四国遍路から帰ってあっという間に3日が過ぎました。 その間に、体調が急に悪くなった老父を病院に連れて行ったり、 自分自身の定期診察(内科クリニック、歯科)と、あわただしく動いていました。 2週間、あれだけ歩いたのに、血糖値とHa1cの数値は変わらず。 これはちょっと残念でした。 うどんやラーメン、パン、おにぎりといった炭水化物中心の食事を続けていたからでしょうか。 毎日がコンビニ中心の味気ない食事になっていたので、食生活は次の旅の反省材料です。 さて、区切り打ちで歩いているお遍路ですが、結願に向けて少しづつ準備をしています。 衣類や小物類を補充し、ザックや雨具の手入れをしたり、ルートを検討したり。 そして、過去2回、あれだけ苦労した宿の手配を。 これまでは宿が確保できずに中途半端に野宿をするパターンになっていましたが、次回は野宿は止めて宿に泊まるべく、すべての予約を完了しました。 特に、周辺に宿がほとんどなく、絶えず満室状態で争奪戦になっている、66番雲辺寺と88番大窪寺の宿を確保できたのは良かったです。 さて、最終コーナーに入った内子からのお遍路の続きは、5月中旬を予定しています。 その間に、会社のOB会の幹事打ち合わせや、墓参り、カミさんの実家へ帰省、病院の術後定期検査など用事を済ませておきます。 そして、5月末には88番で結願し、1番霊山寺へのお礼参り、最後の札所である高野山奥の院で満願を迎えたいと思います。 体調を整えて、最後のチャレンジ頑張ります。  ※本文とは関係ありません メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
スポンサーサイト
昨日とガラリと変わった、肌寒い気温のなか7時前に出発。 予報では、最高気温は18度ということだ。 今日は最終日なので、のんびり行こうと思うが、気づくといつもの速足ペースになっていた。 国道56号線に沿って進みながらも、遍路道は旧道に逸れたりするので、目印を拾い忠実に歩く。 遍路小屋から国道を離れ、鳥坂峠に向かう遍路道に入った。 小屋に置かれた「へんろノート」を見ると、国道を選ぶ人と遍路道を行く人は半々のようだ。 遍路道は伐採された杉林に続いており、鳥坂峠も展望がなく、あまり面白味はない。 延命地蔵を過ぎると、ダラダラとした下りになり、顔にまとわりつくクモの巣を金剛杖で払いながら進んだ。 林道に出ると、大量に材木を積んだトラックが停まっていた。 この地方の特産品の椎茸の原木を下ろしているところだった。 廃寺となった札掛大師堂を過ぎると、遍路道は国道と合流し、交通量が半端ではない歩道もあやふやな国道を、疾走するトラックの風圧におののきながら歩くことになった。 大洲の町に入ると、さすがに町並み保存地区。 白壁の土蔵や古い商店が軒を並べる通りは、絵になる空間だった。 また、大洲大橋を挟んで手前側の本町は昭和レトロの商店街がそのまま残っており、橋を渡った対岸の新町よりも、はるかに歩いていて楽しい通りだった。 大洲の中心部を離れ、再び国道56号線を歩くが、コンビニやドラッグストア、マクドナルドや飲食店、ホテルもあって、実に賑やかだった。 13時、十夜ヶ橋の大師堂を参拝し、お大師様が野宿をしたという伝説の橋の下へ。 横になって眠る、お大師様の像が奉られている、遍路の名所である。 そこには野宿をしながら逆打ちをしているという若者(と言っても、30代か)がいた。 しばらく座り込んで話す。 彼はなかなかユニークで、40年以上前に流行ったフレームザックを背負って、寝袋とマットをフレームにくくりつけて歩くスタイル。 帽子はベレー帽。 パイプを咥えた格好は、なかなか様になっていた。 足が痛いので、今夜はここに泊まろうと思案中…とのことだった。 彼と別れた後、再び国道を歩くと、前方にコンビニの袋をいくつもぶら下げたでかいザックを背負っている人に遭遇。 追い抜きがてら話をすると、野宿でお遍路をしているという。 年の頃は私と同じ60代か。 職業遍路の匂いがしたので、それ以上の話を避け、さらりと別れた。 新谷の集落に続く遍路道に入った。 新谷は松本零士が小学生時代に疎開した町として、最近になって脚光を浴びている。 メイン通りには「メーテル通り」のポスターがいくつも下がっていた。 新谷からしばらく国道を歩き、内子駅に出る遍路道に入り、小さな峠を越えたところが、内子の町だった。 ノーベル賞作家の大江健三郎の故郷としても有名な町でもある。 明日の切符を買うためにJR内子駅に立ち寄ると、窓口が営業時間外ということで閉まっていた。 特急電車が止まるというのに、これでは無人駅と同じである。 切符は明日の出発前に買うことにし、スーパーで晩ごはんを買い出して、予約していたホテルに入った。 気温が上がらず、肌寒い一日だったが、無事に13日間のお遍路の旅を終えることができたことに、まずは感謝。 振り返ってみると、お接待していただいた人を含め、一緒に歩いたお遍路さん、道を教えてくれた人々、宿のご主人など、様々な人との交流があった。 その出会いが一期一会だからこそ、私のなかでいつまでも忘れることがない記憶として、かけがいのない残像になると、きっと、思う。 ◼️2023年4月24日 宇和~大洲~内子 ◼️45730歩 29.72㎞ ◼️曇り ◼️ホテルAZ内子  ※一転して肌寒い朝から最終日の遍路が始まった  ※宇和町瀬戸集落あたりの遍路道の町並み  ※遍路道の道標  ※金比羅講を記念して建てられた灯籠  ※国道56号線から逸れて、鳥坂峠に向かう遍路道に入る  ※鳥坂峠に向かう遍路道  ※伐採されたされた荒れた遍路道を歩く  ※鳥坂峠。小学生が作ったベンチがあった  ※鳥坂峠の延命地蔵尊  ※鳥坂峠からの下り  ※同上  ※同上  ※同上  ※林道には椎茸の原木が積み上げられていた  ※林道となった遍路をどんどん下っていく  ※大洲亀岡公園の藤  ※大洲の町並みで。インパクトのある神社があった  ※大洲本町の町並み  ※同上  ※大洲城が見えた  ※大洲新町の町並み  ※同上  ※十夜ヶ橋大師堂  ※同、橋の下  ※大洲市新谷の町並み  ※同上  ※同、魚屋の店先では、鯖を焼いていた  ※新谷は松本零士ゆかりの町  ※内子に向かう遍路道は草に埋もれていた  ※内子に向かう遍路道  ※内子駅にゴール。13日間のお遍路が終わった メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
