尾道『尾道ラーメン味龍 』味龍らーめん

立派な店構えのラーメン店。
開店と同時に飛び込んだので、尾道の人気店にあるように行列に並ばずに済みました。
もっとも初見の店なので、ここが行列店かどうか分かりませんが。

注文は、定番の正統派尾道ラーメンの『味龍らーめん』(600円+味玉トッピング100円)を。

ビジュアルは、デカいチャーシューと背油が浮かんだ見るからに食欲をそそる展開。
鶏と魚介から取った醤油味のダブルスープはコクがあります。
麺は、尾道ラーメンに多い中細のちぢれ麺。

全体的にシンプルですが、美味い一杯でした。
長距離を歩く連日の旅で、体が塩分を欲しているのか、(いかん、いかん)と思いながら、最後の一滴までスープを完飲。

バランスの良い一杯に、尾道ラーメンの底力を見ました。

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※『尾道らーめん味龍』広島県尾道市高須町5193 無休

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親子二代、タマホームで建てる5~着工しました

地鎮祭が終わって5日目。

待ちに待った着工です。

朝6時、いつもの散歩がてら現場を確認すると、工事の告知看板と網のフェンスが貼られ、仮設トイレや電気配線の柱が設置されていました。

この日の気温は36度C。
炎天下での作業に頭が下がります。

これから三ヶ月に渡る工事が始まります。
週末にしか顔を出せない長男夫婦に代わって、散歩がてら見に行くのが日課となりそうです。


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伊丹『呑気屋』ホルモン焼きそば

気さくなご夫婦が切り盛りしている店。

外観からはとても鉄板焼きやお好み焼きの店には見えません。
店内もアメリカンポップな作りで、ビンテージ物の看板やフィギュアが並んでいました。

歩き旅の途中なので、あまりの暑さにうっかりマスクをつけずに店をくぐってしまった私に対して、
マスターの一言
「いいよ、いいよ、私もマスク外すわ~」

すでに午後2時を回っていたのでお客は私一人。
ヘンな気を使わせてしまったかもしれません。

さて、注文ですが、マスターにおススメを訊いたら、すかさずホルモン焼きそば(800円)という返答。

出てきた焼きそばは、目玉焼きが乗ったいかにも旨そうなビジュアル。

弾力がある太麺は、スパイシーなとろみがあるソースと相性ばっちりです。
空腹だったこともあり、あっという間に平らげました。

文句なしに美味かったです。

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※『呑気屋』兵庫県伊丹市北園3-47-1 月曜定休、月曜が祝祭日の場合は翌火曜休

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倉敷『ぶっかけ亭本舗ふるいち』ぶっかけうどん

少し古いレポとなりますが、日本縦断徒歩の旅の途中、倉敷駅近くで偶然飛び込んだ店。

後から知りましたが、倉敷では知らない人はいないくらい有名なうどん店のようです。
私はまったくノーマークでした。

丸亀製麺の全国展開もあって、今ではぶっかけうどんはメジャーですが、もともとの発祥は倉敷だったようです。

チェーン店のような明るい店内に入り注文したのが、定番のぶっかけうどん(510円)の冷や。

カツオと昆布ベースの汁は少し辛めですが、何と言っても麺のコシの強さに脱帽です。
ツルツルしこしこモチモチ、というのはこうした麺のことをいうのでしょうか。
小麦の風味もどこか感じて、美味いです。

天ぷらのトッピングをせずに天かすのみのシンプルなパターンで行きましたが、サクサクのこの天かすも美味。

うどんは讃岐とかってに思っていましたが、あるところにはありますね。
倉敷のぶっかけ、恐るべしです。

大汗をかいて歩いた30㎞の徒歩の旅で、一服の清涼感を味わうことができました。
また機会があったらぜひ訪店したいと思います。

次回はいつになるやら。

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※『ぶっかけ亭本舗ふるいち仲店』岡山県倉敷市阿知2-3-23 無休

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親子二代、タマホームで建てる4~地鎮祭をしました

朝から晴れ上がった週末、地鎮祭をしました。

施主の長男夫婦と生後一ヶ月半の孫、私たち夫婦と長男嫁の母、そしてタマホームの営業担当、神主さんの総勢8名です。

今回は一切合切をタマホームにお願いしました。

私たちの自宅の建て替えの時は、地元の神社にお願いし、準備も含めてかなり面倒だったので、それこそ体一つで列席は楽チンそのもの。
祭壇や御幣、しめ縄、お供え物の準備もすべてタマホーム側で行ってくれました。
神主さんへの玉串料(初穂料)は3万円でした。

施主の長男夫婦が「えい、えい、えい」の掛け声とともに鍬で土を掘る動作を。

これで土地の神様が鎮まってくれて、行く末を見守ってくれればいうことありませんね。

まずは、着工に向けてはじめの一歩を踏み出すみとができました。


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今年も畑仕事~収穫

宗谷岬を目指す日本縦断徒歩の旅で、突然の血尿に見舞われて2週間、病理検査の結果が出ました。

悪性細胞もなく、エコー、CTとも異常なしでした。
医師曰く、激しい運動によって一時的に腎臓に負担がかかったことで血尿が出たのでは?ということでした。
当日の尿検査でも潜血反応はなく異常なしなので、これで診察終了となりました。

いずれにしても初めての経験で一時はどうなるかと思いましたが、まずは一安心です。
まぁ、年相応に無理をせず、体を労わりなさい、ということですね。

さて、検査結果に気をよくして、カミさんの実家に行ってきました。
6月に植えた野菜の収穫です。

今回は、キュウリ、ししとう、ナス、ゴーヤ、パプリカの5種類。

キュウリとナス、ししとうはたわわに実り、がっちり収穫できました。
パプリカとゴーヤはもうしばらくでしょうか。

ついでに、義母が育てたささげ豆やニンジン、ジャガイモも採ってきました。

次は二週間後に収穫に行こうと思います。

当分は、新鮮な夏野菜が楽しめそうです。

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[ 2022/07/26 ] ▼日記 | TB(0) | CM(0)

4回目接種終了

本日、4回目の接種をしてきました。
いつものかかりつけ医ですが、発熱外来の入口には数人の親子連れが。

このところの感染者急増を裏付けているのでしょうか。

まずい状況になってきていることを実感。

60歳以上の優先接種なので、待合には私と同じようなジジババと思いきや、若い人の姿も。
基礎疾患ありの人たちでしょうか。

さて、4回目はファイザーを打ちました。
3回目はモディルナでしたが副反応はほとんどなかったので、できればモディルナを希望したかったんですが、ワガママは通じないようです。

巷では、3回接種してもコロナに感染している人々が多いようですが、こうした状況をみているとワクチン接種が効果あるのか疑問ですね。
もっとも、この数ヶ月は東京や北海道といったあちこちに出かけて好きなことをやってきたのに、感染していない我が身を思うと、運がいいのか、抑止効果は働いているのかもしれません。

いずれにしても、感染したくない!!!
…というのが本音です。

画像は、会津風鈴。

3年前、赴任先の東北を去る時に餞別に貰った品。
長らく物置に眠っていましたが、ようやく日の目を見ることになりました。

朝顔と金魚の涼しげな絵が、優しい音色とマッチしています。

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[ 2022/07/23 ] ▼日記 | TB(0) | CM(0)

親子二代、タマホームで建てる3~土地探し顛末 その2

地元工務店のいい加減な対応に憤慨した、土地の売買トラブルにはまってからしばらく経ち、さて、土地探しをどうするか?

