見た。

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※鹿児島県に入った。

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※出水市に入ると、鶴のモニュメントが至るところにあった。

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※同上。

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※無店舗販売所は地域の特産物を象徴する発信基地。

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※国道3号線は八代海を見ながら行く、景観も素晴らしいルート。

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※同上。

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※本日の昼ごはん。薩摩黒うどん定食 (出水屋文左衛門490円)

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※高尾野町に入ると広大な田園風景があった。

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※鶴の渡来地。

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※ラッキーなことに鶴と出会うことができた。

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※門司からちょうど300キロ。

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※阿久根市に入った。意味がよく分からない看板。


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日本縦断徒歩の旅【西日本編29】芦北~水俣

新型コロナの感染が第3波に入ったようである。
連日のニュースを見るにつれ、浮世離れした旅を楽しんでいる自分に多少のわだかまりを感じつつ、黙々と歩いている。
コロナ感染はもはや別世界の話ではない。
どこにいても、すぐそこまで危機が迫っているのをひしひしと感じている。
今更だが、人との接触をできるだけ避け、宿泊施設や買い物、飲食店では自分なりの対策をしっかりやろうと思う。

マスク、手袋着用の朝食バイキングを済ませ、午前8時過ぎにホテルを出発。
今日の行程は20キロと短いので、久しぶりにNHKの朝ドラを観ることができた。

天気は安定しており、連日の快晴である。
冷え込みもいくぶん柔らいだようだ。

国道3号線は、佐敷港の入り江に注ぐ湯浦川に沿って山あいに入っていく。
整備された公園もあり、歩道の街路樹には紅葉が始まっていた。

『津奈木太郎』の標識が出てくると、国道は勾配を増した。
電光板は13度の気温を示しているのに、汗が吹き出てくる。

雑草で覆われた歩道をクモの巣を避けながら進むと、津奈木トンネルが現れた。
『三太郎峠』の最後の砦である。
トンネルは全長522メートルと短いが、歩道がない。
交通量は多く、ひっきりなしにクルマが吸い込まれていく。
いつものように“トンネル通過用グッズ”を着けて、いざ突入。
全長が短いからだろうか、クルマの2台に1台が無灯火かスモールランプで走ってくる。
これで、歩いている私に気づくのだろうか、危険極まりないと思わずにはいられない。

トンネルを出ると鬱蒼とした緑の森が広がっていた。
段々畑を従えた谷の底には、小さな集落も見えた。
おそらく、限界集落ではないだろうか。

雑草が邪魔をして真っ直ぐ歩けない歩道を外れて、車道をずんずん下った。

津奈木の町に出ると安全地帯に入った安心感からか、公園のベンチに座って靴下を脱いだ。
連日の30キロ超えで、右足に小さなマメができていた。
臀部の痛みはロキソニンを飲んで抑えているが、マメの痛みは治療を怠ると日増しに悪化するから侮れない。
願わくは、佐多岬に到達するまでのあと6日間を踏ん張って欲しいと思う。

津奈木からゴールの水俣市までは、何度も休憩を取りながらのんびりと歩いた。
『水俣病資料館』を見学する案も頭に浮かんだが、宿泊ホテルが見えてくると、早くシャワーを浴びたいという気持ちが先立ってしまった。

明日はいよいよ県境を越え、日本縦断の最後の県、鹿児島に入る。

■2020年11月12日 熊本県芦北市~水俣市
■30872歩 20.60キロ
■スーパーホテル水俣
■晴れ

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※佐敷港の入り江に沿って歩く。

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※公園の街路樹も紅葉していた。

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※南九州自動車道の高架をくぐった。

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※デコポンがたわわに実っていた。

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※津奈木太郎峠の登りが始まった。

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※全長522メートルの津奈木トンネルに突入した。

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※トンネル内部は最初は明るかったが、中間点では真っ暗になった。