ありがたいことに、ずっと晴天が続いている。 放射冷却でひんやりとした空気のなかを出発。 静まり返った宇和島駅前のアーケード街を通り抜け、JR予土線に沿って続く遍路道に入った。 県道57号線に入ったところで、前方から走ってきたバイクが私の横に止まった。 「お遍路さん、お接待」 そう言いながらバイクから降りたのは、けっこうなお年のオバサン。 肩にかけた袋から紙パックのりんごジュースを出し、更にウエストポーチから黒飴をわしづかみに出して、差し出された。 オバサンは73才で、歩いてお遍路をしたいけど、もう年だから無理と笑った。 納め札を渡すと、これで10枚貯まったと喜びながら、「私の分まで歩いてね」と言って、去っていった。 それからしばらく歩くと、通りかった自販機の前で軽自動車が止まった。 運転席から降りてきたご老人の男性が、 「お接待するよ、どれでも好きなのを選んで」 と言いながら、やおら自販機に小銭を入れた。 二度目なので今度は落ち着いて、「南無大師遍照金剛」と、合掌しながら納め札を渡して、ペットボトルのお茶をご馳走になった。 朝から矢継ぎ早のお接待に驚いたが、これも一期一会。 ありがたく受けさせてもらった。 重たくなったザックを担ぎ、JR務田駅を横目に田園風景が広がった遍路道を歩き、41番龍光寺に着いた。 昨日に続いて、またも団体遍路に遭遇。 本堂と大師堂では読経の大合唱となり、それが終わるのを見計らって、ゆっくりと参拝した。 それにしても、昨日も含めて歩き遍路に出会っていない。 バスやクルマで来て参拝する人たちばかりだ。 42番仏木寺でも同様だった。 高知ではあれほど見かけたお遍路は、バラけてしまったのだろうか。 きっと一定の間隔を保って歩いているのだろう。 仏木寺からは歯長峠を越える遍路道に入った。 途中に出てきた休憩所を過ぎてからは、ロープやチェーンが張られた急登となり、息を切らして一気に登った。 歯長峠に出る直前で、苦しそうに登る歩き遍路を追い越す。 峠に到着したその人は、齢80才超えのご老人。 4月1日から歩き始め、今日で23日目という。 毎日30㎞以上歩くというパワーと、恐るべき速さにびっくり。 いやはや、頭が下がった。 峠から遍路道を下ると、足下に蛇が。 70~80センチあるけっこうな大物。 冬眠からそろそろ目覚めてきたのか、シマヘビだった。 マムシでなくて良かったと胸を撫で下ろした。 遍路道を一気にくだり、道引大師から県道29号線に沿って進み、14時近くになってようやく昼食。 「大介うどん」という店で、讃岐うどんを食べた。 そこから43番明石寺まではすぐだった。 草鞋が奉納された山門をくぐり、境内へ。 今回の旅、最後を飾る般若心経を丁寧にあげた。 明石寺からは遍路道を歩き、町並み保存地区の卯之町を見学しながらのんびりと歩いた。 最終日の明日は、30㎞先の内子まで歩く。 二週間前に高知を出たのが、遠い昔のようだ。 長いような短いような、中途半端な遍路の旅が終わる。 ◼️2023年4月23日 宇和島~41番龍光寺~43番石寺~宇和 ◼️43365歩 28.18㎞ ◼️晴れ ◼️宇和パークホテル  ※宇和島駅前のアーケードを歩く  ※南国の風景の宇和島駅前  ※りんごジュースをお接待された  ※県道57号線をJR予土線に沿って歩く  ※予土線の一輛電車  ※本日二度目のお接待をいただく  ※広大な田園を突っ切り、龍光寺に向かう  ※龍光本堂  ※42番仏木寺に向かう  ※同上  ※42番仏木寺山門  ※同、仁王像  ※同、境内  ※仏木寺から歯長峠に向かう遍路道に入る  ※歯長峠への遍路道  ※同上。道が崩れて梯子がかかっていた  ※歯長峠への遍路  ※同上。チェーンやロープが張られた急登となった  ※歯長峠からの遠望  ※歯長峠から下ると県道29号線に出た  ※道引大師  ※遅い昼食を取った  ※43番明石寺に向かう  ※43番明石寺山門  ※同、大わらじが奉納されていた  ※同、本堂  ※明石寺からは遍路道を下り、卯之町に向かった  ※町並み保存地区になっている卯之町を歩く  ※同上  ※同上  ※同上  ※シューズの底はツルツル。日本縦断、東海道と歩いたシューズ。よく頑張ってくれた。この旅で成仏させたい メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
親切で気さくな女将さんに見送られて、海辺りの民宿を後にした。 今日の行程は20㎞弱なので、NHKの朝ドラを見て、ゆっくりと準備し、出発。 交通量が多い国道56号線をしばらく歩き、柏坂を起点とする灘道と交わる大門のバス停前から遍路道に入った。 遍路道は芳原川を挟んで国道と並走するが、古い民家が軒を連ねる生活道でもあるので、歩いていても楽しい。 多くの人に声をかけられたし、私が好きなホーロー看板を見つけたりもした。 町並み保存地区の岩松に入ると、遍路道は古い民家や商家、酒蔵や醤油醸造元が並ぶメインストリートに入っていく。 時間がたっぷりあるので、じっくりと歩いた。 古い商店を眺めていると、背後から呼び止められた。 声のあるじは、横浜出身で、今は生家があるこの町に住んでいるという初老の女性。 ほとんどのお遍路さんは、国道を歩いて行くので、本来の遍路道であるここは通らないという。 更に、今日は宇和島まで行くという私に、道の駅きさいや広場で、ぜひ鯛めしを食べて欲しいと勧められた。 話が長くなりそうなので、適当に相づちを打ち、町を離れた。 国道56号線に合流し、しばらく歩いて松尾トンネルの手前から左に上がる遍路道に入った。 国道を行けばわずか30分の道を1時間30分かけ、松尾峠を越えて3.7㎞の山道を登る。 遍路道は鬱蒼とした森をジグザグに登っていく。 「わん屋」と名付けられた遍路小屋や石垣が積まれた切り通し(隧道)もあって、なかなか楽しい。 かつて、宇和島から高知を結ぶ街道として利用された道だけに、歴史を感じる道である。 遍路道は採石場を横切り、庚申堂で終わるが、遠回りになっても、この道を歩いたことは良かったと思う。 午後を回ると、気温はぐんぐん上がり、暑さとの闘いとなった。 白衣も脱ぎたくなるが、我慢して歩く。 スーパーで買い出しをして、15時に宇和島城が手に届くところに見えるホテルに投宿。 部屋に荷物を置いてから宇和島城に登ってみた。 天守からは町が一望でき、目にまぶしいくらいだった。 時間切れで、久万高原町まで足を伸ばすことができないことが分かり、今回の旅は内子でゴールすることにした。 歩けるのもあと2日。 しみじみと、残り少ない旅を味わいたい。 ◼️2023年4月22日 津島~宇和島 ◼️36842歩 23.94㎞ ◼️晴れ ◼️宇和島リージェントホテル  ※民宿を後に、国道56号線に入った  ※嵐坂隧道は、左手の歩行者専用トンネル(風の通り道トンネル)を行く  ※トンネル内部。390メートルを歩く  ※国道沿いにはテントが張れそうな休憩所があった。  ※国道を逸れて遍路道に入った  ※ホーロー看板があった  ※遍路道からの田園風景  ※岩松の町並み  ※同上  ※同上  ※同上  ※国道の松尾トンネル左手から遍路道に入る  ※案内板もあった  ※松尾峠に登る遍路道の入口  ※登り始めてすぐにお遍路休憩所があった  ※松尾峠を目指して遍路道を歩く  ※同上  ※同上  ※同上  ※同上。古い石垣があった  ※松尾峠の遍路小屋  ※同上  ※遍路道は採石場の中を通っていく  ※遍路道は更に続く  ※同上  ※庚申堂に出て、松尾峠越えの遍路道が終わった  ※宇和島の町が近づき、山が黄色く染まっていた  ※宇和島城を見学  ※同上  ※同上。天守からの眺め メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