長男と出した答えは…

“気長に待とう”

土地は縁のもの、そのうち向こうから転がってくるさ…。

…そんな姿勢で、のんびりと土地探しをすることにしました。

その間、声をかけていたいくつかの不動産会社から、団地内や近隣のエリアを含めて紹介を受けましたが、いずれも方角、日当たりが悪いなど、ビビッとくるものがありません。

そんな頃、検索が日課となっている不動産情報の新着に目が止まりました。

南道路62坪 建蔽率50%、容積率80%の第一種低層。
私の自宅からは徒歩5~6分の距離。
同じ団地内なので建蔽率50%、容積率80%は普通ですが、南向きになるため北斜制限があります。

早速確認に行くと、こんな近くに空地があったのか…という印象。
広い道路に面していますが、団地内なのでクルマはほとんど通りません。
少し高台になりますが、思った以上に静かな一角。
日当たりは抜群です。

間口も広いので隣家との間隔もゆったりと取れるし、庭もしっかりと確保できる。
更に、クルマ3台の駐車場も確保できそうです。

価格はこのエリアの平均的な坪単価より高めですが、何よりも歩道ありの南向きというのが良い。

こんな土地が残っていたことが不思議でした。

これまで売りに出されていた団地内の土地はいずれも東か西向きだったので、南向きが出たことが奇跡的です。

長男と検討し、即決で押さえることに意見が一致したのは言うまでもありません。

新着が掲載された翌日、長男と不動産会社に行き、手付金を収めました。

不動産会社の話では、件の土地は20年ほど前に造成された200区画の中の一つで、売主の父親がおそらく投資目的で購入したものらしい。
家を建てることもなくそのままになっており、父親が亡くなってから関東地方に住む長男が相続したもの、固定資産税をそのまま払い続ける意味もないので、今回手放すことにしたという。

土地は予算よりかなり高めだったこともあり、ストレートに値引き交渉を売主にお願いしましたが、最初は渋っていたようです。
しかし、即決の意向を提示したことでとんとん拍子に交渉が進み、ついに念願の土地を手に入れることができました。

紆余曲折した長男の土地探しでしたが、売買トラブルから2か月後に土地を手に入れるというスピード結果となりました。

それから2ヵ月間は土地の決済に向けてのローン審査や、タマホームとの契約、間取り作りなど、怒涛の展開。

その間に長男嫁の出産があったり…。

長男にとって、人生でいちばんの忙しさだったかもしれません。

得てして、終の棲家となる土地との出会いは、こんなものかもしれません。


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※本文とは関係ありません

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初孫のお宮参りへ

初孫のお宮参りに行ってきました。

名古屋市西区にある伊奴神社。
三連休初日の大安とあって、多くの人で賑わっていました。

振り返ると、正月に安産祈願に訪れ、あれよあれよと孫が誕生し、そして今度はお宮参り。

時の流れの早さに驚きますが、そりゃあ、私たち夫婦も年を取るわけですね。

さて、初孫。
2500gに満たずに小さく産まれましたが、1ヶ月半が経ち、4000g超え。
元気に、順調に育っています。

長男夫婦から送られてくるLINEの画像を見ながら、目を細めている私たちです。

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[ 2022/07/17 ] ▼日記 | TB(0) | CM(0)

日本縦断徒歩の旅を終えて

2020年からスタートした日本列島を縦断する歩き旅が、7月9日に北海道宗谷岬にゴールしたことでようやく終わった。
コロナ禍に翻弄され迷走した旅であったが、のべ106日間、2800㎞を歩き通し、無事に完遂できたことに深く満足している。
歩いて日本列島を縦断するという、私にとって少年時代から憧れた大いなる目標であったが、終わってみれば何のことはなく、割と醒めて振り返る自分に気づく。

日本地図に引いたマジックの線を眺めてみても、本当にこの自分がしたことなのだろうか…と、他人の所業を見る気持ちで捉えている。
過去と切り離し、一区切りをつける意味でも、2年間にわたったこの旅のチャレンジについて総括してみたい。
これから徒歩縦断を目指す人々に、少しでも参考になれば幸いである。

★2020年の総括については以下参照
  日本縦断徒歩の旅~94日間の旅を終えて


【これまでの経緯】
何度も書いているが、当初は定年を迎えた2020年3月に九州佐多岬を出発し、東京オリンピックが始まる7月末に宗谷岬に到達する計画で進めていた。
しかし、航空機のチケット手配まで終わっていた出発直前に、コロナ感染対策として政府による緊急事態宣言が出され、計画の中断、そして延期となってしまった。
私が住む岐阜県は長期のまん延防止施策に入り、他県への越境自粛などままならぬ状況に。
コロナの収束も含めて、度重なる緊急事態宣言が続く先が見えない状況の中で、佐多岬から宗谷岬への一筆書きによる縦断のチャレンジは諦めざるを得なかった。

苦肉の策としてとったのが、自宅近くを通る中山道のウォーキングである。
当初は延期となった縦断の旅の足慣らしだったが、東西に続く岐阜県内の中山道の完歩を目指したくなり、更に緊急事態宣言やまん延防止施策の停止に合わせて、長野県、滋賀県といった東西の隣県へ歩を進めていった。
気づいたときには150㎞以上を歩いており、そのまま歩を延ばせば、日本縦断の線につながると思うようになってきた。

日本列島に一本の線を引く一筆書きによる縦断はできなかったが、いつしか縦断の夢は、西は佐多岬、東は宗谷岬を目指す目標に変わっていった。
そして、宗谷岬を目指す東日本編は、2020年、9月25日に苫小牧に到達。
時期的に宗谷岬までの残りの400㎞は厳しいと判断し、翌年に持ち越すことに。
佐多岬については、同年11月18日に到達。

結果的に2020年のチャレンジは、佐多岬から苫小牧までの2400㎞をのべ94日間をかけ終了した。

しかし、東京オリンピックも延期開催となり、満を持してチャレンジする予定だった2021年、解除されない緊急事態宣言に阻まれ、宗谷岬を目指す400㎞の旅は実現できないまま終わってしまった。

そして、【withコロナ】の風潮が浸透し始めた今年2022年。
収束が見えない相変わらずのコロナ禍であったが、2年越しのチャレンジのスタートを切ることになった。

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苫小牧~宗谷岬へ

【天 候】
漠然であるが、梅雨がない北海道の6月~7月は寒くも暑くもない爽やかな晴天の下、楽しく歩ける一番の好適期だと思っていた。
しかし、これが想定外の不安定な天候に悩まされることになった。
苫小牧をスタートした6月28日から3日間は、連日の雨にやられてしまった。
梅雨前線が北上し、本州が相次いで例年より一ヶ月以上も早く梅雨が明け、太平洋高気圧に押し上げられた前線が北海道から東北北部に停滞する気圧配置になるというパターンである。

私が苫小牧からスタートを切る一週間前から北海道南部は不安定な天候が続いてた。
そして、出発した私は、たちまちその“餌食”となり、梅雨時のような蒸し暑い雨の中、大型トラックの水しぶきを浴びながら国道を北上することになった。

北上するにつれ、梅雨前線とは縁が切れたのか、スタートして4日目から12日目までは行動中は一度も雨にやられることなく歩くことになったが、今度は一転して暑さとの闘いとなった。
気温は22度~26度と快適な気温にみえるが、留萌から稚内までの日本海側を歩くルートは絶えず熱中症のリスクを背負って歩いた。
折りたたみ傘を差し、水に浸したタオルを首に巻き、休憩ごとに大量の水を飲むことで対処をした。