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※トンネル出口。これで三太郎峠のトンネルが終わった。

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※津奈木太郎峠を下ると眼下に集落が見えた。

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※津奈木町の酒蔵。

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※津奈木町の景勝地、軍艦岩を見ながら歩いた。

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※ホーロー看板がある風景。

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※豊臣秀吉の島津征伐ゆかりの歌坂。

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※のどかな風景を背景に行く、おれんじ鉄道。

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※ショウリョウバッタ

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※水俣市に入り、鹿児島が一段と近づいてきた。

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※水俣橋を渡り、市街地に入った。


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日本縦断徒歩の旅【西日本編28】八代~芦北

今日の行程は、薩摩街道の難所といわれる三太郎峠(赤松太郎峠・佐敷太郎峠・津奈木太郎峠)の内、赤松峠と佐敷峠を越えるこの旅一番のハードな一日となった。

国道3号線を通るそれぞれの峠には長いトンネルがあり、いずれも歩道がないというトホダー泣かせの難所である。
中でも佐敷トンネルは全長1570メートル。
交通量も多くあまりにも危険なため、過去の列島縦断者はここを回避して、海岸線を迂回するルートを選んだ人も多くいるほどだ。

佐多岬を目指す旅は、まだ始まったばかりである。
状況によっては無理することもないので、トンネル回避のルートも考慮することにし、夜が明けたばかりの6時半にホテルを出た。

八代港に注ぎ込む前川と球磨川の鉄橋を渡り、自転車の高校生たちとすれ違いながら国道3号線に合流。
ここから日奈久温泉までの6キロは一本道なので、冷えた体を温めるにはちょうど良い。
昨日からジャージの上にダウンジャケットを着ているが、朝と昼の温度差が大きいので、気温が上がるにつれ一枚づつ脱いでいくことになる。
最高気温が23度前後になる昼頃の出で立ちは、薄手のシャツ一枚となる予定である。

日奈久温泉街を通るこのルートは10年前にも訪ねている。
目的はホーロー看板の撮影であるが、その時に撮影した看板たちがまだ残っていることに嬉しく思いながら歩いた。

国道3号線は日奈久を抜け、肥薩おれんじ鉄道肥後二見駅から緩い坂道となった。
これから最初の難関、赤松太郎峠(138メートル)を越えることになるが、その前に腹ごしらえをしようと思って、ドンピシャのタイミングで見つけたのが日奈久名物のちくわ屋さん。
焼きたてのちくわ(1本80円)をパクつくことができた。

全長680メートルの赤松トンネルには歩道がなく、マスク、蛍光たすき、ヘッドライト、ザックには点滅ライト、右手に赤色灯というフル装備で突入した。
追い越されたクルマは15台。
内、大型トラックは2台だった。

交通量が少なくラッキーだったが、おそらく並走している無料区間の、南九州自動車道に多くが流れていると思われる。
推測では、この先の佐敷トンネルも交通量が少ないかもしれない。
うまくいけば、突入できるかも。

赤松太郎峠を越え、下り切ったところにある道の駅田浦で休憩。
畳敷きの休憩室でゴロンと横になって、地図を見ながら次の佐敷太郎峠攻略の案を練る。
ここからトンネルを回避して海岸線に迂回する県道56号線を行くルートは、芦北まで10キロ。
同じく、広域農道を行くルートは9キロ。
佐敷トンネルに突入すれば6キロで芦北市街地に行くことができる。

さて、どうする?

…しばらく悩んでも結論は出ず、トンネルの入口まで行って決めることにした。

佐敷トンネルの入口に立つと、歩道もなく出口が見えない陰険な穴が大きく口を開けていた。
交通量は多くないようだ。
試しに、トンネルに入ってくるクルマの数を1分間で計ってみると、4台だった。
トラックは少ないようだが、とんでもなくデカイのも走ってくる。
1670メートルを20分で抜けるとして、積算すると80台とすれ違うことになる。

ざっと計算してみたが、もうどうでも良かった。
体は条件反射のごとくトンネルに向かって突入していた。

トンネルはいつ終わるともしれない長さが待っていた。
出口の明かりが見えない中で、クルマがすぐ脇を轟音を上げて疾走していく。
やっかいなのは、無灯火でくる輩もいる。
右手に持った赤色灯をぐるぐると回しながら存在をアピールし、必死に歩いた。
マスクを通しても息苦しくて仕方がなかった。