愛南町のビジネスホテルを6時30分に出発。 今日は海岸線に沿って28㎞を歩くコースなので、宿のチェックインまで時間調整をしながらのんびりと行くことにする。 国道56号線から40番観自在寺がある旧城辺の町に入る。 町並みは、昭和時代にタイムスリップしたようなレトロな雰囲気。 10年前に訪ねた頃と、あまり変わっていないことに驚く。 そのまま映画のロケができそうな風景を味わいながら観自在寺へ。 マイクロバスのタクシーが3台、歩く私を掠めるように寺に続く参道に入って来て、駐車場に滑り込むと、あれよあれよと10数人の団体遍路を吐き出した。 まだ8時前なので、静かな参拝ができるかと思ったが、さにあらず。 境内では鐘が何度も突かれ、本堂の前は大音量の読経となった。 しばらくそれを眺めて、団体遍路が大師堂に移動したのを見計らって、ゆっくりと本堂、続けて大師堂を参拝した。 急いでいるのか、団体遍路は嵐のように去っていった。 彼らは一日にいくつの寺を回るのだろうか。 時間に追われて、まるで流れ作業のように回っているのだろうか。 寺の境内をゆっくり散策する余裕がないのは、なんとも勿体なく思う。 先月、徳島の寺で会った外人遍路が、日本人は寺でゆっくりすることもなく、参拝したらすぐに次の寺に向かう…と言っていた。 まったく同感。 そして、私にとっても耳が痛い。 昨日会ったカナダ人の青年が、境内の池の鯉や手入れされた庭木や花を、じっくりと眺めていたのが印象的だった。 せっかくの歩き遍路だ。 これから先は、歩く過程を楽しむ以上に、霊場の雰囲気もじっくりと味わおうと思う。 観自在寺を出てからは、交通量が多い国道56号線を歩くだけの行程となった。 愛南町の菊川に入ると、みかん畑が斜面に広がり、無人販売所には、今が旬の「河内晩柑」が並んでいた。 2個100円の一袋を購入。 高知では「文旦」が一袋5~6個入っていたので、重いのを敬遠して手が出せなかったが、2個ならちょうど良い。 海を眺めながら食べたが、グレープフルーツのような苦味もなく、甘味と酸味が絶妙で、美味かった。 もう一個は、明日の行動食に取って置こう。 遍路道は、柏集落を起点に、柳水大師から清水大師を辿る山コースと、そのまま国道56号線を行く海岸コースに別れる。 山コースが本来の遍路道なので、食指が動いたが、予約した民宿が海岸線を行く国道沿いにあるため、山コースを見送ることにした。 あえて山コースを歩き、民宿に行くことも考えたが、往復8㎞のアルバイトになるため、まぁ、仕方がない。 頭上を照りつける日射しに辟易しながら、海岸コースを歩く。 入浴施設もある快適そうな須ノ川キャンプ場を過ぎ、針木の集落を回り込むと、予約した民宿に着いた。 女将さん曰く、この宿はお遍路さんが多く泊まるそうだ。 今日、買い出しに城辺まで行ったところ、私を含めて、3人の歩き遍路を見たという。(私もしっかり目撃されていた・笑) 私は、本日も一人の歩き遍路にも出会わなかった。 愛媛に入ってから2日。 高知であれほど見かけたお遍路は、どこにいってしまったんだろう。 ともあれ、明日も歩くのみ。 ◼️2023年4月21日 愛南~40番観自在寺~津島 ◼️40359歩 26.23㎞ ◼️曇りのち晴 ◼️民宿西遊漁センター  ※国道56号線に向かう  ※こんな鯉のぼりがあった  ※旧城辺町で。これは酒蔵でしょうか  ※旧城辺の町並み。昭和時代を彷彿とさせる  ※同上  ※同上  ※40番観自在寺の参道  ※同、山門  ※同、本堂  ※同、境内  ※国道56号線を行く  ※時折出てくる目印  ※河内晩柑の無人販売所で一袋購入(100円)  ※国道56号線は海岸線に沿って伸びている  ※国道56号線からの風景  ※今日のランチ  ※河内晩柑。甘くて美味かった   ※歩行者専用トンネルがある内海ふれあいトンネル  ※同、915メートルのトンネルを歩く  ※延々と海の風景が続く  ※こんなポスターがあった  ※針木の漁村風景  ※同上  ※民宿に到着  ※民宿の夕食。ガッツリ食べた メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
ダムサイトの芝生に張ったテントが、強風に煽られ、ひしゃげそうになった。 午後8時、寝入りばなの出来事だ。 軽量化を図ったことで、ペグを持ってこず、テントの四隅を固定していなかったことが原因。 慌てて、トイレの壁面に移動。 フライシートを張り綱で固定し、ようやく安心して眠ることができた。 誰もいないダムサイトの公園は、真っ暗で薄気味悪かったが、眠ってしまえば、そんなことはどうでもよくなった。 午前6時にテントを撤収し、深い霧のなかを出発。 県道21号線に出たところで、ザックに赤色点滅ライトを付けて歩く。 平田の町が近づくと、ようやく霧が晴れたが、今度は小雨が降りだしたので、ザックカバーを着ける。 なんとも忙しい。 平田駅前のローソンに立ち寄り、テントとシュラフ、シュラフカバーを自宅に送り返すことにした。 これで2kg程度軽くなる。 本日から宿が確保できる目処がつき、野宿の必要がなくなったからだ。 積極的に野宿をしているわけではないが、わずか3泊でも野宿を楽しませてくれたことに感謝し、テントやシュラフを段ボールに梱包した。 平田から39番延光寺までは近く、8時到着。 境内にはバスで回っている遍路の団体が、大声で読経をしていた。 彼らがいなくなると境内は静けさに包まれ、カナダから来たという青年と二人となった。 本堂と大師堂を参拝し、新緑に溢れた境内をのんびりと見学して寺を出た。 延光寺からは遍路道を歩く。 クモの巣がまとわりついて鬱陶しいが、新緑の森や竹林を歩く贅沢は最高である。 私はできるだけ遍路道を選んで歩いているが、遍路道を避けて、国道や県道を行く人が多いようだ。 