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人家が途絶えると強い日差しをさえぎる場所もなく、時折出てくる屋根付きのバス停が砂漠のオアシスのように思えた。それさえもないサロベツ原野では折りたたみ傘で日陰を作って紫外線から身を守った。
また、水分補給も切実な問題で、20~30㎞に渡り売店や自販機がないサロベツ原野では、常時ペットボトルの水を4本担いで歩いた。

稚咲内や抜海でお世話になった宿のご主人も話していたが、今年は例年になく夏の訪れが早く、7月の初めに利尻山の雪がほとんどないのは初めてだという。
また、エアコンや扇風機をこの時期に使うこともなかったが、今年は夜も寝苦しく、ずっとTシャツ一枚で過ごせているらしい。

確かに、3日間テントで幕営したときも、寝苦しくてシュラフに入ることもできず、腹にかけるだけで夜を過ごした。

今振り返ると、温暖化が進んでいるこの国では、もはや北海道といえども“涼しくて快適な”土地とはいえないかもしれない。
後半は熱中症の一歩手前まで追い込まれ、血尿も出る事態になった体調を鑑みると、この時期のチャレンジは厳しかったといえるかもしれない。

【ルート】
苫小牧から宗谷岬を目指すルートは、一昨年、苫小牧で中断した時にほぼ心に決めていたルートである。

縦断の先達からの情報では、北竜町から留萌に通じる美馬牛峠を越える国道233号線はクマのリスクが高いことが懸念材料にあり、熊鈴をザックに下げて突破することになった。
しかし、旅を続けていくうちにクマについてはサロベツ原野のほうがはるかにリスクが高いことが分かった。稚咲内から抜海付近にはクマの目撃情報の看板が立ち、私が歩いたその日にもクマが目撃されているという状況だった。

ただし、日中にクマと遭遇することは稀であり、クマの目撃は深夜から早朝にかけてが多いようだ。海の塩を舐めにくるという説もあり、サロベツ原野では海岸沿いの国道を横切ることで目撃されているという話を聞いた。

いずれにしても徒歩や自転車の旅人は、クマと遭遇しない時間帯の行動自粛と、熊鈴の携行は必須といえそうだ。
私は、熊鈴の他にラジオを鳴らしたり、自然界には存在しない音という理由でクマが嫌がる(?)、ペットボトルを潰す音を絶えず発しながら歩いた。

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天塩町から稚内までのルートをどこにとるかは少し悩んだ。
過去の縦断者の多くが国道40号線を豊富町を経由して稚内市街地に出る内陸ルートを選んでいる。
しかし、サロベツ原野の魅力が勝り、私は日本海側を歩く道道106号線を行くことにした。

60㎞にも及ぶこのルートはわずかな宿泊施設を除くとキャンプ場もなく、売店や自販機もほとんどないという厳しいルートだったが、地平線がどこまでも続く絶景を見ながら一人歩いていくロケーションに魅了された。
2800㎞に及ぶ列島縦断の中でも印象に残るルートとなった。

【宿 泊】
12日間の日程のうち、3日間をテントで幕営し、9日間をビジネスホテル、旅館、民宿を利用した。
初山別みさき台公園キャンプ場は日本海と利尻島が見える絶景にあり、しかも無料。 公園内には温泉施設もあるという素晴らしいロケーションだった。
日程に余裕があれば何日でも滞在したいところだった。

天塩から稚内の日本海側にはキャンプ場がなく、宿泊施設を利用するしかないが、コロナ禍にあって宿泊客の人数を制限しているのが厳しい。予約が取れなければルート中でのビバークとなるが、食料や水の確保ができないため、すべて天塩町で確保して担いでいくしかない。
もっとも、稚咲内のパーキングと抜海の『こうほねの家』を除いてビバークできそうな場所もないので、宿泊施設が確保できなければこのルートを歩くことは難しいと思う。

また、稚内から宗谷岬までの間には『ふれあいの森キャンプ場』があるが、宗谷岬までは24㎞の距離がある。
私は事情により稚内市内で宿泊し、宗谷岬を狙うことになったが、本音を言うと岬にもっと近ければ嬉しいところだ。

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今回はテントを背負っての旅となったが、ルートを通して宿泊施設の確保ができれば、軽量での歩き旅は可能だったと思う。
しかし、歩き旅の性格からか、天候、体調等で計画通りに進まないことを考えると、宿の予約はどうしても直前になってしまう。

その日に宿が無くて野宿というリスクもありうるので、シュラフなどの最低限のビバーク用具もあったほうがいいかもしれない。
一度チャレンジしたかったが、屋根付きのバス停も国道沿いにはある。
クルマの騒音が気になるところだが…。

【マメ対策】
2020年の旅ではさんざん苦しんだ足のマメであるが、今回400㎞を歩いてもほとんどできなかった。
北海道を歩く直前に、1週間の旧東海道を歩く旅を行ったが、その旅で実験的に試した足の保護クリーム『プロジェクトジェイ1』の効果が大きかったと思う。
出発前に足の裏と指の間に入念にクリーム刷り込み、マメができやすい部分にはテーピングを行って歩いたが、マメができることなく歩き通せた。

また、シューズはモンベルのトレイルランニング用を使用したが、足にフィットして大変歩きやすかった。これもマメの防止に効果を発揮したように思う。
これまでの旅では、マメができやすい体質だと思っていたが、保護クリームとシューズによって回避できることが分かったことが、今後も長距離の歩き旅を実践する上で収穫となった。

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【アクシデント】
旅に出て10日目を迎えた7月8日、稚内市内で休憩中に血尿に見舞われた。
肉眼ではっきりと分かるレベルであり、同時に発生していた左足すねから足首にかけての痛みに関連付け、素人判断ながら横紋筋融解症を疑った。

病院を紹介してもらうために交番に立ち寄り事情を説明したところ、稚内市立病院へ救急搬送されることになってしまった。
まさに私にとっては青天の霹靂の出来事であった。

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病院で検査したところ血尿が認められ、医師からは安静と旅の中断、帰宅後に泌尿器科を受診するように勧められた。
翌日、肉眼的には血尿が改善したと判断し、あと28㎞に迫っていた宗谷岬への最後のチャレンジを行うことにした。
帰宅後、病院の泌尿器科を受診し、尿検査とエコーを行い、検体は病理検査に回され、現在精査中である。

足の痛みについては、一昨年の東北での右足の筋肉痛に酷似しており、その時は旅を継続することができずに中断することになってしまったが、今回もう一日、宗谷岬ゴールまでの日数がかかったとしたらおそらく歩くことはできなかったと思われる。
稚内から宗谷岬までの28㎞は、文字通り歯を食いしばっての足の痛みとの闘いとなった。
血尿もそうだが、最後の一日だから我慢もでき、無理を承知でチャレンジしたと思っている。

【106日間を振り返って】
日本列島を縦断した2800㎞、106日間の旅は振り返ってみるとあっという間の出来事だったような気がする。
その日の体調や宿泊施設の予約によって一日30㎞程度を目途に歩いたが、長旅に体が順応しリズムよく歩けるようになると、40㎞を越える行程もふつうにこなせるようになってきた。