トンネルと格闘すること20分。
ようやく出口が見えてきた。
出口は工事のため片側交互通行となっており、誘導員に導かれてトンネルを抜けることができた。
振り返ってみると、実にしょっぱかったが、交通量が少ないことがラッキーだったと思う。
ともあれ、最大の難関を突破することができ、胸を撫で下ろすことができた。

佐敷トンネルからは、相変わらず歩道がない緩い坂道を下り、佐敷駅に出た。
予約したホテルのチェックインまで時間があり、ラーメン店で遅い昼食をとってからホテルに向かった。

明日は水俣までの歩きとなるが、三太郎峠の最後を飾る津奈木太郎峠が待っている。
標高は278メートル。

気を抜かずに歩くのみだ。

■2020年11月11日 熊本県八代市~芦北市
■45373歩 29.49キロ
■ホテルAZ芦北
■晴れ

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※八代市内から前川を渡る手前にあった、カッパの巨大なモニュメント。

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※前川の専用歩道橋を渡る。

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※球磨川鉄橋を渡った。

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※球磨川から望む八代港。

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※日奈久の国道3号線沿いで再訪したホーロー看板屋敷。

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※日奈久温泉街を歩く。

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※日奈久温泉駅にいたくまモン。

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※二見浦からは八代海が広がった。

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※のどかな田園風景を見ながら赤松太郎峠に向かった。

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※日奈久名物のちくわを買った。

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※焼きたてのちくわは旨かった。

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※薩摩街道の道標があった。

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※草に埋もれたキンチョールのホーロー看板。

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※門司から250キロ歩いた証。


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※赤松トンネルに突入した。

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※赤松太郎峠を下り、田浦港に出た。

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※薩摩街道の道標。薩摩⇔江戸とはすごい。

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※佐敷太郎峠の登りが始まった。

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※ケーブルがある甘夏の畑を発見。

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※佐敷トンネルに突入する。

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※トンネル内部で。

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※トンネル内には歩道がなく、いつ終わるともしれないくらい長かった。

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※ようやく佐敷トンネルを抜けた。

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※佐敷太郎峠を振り返る。

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※佐敷港。

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※肥薩おれんじ鉄道佐敷駅。

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※佐敷の町で遅い昼食。もっこす亭ラーメン 650円


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日本縦断徒歩の旅【西日本編27】熊本~八代

昨夜、福岡空港から新幹線で熊本に入った。
今日から、佐多岬を目指す最終章をスタートする。

熊本駅前のホテルを午前7時に出発。
国道3号線をしばらく南下し、南高江の交差点から県道297号線に入り、川尻に向かう。

川尻は街道の要所として栄え、高札場の跡もあった。
また、不世出の柔道家・木村政彦の出身地ということで、歩道橋には生誕百年を記念した横断幕が掲げられていた。
町を貫く県道沿いには和菓子店が軒を連ね、緑川を渡るまでに10軒以上の店を数えた。
調べてみると、川尻の老舗和菓子店6店=開懐世利六菓匠が、町起こしで和菓子の共同開発なども手掛けているということだった。

再び国道3号線に戻り、宇土まではJR鹿児島本線沿いに歩く。
松原交差点からは県道14号線に入り、八代までひたすら南下する旅となった。

広大な田園地帯の先には山の稜線が高く聳えている。
雲一つない快晴である。
レンコンの収穫場面に遭遇することもできたが、女性が畑に胸まで浸かり、泥だらけになってレンコンを採っている姿に過酷な仕事の現場を見た思いがした。
熊本名物の辛子レンコンがこうした苦労から生まれているのを、どれだけの人が知っているだろうか。
生産者の苦労や努力を知れば、この飽食の時代だからこそ、食べ物の廃棄が罪悪だということに気づくきっかけになると思う。