遍路道を歩けるのは歩き遍路ならではの特権で、いにしえの道を味わって歩くことに、お遍路の素晴らしいさと真髄があるように思える。 人の姿を見ることもない宿毛市の市街地を抜け、松尾峠へ登る遍路道に入る。 今回の旅のハイライトとでも言おうか。 足摺岬の古道と松尾峠の遍路道は、四国遍路を始める前から歩きたかった道である。 峠の入口には道路工事の若い誘導員が立っており、彼に訊くと、峠に上がるお遍路は朝から私で3人目ということだった。 松尾峠に向かう遍路道は、隠れ里のような集落が現れたり、ブンタン畑や広葉樹の新緑に包まれるように徐々に高度を上げた。 小学生が描いた「おへんろさん、あきらめずにがんばって」のポスターに励まされて登る。 最後の急登を汗まみれになって登り切ると、突然視界が広がり、松尾峠に着いた。 宿毛の町並みと海の絶景を目の当たりにすると、ここを登って本当に良かったと改めて感じた。 1時間ほど誰もいない峠で過ごし、のんびりと下る。 長く、苦しかった高知県がようやく終わった。 14時30分、予約したビジネスホテルに到着。 昨日まであれほどいたお遍路さんはどこにいったのだろうか。 延光寺で会ったカナダ人青年以外には、誰とも会わなかった一日となった。 まるで、お遍路の楽しさを一人占めしたような日であった。 ◼️2023年4月20日 平田~39番延光寺~愛南 ◼️37220歩 24.19㎞ ◼️曇り時々晴 ◼️ホテルセレクトイン愛南  ※強風に煽られ、テントの場所を移動した  ※ダムサイトを出て平田に向かう  ※同上  ※平田から遍路道を拾って、延光寺に向かう  ※39番延光寺山門  ※延光寺の本堂と大師堂  ※延光寺境内  ※同上  ※延光寺から遍路道に入る  ※同上  ※宿毛市に入って、名物のじゃこ天を立ち食い  ※松田川を渡り、宿毛市市街地に向かう  ※閑散とした宿毛市本町商店街  ※松尾峠に向かう道  ※松尾峠の遍路道に入ると、文旦畑にイノシシよけのトラがいた  ※松尾峠に向かう遍路道に、突然に現れた隠れ里  ※松尾峠の遍路道は山道となった。タケノコが出ていた  ※松尾峠への遍路道。新緑がまぶしい  ※同上  ※すっかりすり減った靴底  ※小学生のポスターに励まされ、松尾峠を登った  ※同上  ※松尾峠に到着  ※峠からの展望が素晴らしい  ※松尾峠から愛媛県側の一本松に下る  ※同上  ※同上  ※愛南町の松尾大師 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
土佐清水市で泊まった青瀧旅館は古くて、キレイとはいえないが、豪勢な食事に大満足。 朝晩合わせて6杯のごはんを食べた。 お遍路をしていると腹が減るが、64才にもなって、これ程食欲旺盛になるとは思わなかった。 土佐清水市から39番延光寺へのルートはいくつかあるが、真念庵を経由し三原村を抜ける一番オーソドックスなルートにした。 真念庵までは一昨日通った同じ道なので面白味はないが、距離を稼ぐには妥協するしかない。 土佐清水市から25㎞先の三原村には数軒の農家民宿があるが、いずれも満室で断られてしまった。 収容人数が少ないのが理由だが、お遍路が多い時期なので仕方がない。 この旅3回目の野宿をすることになったので、昨日、足摺岬のお遍路休憩所で教えてもらった平田町の中筋川ダムサイト広場を目標に歩くことにした。 宿を出てから休みなしで下ノ加のローソンまで一気に歩く。 一昨日もここで食料を調達したが、今日も同じパターンである。 ここから25㎞を担いで行くことになった。 店の前で外人のお遍路さんと会話。 カリフォルニアから来た57才のFさんは、初めての来日だ。 しかも、まったく日本語が話せないのに一人で通し打ちをしているという。 チャレンジャーである。 逆の立場だったら自分にはとてもできない。 私の年齢が64才と聞いて「グレート」と、驚いていた。 更に、彼も青瀧旅館に泊まっていたことが分かり、いっそう親近感が沸いた。 それから彼と一緒に歩くことにし、カタコトの英語と翻訳アプリを使ったりして、会話を楽しみながら三原村まで歩いた。 途中、お遍路道に入ろうとする私を制止し、県道を行きたいという。 勿体ないなぁ…と思いながらも、付き合ってやることにした。 農家民宿に泊まる彼と別れ、本日のねぐらである中筋川ダムに向かう。 トンネルを越え、ダム湖に掛かる橋から坂道を登ったところに公園があった。 トイレや水もあるので、快適な夜が過ごせそうだ。 連日の30㎞超えに疲れも溜まってきたが、明日も頑張って歩くのみ。 ◼️2023年4月19日 土佐清水市~三原村~宿毛市平田 ◼️49376歩 32.45㎞ ◼️曇り ◼️中筋川ダムサイト広場で野宿  ※土佐清水市を出て、国道321号線を歩く  ※一昨日も通った以布利の津波タワー  ※大岐の浜の風景を今度は右手に見て歩く  ※三原村への分岐。ようやくここまで戻ってきた  ※県道46号線を三原村へ向かう  ※無人販売所が高知には多い。ぼんたんのバラ売りがないのが残念  ※城跡が残る狼内の集落  ※お遍路休憩所があった  ※右の遍路道を辿ると、39番延光寺に行く道となる  ※のどかな水田の風景を見ながら歩く  ※同上  ※三原村の梅ノ木公園。ここも快適なビバークサイトのよう  ※中筋川ダムが見えてきた  ※今夜のねぐら。芝生でテントを張った メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
「じんべい広場」での野宿は、私一人の貸し切りとなった。 群馬のAさんは現れなかった。 広場の前には漁港の水揚げ場があり、漁師たちが夜遅くまで働いているのが見えた。 夜中に小用で起きると、こぼれるような満天の星空だった。 野宿ならではの贅沢なひととき。 漁港の朝は早い。 4時頃から漁師たちが働く声が聞こえた。 前日に担いできたコンビニのおにぎりとパンを食べて、6時30分に出発。 県道27号線の窪津の分岐から遍路道に入る。 遠回りは承知の上だが、古道を歩くことの素晴らしさは何事にも代えがたい。 窪津集落まで続く2.3㎞の遍路道は、鬱蒼とした森や竹林を縫っていく。 イノシシのヌタ場や土を掘り返した跡がそこらじゅうにあるのはマイナスだが、それを差し引いても、素晴らしい。 かつては難所といわれた、足摺の遍路の真髄を見たような気がする。 8時30分に、38番金剛福寺到着。 目の前は足摺岬。 ようやくここまで来た。 納経を済ますと、境内でAさんとばったり。 昨日は以布利まで来れずに、民宿に泊まったそうだ。 民宿から金剛福寺までは空身で往復するというので、彼とはまたの再会を誓って、ここで別れる。 足摺岬からは西回りルートを取り、土佐清水市に向かう。 