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マイケル・ボーンスタイン著『4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した』を読む

一週間近く降り続いた雨がようやく上がりました。
私の体調は天候に影響するのか、低気圧が近づくと体の節々が痛み、筋肉痛に悩まされます。
ここ数日は五十肩の痛みにプラスして体が悲鳴を上げていたので、正直、雨は勘弁してほしいですね。

薄曇りになった今日、気になっていた花壇の植え替作業をしました。
ホームセンターで日日草とマリーゴールドを購入し、今まで頑張ってくれたビオラと交換です。
プランターには昨年収穫した朝顔のタネを撒きました。
ついでに購入したミニトマトの苗も植えたので、これからの成長が楽しみ…と思って、作業が終わってカミさんと一息ついていたら、申し合わせたように雨がパラパラ。
どおりで、腰や肩が痛み出したわけです。

さて、話題を変えて…
このところ集中力が低下したこともあり、読書のペースが落ちていますが、ようやく一冊読了。

マイケル・ボーンスタイン著『4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した』の感想を。
アウシュヴィッツで生還した最年少の子供となった著者のノンフィクションです。

幼いころの記憶はどこまで遡ることができるのだろう?
自身を振り返ってみても断片的な記憶でさえほとんど浮かびませんが、死の収容所といわれたアウシュヴィッツで体験したホロコーストの恐怖は、4歳の少年にとって一生忘れることができない記憶として残ったようです。

また、著者を取り巻く家族の証言や情報を手繰り寄せ、収容されてからソ連軍に解放されるまでの状況も克明に描いていきます。
ゲットーから脱出して捕まったユダヤ人を冷酷に殺害するナチスSSや、ユダヤ人に対するポーランド人の執拗な差別は戦時下ならではといえ、その異常性に驚くばかりです。
この物語は収容所から解放された後のことも詳しく書かれていますが、戦後を力強く生き延びたマイケル少年と、その一族の苦難の歴史をノンフィクションとして再現した努力に敬意を表したいと思います。

生還者が減少し、年々風化していくホロコーストの事実を知る上で、後世に残る貴重な資料になったと思います。

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[ 2021/05/22 ] ▼読書 | TB(0) | CM(0)

『高山昭和館』へ

私が住む岐阜県、緊急事態宣言の申請をするも、政府に蹴られてしまいました。
こういうのは、腹立ちますね。
それも先週の土曜日に申請したのに、一週間も待たされた挙句の判断です。

隣県の愛知県の爆発的感染の影響を受けて、連日100人超えの感染者になっているのに。
まん延防止の申請の時も一週間ほったらかしにされて、ようやく発出。

何事にも遅く、後手後手に回る政府のやり方、いい加減にして欲しいですね。
更に状況が悪化したら、どう責任を取ってくれるのだろう。


まぁ、頭から湯気出しても仕方がないので、別の話題です。

梅雨に入る前の週末、カミさんの実家に帰省したついでに飛騨高山の『高山昭和館』を訪ねました。
昭和30年代をテーマに、レトロな町並みや風俗を再現した民間の施設です。
以前から気になっていましたが、ようやく実現できました。

駄菓子屋を兼ねた窓口で入場料800円を払い、館内へ。

昭和時代の商店街や飲み屋街、映画館、電気屋や駅、郵便局などリアルに再現されています。
薄暗い路地には怪しげな雰囲気が漂っているのに、それでいてふんわりと柔らい空気に包まれた不思議な感触。
私が好きなホーロー看板も貼られ、まさしく昭和30年代にタイムスリップしたような錯覚を感じます。

食堂や駄菓子屋を覗くと、間違いなくこんな空間に身を置いたことがある幼少期を実感。
2階の展示場には学校の教室が再現され、文房具や教科書などが展示され、あまりの懐かしさに見入ってしまいました。
小学生の頃、夏休みになると親にせがんで買ってもらった昆虫採集セットや貝殻の標本など、たまらなくなるほどの郷愁を感じました。

コロナ禍の週末でしたが、お客は私一人。
リアルに再現された路地裏を歩きながら、セピア色の思い出にどっぷりと浸かることで、わずかな時間でしたが無垢(?)だった少年時代に戻ることができました。


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※『高山昭和館』岐阜県高山市 入場料800円  館内は撮影自由でした。


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[ 2021/05/21 ] ▼日記 | TB(0) | CM(0)

膵神経内分泌腫瘍~消化器外科&糖尿病内科診察

3ヶ月に一度の血液検査と診察をしてきました。
一昨年の手術を含めてお世話になった、消化器外科の主治医が転勤で異動し、新しい先生と初顔合わせでした。
若くてきれいな女医さんだったので、素直に嬉しいです(笑)。