昼を大きく回り、熊本ラーメンの店を探して歩くが、県道14号線沿いには飲食店はほとんどなく、忘れた頃にコンビニが出てくる程度。
結局、ラーメンは諦め、コンビニで買った肉まんをバス停のベンチで食べて遅い昼食とした。

中4日の旅の初日だが、左の臀部の痛みがなかなか治まらない。
この痛みは、すでに一週間以上続いている。
そして、右足にはマメの兆候が。
どうやら、佐多岬までだましだましでいくしかないようだ。

午後4時、八代市役所近くにあるホテルに到着。
明日はこの旅きっての、峠を越えるハードな一日になりそうだ。

■2020年11月10日 熊本県熊本市~八代市
■51071歩 33.19キロ
■ホテルアルファーワン八代
■晴れ

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※早朝、佐多岬を目指す旅が始まった。

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※JR鹿児島本線を渡る。

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※熊本市。蓮台寺橋を渡る。

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※川尻の高札場跡。

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※川尻。木村政彦生誕百年の横断幕。

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※川尻から緑川を渡った。

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※松橋の風景。

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※レンコンの収穫。宇城市。

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※県道14号線沿いには広大な田園風景が見えた。

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※八代市に入り、いくつもの川を渡った。

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※山の稜線が目に鮮やかだった。八代市。


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信州山田温泉へ

私たち夫婦の34回目の結婚記念日を祝って、長男夫婦が温泉旅行に招待してくれました。

向かったのが、信州山田温泉の『緑霞山宿 藤井荘』
江戸時代創業の老舗旅館で、『日本の宿100選』に選ばれた美食の宿です。

私たちにとって身分不相応ですが、のんびりと過ごさせてもらいました。
部屋に併設された月見縁台から見る紅葉の素晴らしさと、繊細な料理が絶品でした。

久しぶりの信州ということで、修復工事を終えた善光寺と、小布施、戸隠を回り晩秋の二日間を楽しむことができました。

さて、明日からは日本縦断歩き旅の最終章を始めます。


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※藤井荘

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※同上

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※同上

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※同上

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※同上

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※山田温泉の共同浴場『大湯』

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※善光寺本堂

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※戸隠『山口屋』忍者蕎麦定食


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日本縦断徒歩の旅【西日本編26】山鹿~熊本

この旅一番の寒い朝を迎えた。
山鹿温泉街を抜け菊地川に出ると、川面には靄が立ち込め、幻想的な風景を醸していた。

通勤ラッシュが始まった国道3号線を肩をすくめながら歩く。
吐く息は昨日に輪をかけて真っ白だ。
体がまったく温まらない。
霜で覆われた田んぼからは水蒸気が靄となって立ち上っており、遠くの山の稜線も霞んで見えた。

歩行距離が10キロを超え、九州自動車道の植木インターを過ぎたところでようやくパーカーを脱ぐ。
ちょうど屋根付きのバス停があったので休みたかったが、マスク姿の先客がいたので諦め、目と鼻の先にある日陰のベンチに座り、行動食のせんべいをバリバリとやった。

くまモンの等身大人形が置かれた『道の駅すいかの里』を過ぎると、“田原坂焼きそば街道”と書かれた幟が目につくようになった。

これで昼めしは決まりだなと、期待しながら店を探すが、焼きそばの店は一向に出てこないばかりか、結局一軒もないまま熊本市街地が近づく結果となった。

昼ごはんは福岡県で逃した『WEST』さんへ。
ゴボ天うどんを食べるが、私としての軍配は『資さんうどん』に上げたい。

大窪の交差点で国道3号線を離れ、熊本城を経由して熊本駅方面に向かう県道303号線に入った。

熊本城には少なからず因縁があり、これまで何度も熊本を訪ねながら一度も登城できないまま、地震で被災してしまった。
今回も登城はできなかったが、間近に見ることができただけでもラッキーだった。

熊本城からは残りの2キロを歩き、午後3時にJR熊本駅に到着。
8日間で250キロを歩いた今回の旅はここで一旦ゴールとし、帰宅することにした。
用事を済ませてから、再び佐多岬を目指す旅に出る。
それまでのお預けである。