思った通り、素晴らしい景観が連続するルートだった。 途中の松尾集落で、「雪壽庵」というお遍路休憩所に立ち寄る。 ご主人の有田さんからコーヒーや菓子の接待を受け、この先の野宿スポットやルートの情報を教えてもらった。 善意でやられていることを思うと、頭が下がる。 松尾から中浜へのルートは遠回りになるが、足摺岬が見える絶景スポットの鵜ノ岬を経由した。 また、中浜集落ではジョン万次郎の生家(復元)を見学し、土佐清水市に向かった。 ジョン万次郎の生涯をNHKの大河ドラマにという運動が盛り上がっているようで、至るところにポスターやのぼりがあった。 山本一力の小説『ジョン万』のシリーズを読んできたので、これは全く同感。 ぜひドラマ化して欲しいと思う。 15時30分、青瀧旅館到着。 二日ぶりの入浴と、この旅初めての洗濯ができる。 ◼️2023年4月18日 以布利~足摺岬~土佐清水市 ◼️49376歩 32.09㎞ ◼️晴れ ◼️青瀧旅館  ※早朝の以布利漁港を後にした  ※県道を離れ、遍路道に入る  ※遍路道は竹林となった  ※でかいタケノコが転がっていた  ※素晴らしいデザインの標識があった  ※イノシシのヌタ場が遍路道の上に至るところにあった  ※遍路道から窪津港に出た  ※窪津の県道から見た風景。歩いてきた道のりが見えた  ※足摺岬に向かう  ※善根宿があったが、休業中のようだった  ※38番金剛福寺山門  ※同、仁王像  ※同、本堂と境内の風景  ※足摺岬灯台  ※足摺岬の洞門  ※足摺岬からは西回りルートを歩く  ※民家では、強い風を利用して野菜を干していた  ※お遍路休憩所でお接待を受けた  ※樹木のトンネルを歩く  ※鵜ノ岬から見る、足摺岬の絶景  ※同、こちらは土佐清水方面の海岸線  ※土佐清水市に向かう  ※お接待でいただいたビスコ。懐かしい  ※ジョン万次郎のふるさと、中浜に立ち寄った  ※ジョン万次郎生家  ※同上  ※ジョン万次郎の大河ドラマ化運動  ※対岸に土佐清水の町が見えた  ※土佐清水市内を歩く  ※宿の豪華な夕食に舌鼓を打った メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
夜半に雨が降ったが、快適な野宿となった。 軽量化を図るため、テントのフライシートやシュラフカバーを持って行くかで悩みに悩んだが、どちらも持参して正解だった。 6時30分に出発。 松林が続く気持ちの良い道を抜け、足摺岬方面に向かう県道に出た。 東屋にお遍路さんの姿を見つけたので、休憩がてら立ち寄る。 群馬県から来たAさんは、私と同じ匂いがした。 訊けば、年齢も同じ、山をやっていることも同じ、そして彼もテント持参の野宿遍路だった。 共通点が多かったこともあり、意気投合。 しばらく一緒に歩くことにし、今夜の野宿場所の情報も交換した。 四万十川を渡ると、はるばるここまで来たことに、ちょっとばかしの心の躍動を覚えた。 荷物が多いAさんと離れ、国道から逸れて、伊豆田峠を越え真念庵に至る旧遍路道を登る。 伊豆田トンネルを越える国道を行けば、市ノ瀬までわずか1.6㎞だが、峠道は急登と悪路もあって、1時間以上かかってしまった。 しかもこの道を通る物好きな人は少ないのか、クモの巣がまとわりつき、息を切らせて歩いた。 国道321号線に合流し、今は閉店しているドライブイン水車に出ると、2時間前に追い越した外人女性の姿があった。 国道をそのまま歩いて来たという。カタコトの日本語と英語を交えて話をしたが、2ヶ月かけて通し打ちをするということだった。 なにかの環境家なのか、空のペットボトルを5~6本ザックにぶら下げており、おせっかいと思いながら「自販機の空き缶入れに、捨てれば」と言うと、「宿まで持っていき、捨てます」という返事。 いやはや、いろんな人がいる。 下ノ加の集落にあるコンビニで今夜の食料を調達し、重くなったザックを担いで、11㎞先の以布利港に向かう。 頭上の太陽が容赦なく照りつける。 汗を流しながら国道を歩いていくと、4日前にゲストハウスで同宿したFさんと遭遇。 今日、足摺岬の38番金剛福寺を打ち、下ノ加にある民宿に向かっているということだった。 それにしても恐るべき速さ。 私とはすでに2日の差がついている。 訊けば毎日40㎞近く歩いており、遍路道は歩かず、国道を歩いているそうだ。 「自分が歩く道が、遍路道だ」とも。 人それぞれのお遍路に納得。 15時30分、以布利港の「じんべい広場」に到着。 近くにいた若い漁師の兄ちゃんに断りを入れて、テントを張る。 ここは野宿遍路の人気スポットである。 先客の姿はないので、今夜は貸しきりか。 四万十川で別れた Aさんはやってくるのか。 そんなことを思いながら、連日の野宿を楽しむことにした。 ◼️2023年4月17日 黒潮町入野松原~土佐清水市以布利 ◼️51026歩 33.16㎞ ◼️晴れ ◼️以布利港「じんべい広場」で野宿  ※気持ちの良い松林が続く入野松原を歩く  ※国道に出ると、雄大な風景が広がった  ※水田に水が張られ、田植えも終わったようだ  ※四万十大橋を渡る。先を行くAさん  ※四万十川の風景  ※同上  ※国道321号線を歩くお遍路さん  ※伊豆田峠に向かう旧遍路道に入った  ※急登の樹林帯を歩く  ※遍路道の草刈りのお接待のお願いがあった  ※39番札所に向かう三原方面への分岐  ※真夏のような暑さになった  ※ホーロー看板を見つけた  ※眼下に大岐海岸が見えた  ※同上  ※以布利港のじんべい広場でテントを張った メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
須崎から昨日ゴールした窪川まで、電車で移動する。 8時に窪川駅着。 願ってもない晴天となった。 今日は30㎞を越える行程となるので、出発が遅くなった分、足早に歩くことにする。 国道56号線を歩き、峰ノ上のバス停を過ぎ、お大師像があるところから市野瀬遍路道に入った。 鬱蒼とした樹林帯を歩くのは久しぶりで、気持ちが良い。 再び国道に出ると、暑さとの闘いになった。 小さな集落を通ったところで、「休んでいって」とのお接待。 人が良さそうなご老人から、コーヒーや菓子のお接待を受けた。 「カッブ麺もあるよ」との申し出は、丁重にお断りをしたが、嬉しい一時だった。 伊予喜の集落から国道を離れ、遍路道に入ったが、これがなかなか素晴らしい。 途中には熊井隧道という明治時代に造られたレンガ造りのトンネルもあった。 トンネルを出ると、外人のお遍路さんと遭遇。 香港から来た女性だが、今日で30日目という。頭も丸め、眉毛まで剃っているのにはびっくり。 巡礼にかける思いは人それぞれ。 