全体を通して、名所や観光施設にほとんど立ち寄ることなく、黙々と歩くストイックな姿勢を貫いてきたので、傍から見れば面白味もない旅に映ったかもしれない。

しかし、そんな中にも季節の移ろいを花や樹木、昆虫、風の冷たさ、暑さで感じてきたし、歩き目線での発見も多々あった。
僅かだが人との触れ合いもあり、大げさに言えば、日本の今の姿を目に焼きつけながらの旅に仕上がったように思っている。
最南端の佐多岬と最北端の宗谷岬を、どちらも旅のゴールとして踏むことができたことは素晴らしい体験であった。

日本列島縦断の歩き旅は、私にとってこれから始まる終活の一ページであり、思いっきり贅沢な日々の積み重ねであったと思う。

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6月の読書

前半は旧東海道を歩き、後半からの日本縦断徒歩の旅に向けての出発準備のため読書に集中できなかった6月は、4冊の低スコアで終了。

収穫作品は特になしです。

縦断の旅も終了し、体のメンテナンスと合わせて、今月は読書を楽しもうと思います。

まずは、溢れかえった積読本を崩さねば。

6月の読書メーター
読んだ本の数:4
読んだページ数:1171
ナイス数:248

日本縦断徒歩の旅―夫婦で歩いた118日日本縦断徒歩の旅―夫婦で歩いた118日感想
ゴミのポイ捨てなど環境問題を訴えながら日本列島を徒歩で縦断した還暦夫婦の記録。
巻末には同様な旅を目指す人たちへのアドバイスとして、旅の目的をはっきりさせることが大事としている。
そこが曖昧だと途中で自己矛盾に陥ったり、孤独感にさいなまれるとある。
私も一昨年に徒歩で日本縦断をしたが、目的はただ一つ、九州最南端の佐多岬に到達することだった。何も大義名分や付属の目的がなくても、やり遂げたいという強い意志があれば、結果はついてくると思う。
『列島徒歩縦断中』という幟はいかがなものか。売名行為と取られても仕方ない。
読了日:06月22日 著者:金澤 良彦

変な家変な家感想
図書館で半年待って、1時間弱で読了。長男が建てる注文住宅の間取作りを手伝っている我が身としては、タイトルからして大いに興味がある内容…と思いきや、中身は薄っぺらで陳腐なホラー。
まったくの肩透かしだった。
間取りをモチーフとするミステリ仕掛けは着眼点も良いが、謎解きのプロセスには深みが全くないし、前半早々に殺人事件に結びつける強引なやり方は短絡的すぎるのでは?
代々の因縁がらみの動機解明もお粗末すぎで、児童向けの三文ミステリを読んだ気分。
読了日:06月21日 著者:雨穴

鳥のいない空―シンドラーに救われた少女鳥のいない空―シンドラーに救われた少女感想
ホロコーストの惨劇はユダヤ人の上流階級といえども容赦なく襲い掛かっている。
純真無垢な少女が迫害や虐殺の場面を見て体験していくうちに、それが日常的な一コマとして生活の中に組み込まれしまい、マヒしてしていく過程が恐ろしい。
モノクロで映画化された『シンドラーのリスト』のなかで、唯一カラーで出てくる赤い服の少女の場面があるが、本文の中で表現として暗示している部分もいくつかあるのが興味深い。
破滅へと向かうホロコーストの色のない世界に、赤い色は唯一の光明なのか。その意味深さを考えてみたが、結局分からずじまいに読了。
読了日:06月21日 著者:ステラ ミュラー‐マデイ

ルポ路上生活ルポ路上生活感想
前著『ルポ西成』でも感じたが、ホームレス社会への潜入という短期間での体当たり的な体験で、どこまで本質が分かるのか?という否定的な疑問を持ちながら頁をめくった。
私はひねているので、しょせん底辺の現場労働者やホームレスでもない著者が、二番煎じを狙って興味本位で覗いた世界の話だろうと思っていた。
しかし、本書は良い意味で期待を裏切ってくれた。行政の盲点を突いた生活保護の不正受給、裏のねらいが見え隠れする宗教団体の炊き出しの実態や上前をはねる手配師たち。
まさに体験しなければ見えてこない現実がそこにあった。
読了日:06月02日 著者:國友 公司


読書メーター


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[ 2022/07/13 ] ▼読書 | TB(0) | CM(0)

日本縦断徒歩の旅~帰宅しました

昨日の午後、13日間の旅を終えて帰宅しました。

7月9日の午前10時45分に宗谷岬にゴールした後、11時14分発のバスで稚内バスターミナルへ移動。
そこから13時の高速バスで札幌へ。
その日は札幌駅近くのホテルに宿泊し、翌7月10日の午前便で新千歳空港から中部国際空港へフライト。
電車を乗り継いで帰宅しました。

苫小牧から12日間かけて歩いてきたのに、宗谷岬からの帰宅はあっという間でした。
高速バスは私が歩いたルートも通ったので、車窓から流れる風景を見ると、思い出がよみがえって感慨ひとしおでした。

そして、今日。
病院の泌尿器科を受診しました。
尿検査では潜血反応がまだ出ており、検体を精査に回したということです。
膀胱や腎臓を調べるエコーでは異常なしということでした。

今は悪性細胞の有無も尿検査で分かるようですね。
いずれにしてもしっかり原因を探って、治療を優先したいと思います。

次回診察は2週間後です。

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※稚内駅で

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※稚内駅前で塩ラーメンを食す(ラーメンのたからや)

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※19時に札幌駅到着。選挙の最後のお願いの真っ最中だった

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日本縦断徒歩の旅【最終章・東日本編56】稚内~宗谷岬

救急車騒動から一夜明けた早朝5時、稚内駅近くにある旅館を出発。

昨夜の休養と熟睡が功を奏したのか、足の痛みも幾分和らぎ、尿の色も透明になった。
ここまできたら何としても宗谷岬に立ちたい。
医師からは激しい運動をしないで、という忠告を受けた身にも関わらず、どうにもあきらめきれなかった。

あと28㎞ですべてが終わるのだ。
宗谷岬は微笑んでくれるだろうか。

5時15分、タクシーで昨日中断した地点まで戻り、歩きだす。
犬の散歩をしている人しか見かけない静かな住宅街を抜け、宗谷岬に続く国道238号線に出た。

早朝なのに、日差しは容赦なく降り注いでいる。
最北端の地にあって、この暑さは何なのだ。
ここまでの日々を振り返ってみても、寝苦しい夜の連続だった。

そして、今日もまたとない晴天である。
まさにうってつけの最終決戦といえなくもないが、ここ数日のサロベツ原野の歩きで、熱中症寸前まで痛めつけられた身体には堪える暑さだ。
折り畳み傘を差して、首にはタオルを巻いて歩く。

足の痛みは強く鈍くを繰り返しながら、徐々に増幅しているのを感じる。
一度休んだらさらに痛みが増すような気がした。

稚内空港までの10㎞を一気に歩く。
足の痛みはマヒしているみたいで、それこそ丸太で地面を踏んでいるような感覚に、もうどうでもよくなった。
日射しは容赦なく降り注ぎ、とても日本最北の地とは思えない暑さである。