血液検査の結果は、空腹時血糖122、Ha1c6.7、肝機能、尿検査も正常でした。
2月から投薬を開始したのと、食生活に注意したのがよかったのでしょうか、Ha1cは、8.4(2月)→7.4(3月)、そして6.7と順調に下がってきました。
7月で術後2年となりますが、今のところ血糖値の上昇以外は変化がありません。
しかし自分にとっては糖尿病になったということが一番の悔しさ、悩みです。
半分になった膵臓ですが、これ以上機能が落ちないように踏ん張りたいと思います。

問診では体調が良好なのを確認して、次回8月に半年ごとのCT検査を予約して終了しました。

続いて、糖尿病内科の診察です。
主治医からは順調に血糖値が下がってきているので、次回の結果を見て休薬を検討してもいいかな、ということでした。
私としてはHa1c6.7という数値はほぼ1年前の数値に戻った状態ですが、服薬してこの数値なので、まだまだ侮れません。
更に体調管理と食生活に注意するしかありません。
次回の検査ではHa1cの正常値(6.0以下)を目指したいと思います。

術後一年で元に戻った体重はこの3ヶ月で7キロ減量し、退院時の体重に。
今がちょうどよい標準体重になっています。
引き続き、間食を止め甘いものを我慢して、あと2キロほど減らしたら、20代のちょっと痩せていた頃に戻りそうです。

ボルダリングに再チャレンジできるかな?

そのまえに、五十肩治すのが先決ですが(笑)。

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※本文とは関係ありません


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『モネの池』へ

私が住む東海地方は今日から梅雨入り。

例年より25日ほど早いそうです。
まさか5月中旬に梅雨に入るとは驚きです。
ということは、梅雨明けが早いのか、それとも梅雨の期間が長いのかどっちかですね。

気温が今年初めて真夏日を記録した一昨日、岐阜県関市板取にある通称『モネの池』を訪ねました。

モネの代表作『睡蓮』を連想する透明度の高い湧き水の池は、まさに“モネの池”。
もともとは池には名称がなく、地元では『名もなき池』で通っているようですが、口コミでこの池の評判が広がって、山の中の小さな集落に人が押し寄せてくるようになったといいます。

周囲150メートルほどでしょうか、思ったより小さな池には錦鯉も放流されて、ちょっとした森林浴と涼を求める散策にはぴったりでした。
平日なので観光客の姿はまばらでしたが、これから睡蓮の花が見ごろになる6月からはかなりの人出になるということです。
池からはウォーキングコースを歩いて、平安時代末期作と伝えられる、十一面観音像が安置されている白谷観音堂を訪ねてました。

岐阜県には古刹も多くあるので、これからの季節、人との接触を避けながらの歴史・景勝ウォーキングも楽しみたいですね。

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石川文洋『80歳、歩いて日本縦断』を読む

私が住む町、今日の気温はなんと31.6度C。全国一の暑さでした。
いよいよ灼熱の我が町、夏の扉を開けたようです。

このところ自作のホームページ『琺瑯看板探検隊が行く』のリニュアル作業に追われて、読書の時間が少なくなっていますが、久しぶりに新刊を購入して一気読みしたのが石川文洋『80歳、歩いて日本縦断』。

80歳になった報道カメラマンの著者が、2018年7月から翌2019年6月にかけて、北海道宗谷岬から沖縄県那覇市までの日本列島3500キロを徒歩で縦断した記録です。

著者は65歳のときに日本海側を縦断しており、このときのルポは『日本縦断徒歩の旅 65歳の挑戦』(岩波新書2010年)として上梓されていますが、私はこの記録を読んでから、歩いて日本を縦断するというとてつもないチャレンジに興味を覚え、「いつかは、自分も」と、大いに感化されてしまいました。
65歳という年齢で縦断をしたいとう事実にも驚きましたが、それ以上に、歩き目線でゆっくりと流れていく日本の風景を見るという贅沢な旅に憧れをもちました。
3000キロという途方もない距離をひたすら歩く行為の中で、何を思い、何を感じるのか…これは体感した人でないと分からないと思います。

夢を実現するために、コロナ禍に翻弄された昨年、北海道から鹿児島県佐多岬まで94日間をかけて実際に歩いてみましたが、マメや脚の痛みに苦しみながらも、旅に同化し、ほんのわずかであるが自己の魂が浄化されていくのを感じることができました。
日本縦断は、62歳の私でもヤル気があれば挑戦できることを学んだ日々でした。

さて、前置きが長くなりましたが、本書の感想です。

80歳を過ぎた著者の二度目のチャレンジは、日本海側を歩いた前回から、今回は太平洋側を選んでいます。一日の歩行距離は平均15キロ。週に一日を休養や原稿執筆にあて、体調を整えながらの旅です。
また、青森から茨城までは津波に襲われた東日本大震災の被災地を訪問し、被災者の声を聴き、復興の現状や原発の実態をレポートしていきます。
そして、ゴールである出身地の沖縄県では基地問題を取り上げながらの旅になっていきます。
報道カメラマンとしての神髄をいたるところに発揮し、現代の日本に巣くう社会問題をえぐっていく姿は、深い感銘を覚えるルポとなっています。

