日本縦断徒歩の旅で宗谷岬に到達した後、戻った稚内駅前で立ち寄った店。 創業1966年、文字通り日本最北のラーメン店です。 人気の塩ラーメン(800円)を注文。 利尻昆布や豚骨でだしをとったスープは、透明でいかにもコクがありそうなビジュアル。 あっさりとしたなかに、旨味がじわじわとにじみ出てきます。 麺は塩ラーメンと相性がいい、ちぢれ麺。 スープがしっかりとしみたアツアツのくるま麩を味わいながら、一気に完食しました。 一杯のラーメンを、日本縦断の達成感と相まって、幸せな気持ちで味わうことができました。    ※『ラーメンたからや』北海道稚内市中央2-11-15 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
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一人で暮らす義母の様子を見に、飛騨高山に行ってきました。 5月に植えたゴーヤは、まだしぶとく実がなっていました。 この夏の不安定な天候で、不作だったトマトも収穫。 最後の栗を拾い、ナツメの実をかじり、帰路に立ち寄った道の駅で天然のナメコを買って… すぐそこまで来ている冬の扉を感じながら過ごしてきました。 雑木林を歩くいつもの散歩コースでは、なんと、スジクワガタを発見。 10月も下旬になって、いやはや、しぶとい。 こいつは、おそらく越冬するんでしょうかね。 来年、また会えることとを楽しみにして、そっと帰しておきました。     メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
旧東海道歩きから帰って、ちょっとばかし気が抜けてしまったこともあり、ブログの更新をサボっていました。 その間に、長男の新築の施主検査がありました。 施主検査は家づくりの最終段階でのけっこう重要なイベントなので、長男夫婦と私の3人で、それこそ穴が開くほどの細かいチェックを行いました(笑)。 また、施主検査と合わせて、カーテンの採寸も行いました。 検査では電気系統の通電チェック、ダウンライトのセンサー、水道、トイレの自動開閉、サッシや網戸の開閉などから始まり、外壁を確認。 タマホームの工務さんのほうでも事前にチェックを済ませていますが、どうしてどうして、よく見ると、クロスのキズや汚れ、サッシの汚れ等の見落としが出てきます。 私たちが発見し、工務さんが修正箇所に目印のテープを貼っていくという流れで進めました。 施主検査では目に見える部分しかチェックすることができないので、構造の不備までは分かりません。 致命傷となるようなものはありませんでしたが、不具合が出た場合は住み始めてからの都度対応か、定期点検で確認することになりそうです。 今回の検査では、再施工をすることになった玄関土間とポーチのタイルがまだ貼られいない状態での実施となったのが不満要素です。 すでに1週間前にタイルが搬入されているにもかかわらず、施工業者のスケジュールが合わないという理由で施工が延び、引き渡しに間に合わせるということになりました。 これにはいささか憤慨していますが、まぁ、焦っても仕方ありません。 きっちりやってくれることを思うばかりです。 今後のスケジュールは来週から始まる外構工事と、引き渡し、そして引っ越しと続きます。 親子二代の家づくりも、ようやくゴールが見えてきました。 ※タマホームで建てた私の自宅については、当ブログ内カテゴリの【マイホーム建て替え作戦】をよかったらどうぞ! ※クリーニングも終わり、全体が現れたLDK  ※クロスの微小なキズさえ見逃さずにチェックしていきます  ※壁掛けTVのコンセントが設置されたエコカラットの壁面  ※階段  ※1階タンクレストイレ。蓋が自動開閉できるかチェック  ※2階主寝室。クロスがきちんと貼られているかチェック  ※カーテンの採寸も行いました メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
北海道を歩いた縦断の旅4日目に立ち寄った、雨竜町にある道の駅『田園の里うりゅう』のレストランです。 空腹に負けて注文したのが、ラーメンとザンギ、小ライスという“禁断”の炭水化物+脂の定食(1180円)。 道の駅なので味はあまり期待していませんでしたが、どうしてどうして、炭火焼きチャーシューやゴボウまで入った醤油ラーメンが絶品。 濃い目のスープには炭火の味がしみ込み、一口すすってその美味さに驚きました。 麺もモチモチ、弾力も申し分ありません。 振り返ってみても、これほど美味いラーメンを食べた記憶はないかも。 恐るべし、北海道。 そして、香ばしくかりっと揚がったザンギ。 パリパリの食感もいいけど、何よりもそのボリュームがうれしい。 これまで北海道各地でザンギを食べてきましたが、これはかなりの好評価です。 これまで、フードコートのような道の駅の食堂を馬鹿にしていましたが、どんなラーメン店と比べても引けを取らない美味さです。 ラーメンだけで勝負をしてもじゅうぶん勝てる店だと思います。 何年先になるか分かりませんが、ぜひ再訪したい店となりました。   ※『ほッと一息レストラン 穂』北海道雨竜郡雨竜町満寿28-3 道の駅田園の里うりゅう メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
5月に東京日本橋を出発した旧東海道を歩く旅は、ぶつ切りのように何度も中断しながら歩を進めている。 4回目となった今回は、浜松から名古屋までを3日間で歩く計画だ。 名古屋まで来たら、電車を乗り継いでも自宅まで1時間かからない距離なので、ここで泊まって先に進むというわけにはいかない。 自宅でしばらく休養して、天気を見ながら残りの行程を一気に歩くつもりだ。 さて、3日目を迎えた岡崎からの続きだが、子供たちの登校時間と重なった八丁味噌の蔵元が並ぶ通りを抜けると、国道1号線に出て矢作川を渡った。 池鯉鮒宿までは散発的に続く松並木を追っかけるように歩くが、旧東海道は国道1号線から大きく逸れているので、クルマの騒音や排気ガスに悩まされることなくのんびりと行く。 名鉄三河線の線路を横切り、知立市街地に入ったところが池鯉鮒宿。 小規模ながら本陣跡や知立城跡が残っていた。 豊明を過ぎ、国道1号線に沿って歩くと、有松の町並みがある鳴海宿に入った。 過去に何度か訪ねたことがある町だが、通しで歩くのは初めてである。 電柱が埋没された町並みは、圧巻の一言。 広く青い空に重厚な木造の商家や白壁土蔵が軒を連ね、そのまま江戸時代にタイムスリップしたような錯覚を感じた。 日本橋を発してこれまで歩いてきた宿場の中では、スケール、パフォーマンスは断トツの一位ではないだろうか。 かつて自分が生まれ、住んだ町・名古屋にこれほどの文化遺産があったことに改めて驚いてしまった。 名古屋城以外見どころもなく、魅力がない町と揶揄される名古屋だが、有松の素晴らしさをもっと宣伝してもいいのではないだろうか。 地元民でも訪ねたことが無い人が、きっと多いと思う。 