頑張って歩いて欲しい。 土佐佐賀駅を過ぎると、太平洋を左手に見ながらの景観となった。 逆打ちのお遍路さんにも会ったり、数人のお遍路さんを追い越したりして、黙々と歩く。 15時30分。本日泊まる予定の入野松原キャンプ場がある道の駅ビオスおおがたに到着。 受付を済ませ、キャンプ代金520円を払って700メートル先のキャンプ場へ。 受付では、今日の泊まり客は私一人だと言っていたが、なぜか3張りのテントがあった。 所定の場所にテントを張り終えたとき、突然の大粒の雨。 間一髪で濡れずに済んだ。 それにしてもこのキャンプ場、津波が来たら一発アウト。 くわばら、くわばら。 天気はまだまだ不安定なようだ。 明日も晴れて欲しい。 ◼️2023年4月16日 四万十町窪川~黒潮町入野松原 ◼️48151歩 31.29㎞ ◼️晴れ ◼️入野松原キャンプ場で幕営  ※須崎駅7時15分発の電車で、昨日ゴールした窪川に向かう  ※国道56号線を歩き、お大師像がある場所から遍路道に入った  ※遍路道沿いの風景  ※遍路道は気持ちの良い樹林帯を歩く  ※土佐温泉前の遍路小屋  ※暑さの中、黙々と国道を歩いた  ※熊井隧道  ※テントが張れそうな素晴らしい公園があった  ※太平洋の景色を楽しみながら歩く  ※同上  ※道の駅ビオスおおがた  ※海岸の松林のキャンプ場で幕営 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
7時15分の始発で、須崎駅から昨日ゴールした土佐久礼駅に移動。 久礼の町で宿が確保できなかったので、面倒だが、苦肉の策で電車を使って行ったり来たりすることになった。 電車の中で、須崎駅の待合室に折り畳み傘を忘れたことに気づいた。 慌てて車内から電話し、駅で預かってもらうことにした。 それにしても相変わらずヘマをやっている。 傘なしでは道中きついが、仕方がない。 土佐久礼駅に着くと、冷たい雨が強くなっていた。 天を見上げるとめげそうになるので、雨具のフードをかぶり、うつむいて歩き出す。 久礼から七子峠までのルートは3つある。 天気がよければ樹林帯を縫うように登る大坂遍路道を行く予定だったが、この雨では迷わず国道56号線を行くことに決める。 国道は登るに連れ、高度感が増してきた。 晴れていれば絶景だろうか、連なる山の稜線は雨と霧に覆われていた。 私の前と後ろにお遍路さんの姿がみえるが、それぞれが一定の間隔を取って歩いている。 土曜日とあって交通量が少ないのは幸いだった。 それでも連続するトンネルには歩道がないので、赤色点滅ライトをザックに取り付けて進んだ。 休むことなく7㎞の道のりを一息で登り、9時に七子峠到着。 峠に設置された温度計は12度だった。 雨がいっそう強くなり、頭から爪先までびしょ濡れである。 3年前の日本縦断の旅から酷使しているゴアテックスの雨具は、防水や保温機能もすっかり劣化しており、あまり役に立っていない。 シューズはゴアテックスではないので、中までびしょびしょ。 せめて傘があったらと思うが、後の祭りだ。 とにかく寒いので、少しでもエネルギーを蓄えようと思い、糖尿を抱える身にとっては禁断の甘い菓子を一口。 お接待でもらった四万十名物の「塩けんぴ」という甘辛の芋けんぴである。 これがめっぽううまい。 血糖値が上昇するのをなんとなく感じるが、寒さには勝てない。 これで、後半戦を頑張れる。 七子峠から国道をそのまま進み、11時に道の駅あぐり窪川に到着。 カツ丼を食べ、更に名物の豚まんをパクついた。 雨に冷えた体が、むくむくとよみがえったような気分だった。 37番岩本寺がある窪川までの3㎞を一気に歩く。 窪川駅を横目に、古い町並みを抜けたところに岩本寺があった。 道中ではお遍路さんの姿をほとんど見ることがなかったが、境内には5~6人のお遍路さんがいた。 雨のなかを歩く物好きはあまりいないので、おそらくクルマで回っている人たちなのだろう。 雨に打たれながら本堂と大師堂でお経を上げ、37回目の納経をした。 それにしても、歩くことにこだわり、濡れ鼠になりながらお寺を回ることの意義はどこにあるのだろうか。 これは修行なのか。 仏心が薄い私には、それは当てはまらない。 今回のお遍路では、自分なりの心願をもって臨んでいる。 「意地でも歩き通す」という自分自身のこだわりも、それがあるからこそだと思っている。 雨や風にちょとばかし遊ばれただけで、ナーバスになっているのは、まだまだ甘い。 日本縦断の旅の延長線のようにとらえるのではなく、心願成就のためと、割りきって歩きたいと思う。 さて、“濡れ鼠お遍路”は、岩本寺を打ち、窪川駅から13時9分発の普通電車に乗り、須崎駅に到着。 憎っくき雨は、それを待っていたかのように上がった。 明日は晴れるだろうか。 早朝、ゴールした窪川駅に戻り、まだまだ続くお遍路の旅に向かう。 ◼️2023年4月15日 中土佐町久礼~37番岩本寺 ◼️31200歩 20.28㎞ ◼️雨 ◼️ビジネスホテルさつき  ※早朝、須崎駅から昨日ゴールした土佐久礼駅に向かう  ※大坂遍路道を見送り、国道に向かう  ※国道56号線は、七子峠まで延々と続く登りとなった  ※歩道がないトンネルが連続した  ※雨に煙る七子峠への道を望む  ※晴れていれば絶景だろうか  ※強く降る雨に打たれ、七子峠に到着。気温は12度だった  ※七子峠から下るとお遍路の休憩所があった  ※遍路道は仁井田の集落を通っていた  ※窪川が近づき、JR土讃線に沿って歩いた  ※古い町並みを歩き岩本寺に向かう  ※37番岩本寺本堂 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