それと、今日の出来事として付け加えておきたいことがある。
熊本駅に到着した後、熊本市郊外にあるMさんのご自宅に伺うことにした。
私が勤めていた会社の先輩であるMさんは、つい10日程前に一年半の闘病の末、帰らぬ人になった。
6月に長野県を歩いているとき電話があり、私が日本縦断の歩き旅をしているということを知り、九州に入ったらぜひ立ち寄って欲しいと言われていたのだ。

こんな形でお別れをするのは残念だが、お線香を上げることができ、奥様から闘病のお話を伺うことができて良かったと思う。

生前はハーフマラソンにも出るほどの健脚で、自転車で日本を一周したいと夢を持っていたそうだ。

夢は違えど私がバトンを引き継ぎ、徒歩縦断を完遂することを約束したいと思う。

■2020年11月4日 熊本県山鹿市~熊本市
■42236歩 27.46キロ
■ネストホテル博多駅前
■晴れ

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※山鹿温泉を離れ、菊地川を渡った。

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※菊地川の川面には靄が立ち込めていた。

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※鹿児島まで228キロの標識が出てきた。

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※田んぼから靄が立ち上っていた。

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※熊本平野の広大な風景を見ながら歩いた。

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※同上。

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※国道3号線をずんずん歩く。

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※『道の駅すいかの里』にいた、くまモン。

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※本日の昼ごはん。『WEST』のゴボ天うどんと鶏天定食。

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※旧豊前街道の遺構があった。

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※熊本城を間近に見た。

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※JR熊本駅にゴールした。

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※夕食は博多駅で焼きラーメンを食べた(sinsin 820円)。

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※テイクアウトは博多名物の鶏皮(博多鶏皮大臣)。


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日本縦断徒歩の旅【西日本編25】八女~山鹿

11月3日の今日は、私にとって特別な日。
昔から晴天確率が高い特異日といわれるだけあって、昨日の雨が嘘のような快晴となった。
善き一日になることを願って、八女の街を出発した。

予約したホテルがある山鹿市まで、逸れることなく忠実に国道3号線を歩くのが本日のルート。
面白味はないが、道に迷うこともないだろう。

冬型の気圧配置となった影響か、吐く息は真っ白。
休耕田や白菜畑には霜が降りていた。
冬の訪れは突然に、容赦なくやってくるのだろうか。
私が佐多岬に到達する頃は、どんな景色になっているのだろう…。
そんなことを思いながら黙々と歩いた。

九州に入って初めての道の駅『たちばな』までの10キロを、休むことなく歩く。
地産地消の物産市で賑わう店内は眺めているだけで楽しい。
残念ながらミカンのバラ売りがなく、代わりにイチジク(4個パック290円)と『いげの葉饅頭』(300円)を購入。
行動食が華やぎそうだ。

国道3号線は高度を上げ、いつしか歩道もなくなった。
轟音を上げて背後から疾走してくる大型トラックに辟易しながら、ここが墓場とならないように祈って歩く。

そうよ、今日は私にとって特別な日なのだ。
(ドライバー諸君、そんなにいきり立って走るなよ!!)
…こんな感じだろうか。

標高183メートルの小栗峠が県境だった。
熊本県に入ったのだ。
京都三条大橋を出てから25日目、思った以上に早い到達だった。
残るは鹿児島県のみ。
いよいよゴールが見えてきた。

国道は小栗峠から一気に下るが、道の駅『鹿北』までの2キロには歩道がなく、背後から迫るトラックに注意しながら急ぎ足となった。

道の駅のベンチでイチジクと饅頭を食べる。
イチジクは何十年ぶりだろうか。
記憶の糸を辿っても思い出せないくらいだ。
控え目な甘味は良いが、食べるところがあまり無い。

幼い頃、我が家の小さな庭にイチジクの木があって、おやつ代わりに食べたことを思い出した。
そういえば、イチジクの先端の小さな窪みから蟻が出てきて、それを指先で弾いて食べたこともあった。
そんなことを思い出すとは、イチジクは自分にとって懐かしの味なんだろう。