歩き旅のルポでは、日本橋から京都三条大橋までの旧東海道を忠実に辿っており、これからの私のチャレンジにも参考になりました。
また、山陽道については、昨年私が歩いたルートとぼぼ同じで、岡山県の西片上で泊まった老舗旅館についても触れており、私も同じ旅館に泊まっただけに、親近感を覚えながら楽しく読ませてもらいました。

著者は65歳の挑戦後に心筋梗塞に見舞われ、病と付き合いながら四国八十八ヶ所お遍路、そして80歳での2度目の日本縦断という、圧倒的なパワーを見せてくれました。
今回のチャレンジは、報道カメラマンとしてベトナムや世界の紛争地域で活動した著者ならではの、あくなき好奇心の表れだと思わずにはいられません。

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[ 2021/05/14 ] ▼読書 | TB(0) | CM(2)

久しぶりの鰻に舌鼓

2年ぶりに鰻を食べました。
一昨年に膵臓の手術をしてからずっと我慢していましたが、ようやく解禁です。

術前から術後は脂質を控えるように指導され、事実、多めに脂を摂ると、たちまち胸やけがする状態でした。
脂の塊の、鰻なんて、とんでもない。

今はふつうに脂質を摂れるようになりましたが、術後一年が過ぎてから合併症の糖尿病になり、今度は糖分を控えることに。

さて、2年ぶりに食べた大好きな鰻ですが、タレが甘くてびっくり。
甘いものを控えているので、尚更甘く感じたかもしれません。

私が住む町は、地場産業の美濃焼で栄え、窯元や製陶所が町のいたるところにあります。
鰻は職人のスタミナ源として人気があったようで、そのせいか昔からの鰻屋が多く残る町です。
名店もたくさんあり、どこの店もそれほどのハズレはありません。

その中の一軒、私のご贔屓が安政12年創業の『うなぎや』さん。

連休の最終日に訪ねましたが、店内も店外も行列の盛況でした。
溢れかえっているお客を見て、コロナ禍の状況で「これは、やばいんじゃないの」と気を揉みましたが、久しぶりの鰻の美味さに負けて、一時の心配で終わってしまいました。

次回の検査結果が良かったら、また足を運ぼうと思います。
それまでにコロナが落ち着いてくれたら良いですが。

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※『うなぎや』岐阜県多治見市広小路2丁目27 火・第2、4月休

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畑仕事初体験2~苗を植えました

私が住む岐阜県のコロナ感染者が134人で最高を記録しました。
連日の100人超えです。
隣県の愛知県は600人超え。
いったいどうなってしまうんでしょうね。

さて、畑仕事の続きです。
連休が終わった週末、カミさんの実家へ行ってきました。

3週間寝かした畑に、いよいよ苗を植えます。

ホームセンターで購入したのは
・ナス
・きゅうり
・ししとう
・オクラ
・枝豆
・ゴーヤ
以上、6種類。

先生役の義母に手伝ってもらいながら、等間隔に1本づつ植えました。

飛騨地方は寒暖差が激しく、5月とはいえ霜が降りる日もあるので、ビニールで覆い、終了。

すくすくと育って欲しいですね。


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[ 2021/05/12 ] ▼日記 | TB(0) | CM(0)

城を見に行く

エンジンがかからぬまま、コロナ自粛の日々をだらだらと過ごしています。

痛みが出てから半年経っても、一向に良くならない五十肩(六十肩?)。
面倒なので、整形外科に通うのを止めました。
その影響は体全体に出てきたのか、全身がかったるくて、いつもそこらじゅうが筋肉痛です。

午前中はつまらないワイドショーを見て、カミさんがパートに出かけているときはお昼ご飯を作り、午後はパソコンをながめてぼんやりと過ごす…。
運動は朝夕二回の散歩(8キロくらい)。
それ以外は自宅に閉じこもっている毎日です。

何もしていないのに、その割には一日が経つのを早く感じます。
こんな生活なんとかしなきゃあ、と思っても、これに慣れてしまうと、もうどうしよもうない。
いつまでも不完全燃焼のエンジンです。

話変わって、

緊急事態宣言やまん防が出るちょっと前に、岡崎城、墨俣一夜城、大垣城を訪ねてきました。

中毒まで至っていない“にわか城マニア”ですが、城めぐりは夫婦共通の趣味といっても良いくらいのイベントなので、コロナ禍だろうが、ボチボチ続けたいと思います。

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※岡崎城

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※同上

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※徳川家の菩提寺・大樹寺

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※墨俣一夜城

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※同上

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※大垣城


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[ 2021/05/11 ] ▼日記 | TB(0) | CM(0)