昨夜は同宿のお遍路さん3人と夕食を囲んだが、何日でここまで来たかとか、昨日は40㎞歩いたとか、話題が貧困な自慢話になってきたので、話を合わせるのが面倒になり、早々に席を外した。 お遍路をしていると謙虚になるどころか、我が強くなってしまうのだろうか。 私も気づいたときには、テントを持って歩いているという、他人からしたらどうでもよいことを口にして反省している。 人によっては、それが(野宿すること)自慢話に聞こえるかもしれない。 今回のお遍路では、自分を見つめ直し、改めるという気持ちを忘れずに旅に向かいたいと思っているが、なかなかそうはいかないところが歯がゆい。 さて、早寝したこともあって、ボリュームのある食事と快適な部屋、オーナー夫妻のおもてなしで、睡眠不足を解消することができた。 6時50分に1.2㎞先にある深浦港を目指して出発。 深浦から横浪までは須崎市営の連絡船に乗船し、海路を行く。 歩きにこだわる私であるが、同宿のお遍路さんから、かつての遍路は船で渡るのが一般的だったので、船利用は問題ない…というアドバイスがあり、少し迷ったが船に乗ることにした。 埋立港からやってきた船には2人のお遍路さんが乗っており、深浦から乗る私たちを入れて4人となった。 30分ほどで横浪港に着岸。 これで、陸路の距離が7㎞縮んだ。 横浪からは県道23号線を須崎に向かう。 途中にはテントが張れそうな板張りの遍路小屋があったので、立ち寄って落書きノートを開いた。 ざっと目を通したが、ここで野宿した人はいないようだった。 横浪から10㎞歩いて須崎の町に入り、今日泊まる予定のビジネスホテルに立ち寄り、テントや寝袋などをデボし、軽くなったザックで久礼に向かう。 その前に腹ごしらえと思い、ホテルのオーナーから勧められた橋本食堂に行く。 この店は、須崎名物の「鍋焼きラーメン」の発祥の店ということで、11時の開店前に着いたにも関わらず、紙に名前を書いて、すでに20人ほどがいた。 この先のルートと時間を考えて、どうしようかと思ったが、須崎名物のインパクトには勝てず、突入することにした。 入店から食べ終わるまで1時間を要したが、鍋焼きラーメンは自身初めての味。 確かに、並んでまで食べたい美味さだった。 12時前に店を出て、ようやく須崎から久礼に向かった。 国道56号線を歩くが、歩道がないトンネルが連続して気が抜けない。 なかでも約1㎞ある焼坂トンネルは、しょっぱかった。 トンネルの入口前には蛍光たすきが準備されており、これを肩にかけ、マスクをし、ザックに点滅赤色ライトを取り付けたトンネル突破フル装備で突入した。 トンネル内は交通量がそれほど多くなかったのが救いだが、それでも無灯火で迫ってくる輩もいるので、いつもの倍くらいの早足で歩いた。 トンネルを出て下り坂となった国道を進むが、今度は須崎駅に戻る土佐久礼駅発14時17分の特急電車に乗るため、更にギアを上げて早足で歩く。 これに乗り遅れると、次の電車は2時間後だ。 結局、ラーメン屋から久礼駅までの11㎞を休むことなく2時間で歩き切り、14時に久礼駅にゴールすることができた。 無人の駅舎に入ると、待っていたように雨となった。 これから宿がある須崎に戻り、明日はまた電車で移動し、ここから窪川を目指す再スタートとなる。 電車利用は、久礼と次の窪川で宿が確保できなかったことの苦肉の策である。 予報は明日も雨。 高知に来てから天気に恵まれたのは、昨日のみ。 来週以降もぐつついた天気になるようだ。 まぁ、天気で悩んでもしょうがない。 明日も頑張って歩くのみ。 ◼️2023年4月14日 須崎市深浦~中土佐町久礼 ◼️36467歩 23.70㎞ ◼️曇りのち雨 ◼️ビジネスホテルさつき  ※お世話なった民宿なずな  ※深浦港から連絡船で横浪に向かう  ※同上  ※横浪から海岸線に沿って歩く  ※野宿ができそうなお遍路小屋があった  ※須崎名物の鍋焼きラーメン(橋本食堂 大680円)  ※須崎市内のトンネル。歩道専用のトンネルが併設されている  ※同上。トンネル内部  ※国道56号線を久礼を目指して歩く  ※四万十まではまだまだ遠い  ※ぶんたん畑が眼下に広がり、海に向かって落ちていた  ※全長約1㎞の焼坂トンネル  ※遍路道を拾いながら久礼の町に入った  ※久礼の町並み  ※同上  ※土佐久礼駅にゴールした メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
10畳ほどの部屋に二段ベットが3つ。 日本人2人、オーストリア人2人、デンマーク人2人の一夜は、想像以上にワイルドな展開となった。 下の段に寝る私の上にはでかいオーストリア人。 彼が寝返りを打つ度にベットがギシギシときしみ、部屋中が競うようなイビキの大合唱となった。 寝不足の朝を迎えたが、それでも少しは寝たようで、自分のイビキで目が覚めるというから笑ってしまう。 人のことは言えないのだ。 これまで、ドミトリーの宿は敬遠していたが、私のような根がデリケートにできている人間には向かないことがよく分かった(笑)。 6時半に出発。雲一つない快晴である。 仁淀川にかかる橋を渡り、しばらく堤防に沿って歩き、土佐市の中心部から35番清瀧寺に向かう。 高知自動車道をくぐり、小さな集落を過ぎると山道になった。 苔むしたお墓を見ながら墓地に沿って登り、龍が描かれた山門をくぐり、8時に清瀧寺に到着。 境内には誰もおらず、それを良いことに、大きな声で下手な般若心経を読んだ。 納経を済ませ36番青龍寺に向かう。 面倒だが土佐市内までは元の道を戻り、宇佐湾に出る県道39号を歩く。 途中の遍路休憩所で、外人のカップルと遭遇。 更にその先には、一人で歩く外人の女の子。 それにしても外人が多い。 コロナの影響が下火になり、海外からの旅行者が増えたようだ。 インバウンド需要が高まるのは歓迎だが、それによってお遍路の宿確保が争奪戦のようになっているのはいただけない。 宿で会ったお遍路さんも、皆さん予約ができなくて苦労しているようだ。 ともあれ、テント持参の私はいざというときのために安心材料を背負っているが、これが肩に食い込んで重い。 放り出したくなってくる。 このままザックの底から出さないのももったいないので、そのうち日の目を見せることにしたい。 昼が近づき、宇佐の町に入ったが食堂はなく、今日もコンビニへ。 駐車場の隅っこで、まるで高校生のヤンキーのように座りこんでカップ麺をすすり、のり弁をがっついた。 64才になったというのに、食欲も高校生並みなのだ。 満腹をさすりながら宇佐大橋を渡り、群青の海に癒される。 12時半に36番青龍寺着。 本堂と大師堂で読経をするが、ここでも誰もおらず、自分の下手なお経が静寂の境内に響いた。 青龍寺からは同じ道を3㎞ほど戻り、そこから更に4㎞歩いて民宿に着いた。 15時のチェックインまで時間があり、民宿前のテーブルでのんびりと待った。 爽やかな風が頬を撫でる、気持ちがよい一日だった。 きれいで快適な部屋と食べきれないほどの夕食。 宿泊者は私を入れて3人。 これまでの遍路旅を通して一番の民宿だった。 ◼️2023年4月13日 清瀧寺~青龍寺 ◼️38945歩 25.31㎞ ◼️晴 ◼️民宿なずな  ※6時半にはるのゲストハウスを出発  ※仁淀川の大橋を渡った  ※仁淀川の堤防を歩く  ※清瀧寺山門  ※同上。山門には龍が描かれていた  ※清瀧寺の境内  ※清瀧寺からの眺め  ※田植えが始まった水田を見ながら、土佐市内に向かう  ※花が咲き乱れる風景があった  ※宇佐湾を眺めながら36番青龍寺に向かう  ※青龍寺が近づく  ※同上  ※青龍寺本堂に続く階段を登る  ※青龍寺本堂  ※青龍寺の境内にある仏様  ※美しい海岸線が広がる竜ノ浜  ※埋立漁港から停泊する漁船を見る  ※遍路小屋があった。かなり汚れている  ※民宿なずなの夕食に舌鼓を打った メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