さらに、熱田神宮がある宮宿まで続く、有松から鳴海、笠寺、呼続までの旧東海道は、過去に何度かクルマでも通ったことがある道で、歩いてみて初めて、ここが東海道だったのかという認識だった。 しっかりと保存されて残っている笠寺の一里塚があることも、東海道を歩く今回の旅までその存在すら知らなかった。 歴史の道だということを露ほども知らぬまま、なにも気にせずに何度か通ったことがある道なのだ。 随所に置かれた『東海道』の石碑や道路に直接ペイントされた案内標識が無ければ、興味もないまま歩いてきたと思う。 そんな意味では、東海道歩きにチャレンジして、歩き目線で意識したからこそ気づくことができた風景だったと思う。 浜松を出発して3日目、15時に佐屋街道との分岐の碑がある宮宿にゴール。 貧血を起こしたり、足が痛んだり、体調は万全ではなかったが、100㎞以上を歩き切ることができた。 歩道橋を渡って、熱田神宮の大鳥居をくぐり、ここまで無事に旅ができた感謝と、残り4日間の旅の無事、孫娘の健やかな成長を祈って旅を終えた。 さて、次回のチャレンジはいつにしようか。 ■2022年10月13日 愛知県岡崎市~安城市~知立市~豊明市~名古屋市 ■50553歩 32.85㎞ ■晴れ時々曇り  ※岡崎のハ丁蔵通りを歩く  ※同上  ※矢作川を渡った  ※池鯉鮒宿までは松並木が断続的に出てきた  ※永安寺の雲竜の松  ※永安寺境内の石仏  ※来迎寺の一里塚   ※松並木が続く旧東海道  ※名鉄知立三河線の線路を横切り、池鯉鮒宿に入る  ※池鯉鮒宿常夜燈  ※池鯉鮒宿から富士松方面に歩く  ※同上  ※豊明の阿野一里塚  ※有松の町並みに突入した  ※同上  ※同上  ※同上  ※同上  ※同上  ※同上  ※有松一里塚跡  ※鳴海宿を歩く  ※鳴海宿の常夜燈  ※笠寺一里塚  ※小規模ながら古い家屋が残る笠寺の町並み  ※笠寺観音  ※塩付街道と呼ばれる呼続の町並みを歩く  ※呼続には東海道の石碑が整備されていた  ※宮宿に続く道には歩道に案内標識のペイントがあり、これを辿れば間違うことがなかった  ※都々逸(どどいつ)発祥の碑  ※宮宿。佐屋街道との分岐の碑  ※熱田神宮に参拝し、今回の旅を終えた メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
どんよりとした曇り空の下、2日目がスタートした。 駅に急ぐ通勤のサラリーマンや女子高生の群れを横目に、豊橋駅から延びる線路を渡り、旧東海道に合流。 本陣跡を過ぎ、【東海道】の標識に導かれるまま直角に曲がり、坂を下ると豊川を渡る豊橋に出た。 江戸時代は『吉田大橋』と呼ばれ、岡崎の矢作橋、瀬田の唐橋とともに東海道三大大橋といわれていたという。 御油宿までは国道1号線と並行する旧東海道を歩くが、交通量が多いにも関わらず、歩道がまったくない区間もあったりして、それなりに神経を使いながら通過した。 後ろからクルマに追突されるのが怖いので、歩道がない道は条件反射のごとく逆車線を歩くことにしている。 対向車のドライバーから見ると、正面から歩いてくる私に気づかぬ筈はなく、皆一様に大きく避けていく。 歩き旅では、自分の身は自分で守らなくてはいけないので、ルールを無視しているのは心苦しいが致し方ない。 歩行者の安全を考えると、せめて国道や県道クラスなら歩道の設置を急ぐ必要性を感じる。日本の道路事情はクルマ優先過ぎて、歩行者に優しくできていないのが腹のたつところだ。 …とブツブツ嘆いても足はひたすら前に進む。 御油宿に入ると、大社神社で参拝し、旅の安全と、6月に生まれた孫の健やかな成長を祈願した。 御油宿には旅人の相手をしたという飯盛り女の墓があるというが、うっかり見過ごしてしまい、気づいたときには松並木に差しかかかっていた。 飯盛り女は、旅籠の奉公人であり、遊女でもある位置づけで、農家の息女たちが奉公の名のもとに売られてきたという哀しい歴史があるという。 赤坂宿に残る200年前に建てられたという旅籠『大橋屋』では、ボランティアのご老人からそうした話を聞くことができた。 ガイドブックから得た知識しか持っていない身にとっては、こうした人たちの存在はありがたい。 自分も機会があればやってみたいと思っているが、何分、下衆な人間なので、ボランティアというのはちよっと無理かもしれない。 正午近くになり赤坂宿に入る。 本陣跡のすぐ隣にうなぎ屋を見つけたが、寂れた外観を見て敬遠し、暖簾をくぐるのを見送った。 しかし、これがアダとなり、そこから本宿までの1時間半近くはまったく飲食店がない状態が続き、空腹を抱えて歩くことになってしまった。 本宿駅近くでようやく見つけたラーメン店で、3枚をつなぎ合わせると赤ん坊の腕一本くらいあるチャーシューが浮かんだ旨いラーメンを食べたが、これがいけなかった。 歩いても、歩いても、胸やけと口中の塩っ辛さが込み上げてくる。 それを中和しようと思って、立ち寄ったコンビニで甘いシュークリームを食べたら、今度は満腹で苦しくてしょうがない。 こうなりゃあ、少しでも体を軽くするためにひたすら歩くしかないと判断し、藤川宿から岡崎へは脇目も降らずに黙々と歩くことにした。 16時を回り、岡崎市中心部に入ると『二十七曲がり』の道標に導かれるまま、それこそ右に左に歩いていく。 最後は岡崎城の公園を突っ切り、ドンピシャのタイミングで宿泊予定のホテルの前に出た。 しかし、ここでアクシデントが…。 ホテルを目前に、横断歩道を渡ろうと信号待ちをしていたときのこと。 すーと血の気が引き、突然目の前が真っ暗になり、その場で倒れて尻もちをついてしまった。 すぐに我に返って起き上がったが、どうやら、立ちくらみから貧血を起こしたようだ。 これで胸の痛みを伴っていたら、間違いなく心筋梗塞で病院送りだったろうと思う。 どちらにしても、頭を打たなくてよかった。 連日30㎞を超える歩きと、水分補給不足が招いた結果かもしれない。 7月の北海道では、血尿に見舞われたし…。 思っている以上に、自分は年寄りで、体力が低下しているんだろうなぁ…。 そんなことを自己分析しながら、ホテルのベットであぐらをかき、ちゃっかりとビール片手に大盛の焼きそばをがっつくのだった(笑)。 ■2022年10月12日 愛知県豊橋市~豊川市~岡崎市 ■52081歩 33.85㎞ ■曇り ■岡崎オーワホテル  ※吉田宿の本陣  ※豊橋市内。東海道の標識に導かれて歩く  ※豊川が流れる豊橋を渡る  ※下地駅近くの旧東海道  ※同上  ※国道1号線沿いに置かれた道祖神  ※御油宿入口にある大社神社  ※御油宿  ※御油の松並木(天然記念物指定)  ※赤坂宿の高札場跡  ※赤坂宿旅籠の大橋屋。一般公開されている  ※赤坂宿を歩く  ※赤坂宿の常夜燈  ※岡崎市に入った  ※本宿の一里塚跡  ※今日のランチは、『五十六商店』の中華そば  ※藤川宿東棒鼻  ※藤川宿  ※藤川宿高札場跡  ※同、本陣跡  ※藤川から岡崎に向かうと松並木が続いた  ※不気味なフィギュアが迎えてくれた  ※大平の一里塚  ※常夜燈  ※岡崎宿の二十七曲がりを歩く  ※岡崎宿御馳走屋敷跡に置かれた鯛のレプリカ  ※岡崎市郷土館  ※岡崎城 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