午後3時を回り、山鹿市街地が近づくと風が冷たくなってきた。
予約したホテルは温泉付きの一泊二食。
連日の歩きでそこらじゅうが筋肉痛の体。

今夜は、温泉でゆっくりと労ってやろう。

■2020年11月3日 福岡県八女市~熊本県山鹿市
■46503歩 30.22キロ
■山鹿温泉新青山荘
■晴れ

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※古い町並みの早朝の八女を歩く。

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※国道3号線に合流し、矢部川鉄橋を渡る。

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※矢部川の流れを見る。

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※八女茶の産地の集落。

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※歩道が無くなった小栗峠の登り。

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※熊本県に入った。

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※明治14年に造られた石の橋『高井川橋』が残っていた。

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※懐かしの味、イチジクを食す。

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※こちらは『いげの葉』に包まれた饅頭。

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※晴天の下、国道3号線を歩く。

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※まだ刈り取りがされていない田んぼがあった。

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※のどかな風景を見ながら歩くことができた。

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※山鹿温泉が近づき、熊本が見えてきた。


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日本縦断徒歩の旅【西日本編24】二日市~八女

覚悟はしていたが、雨に捕まった一日となった。
それにしても、一週間前の予報がズバリ当たってしまうとは、気象庁の予報精度も高くなったものだ。

いつものように、雨具上下とザックカバー、傘を差しての“雨装束”で出発。
32キロの距離を雨に濡れて歩くのは憂鬱だが、長く旅を続けている以上避けて通れない。

佐賀県の基山町までは九州自動車道の側道を歩く。
クルマも通らないし、多少の起伏はあるが傘を差していても快適に歩ける。
途中で農場の横を通ったが、かなり高いブロックの上の斜面で馬が悠然と草を食んでいるのを見て驚いた。
知らなかったが、馬はバランス感覚が良いようだ。

国道3号線に合流し基山町で佐賀県に入ったが、鳥栖を過ぎるとまた福岡県に戻ってしまい、これで佐賀県とはサヨナラだ。

久留米市に入り、ラーメン店に飛び込む。
昨日のうどんが美味かったので、できれば『WEST』という人気のうどんチェーンに寄りたかったが、空腹には勝てなかった。

…で、昼食は『丸星ラーメン』という店。
知らなかったが久留米では超有名店のようだ。
これまで豚骨は今ひとつ好きになれなかったが、この店のラーメンを食べて豚骨ファンになりそうな自分が恐い。
もちろん、替え玉に突入した。

久留米市内を過ぎて八女市が近づくと、連日30キロ以上歩く長旅の疲れが出てきたのか、歩くペースが落ちてきた。
しかし、雨の中では腰を下ろす場所すらない。
九州に入ってからは道の駅もないし、イートインが併設されたコンビニもほとんどない。
結局、歩道橋の下や高速道路の高架下、廃商店の軒下などを探して休むことに。
雨の日の歩行は、歩き旅にはやさしくできていないと、つくづく思う。

午後3時を回ると雨足が一段と強くなり、防水機能がある靴の中もしっかり濡れてしまった。
ビルの壁に設置された気温計は15度を表示していた。

雨具のフードをかぶり、宿泊予定のホテルまで一気に歩いた。
途中のスーパーで買い出しした九州名物の鳥の山賊焼きが、今夜のつまみである。

冷たいビールが待ち遠しい。

■2020年11月1日 福岡県筑紫野市~佐賀県鳥栖市~福岡県八女市
■49025歩 31.86キロ
■八女グリーンホテル
■雨

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※雨の中、一日が始まった。二日市市内で。

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※国道から逸れて農道を歩く。

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※九州自動車道の側道を行く。クルマも通ることがなく快適。

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※農場の横を歩く。馬が斜面で草を食んでいた。

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※佐賀県に入った。

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※高速道路の地下道を潜る。まるでジャングルのようだ。

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※国道3号線は門司からちょうど111キロ。ゴロがいい。

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※久留米市に入った。

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※空腹で飛び込んだ丸星ラーメン。

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※同上。ラーメン450円。

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※筑後川を渡る。久留米駅も近い。

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※久留米成田山。高さ62メートルの大観音像。

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※田舎の散歩道のプレートに導かれ、ついふらふらと歩いてみた。