岬の手前12㎞にあるセイコーマートまでは自販機がないと思っていたので、ペットボトル4本を担いできたが、実際には2箇所に設置されていた。

休憩一回で、【日本最北端のコンビニ】の謳い文句のセイコーマートに到着。

トイレで用を足すと、便器がピンク色に染まった。
再びの血尿に驚くが、ここまで来たら前に進むしかない。

群青の海と空は、その境目がはっきりしないくらい同化している。
願ってもないくらいの天気というのに、私は足の痛みと血尿という体調異変、そして全身の水分を絞りとられるくらいの暑さにあえいでいる。

やるべきことは、一歩一歩、前に進むしかないのだ。

最後の宗谷集落を回り込むと、遠くにピラミッドを連想する鋭く尖った三角形のモニュメントが見えてきた。
日本最北端の地碑だ。
過去に訪れたことがあるから間違いない。
この2年間、忘れられない宿題のように私の頭にこびりつき、支配していた宗谷岬だ。

LINEのビデオ電話でカミさんを呼び出し、近づいてくるモニュメントに向かって実況放送よろしく、スマホを向けた。
最後のゴールは、私の一番の理解者であるカミさんと一緒に到達をしたかったのだ。

7月9日午前10時45分、宗谷岬にゴール。
28㎞を5時間30分で歩き切った。
苫小牧を出てから400㎞を12日間、日本縦断を始めて述べ106日での達成だった。

モニュメント前で、若者に撮影をお願いすると、快く引き受けてくれた。
この日のために私がザックから出した【日本列島徒歩縦断 宗谷岬到達!!】と記したPOPをもってモニュメントに上がると、その場に居合わせた10人ほどの人たちから「おめでとう!」の声がかかり、拍手で祝ってくれた。

まさか、一昨年の佐多岬と同じ展開になるとは思っていなかったが、涙ではなくうれしさが込み上げ、写った画像を確認すると、これ以上ないほどの満面の笑顔だった。

振り返ると、コロナ禍に翻弄され、予定していた最南端の佐多岬からスタートが切れず、苦肉の策として岐阜の自宅から東西に歩を伸ばすことになった縦断の旅だったが、佐多岬と宗谷岬の二つのゴールを味わうことができたのは、考えようによっては、凄く豪華でラッキーだったのではないか。

予期せぬアクシデントや苦しさもあったが、どちらの岬も私を笑顔で迎えてくれたことに感謝したい。

■2022年7月10日 稚内市街地~宗谷岬
■42489歩 28.1㎞
■晴れ

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※早朝の国道238号線を歩く

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※声問川を渡る

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※稚内市街地を振り返る

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※一直線に伸びる国道238号線は歩道が整備されていた

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※宗谷岬が見えてきた

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※日本最北端のコンビニ

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※雲はすっかりなくなり、強い日差しを浴びながら歩く。宗谷岬が近くなった

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※宗谷岬まで5㎞。最後の力を振り絞って必死で歩く

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※宗谷岬に到着。間宮林蔵とモニュメントが迎えてくれた

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※同上

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※日本最北端の地に立つ。長い旅が終わった

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日本縦断徒歩の旅【最終章・東日本編55】抜海~稚内

安倍元首相が凶弾に倒れたという、衝撃が走った日。
私にとっても歴史に残る日となってしまった。

なんと、救急車で病院に運ばれてしまったのだ。

ことの発端は、抜海にある宿を仲の良いオーナー夫婦に見送られて出発してすぐのこと。
そこから異変が始まっていた。

歩き始めて早々から左足のすねから足首にかけて痛くなってきた。
2年前に東北で右足を痛め、途中リタイアしたケースと似ており、応急処置としてロキソニンを飲み湿布を貼って歩くことにした。

日本海に聳え立つ利尻島を背景に、痛みをこらえながらそのまま道道106号線を15㎞北上し、稚内市街地に入った。

このまま5㎞先の宿泊予定地・宗谷ふれあいの森キャンプ場まで踏ん張るつもりで歩くが、痛みは増すばかり。

ちょうどホーマックHCの前にモスバーガーがあったので、休憩がてら昼食を取り、様子を見ることに。
トイレで小用を済ますことにし便器に向かったら、なんと便器が赤く染まっていた。

血尿である。

人生初の経験にびっくり。
振り返ると、昨日から尿の色がやけに濃いことに気づいていたが、水分の摂取不足かな、と思っていた。

しかし、これはただ事ではない。

ひょっとしたら左足の筋肉痛と関連があるのか…スマホで検索してみると、横紋筋融解症という激しい運動の後で起こる症状とよく似ており、最悪の場合、腎不全を併発し、危険な状態になるので一刻も早い処置が必要と書いてある。
まさに、これはビンゴか…。

血の気が引くのを感じた。

店を出てから、どうしようか…としばらく考えて歩き出すと、ちょうど交番があり、軽い気持ちで病院を紹介してもらうために相談することにした。

しかし、ことはあらぬ方向に動き出してしまった。
私の話を聞くにつれ、お巡りさんの判断で救急車を呼ぶことになったのだ。

これは自分にとって、とんでもなく大事である。

あれよ、あれよの間に、救急車に乗せられ、稚内市立病院へ。
更に救急の入口からあっという間に診察室、そしてストレッチャーに乗せられてしまった。
この間、ほんの15分である。
まさに、バケツリレーのような手際よさだった。

この日は泌尿器科の先生がいないということで、診てくれたのは、なんと産婦人科の先生だった。
血液検査と尿検査の結果は、横紋筋融解症ではないので入院の必要もないということだったが、あきらかに血尿がでているので、その原因を調べる必要があるとのこと。

私が歩き旅をしており、あと一日で達成することを話したところ、医師としては、激しい運動は勧められないこと、帰宅後、速やかに泌尿器科を受診すべきと忠告されてしまった。

帰り際に看護師さんから、「またチャンスありますよ、今回は行くなということですね」と、優しく言われた。

さて、どうすればいいのか、取るべく行動が見つからない。
残り28㎞まで目前に迫った宗谷岬を諦めて、帰宅するのか…それともしばらく様子を見るのか…。
悩んだ挙げ句、まずは稚内市内に宿を取り、一晩ぐっすり寝て、それからこの先の行動を考えることにした。

何軒か断られたもの、ようやく確保できた旅館に入り、テレビで安倍さんのニュースをずっと見ていた。
尿の色はいくぶん薄くなってきたが、左足の痛みは消えないままだ。

ここまで来て、目前で諦めることはどうしてもできない。
往生際が悪いが、自己判断で、明日の朝血尿が出ていなかったら宗谷岬に向かうことにした。
カミさんとLINEで何度もやり取りし、反対するカミさんを半ば強引に説得した。

…ということで、私にとっても歴史に残る衝撃的かつ、波乱万丈の一日が終わった。

◼️2022年7月8日 稚内市抜海~稚内市内
◼️22702歩 14.75㎞
◼️旅館似木似
◼️晴れ

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※一夜を過ごした抜海集落を振り返る

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※日本海ともお別れだ

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※利尻島がずっと傍らにあった

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※同上

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※106号線は稚内市内に向かう峠道となった

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※利尻島もこれで見納め

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※市街地が近いというのに、クマ看板が…。熊鈴を付けて歩いた

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※足の痛みに耐えながら稚内市内を歩いた
 
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日本縦断徒歩の旅【最終章・東日本編54】稚咲内~抜海

原野にポツンと立つ一軒家の宿では、同年代のご夫婦やライダーの方たちと一緒に飲み、楽しい時間を過ごすことができた。
利尻島が夕日にくっきりと浮かび、その後の満点の星空というショータイムがどんな演出にもかなわないほど、素晴らしかった。