早朝自宅を出て、いつものように在来線と新幹線を乗り継いで、浜松駅8時15分到着。 中断していた浜松から一週間ぶりに歩き出す。 気温がぐっと下がったのか、季節は確実に秋に入ったようだ。 頬にあたる風が冷たいので、今日のスタイルは長そでシャツにさらにウインドブレーカーを重ね着している。 豊橋まで37㎞を歩くので、新幹線の高架をくぐると、心なしか速足となった。 舞坂宿までは単調だったが、松並木を過ぎ浜名湖が見えてくるとがぜん賑やかになってきた。 新居宿には復元された関所や旅籠、本陣跡もあり、見どころも多いが、先を急ぐので立ち寄ることもなく、写真を撮りながら足早に通り過ぎた。 それにしても風が強く、体が持っていかれそうな向かい風に辟易しながら黙々と歩く。 帽子を何度も飛ばされるので諦めてザックに入れて歩くが、出発間際にカミさんにバリカンで丸めてもらったアタマが寒くて仕方がなかった(笑)。 鬱蒼と茂る樹々の間から太平洋を望むことができる潮見坂を登り、白須賀宿に入るとようやく行程の半分である。 潮見坂は海抜わずか28メートルしかないのに、登るのに息が切れてしまう体たらくである。 その分、白須賀宿までは緩い下り坂になり、現金なものでそれこそ鼻歌交じりだ。 国道1号線に出て疾走するクルマの騒音に苛立ちながら歩き、新幹線と在来線の高架をくぐって二川宿に到着。 旧家や本陣跡の建物、高札場跡も残っており、日本橋から歩いてきた宿場の中では江戸情緒が色濃く残る町並みだった。 16時を回り、すでに歩行距離は30㎞を超え、足に痛みが出てきた。 今日はこのあたりでいいかなぁ…と、弱気の虫に支配されたが、気づいたときにはJR二川駅に背を向けていた。 吉田宿がある豊橋まであと7㎞。 ひたすら歩くしかない。 しかし、運が悪いことに火打坂を登ったところで大きく道を外れてしまった。 これで1㎞以上のロス。 気づいたときには、もう苦笑いでしかなかった。 すでに薄暗くなり、ザックに点滅する赤色ライトを取りつけて歩いた。 豊橋駅が近づいたところで見つけたスーパーで、晩飯のお惣菜とビールを購入し、すっかり暗くなった18時にホテルに到着。 秋の日はつるべ落とし。 あれほど強かった風は収まり、どこから聞こえてくるのか、虫の音がやけに賑やかだった。 ■2022年10月11日 静岡県浜松市~湖西市~愛知県豊橋市 ■57994歩 37.69㎞ ■晴れ ■豊橋ニュー東洋ホテル2  ※藤原秀衡を弔う御堂、二つ御堂  ※舞坂宿の松並木  ※舞坂宿  ※舞坂宿本陣跡  ※舞坂宿。浜名湖のほとりに立つ渡船場跡  ※浜名湖弁天島橋を渡る  ※お城を模した廃墟となった元ドライブイン  ※浜名湖の西の端  ※新居宿の関所資料館  ※新居宿の旅籠、紀伊国屋  ※新居宿本陣跡  ※新居宿から白須賀宿に向かうと松並木が続いた  ※白須賀宿元町の町並み  ※同上   ※潮見坂。太平洋が見えた  ※白須賀宿の町並み  ※同上  ※長かった静岡県を離れ、愛知県に突入した  ※細谷の一里塚跡  ※二川宿には古い町並みが多く残っていた  ※同上  ※二川宿本陣 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
鶴が飛来する鹿児島県出水市にあります。 鹿児島市に向かう歩き旅の途中で、ようやく見つけた店です。 ところで、『薩摩黒うどん』はなんぞや? 店に入って説明書きを読むと、黒ゴマ、黒酢、コラーゲン、竹炭を練り込んだうどんのようです。 注文したのが、白ごはん・サラダ・冷奴・小鉢が付いて、なんと価格490円の薩摩黒うどん定食。 思いっきり、安い!! 今どきワンコインでおつりがくるとは驚きです。 これは旅人にやさしい店ですね。 黒うどんといっても、私にはいたってふつうの味に思えましたが、そこはやっぱり九州のうどん。 柔らかいのが気になります。 もっともそれ以上に、やさしいお味のダシ汁が旨い! 量が多いので、ごはんまでは全部食べきれませんでしたが、これで490円でいいのかなぁ…と、何度も思いながら一生懸命にかきこみ、店を出ました。   ※『出水屋文左衛門』鹿児島県出水市浦田町2 第三日休 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
『串もんず』という串揚げ居酒屋さんの店舗を、昼だけ間借りて営業している店です。 最近はこうしたパターンの店が増えましたね。 人気の行列店なので時間をずらして13時過ぎに突入。 並ばずに入店することができました。 注文は特製雲呑麺(1000円+大盛100円)。 ラーメンで1000円出すのは抵抗ありますが、まぁ、初見の店なので良しとします。 さて、着丼した雲呑麺はなかなかお美しいビジュアル。 麺は少し硬めですが、スープによくなじんでいます。 一口すすったスープは、ほどよい塩味と動物系とダシの旨味、そして、やさしさ。 いけますね、これは。 しかし、肝心のワンタンが…。 海老ワンタンも肉ワンタンも、皮が硬い。 これは好き好きでしょうが、口の中でとろけるようなニュルニュル、ツルツルの圧倒的パフォーマンスがウリの山形県酒田の“月系”ワンタン麺を親しく食べてきた身には、ちょっと残念。 麺やスープが美味しいだけに、雲呑麺を謳っているなら、もっとワンタンを工夫して欲しいところが正直な感想でした。 価格も高いし、二度目の訪店は、しばらくたってからでしょうか。 次回に期待したいと思います。      ※『雲呑麺のお店 たゆたふ』岐阜県多治見市宝町5-98 火休 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
岐阜県土岐市に10月7日にグランドオープンした『イオンモール土岐』に行ってきました。 オープン当日は激混み、渋滞必至なので、地元民を対象にした前日のプレオープンに足を運びました。 16時過ぎに入店しましたが、平日木曜日というのに駐車場は8割方埋まり、店内の混雑率は50%ということでした。 少なめに見積もっても、人が多いなぁ…という感じでしたが、これで混雑率100%になったらとんでもないくらいの人なんでしょうね。 さて、モールですが、核店舗のイオンスタイルを始め140店舗が並ぶというスケールですが、その中身は正直言ってなんとも中途半端な陣容。 買い物好きのカミさん曰く、 無印良品、カルディ、ユニクロ(代わりにGU)、トイザらスが無い!! フードコート好きな食にこだわる私は、丸亀製麺、リンガーハット、若鯱屋が無い!! イオンスタイルは食品と日用品売場のみで、衣料品や雑貨売場が無い!! 靴下や下着、鍋やスリッパ、スーツやネクタイ(私には必要ないけど・笑)、旅行用品はどこで買うの? そして、それ以上にがっかりなのは、 映画館が無い!!