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※降りやまぬ雨の中、本日のゴール、八女市に入った。


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日本縦断徒歩の旅【西日本編23】古賀~二日市

古賀から大宰府方面に向かうルートはいくつもあるが、都市部の雑踏を嫌って、博多を避けるルートを検討した結果、九州自動車道に並走する県道35号線を南下することに決めた。
結果的にはこのルート、始めは良かったが、終わりがいけない。
宇美から二日市までの区間で何度も迷ってしまい、返って時間を浪費してしまうことになった。

古賀のホテルを午前7時過ぎに出発。
明日の天気が崩れるということが信じられないくらいの快晴である。

古賀駅前から国道3号線を横切り、県道35号線に入った。
一部の区間で歩道がないところがあったが、宇美で県道を離れるまで整備された歩道が続いていた。
国道3号線と違い交通量もそれほどではなく、快適な歩きとなったが、残念だったのは旧唐津街道が通る青柳集落以外、道草したいスポットもなく、宇美までは黙々と歩く作業となったことだろうか。

途中、門松駅近くで『資さんうどん』という店に立ち寄り、名物の『肉ゴボ天うどん』を食した。
11時前という中途半端な時間にも関わらず、満席に近い盛況だということにも驚いたが、もっとびっくりしたのは、うどんの美味しさ。
私的にはコシがないのはうどんと認めてなかったが、まったく正反対の柔らかなうどんを一口食べて、これまでの人生観が変わった気がした。
出し汁も含めて、抜群に美味かった。

県道を離れ宇美の市街地に入ると、酒蔵がある町並みや七五三で賑わう宇美神社があって見どころも多かった。
レアなホーロー看板が貼られているという醤油醸造元に立ち寄るが、残念ながら目的の看板の姿はない。
つい二日前にも小倉で空振りをしたので、今回の旅ではホーロー看板についてはどうやら縁がないようだ。

宇美市街地からは今夜の宿がある二日市までの最短ルートを狙うが、地図アプリに翻弄され何度も迷ってしまった。
今回持参してきたのは14万分の1のツーリングマップルなので、縮尺が大き過ぎて細かい道まで分からない。
必然、スマホに首っ引きとなってしまうが、これだけ迷ってしまうとは、どうやら私は“地図が読めない男”なのかもしれない。
2万5千分の1地図を相手にして登山、とりわけ沢登りを長年やってきた自分なのに、これは少なからずショックだった。

大宰府が近づき二日市に入ったところで、今年退職した会社の同僚と会った。
彼は週末を利用して久留米まで、今流行りのアニメ『鬼滅の刃』とコラボしたSLの撮影に来たという。
私と会うのはことのついでだと思うが、それでも遠く離れた地で知った顔と会えたのは嬉しかった。
ありがとう、N君。

…ということでいろいろあった日となったが、二日市温泉街にあるホテルに投宿し、今日の締めくくりに貸し切り状態の湯船にどっぷりと浸かる。

「お~、気持ちいいっ!」と一人呟く、一日の終わりだった。

■2020年11月1日 福岡県古賀市~筑紫野市
■48540歩 31.55キロ
■パープルホテル二日市
■晴れ

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※大宰府の標識が出てきた、県道35号線を歩く。

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※旧唐津街道が通る青柳宿。

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※唐津街道の入口には石仏が並んでいた。

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※県道35号線。広い歩道が整備されている。

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※本日の昼ごはん。『資さんうどん』の肉ゴボ天うどん(700円)

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※今日も快晴。県道35号線を歩く。

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※宇美の市街地に入った。

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※宇美。歴史のある酒蔵、萬代酒造があった。

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※宇美神社。七五三で賑わっていた。

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※大宰府が近づいた。水城跡を通過。

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※官道と呼ばれる大宰府に通じる古来の道があった。

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※今日のゴール、JR二日市駅近くで。


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