朝食をゆっくりと摂り、7時30分に出発。
今日は30㎞先の抜海を目指す。

サロベツ原野を行く道道106号線は、何もない大自然のなかを一本の道がまっすぐに延びているだけである。
民宿がある稚咲内から24㎞先の『こうほねの家展望所』まで自販機はないので、空のペットボトルと水筒に2リットルの水を入れ、ザックを担ぐ。

歩き始めて一時間で早くも汗だくだ。
晴れてはいるが、利尻島は見えない。
トラックやバイクが行き交う道の対向車線の白線をたどるように歩く。
ザックのショルダーに自転車用の赤色点滅ライトを付けているので、それに気づいてほとんどの対向車は大きく避けてくれる。

朝3時過ぎから明るくなる道北の気象に慣れずにいるので、睡眠不足が続いている。
日陰がまったくなく、直射日光が疲れた体に追い討ちをかける。

一瞬、ぼぉっとしてしまった。
我に返り、ザックを肩から下ろす。

熱中症で倒れる条件が揃い始めたことに気づき、傘を出して日除けとした。
次に昼の弁当として宿で貰った特大のおにぎり一個をパクつき、水を浴びるように飲んで事なきを得た。

携帯も繋がらない、何もない原野で一人息絶えるのはゴメンである。

サロベツ原野を行く旅人憧れのロードは魅力的だが、その分リスクも孕んでいる。
宿のご主人曰く、徒歩で日本縦断をすると息込んで、宗谷岬を出発して3日目にリタイアする人が多いのは、何もない原野を歩く孤独感と自然の厳しさ、水や食料が手に入らないことへの認識不足によるものだという。

ある意味同感だが、私が経験した縦断ルートの中でも、60㎞に及ぶサロベツ原野の歩きは、難易度としても間違いなくトップだと思う。
魅力的なものほど棘がある。

歩き始めて20㎞を越え、暑さに慣れてリズムよく歩けるようになると、今度はアブがまとわりついて離れなくなった。
汗を吸いに来るのか、払っても払っても常時数匹が私の体に付かず離れず飛び回っている。

これがうっとうしい。
すれ違うクルマのドライバーから見ると、何をやっているんだろうと思うかもしれないが…。
面倒なので、肌にとまってチクリと刺したところでぶっ叩くという作戦に出た。
5~6匹殺生をしたところで、いつの間にかいなくなった。

アブ騒動が終わり、24㎞歩いて『こうほねの家展望所』に到着。
ここにはルート中、唯一の自販機があり、喉の乾きに負けて、何時もなら手を出さない甘い炭酸飲料を一気に飲んだ。

北海道に来てから気づいたが、自販機にはペットボトル用の回収箱が置いてないので、ザックには空のペットボトルが何本も溜まることになる。

原野を歩いていても無造作に棄てられたゴミや空き缶、ペットボトルが目についたが、ゴミ箱を設置しないことによる行政の策が裏目に出て、ゴミの持ち帰りが徹底できず、ひいては環境破壊に繋がっていることが腹立たしい。

展望所から本日の宿まで残り6㎞となり、雄大な日本海と、池塘や湿原を見ながらなのんびりと歩く。
しかし、突然に【熊出没注意】の看板が。

なんと確認日が7月7日とある。
えぇ~、今日ではないか!

慌てて熊鈴をザックに提げて、足早に歩くことになった。

15時30分、本日泊まる宿に到着。
気さくなご主人と熊談義に花が咲き、今夜はゆっくりと眠れそうな気がした。

ゴールの宗谷岬まであと2日。
わずかになった残りの時間を楽しみたい。

◼️2022年7月7日 豊冨町稚咲内~稚内市抜海
◼️42387歩 30.02㎞
◼️旅人の宿ばっかす
◼️晴れ

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※今日もサロベツ原野の県道106号線を歩く

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※ハマナスの大群落があった

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※同上

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※106号線の地平線の先には日本海。誰もいない、何もない風景。

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※厳しい自然の中にも生命の躍動がある。ウマオイの幼虫か

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※どこまでも、いつまでも、同じような風景が続く

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※同上

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※ようやく人の手がかけられた牧草地帯があった

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※こうほねの家が見えてきた

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※稚内が一段と近づいた

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※この看板には驚かずにいられなかった

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※抜海が近づくと、湿原の中に池塘が現れた

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※同上

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※抜海の近くの霊園には、今が盛りの睡蓮が咲いていた

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※抜海の宿『ばっかす』の夕食。地産地消の食材に舌鼓。

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日本縦断徒歩の旅【最終章・東日本編53】天塩~稚咲内

一晩を過ごした天塩のキャンプ場を7時30分に出発。

宗谷岬までのルートを検討したが、国道40号線を抜ける最短ルートよりも、利尻島を眺めながらのサロベツ原野の魅力が勝り、海岸線を行く県道106を選ぶ。

このルートは稚内まで売店はおろか自販機さえもないので、食料調達ができない難点がある。
更にキャンプ場もないので、出費はかさむが、28㎞先の稚咲内にある民宿と、そこから30㎞先の抜海にある民宿を予約し、サロベツ原野に突入することにした。

天塩町市街地の外れにあるセイコーマートで昼飯とペットボトル2本を調達。
ここからは自販機さえないので、水はキャンプ場で汲んだ1リットルの予備水筒もザックに忍ばせている。

県道106号線は天塩川を渡るとサロベツ原野に突入する。
左手に日本海、右手に果てしなく広がる原野。
天気はこの旅一番の快晴。
気温は22度とそれほど高くないが、遮るものがないので、日差しが突き刺さる。

一列に28基の風力発電のプロペラが並ぶ直線の道を歩く。
ライダーが手を上げて追い越していく。

ここまで歩いてきて、歩き旅の人には会っていないが、自転車で旅しているチャリダーには3名とすれ違った。
日本最北端はライダーには人気ルートなんだろうか、とにかく多い。

サロベツ原野PAを過ぎたところで、一人のライダーが私の横に止まり、「ずっと歩いているんですか?」「忘れ物を取りに戻ったらみかけなかったんで、何かあったかと思いました」
…と声をかけられた。
「おそらく路肩で休んでいたので気づかなかったと思いますよ」と返答。
ありがたい気遣いに感謝であった。

サロベツ原野は果てしなく広く、傍らには海に浮かぶ利尻島の姿があった。
19歳の夏、一人で利尻山の頂に立ち、63歳になった今、一人で孤独を楽しみながら歩いている。
なんと贅沢な旅なんだろう。
絶景を一人占めしている時間に酔っている。

稚咲内にある宿のチェックインが15時からのため、何度も休憩し、時間を調整しながら歩く。
この9日間の歩きで、速足が身に付いてしまったので、ゆっくりと歩くことがかえって難しかった。

15時、予約していた民宿に到着。
原野の中にポツンと立つこの宿は、日本縦断を目指す旅人が過去に何人も泊まった宿である。

宗谷岬まであと71㎞。
いよいよ射程圏内に入った。

◼️2022年7月6日 天塩町~豊富町稚咲内
◼️44312歩 28.80㎞
◼️民宿あしたの城
◼️快晴

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※天塩市街地を抜けると、縄文遺跡があった。

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※同上

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※森の中には石仏も。

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※天塩川の河口を望む。しじみが名物のようだ

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※天塩川を渡る

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※サロベツ原野の入口に立つ案内板

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※サロベツ原野に入ると、ハマナスが咲いていた

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※北海道の固有種、エゾシロチョウ

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※28基の風力発電のプロペラが並ぶ

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※電柱もない、何もない原野を歩く

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※利尻島が大きく迫ってきた

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※サロベツ原野の中を行く

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※今夜の宿

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※素晴らしい夕焼けを見ることができた

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日本縦断徒歩の旅【最終章・東日本編52】初山別~天塩

天気は安定していないようだ。
少なからず、台風の影響を受けているのだろうか。
昨夜はバケツをひっくり返したような土砂降りとなったが、草地に張ったことと高性能のテント?のおかげで、浸水被害はなかった。