これはいただけない。 私が住む隣のT市から映画館が消えて25年が経ち、数年前にイオンモールの計画が立ち上がってから、映画館=イオンシネマができることを指折り数えて待ってました。 毎月のように映画館に足を運ぶ私たち夫婦は、40分かけて隣県のイオンモールに行っています。 これが自宅からわずか10分程の地にイオンモールができると聞いたら、期待しないではいられません。 いつも思い描いていたのは、モールのレストラン街で夕食をし、それからゆっくりとレイトショーを…老後の楽しみとしてそんな夢を持っていましたが、映画館がないなんてあまりにも残酷です。 オープンのあいさつでは、地元民の念願だった映画館の設置を諸般の事情で見送ったことをモール社長が述べていたようですが、言い訳をいくら聞いても仕方ありません。 今さら、映画館がないことを批判するSNSのコメントに反応しても遅いですけどね。 広大な敷地にはゴーカート場や温浴施設、中古車センター、住宅展示場、ガソリンスタンドなどありますが、差別化を図るならどこにでもある施設を誘致するよりも、文化・娯楽の発信基地でもある映画館をぜひ造って欲しかったところです。 人口減に悩む地域にとって、造成された分譲地に若い世代の流入を少しでも促進できるスティタスとなるなら、映画館の設置再検討を願いたいですね。 …とはいえ、自宅近くにできたイオンモールです。 プレミアムアウトレットもすぐ近くにあり、25年前に引っ越してきたときは、文字通り“陸の孤島”のような我が町でしたが、今では市内有数の大型団地になり、周辺もずいぶん賑やかになってきました。 人気のメジャー店舗や映画館がなかったり、魅力は今一つですが、地元民として足を運んでお金を落としていこうと思います。 でも、映画は、他のイオンモールに浮気しますがね(笑)。   メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
上棟以来47日目を迎えた10月7日。 計画ではこの日に完成となる予定でしたが、クレームをつけてやり直しを要求した玄関タイルの施工が資材が届かないことを理由に手つかずになっており、いまだ完成とはならず。 よって、トイレや囲いもまだ撤去されることがないまま残っています。 前日に美装も終わっており、室内には入ることができませんでしたが、エコキュート、網戸、防犯ライト、玄関ポーチのセンサーライトも設置されていました。 ぐるっと外周を歩いてみて、気になったところが、立水栓の位置。 2階6帖洋室のエアコンの室外機を隣に置くことになっていますが、雨樋から立水栓までのスペースが一見して狭そうです。 室外機は6帖用でも70センチ程度あるので、この隙間に無理なく設置できるのか? 測ってみると雨樋までの幅は75センチ、壁の先端までは85センチあり、なんとかギリギリで収まりそうでした。 どうせなら余裕をもって10センチほど立水栓の位置をずらせてもらえればよかったのですが、これ以上やり直しを要求することで引き渡しを遅らせるのもどうかと思い、ここは妥協することにしました。 図面上ではかなり悩んで位置を考えたのに、これですから。 長男曰く、しばらくはエアコンを設置しないということなので、まぁ、その時になるべく幅が狭い室外機のエアコンを買えばいいかなぁ…ということで、多少のわだかまりを感じつつ、一件落着です。 それにしても、建物が完成してから取り付けとなるエアコンは、くせ者ですね。 室外機の設置位置はもちろん、空気孔や配管の位置は外観も含めてよくよく考えないと後で困ることになります。 家づくりの盲点かもしれません。 さて、あーだ、こーだと関わってきた長男宅の家づくりですが、いよいよ終盤。 今月中には施主検査、そして、引き渡しとなります。 楽しませてもらうのも、あとわずかです。 ※タマホームで建てた私の自宅については、当ブログ内カテゴリの【マイホーム建て替え作戦】をよかったらどうぞ! ※再施工となった玄関ポーチは、資材が届かないためまだ手付かず  ※玄関ポーチのセンサーライト  ※屋外防犯ライト  ※網戸が設置された。ちなみに雨戸シャッターは『☆ザ・タマホーム』では各居室1ヶ所の窓のみ標準設置(『大安心の家』は1階居室については2ヶ所に標準)  ※エコキュートが設置された  ※立水栓の向かって右隣にエアコン室外機を設置予定だが、少し狭そう メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
JR磐田駅から昨日ゴールした袋井駅に戻り、3日目がスタートした。 天気は下り坂である。 雨が降り出すまでに歩けるだけ歩きたい、と思いながらピッチを上げる。 袋井宿は東海道のどまん中を謳っているのか、町を歩くとやたらと“どまん中”のロゴが目に付いた。 木原一里塚を過ぎ、国道1号線バイパスに合流しすると、地図上では遠州鈴ヶ森刑場跡に出るが、まったく気づかずに通り過ぎてしまった。 見附宿に入ると、にわかに宿場町の雰囲気が濃厚になった。 本陣跡を過ぎ、明治8年に建てられた旧見附学校に立ち寄る。 ここには明治から昭和中期までの教科書や学用品などが展示されており、興味深く見ることができた。 中でも『肥後守』という小刀。 鉛筆削り器がまだ高価だった頃、私は間違いなくこれで鉛筆を削ったことを思い出した。 そういえば当時の子供たちは筆箱には必ず小刀を入れていたし、小刀のことを肥後守といって、誰もが指を怪我することなく器用に操っていた。 今となっては、懐かしい遠い思い出である。 見附宿に別れを告げ、緩い坂道を南下しながら下り、国分寺跡を過ぎると、JR磐田駅が見えてきた。 見覚えがある通りだなぁ…と思って十字路を曲がると、何のことはない、旧東海道は昨日宿泊したホテルの前を通っていた。 一里塚や常夜燈を見て進み、集落のなかで道を見失いながら適当に歩くと、天竜川橋に出た。 ガイドブックには「橋には歩道が無いので注意」と書いてあるので気になっていたが、実際にそこに立ってみると、トラックがひっきりなしに疾走してくるではないか。 交通量も半端ではなく、歩道もない道幅が狭い橋を渡るには気が引けてしまった。 これでは命がいくつあっても足りないし、ここに突っ込むには相当な勇気がいる。 困ったなぁ…と思いながらすぐ隣に並走している国道1号線バイパスに架かる新天竜川橋を見ると、立派な専用歩道が付いているではないか。 (な~んだ)と思いつつ、ここは当たり前に安全策を取ることにした。 橋を渡り、船着き場跡の案内を見て直角に曲がると、ドンピシャのタイミングで餃子の暖簾が揺れる店を発見。 さらに先には、うなぎの看板を掲げた店もあった。 餃子とうなぎは、どちらも浜松の二大名物だ。 しばし迷ったが、軍配は餃子に上がり、11時半の開店と同時に、誰もいないカウンターの客となった。 店を出ると、天気は予報通りの下り坂の様相を呈してきた。 雨がぱらつき始めたので傘をさして歩くが、すぐに止むと、今度は一転して眩しいほどの晴天。 コンビニに寄ってはペットボトルを購入する、不快指数100%の暑さとなった。 何ともせわしない、不安定な天気である。 予報ではこれから週末までの3日間、雨が続くということになっている。 当初は、名古屋まで歩く6日間の計画でスタートした旅だったが、わざわざ好き好んで雨の中を歩くこともないだろうと…すでに頭の中には軟弱の風が吹き始めていた。 進むか、止めるか…そんなことを反芻しながら歩く。 JR浜松駅が見えてくると、心は決まった。 最初の意気込みとは裏腹に、なんともあっけない幕切れであったが、今回の旅のゴールは浜松で締めることとなった。 さて、この続きはいつにしようか。 ■2022年10月5日 静岡県袋井市~磐田市~浜松市 ■34328歩 22.31㎞ ■曇り一時雨  ※袋井宿の高札場跡  ※袋井宿の常夜燈  ※旧東海道にはいたるところに当時の浮世絵の風景画があった  ※木原一里塚  ※国道1号線と並走する、旧東海道の松並木  ※見附宿の旧見附学校。現存する日本最古の洋風木造建築小学校校舎  ※同上の授業風景  ※同上の展示物。肥後守があった  ※見附宿の国分寺跡。現在、復元整備が進められている  ※宮之一色一里塚跡  ※立派な専用歩道がある新天竜川橋を渡る  ※浜松餃子を食す(餃子のかめ 15個850円)  ※伊豆石でできた明治期の蔵  ※浜松宿が近づくと松並木になった メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
快晴の下、7時に出発。 前日に32㎞を歩いたというのに、それほどの疲れを感じていない。 (おぉ、調子いいぞ)…と思ったのもつかの間、大井川川越遺跡の集落が見えてきたところで、左足の脛が痛くなってきた。 7月の列島縦断の旅でゴール寸前の稚内で痛めた状態と同じ。 厄介なことになりそうな予感が頭をよぎった。 ペットボトルのお茶でロキソニンを流し込み、消炎湿布を貼り続行した。 このまま痛みが治まってくれたらありがたい。 東海道最大の難所といわれた大井川の渡しがあったという大井川川越遺跡には、復元された家屋が公開されており、無料で見学することができた。 川が荒れて、水かさが増すと旅人たちはここで足止めを食ったのだろうか。 映画にもなった藤沢周平の『雨あがる』では、おそらくこの地を舞台にして、降りやまぬ雨を待つ旅人たちと浪人夫妻の厚情が描かれている。 これでは「エイホー、エイホ」と担がれて渡らなくてもいけそうかなぁ…と、思いのほか浅瀬の流れが望見できる大井川橋を渡ると、金谷宿に入った。 この夏の台風の影響で大井川鉄道は不通になっている。 思い出すのは学生時代に南アルプスに入山するため初めてここを訪れたことだ。金谷駅からトロッコ軌道を走るミニ電車に乗り換え、晩秋の畑薙ダムに向かった。 3000メートルを超す聖岳の登山は、想像以上に厳しい雪との闘いとなってしまった。 ピッケル代わりに這い松の枝を使い、背負った重荷と急斜面のラッセルにあえいだ。 山が持つ厳しさの洗礼を受けた登山だった。 あれから40数年が経ち、小さなザックを背負い、それこそ鼻歌交じりにのんびりとこの町を訪ね、そして歩いている。 町の姿は大きく変わってしまったが、間違いなくここにも私の青春があったんだと、青臭いことを思い出してしまった JRの金谷駅から石畳の道を登りきり、そのまま菊川坂の石畳を下ると諏訪原城跡に出た。 武田勝頼の居城で、復元されたお堀のスケールが素晴らしかった。 ここまでは、坂道はあってもほんのトレーニング程度で、クスリが効いてきたのか、足の痛みもなくなったので快調に飛ばした。 しかし、問題はこの先にあった。 箱根、鈴鹿峠とともに東海道の三大難所の峠といわれたのが、小夜の中山峠。 菊川集落からいきなりの急坂の登りに唖然とした。 汗を拭きつつ息を切らせて、茶畑の中を縫うように登る。 つい先日の健康診断で、突然死の因子があることを指摘されたことを思い出した。 いきなりガツーンと来るのだろうか? 茶畑の中で野垂れ死ぬのは、できれば避けたい。 急な坂を登ると平坦な道となったが、こんな場所にも民家は点在していた。 どうやらお茶農家のようで、整然と列をなした茶葉を農業機械で刈り取る、農家の人たちの作業ぶりを見ながら歩いた。 中山峠には夜泣き石や芭蕉の句碑が残る久遠寺、旅籠の扇屋など見どころもあったが、再び茶畑の中を歩き日坂宿に向かうと、『二の曲がり』という、それこそ転げ滑りそうな急坂となった。 驚くのは坂の途中に民家が何軒かあったこと。 クルマでも登るのが怖いくらいの急な坂に住む人たちを思うと、いやはや日本は広いとつくづく思ってしまった。 坂を下り、国道1号線を渡り、日坂宿に入った。 本陣跡は復元された門を除いて公園になっているが、小さな宿場町といえども、町起こしを意識しているのか、民家の軒下には往時の宿名を掲げた木札が貼られていた。 『いせや』『きのくにや』はそのまま出身地を名乗ったものだろうか。 当時は旅籠が33軒あったというが、『川坂屋』のように建物がそのままに保存されている旅籠もあり、小さな宿場ならではの雰囲気が色濃く漂っていた。 日坂宿から掛川宿までは一里塚や馬頭観音を見ながらのんびりと歩いた。 掛川城は改修工事の真っ最中で天守には足場が組まれており、見学することができず、そのまま通過。 東名高速道路を横切ったあたりから松並木が連続して現れるようになり、旧東海道を歩いている気分がおのずと高揚してくるのを感じた。 今日の行程は予約したホテルがある磐田駅前まで歩くつもりだったが、歩行距離が30㎞を超えたこともあり、疲れも出てきた。 それに反応してか、JR袋井駅が近づいたところで急にモチベーションが落ちてしまった。 急ぐ旅でもないし、ネガティブにストイックに、黙々と歩くのもかえって疲れてしまう。 今日はここまで…と決めて、袋井駅で歩くのを止め、磐田駅まで電車移動することにした。 この日は磐田駅近くのマックスバリューでビールとお惣菜を購入し、安宿の客となった。 さすがに安宿、トイレにはウオッシュレットがついておらず、二日間歩いた“股ズレ”の代償を癒すことができなかったのは、思わぬ不覚だった。 ■2022年10月4日 静岡県島田市~掛川市~袋井市 ■46559歩 30.26㎞ ■晴れ ■Tabist IWATAステーションホテル  ※島田宿の大井神社  ※大井川越遺跡の復元された集落  ※同上  ※島田市博物館にある大井川川越え模型  ※大井川の川会所跡  ※大井川を渡った  ※大井川鉄道金谷駅  ※金谷宿を歩く  ※金谷宿本陣跡  ※諏訪原城跡  ※金谷宿から菊川宿に向かう石畳  ※中山峠佐夜鹿の一里塚  ※茶畑の中を行く中山峠の登り  ※同上  ※日坂宿の常夜燈  ※日坂宿本陣跡  ※日坂宿の旅籠、川坂屋  ※日坂宿高札場跡  ※掛川宿に向かう道で移動スーパーに出会った  ※シャッターが閉まった掛川のアーケード商店街  ※ソース鶏カツ丼を食べる(掛川市・政平670円)  ※掛川城は改修工事中だった  ※袋井宿に向かうと松並木が連続して出てきた  ※久津部の一里塚跡 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