4時前に目覚め、テントから外の様子を見ると、濃い霧が立ち込めていた。
しばらく様子をみるが霧は一向に晴れる気配がない。
これでは出発できない。

歩道がない道路を歩く勇気がでないのだ。
しょうがないので二度寝を決め込む。

7時頃、ようやく霧が晴れてきたので、テントを素早く撤収し、本日のスタートをきった。
出発が遅くなったので、19㎞先の遠別町でもいいかと思ったが、明日以降の行程を考えると、38㎞先の天塩まで行きたい。
そんなことを思いながら、歩くことにした。

しばらくは曇天だったが、遠別町の道の駅が近づいた頃に晴天となった。
10時間30分に道の駅着。
ほとんど休まずに19㎞を3時間弱で歩いた。

道の駅周辺には、『熊出没中』の看板がいたるところに貼られていた。
こんな街中でもクマが出るのか、だとしたらこれまで歩いてきた道はクマだらけに違いない。

遠別から国道232号線は海岸沿いから内陸に入っていく。
色とりどりの花が咲き乱れる原生花園を突き抜けていく。

なにもないし、変化もない道をひたすら歩く。
日本縦断が終わったら何を目標にすればいいのだろうか、などと思いながら歩く。

勝手に思っているのだが、国内における歩き旅のグランドスラムは【日本縦断】【四国遍路】
【旧中山道】【旧東海道】の4つかなと思う。

日本一周は超越しているので除外するが、この4つはその気になれば誰にでもチャレンジできる目標だと思う。

とすれば、残りの四国遍路はやらなければならないだろうか…。
まだまだ先は長い。

話しがそれてしまったが、相変わらず大型トラックが行き交う国道を黙々と歩き、16時過ぎに天塩町の鏡沼海浜公園キャンプ場に到着。

サイトの近くには温泉施設もあり、汗を流すことができた。
旅に出てから体重が2.5キロ減った。
道草もせずに、求道者の如くストイックに歩くことに専念しているからか。

白夜の夜は長い。
疲れも溜まってきた。

今夜は熟睡したい。

◼️2022年7月5日 初山別村~天塩町
◼️57000歩 37.5㎞
◼️鏡沼海浜公園キャンプ場 テント泊
◼️曇りのち晴れ

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※まだ霧が残るなかを出発

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※牛がのんびりと草を食んでいた

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※廃線跡にまた出会った

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※稚内まで100㎞を切った

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※道の駅遠別で海老カツ丼を食す

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※こんな北の果てでもお米は育つのだろうか

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※幾何学的模様のような畑

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※花の海を泳ぐように歩く

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※牛が寝そべっていた

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※天塩町に入ると地平線が見えた

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※キャンプ場から見える風景

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※テント泊連続三日目。快適なキャンプ場だ

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日本縦断徒歩の旅【最終章・東日本編51】苫前~初山別

白夜なのか、夜は8時近くまで明るく、朝は3時頃から明るくなった。
久しぶりのテント泊ということもあって、何度も目が覚め、浅い眠りのまま起きてしまった。

出発の準備をし、5時前にテントを撤収し、歩き始める。
早朝といえ、国道232号線はトラックがひっきりなしに走っていく。
点滅ライトを点けて歩道に浮かび上がるザックを背負った私に、ドライバーはきっと驚くだろう…と思いながら黙々と歩く。

羽幌町に入り、道の駅にあるトイレで洗顔し、朝食を摂った。
羽幌は比較的大きな町で、ドラッグストアやスーパーもあったが、早朝とあってどこもシャッターが閉まっていた。

町外れのセイコーマートで昼飯とペットボトル2本、ついでに少し迷ったがバナナ1本を購入。
24㎞先の初山別まで店や自販機はないので、ここで確保しなければならない。
重いが、熱中症にはなりたくないので仕方がない。

天気は真っ青な空。
気温も上がり、首筋がジリジリと焼け出す。
何もない陽炎が揺れる一直線の道路を歩く。

オロロン鳥の巨大なモニュメントを見ながら歩くと、振り返った海の彼方に天売島が見えた。

日本海オロロンラインと呼ばれる国道には人家がないので、バス停があっても屋根付きがほとんど見当たらない。
陽光を遮るものがなく、灌木のわずかな日陰を見つけて休みながら歩いた。

ほんの数日前までは、雨を何とかしてくれ、と悪態をつきながら歩いていたのに、昨日からは太陽何とかしてくれ、である。
自分勝手な弱さに苦笑しかない。

12時、初山別の中心部に入り、一軒しかないセイコーマートで買い出し。
ついでに昼ごはんの弁当も購入したが、食べるところが見当たらない。

ようやく見つけた日陰は、小さな村には不釣り合いなほど立派な村会議会庁舎。
堂々と入口の階段に座って弁当をパクついたが、人に会うことまなく何も言われなかった。

晩飯をパッキングした重いザックを背負って、4㎞の道を歩き、13時30分、道の駅に併設したみさき台公園に到着。

広大なキャンプ場があり、しかも無料で使える。
目の前は利尻島を望む絶景だが、あいにく雲が厚くなり見えなかった。

テントを立てて、温泉施設へ。
二日間の汗を流すと同時に身体が弛緩していくのを感じた。

今夜はゆっくりと寝れそうだ。

◼️2022年7月4日 苫前町~初山別村
◼️48193歩 33.32㎞
◼️みさき台公園でテント泊
◼️晴れのち雲り、後雨

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※夜が明けた苫前の町を歩く。巨大な風車が回っていた

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※これまで何度もお世話になっている屋根付きバス停

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※オロロン鳥のモニュメント。遠くに天売島が見えた

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※廃校になった小学校。草に埋もれていた

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※何もない、国道を黙々と歩いた。

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※同上

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※旧国鉄の廃線跡もあった

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※稚内が近づいてきた

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※みさき台公園のキャンプ場。快適なサイトだ


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日本縦断徒歩の旅【最終章・東日本編50】留萌~苫前

北海道に来て初めての晴天の一日となった。

国道234号線をひたすら北上するが、小平町のセブンイレブンを過ぎてから道の駅『おびら番小屋』までの16㎞が、水との闘いとなった。
うっかり予備のペットボトルを購入し忘れ、ペットボトル一本でしのぐことになってしまった。
案の定、店も自販機もなく、ちびちびと飲みながら歩いた。

これで熱中症になったらまったくお笑いだが、一昨年の縦断の旅で東北で経験しているのに、学習能力が足りないようだ。
ともあれ、ようやく道の駅にたどり着き、事なきを得た。
国道232号線は、日本海を左手に見てひたすらの歩きとなったが、屋根付きの立派なバス停が砂漠のオアシスの如く、暑さに参った体を労ってくれた。