暑かった9月も終わり、秋の気配を感じる季節になった。 ハローワークで紹介してもらった行政の臨時職員の採用面接にも落っこちたし(笑)、このところ関わってきた長男の自宅の新築も完成に向けて一段落したので、6月以来中断していた旧東海道を歩くことにした。 早朝自宅を出て、JRの在来線から新幹線を乗り継ぎ、静岡駅に8時30分到着。 秋の気配どころか、すでに太陽はさんさんと輝いている。 予想気温は30度超え。 季節外れの暑い一日になりそうだ。 静岡駅構内から地下道を経て、札の辻に出た。 このあたりは府中宿があったところだが、ビルに囲まれた界隈には江戸時代の宿場当時の面影はまったくない。 由比正雪の碑を過ぎ、安倍川に出た。 橋のたもとには『石部屋』という安倍川餅の店が暖簾を下げていた。 いったんは店の前を通り過ぎ橋に一歩を踏み出すが、やはり安倍川餅の誘惑に負けてしまい、踵を返して暖簾をくぐった(笑)。 店主に言われるままに、文化元年創業の餅(700円)をパクついた。 糖尿の身には禁断の食い物だが、これから30㎞近く歩くことを良いように解釈して、弾力があるなかに甘くとろける老舗の味を堪能した。 一里塚を過ぎ丸子宿に入ると、またまた誘惑の物件が。 旧東海道で最も有名な老舗『丁子屋』が姿を現した。 広重が描いた「丸子名物茶店」の風情そのままで佇む、名物麦めしとろろの店だ。 しかし、残念なことに11時開店とあって、30分以上の待ち時間があり、先を急ぐことを選んで、泣く泣く茅葺屋根に背を向けた。 …と思いつつも、よくよく考えたら私は別段とろろ汁は好きではない。 幼いころからとろろを食べると口の周りがかゆくなったりしたので、長じてからも余程のことがなければ食べないのだ。 そんなことを思いながら歩いた。 高札場がある土手には彼岸花が咲き、秋真っ盛りである。 国道1号線バイパスに出ると道の駅があったので、昼食がてら休憩。 静岡おでんを食べて、しばしベンチでまどろんだ。 ちょうどこの日は11時半から30分間のFMラジオの番組に私が出ることになっており、周波数を合わせてスマホから流れる自分の声を聴いた。 一週間前に録音した時は、うまくしゃべることができずに結構落ち込んでいたのだが、そこはなんとか編集してくれたようだ。 どちらにしても、公共の電波に乗った自分の声を聴くのは気恥ずかしいし、何より心臓に悪かった。 道の駅から旧東海道に入り、宇津ノ谷峠に向かう。 石畳が敷かれた坂道に寄り添うように建つ集落には、家々には屋号が下がり、往時の雰囲気がよく残っていた。 ここからは竹林や雑木の道を歩き、峠を越えてから十石坂観音堂がある岡部宿に下った。 岡部宿は旅籠の柏屋や本陣跡もあり、わずかながら宿場の雰囲気を留めていた。 予報は当たったようで、とにかく暑い。 とめどなく流れる汗を拭きつつ藤枝に向かう。 古東海道追分を過ぎ、JR東海道線に沿って歩くようになると、松林が連続するようになった。 すでに夕暮れが近づき薄暗くなりつつあったが、ホテルを予約している島田まであとわずかなので、何も考えずに黙々と歩く。 松林が途切れたところに、”スーパーボランティア尾畠春夫”さんの写真が。 ちょうどこの場所をリヤカーを引いて通過したようだ。 尾畠さんは徒歩で日本縦断をした大先輩なので、尊敬の念をもってその生き方を見てきたが、まさかここで足跡に触れることができるとは思っていなかった。 写真は、リヤカーを引く尾畠さんを大勢の人が囲み、その表情は嬉しそうだが、当の本人はどうやらあまりの人気の過熱ぶりに辟易して、このあとリタイヤしてしまったという。 何事も、目立たず、人知れず、できればいうことないんだが。 でも、80才を過ぎてのこのパワーは凄いとしか言いようがない。 かの石川文洋さんも80才を過ぎて二度目の徒歩日本縦断を達成しているし、エベレストの三浦雄一郎さんにしかり、まったくもって頭が下がる。 すっかり暗くなった18時過ぎ、島田駅前のホテルに向かう。 飲食店もほとんどない駅前は閑散として寂しい。 ようやく見つけたコンビニで弁当を買い、ホテルへと急いだ。 旅の初日は、いつものように軽い疲労感とわずかな充実感と共に更けていった。 ■2022年10月3日 静岡県静岡市~藤枝市~島田市 ■49300歩 32.04㎞ ■晴れ ■ホテルセレクトイン島田駅前  ※静岡駅を出るとすぐに府中宿の札の辻の碑があった  ※創業200年の石部屋の安倍川餅  ※安倍川を渡る  ※とろろ飯で有名な丸子宿の丁子屋  ※丸子宿本陣跡  ※丸子宿高札場跡  ※国道1号線を離れ、宇津ノ谷峠に向かう旧東海道に入る  ※宇津ノ谷峠手前にある集落。往時の面影が色濃く残る  ※同上  ※同上  ※宇津ノ谷峠の登り  ※石仏が佇む峠道  ※宇津ノ谷峠の集落を歩く  ※岡部宿の旅籠、柏屋  ※朝比奈川の土手に咲き乱れる彼岸花  ※樹高23.7メートルの須賀神社の大クスノキを見上げる  ※閑散とした藤枝宿。シャッター商店街を歩く  ※瀬戸川を渡り、藤枝宿を後にした  ※旧東海道らしい松並木が続く  ※島田宿も近い。尾畠春夫さんの足跡を見つけた メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
9月は久しぶりに10冊超えの本を読んだ。 これから秋が深まっていくにつれ、好きな本を好きなだけ読む生活ができたらうれしいけど、読書を継続的に続けるのも実際にはなかなかしんどい。 年と共に減退している集中力に尽きるかもしれません。 一昨日、このところ暇つぶしに遊んでいるボウリングをやってつくづく思いました。 1ゲーム目のアベレージは138。 おぉ、いいぞ! …と気をよくしたのもつかの間、2ゲーム目は92、3ゲーム目は102という低スコアに沈みました。 体力もそうですが、たかだか玉を転がすゲームにも集中力がなければダメですね。 ボウリングは技術以上に集中力というプレッシャーが大きく左右する心理ゲームだと思います。 さて、9月の読書の収穫は、イタリア人作家のパオロ・コニェッティ著『フォンターネ 山小屋の生活』でしょうか。 全編を通して漂うほんわかした包容力がある文体に惹かれました。 心を平常心に戻し、癒してくれるのも、読書の効能といっていいかもしれません。 9月の読書メーター読んだ本の数:12 読んだページ数:2557 ナイス数:498 ニホンオオカミは生きているの 感想宗像充著『ニホンオオカミは消えたか?』つながりで手に取った。 表紙にあるニホンオオカミ?と思える写真を撮ったばかりに、孤軍奮闘する著者の姿が気の毒に思えて仕方がなかった。 専門家でさえ肯定派、否定派がいる世界で、在野の研究者として存在を立証する難しさは想像以上である。 突き詰めれば、やはり生け捕りしかないのか。 「日本の国から二ホンオオカミを消してしまったのは、オオカミ学者を自称する動物学者ではないのか」…と、皮肉ともとれる著者の言葉が心に響く。 ロマンで終わらず、実在を証明する日が訪れることを切に願いたい。 読了日:09月27日 著者: 西田 智 四つの小さなパン切れの 感想ホロコーストから生還した人々の手記は数多あるが、本書は後世に語り継がれる名著といえるのではないだろうか。 ハンガリー系ユダヤ人の数少ない証言であるということも興味を引く。 二部構成のうち、前半の「時のみちすじ」ではアウシュヴィッツに強制収容されてから解放までを追っていくが、恐怖に凍りつく体験を、断片をつなぎ合わせるような淡々とした切り口や、映像を見るようなリアルな表現も駆使して書かれている。 後半の「闇から喜びへ」は詩作を含めた心象風景で体験を綴っており、人間の尊厳を無視したナチスの蛮行に対しての不条理を訴えながらも、前向きに生きることの意義を紡いでいる。 救われるのは、自分をショアの犠牲者ではなく、自分自身のなかで和解した証人だと感じている、と言い切るところ。 著者の真の強さと、魂の昇華を見た思いだ。 読了日:09月25日 著者: マグダ・オランデール=ラフォン 誰もいない文学館の 感想数多いる作家と比べて読書量の少なさを冒頭で謙遜しているが、読み進むにつれ、それが思いっきり的外れだと分かる。 大正~昭和初期の近代文学の知識の奥深さや、古書業界に精通した見識は、著者が単なる物書きでないことを証明している。 恐るべきは、小学5年から横溝正史に狂い、『宝石』を読み、15~16歳でマイナーな作家群を読破していく早熟さ。 師と仰ぐ、藤澤清造つながりでの物故作家の発掘と研究は、私小説を書く以上に夢中になれる活動であったと見て取れる。 無頼派を通して逝ってしまったが、死してなお、稀有な才能は輝きを失わない。 読了日:09月23日 著者: 西村賢太 イレーナ・センドラー―ホロコーストの子ども達の母の 感想ナチス占領下のポーランドで、人道的見地からユダヤ人迫害に抵抗し、地下組織による支援を行った非ユダヤ人は多くいたという。 ワルシャワゲットーから強制収容所へ移送される子供たちを救出し、逃亡の手助けをしたその数2500人。本書の主人公イレーナ・センドラーたちの活動は、かのオスカー・シンドラーのはるか上をいく。 こうした快挙が歴史に埋もれていたことはもどかしいが、近年になり、ホロコーストの犠牲者ばかりでなく、支援活動に奔走した正義の人々に光が当たったことが素晴らしい。 ルビもふられているので児童書として推薦できる。 読了日:09月23日 著者: 平井 美帆 ニホンオオカミは消えたか?の 感想本書に何度も登場する『オオカミ追跡十八年』(斐太猪之介1970)は、中学になった年になけなしの小遣いで初めて買った本。 あれから50年以上、ずっとニホンオオカミが気になっていた。毎年のように目撃証言があるなかで、権威的な絶滅宣言をひっくり返すのは、もはや生け捕りしかないだろうか。 秩父野犬と称された写真の主は素人目にもどこからみてもオオカミであるが、写真では決定打とはならず、絶滅宣言の権威は揺るがない。 外来種のタイリクオオカミを入れて生態系を守る議論よりも、在来種のニホンオオカミの存在を証明する方が先決であると思う。 二ホンカワウソにしかり、著者を始め絶滅動物の捜索に人生をかけた在野の人々の努力が報われる日が来ることを願いたい。 読了日:09月20日 著者: 宗像 充 時が止まった部屋:遺品整理人がミニチュアで伝える孤独死のはなしの 感想孤独死の現場をミニチュアで再現することに、どんな意味があるのか?最後まで読んで、その答えが見えてきた。 生々しい現場をあえて模型で表現し展示することで多くの人に見てもらうことが可能になり、今や社会問題となっている孤独死の現実を世に問うことが、著者のねらいである。 模型といえども作中に出てくる孤独死の現場を見ると、一人で死んでいくことの寂しさははかり知れない。 人間関係が希薄になっている世の中であるからこそ、著者の活動の意義を感じる。 反して、遺品整理の現場に群がる縁もゆかりもないハイエナどもには強い憤りを感じた。 読了日:09月16日 著者: 小島 美羽 昭和三十年代、露地裏パラダイスの 感想キレのある小気味よい文章に惹かれた。 想い出で綴る、男勝りの母親の気風の良さがまた良い。古き良き時代の江戸っ子の粋がある。 下町情緒が色濃く残る深川で生まれた著者は私より少し年長だが、同じ昭和30年代を経験した世代として、親近感を抱かずにはいられない。 記憶の奥底にあった懐かしの風景が次々によみがえってくるのだ。米屋の店先に並んだプラッシーを指を咥えて見ていたあの頃。同じ経験をした著者とはまさしくビンゴ。 貧しくても幸せだったセピア色の風景はどんなに思い出しても帰ってこないが、この作品に出会えてよかったと思う。 読了日:09月16日 著者: 長谷 美惠 「ゴミ屋敷奮闘記」の 感想夜逃げ同然で出て行った隣家が空き家になって早一年。庭先に散乱する放置されたゴミの山も草に埋もれている。 悪臭が鼻を突き、ネコが巣くう状況を自治会に訴え、市役所の職員までが調査に出動することになったが、持ち主と連絡がつかないということでそのままだ。 ゴミ屋敷は近隣住民にとっても迷惑この上ない存在である。本書を読むと、身勝手でだらしないゴミ屋敷住人たちの実態が見えてくる。 理由はそれぞれだが、金を払えば掃除をしてもらえるという根性が許せない。 取材目的のアルバイトとはいえ、ゴミの山で奮闘する著者の苦労が不憫に思えた。 読了日:09月15日 著者: 村田らむ 「ナパーム弾の少女」五〇年の物語の 感想戦争の悲惨さを切り撮った表紙の写真は、これまで幾度も目にしてきた。 ベトナム戦争を終結に導いたきっかけの一つになったともいわれており、重度の火傷を負った被写体の全裸の少女(キム・フック)とともに数奇な運命をたどっていく。 一枚の写真がもつ影響力に翻弄されながらもそれを武器にして、平和を訴える活動に身を投じたキム・フックはまさに“選ばれし人”である。 言論の自由が閉ざされた社会主義体制下のベトナム、キューバから決死の亡命を経て自由の身となっていく過程は、ミステリ小説ばりのドラマチックな展開。 驚かずにはいられない。 読了日:09月13日 著者: 藤 えりか アンネ・フランクはひとりじゃなかった――アムステルダムの小さな広場 1933-1945の 感想アムステルダムの一等地に建設されたメルウェーデ広場を中心とする集合住宅群には、ドイツを追われたユダヤ人の富裕層が移住しコミュニティを形成していたという。 本書はアンネ・フランクを始め、一部の恵まれたユダヤ人たちの安息の場として、それを象徴するメルウェーデ広場を取り巻く人間模様と迫害の実態を時系列に描いている。 やがて移送されていく収容所と、自由と幸福の象徴であった広場とのギャップが、登場する人々の波乱の人生と重ね合わせ、読み応えがある。 広場に住まうユダヤ人住人と広場とは縁がない困窮するユダヤ人難民やオランダ人社会とは、貧富の差から生じる妬みや確執もあった。 その差別意識から密告、迫害の波が加速していく過程は、緊迫した状況においてユダヤ民族の結束が必ずしも固くなかったことを物語っている。 