国道を疾走するライダーたちが、歩く私に気づいて片手を挙げて「がんばれ」とサインを送ってくれる。
ちょっとしたことで、元気が出る。

40㎞を歩き苫前町に到着。

しかし、道の駅は改修工事のため休業中。幕営予定だったオートキャンプ場はソロキャンプを中止しているのでダメ、と冷たく追い返されてしまった。

仕方なく国道をとぼとぼと歩き、空き地を見つけてテントを張ることになった。
道の駅での温泉も入れず、快適とは言いがたい草むらでの幕営。
思いっきりツイていない一日の終わりとなった。

◼️2022年7月3日 留萌市~苫前町
◼️61259歩 40.4㎞
◼️テント泊
◼️晴れ

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※留萌港を望む

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※留萌市郊外で。廃校になった小学校があった

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※稚内の標識が出てきた

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※日本海を見ながら歩く

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※ハマヒルガオやハマナスが咲き乱れる道を歩く

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※この旅初めてのトンネル。小平町あたり

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※重要文化財の鰊の番小屋

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※海を見ながらひたすら歩く暑い一日となった

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※同上

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※快適とは言い難い幕営となった

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日本縦断徒歩の旅【最終章・東日本編49】北竜~留萌

6時30分に肌寒い曇天のなかを出発。
道の駅の駐車場には車中泊のクルマはあまり止まっていないようで、もちろんテントも見当たらない。
これから先の行程では道の駅ビバークを目論んでいるが、同志がいないと目立ってしまう。
そんなことを考えながら歩きだした。

碧水の交差点にあるセイコーマートで昼飯を調達。
この先、留萌まで食べるところは無さそうなので、少し重くなるがペットボトルの予備も購入。

国道233号線に入り、民家がポツポツ出てくる景色を見ながら5㎞ほど進むと、歩道が無くなり登坂となった。

周りは鬱蒼とした樹林帯で、いかにも一番出会いたくないヤツと遭遇しそうな雰囲気。
ここぞとばかりに熊鈴をザックにぶら下げ、ついでにラジオを取り出す。

ラジオは雑音ばかりでNHKの教育しか入らない。
ラジオ体操から始まって、ポルトガル語講座ときて、英会話となった。

クルマは、留萌まで無料区間となっている深川留萌自動車道に逃げていくので、忘れた頃に国道を通る程度。
これでは万が一にも私がクマに襲われても、気づいて貰えないかも知れない。

美馬牛峠を越え下り坂になると、熊笹がガサッと揺れたかと思った途端、目の前にエゾシカが2頭飛び出した。
あっという間に道路を横切り、反対車線の薮のなかに消えていった。

そして、四方からピー、ピーという鳴き声が。
あまりの突然の出来事に肝を冷やしたが、クマでなくて良かったと胸を撫で下ろした。

そこから峠下のバス停までは、脇目も振らず速足で下った。
右手にラジオ、左手にはクマが嫌がるという空のペットボトルを潰す音を出しながらという念の入れようだった。

景色は田園風景となり、民家も出てきたことでクマのリスクが無くなった。
あとはのんびりと歩くのみ。

幌糠の集落から藤山集落までは国道を外れて最短距離を狙い、畑の中を縫うように歩いた。
大和田のバス停を過ぎると、留萌の市街地が近くなった。
Aコープに立ち寄り、晩飯のお惣菜とビールを購入し、15時30分、ビジネスホテルに投宿した。

明日からはテントの野宿となりそうなので、汗が沁みた衣類をすべて洗濯。
これで爽やかに歩けると思いきや、一番汗臭い帽子を洗濯機に入れ忘れてしまった。

明日の予報は一時雨。
何とかもってくれたら、ありがたい。

◼️2022年7月2日
◼️50176歩 33.61㎞
◼️ホテルRイン
◼️曇り

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※碧水から国道233号線に入った

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※多くのクルマが無料区間の自動車道に入っていく

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※美馬牛峠の登坂。いかにもクマが出そうな雰囲気だった

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※峠を下って安全地帯に出た。靴下を脱いで足を乾かす。ここまでマメはできていない

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※可憐な花が目を楽しませてくれた

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※バス停で休憩。屋根付きがありがたい

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※国道から逸れて、最短距離を狙う

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※同上

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※田園風景を見ながらのんびり歩いた

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※留萌本線の一輌電車が行く

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※留萌市街地が近づいた

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※寂れた雰囲気の留萌の街を歩く


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日本縦断徒歩の旅【最終章・東日本編48】砂川~北竜

苫小牧を出てから四日目。
長距離を歩くことに体が慣れてきたのか、ロキソニンを飲んでかわしていた腰痛も影を潜め、体調も良くなってきた。
マメもテーピングと保護クリームの効果で今のところ大丈夫だ。
今日は北竜町までの約30㎞を歩く。

砂川市内から新十津川町までは石狩川の堤防を辿る。
クルマが入れないので、大手を振ってゴミひとつ落ちていない舗装された道のど真ん中を歩いていく。

すれ違うのは自転車の高校生。
礼儀正しい彼らは、すれ違い様に目礼をしていく。
そういえば、昨日も登校する小学生に出会ったとき、皆大きな声であいさつをしてくれた。
挨拶という当たり前の行為がしっかりと根付いていることに、北海道の清々しさをみた思いだ。

数年前にも訪れたことがある新十津川町の金滴酒造を通過し、国道275号線を北竜町に向かって北上する。

雨竜町にある道の駅『田園の里うりゅう』で昼食。
空腹に負けて、ラーメンとザンギ、小ライスという“禁断”の炭水化物+脂の定食を食べてしまった。
道の駅なので味はあまり期待していなかったが、どうしてどうして、炭火焼きチャーシューやゴボウまで入った醤油ラーメンが絶品。
香ばしくかりっと揚がったザンギも美味かった。

勢いに乗って、食後のデザートよろしくソフトクリームまで食べ、ベルトがきつくなった満腹の腹を抱えて歩くことになった。

空知国道と呼ばれる12号線は左右に壮大な田園風景が広がり、北海道を歩いていることを否が応でも実感できる。
勾配が増して坂道を上るとにわかに森林帯に突入。
こんなところでクマなど出るわけがないと思いつつ、熊鈴やラジオがいつでも取り出すことができるようにザックの雨蓋に移動させた。
しかし、これはまったくの杞憂で、2㎞ほど歩くと市街地となった。
まぁ、留萌へ向かう明日の予行演習だと思えばいい。

北竜町に入るとそこかしこにヒマワリのモニュメントが。
日本一のヒマワリ畑があることでも有名だが、残念ながらまだ時期が早く見ることはできなかった。

15時、北竜町の道の駅にあるホテルに到着。
この旅初めての温泉大浴場で汗を流すことができた。

◼️2022年7月1日 砂川市~北竜町
◼️44516歩 31.5㎞
◼️北竜サンフラワーパークホテル
◼️曇り時々晴

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※砂川市街地から新十津川町に向かうと美しい市民公園があった

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※石狩川を渡る

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※石狩川の堤防を歩く

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※新十津川町の金滴酒造

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※雨竜町に入ると田園風景が広がった

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※交通安全を訴えた民家があった

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※遠くに雪を抱いた稜線が見えた

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※じゃがいもの花が一面に咲いていた

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※本日の昼ごはん。ガッツリいった。禁断のセット

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※ついでにコレも

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※北竜町に入った。凄いキャッチコピー

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※広大な田園地帯を歩く

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※まるでテーマパークのような道の駅あるホテルに投宿


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