ナチス占領下のオランダのユダヤ人が置かれた状況について注目されたのは『アンネの日記』の存在によることが大きが、フランク一家の隠れ家を密告した人物は以前謎のままだ。先に読んだ『アンネ・フランクの密告者』を始め、ここにきてアンネ・フランクを取り巻く一連の作品が次々に出版されているのはなぜだろうか? 証言者が没し風化の波には逆らえないが、真実の歴史を知るうえで大いに歓迎したい。 読了日:09月06日 著者: リアン・フェルフーフェン マイ遺品セレクションの 感想著者とは同い年で、昔からのファン。世にコレクターはたくさんいるが、誰も興味をもたないようなヘンなものを偏執狂的に集めまくるのは、もはや癖を超えて病気の範疇。 私はその感性こそが著者の魅力であり、世界観に共感している。 冒頭にも書いているが、著者が死んだらコレクションたちはどうなるのだろうか? これはコレクター共通の悩みだろう。 著者の場合は、本書も含めて多くの著作やイベントで紹介されているので、たとえコレクションが処分されても、記録として残っていく。 それもある意味“遺品整理”であり、生きた証だろうか。 読了日:09月05日 著者: みうら じゅん フォンターネ 山小屋の生活 (新潮クレスト・ブックス)の 感想包容力のある文体をじっくりと味わうために、一編一編を慈しむように読んだ。 山を描いた作品は、その背景によっては尖った岩峰のように荒々しくもなるし、心を癒しの世界に導いてくれる力にもなる。 著者の一年に亘る山小屋での生活は、時として自然の厳しさを体現し、逆にその大らかな懐がもつ力は壊れかけた心を修復していく。 孤独を求めながらも人恋しさをごまかせない、自分に素直になっていく山小屋での四季。 それを見事に描き切った著者の筆力に拍手を送りたい。 ちなみに原題の『フォンターネ』とはイタリヤ語で『源泉』『給水所』の意味。 読了日:09月02日 著者: パオロ・コニェッティ読書メーターメインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
内装工事に加速度がつき、長いようで短かった工事も、あと一週間ほどで完成です。 目地幅の狭さと貼り方を巡ってやり直しを要求した玄関ポーチのタイルについては、工務担当と当事者の職人さんと私の3人で現場で貼り方を再確認しました。 取説通りの目地幅5mm、貼り方向を縦横交互にランダムに貼ることで施工することになりました。 工務担当曰く、タマホームの工事をほぼ専属で請け負っている腕のいいベテランの左官屋さんだということでしたが、私としては普通に貼ってくれればよかったのに、なんで“バリェーション”にしたのか疑問です。 それをあえて職人さんに訊くことは止めて、ここはしっかりとやり直してもらえれば良しとしました。 いずれにしても、クレームをつけた私が“つけられた本人”と会うのはきまり悪かったですが、泣き寝入りはゴメンだったので、結果的には良かったと思います。 再施工はタイルが納品され次第開始です。 上棟38日目の土曜日、長男と現場を見学しました。 クロス貼りも終了し、玄関ホールとリビングのTVスペースにはエコカラットも貼られ、内装工事は残すところ電器工事とトイレ、洗面の設置のみとなりました。 長男夫婦が選んだ主寝室のオレンジ色と、キッチンの青緑色のオプションのアクセントクロスはかなりの冒険だったみたいですが、違和感はなく、おしゃれに見えます。 外壁もそうですが、奇抜な色を避け、無難な色でまとめた私の自宅は、思いっきり保守的に思えてきます。 これも柔軟な発想ができない、世代か若さの違いかもしれません。 それと、今回2ヶ所に設置したエコカラットは、部屋の吸湿性能を高める素材としてはうってつけですが、高コストなのが難点。 しかし、ビジュアルを考えるとアクセントクロスよりも遥かに高級感があります。 コストを気にして低価格のタイル素材を貼る方向で検討していた長男夫婦に、3ヶ所に設置している我が家の例を取り、強く勧めました。 そのおかげで、玄関ホールに貼ったエコカラットを、孫の誕生記念としてプレゼントすることになってしまいましたが(笑)。 この日は配管工事も始まっており、基礎の造成工事で出てきた石を、ついでに埋設してもらえるようにお願いしました。 いよいよゴールが見えてきました。 ※タマホームで建てた私の自宅については、当ブログ内カテゴリの【マイホーム建て替え作戦】をよかったらどうぞ! ※クロスとエコカラットを貼り終えたLDK  ※同上 キッチンスペース。下がり天井の木目調クロスも貼られました  ※リビングのTVスペースにエコカラットを全面施工  ※洗面脱衣室のクッションフロアも施工終了  ※2階トイレのクッションフロア  ※2階主寝室。オレンジ色のアクセントクロスが目に鮮やか  ※2階6帖子供部屋  ※クロス貼りの作業2日目の様子。  ※同上  ※バルコニー笠木の施工も終了  ※玄関ホール前の壁面にエコカラットを施工  ※エコキュートを設置する土間  ※排水管の穴埋め作業を開始  ※やり直しを要求した玄関ポーチ。タイルを剥がした状態。 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
6月に歩いた旧東海道の旅で立ち寄った店です。 JR東海道線に沿って続く旧東海道は、片浜から田子の浦までは一里塚や本陣跡の碑が忘れたころに出てくるだけで、面白味もない道をひたすら歩く。 その上、飲食店がまったくなく、正午の時報と同時にようやく見つけた見つけたのが一見して駄菓子屋のような店構えの『ゆきちゃん』。 客が誰もいない狭い店内に入ると、まさにそれで、雑然としたの中に昭和の懐かしさがにじみ出ているような雰囲気がありました。 空腹に任せて、富士の宮焼きそば+チャーハンのセットメニュー(900円)を。 私にとっては禁断の炭水化物ダブルです。 これからまだ15㎞は歩くので、糖分は消化してくれるだろう…と勝手な解釈をして、いかにも食欲をそそるボリュームたっぷりのメニューにがっつきました。 富士の宮焼きそばは静岡に出張くと、サラリーマン時代によく食べていた味。 ソースは少し薄味ですが、キャベツもたっぷりで美味いです。 焼きそば屋にチャーハンというのも変わった取り合わせですが、ご飯もほどよくバラけていて、どんどん胃に入っていきます。 空腹だったのか、これだけの量をハイペースで完食。 お腹を抱えて、しばし店主とやりとり。 店主の話では、この先も数㎞先にラーメン屋が一軒あるだけという。 更にこの店には砂漠のオアシスのごとく、多くの旧東海道歩きの同志が立ち寄るということでした。 三島からだと1時半頃に来店する人が多いそうですが、「お客さんは足が速いね」と言われました。     ※『焼きそばゆきちゃん』静岡県沼津市桃里302 月休 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
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