今日から始まるお遍路は、雨のスタートとなった。 ホテルを出て観光船が停泊する運河を眺めながら、31番竹林寺を目指す。 雨具に傘を指すほどの雨になるとは思わなかったが、まぁ仕方がない。 NHKの朝ドラ「らんまん」の主人公、牧野富太郎博士の舞台となっている五台山に向かって歩いていく。 朝のラッシュが始まったのか、交通量が多い。 子供たちの合唱が聞こえる小学校の校庭を抜けて、竹林寺に続く石段を登る。 雨に蒸れ、汗だくとなって山門をくぐった。 久しぶりの般若心経をつっかえながら読む。 改めて遍路の旅が始まったことを感じた。 32番禅師峰寺までは、歩き遍路の夫婦連れと抜きつ抜かれつ歩く。 途中で武市半平太の旧宅に寄り道するが、ここには人が住んでおり、自転車や干された洗濯物があって、なんだか生々しかった。 32番禅師峰寺を出て、33番雪蹊寺に向かう途中で見つけたコンビニで昼食。 正午を過ぎてようやく雨が上がった。 雪蹊寺には渡船で対岸に渡るが、これが無料とあってありがたい。 一時間に一往復なので、間に合わすために必死に歩いた。 雪蹊寺でオーストリア人の二人組のお遍路さんと話す。 翻訳ソフトもあるし、私の下手な片言の英語でもなんとかなる。 まぁ、英語の勉強をさせてもらっているようだ。 訊けば、今夜は同じ宿に泊まることが判明。 宿での再会を楽しみに先を急ぐことにした。 34番種間寺への遍路道は田んぼのなかを歩くが、目印がなくなり、農作業をしている人に聞きながら進んだ。 種間寺の納経を終え、今日の参拝は終了。 のんびりと宿に向かって歩いた。 しつこく降り続いた雨から一転して日射しの強い晴天となり、高知のお遍路が暑さとの闘いになる予感がした。 ともあれ、心地よい疲れを感じた初日が終わった。 ◼️2023年4月12日 竹林寺~種間寺 ◼️46535歩 30.24㎞ ◼️雨のち晴 ◼️はるのゲストハウス  ※運河に停泊している観光船を見ながら歩く。桜はすっかり散っていた  ※31番竹林寺がある五台山に向かう  ※竹林寺の山門を潜ると新緑が眩しかった  ※竹林寺大師堂と五重塔  ※武市半平太旧宅  ※ぶんたんが売られていた  ※32番禅師峰寺  ※渡船で33番雪蹊寺に向かう  ※港の風景を見ながら歩いた  ※33番雪蹊寺  ※34番種間寺へに向かう遍路道は田んぼのなかを行く  ※同上  ※種間寺本堂  ※いきなり夏が来たような暑さ。高知の旅が始まった メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
高知に来ました。 区切り打ちお遍路の2回目です。 前回は青春18切符を使い11時間をかけて高知から帰宅しましたが、今回は新幹線と特急電車を乗り継いで自宅から5時間弱で到着。 いやはや、贅沢なアプローチとなりました。 さて、先月から始めた歩き遍路ですが、前回は1番から30番までを歩きましたので、今回はその続きとなります。 それにしても4月はお遍路のハイシーズンなんでしょうかね。 土佐久礼から37番岩本寺までの宿のほとんどが満室で予約が取れず、頼みの岩本寺宿坊さえアウト。 悩みに悩んで、今回もテント持参にしました。 先月のお遍路でも宿の確保には苦労し、都合3回の野宿をしましたが、今回もその予感が漂っています。 歩き遍路の場合は、体調や天候で予定も変わるので、せいぜい3日先までの予約がいいところです。 積極的に野宿したいわけでもないので、できれば宿に泊まりたいところです。 今回は徹底して軽量化を図り、衣類を減らしたり、炊事道具を止めたりして、水、食料抜きで6kg弱にしました。 まぁ、どうなるか分かりませんが、明日からの2週間、マイペースで歩こうと思います。 ◼️2023年4月11日 高知県高知市 ◼️晴れ ◼️ホテルファースト  ※高知駅に到着 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
イオンモール土岐店にあるハンバーグ専門店です。 昼時はいつも行列ができているので、13時過ぎに突入しました。 注文は定番の超ハンバーグ(Cセット1355円)を。 ミさんはおろしハンバーグ(Cセット1400円)。 Cセットは味噌汁とサラダ付きです。 ちなみにこの店は飛騨牛のハンバーグが人気のようですが、昼間から2000円超えは贅沢なのでパス。 さて、お味ですが、ごくふつうのハンバーグですね。 行列に並んでまで食べるほどでもありません。 飛騨牛だったら美味いかもしれませんが…。 サラダの量が少ないのは残念ですが、ある程度お腹も膨れたので良しとします。      ※『馬力家 イオンモール土岐店』岐阜県土岐市土岐津町土岐口1372-1 イオンモール土岐 1F メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
四国遍路で17番井戸寺を打ち、徳島駅に向かう途中に立ち寄った店です。 今は全国区になった徳島ラーメンですが、肉汁が沁み込んだ甘辛いスープに細麺、豚バラ肉、そして生玉子のトッピングというビジュアルが食欲をそそります。 仙台赴任時代には自宅近くに徳島ラーメンの店があったこともあり、何度も訪ねていました。 トッピングの生玉子は無料で、何個でも食べ放題でしたね。 さて、この店は商業施設の入口にあり、白装束のお遍路姿で入店はどうかなと思いましたが、空腹には勝てません。 店外にある券売機でチケットを買い、いざ。 昼時とあって店内は混んでました。 重いザックを傍らに下ろして、待つこと5分。 徳島ラーメン(650円)に生玉子(50円)トッピングが着丼。 茶色いスープに黄色の玉子が食欲をそそります。 玉子を絡めたり、ニンニクパウダーを入れたり、無料のもやしのナムルを散らしたり、自分好みの味に調えます。 あっという間に完食。 替え玉を追加しようかと迷いましたが、スープを大方飲んでしまっていたので、これは諦め。 満腹では歩くのにキツイので、腹八文目にして徳島駅に向かいました。 本場、徳島で食べた徳島ラーメン、文句なしに美味かったです。    ※『徳島ラーメン麺王 タクト店』徳島県徳島市南島田町3-55 無休 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
四国遍路で立ち寄った店です。 333段の石段がある10番札所切幡寺から下りてきて、空腹に我慢できずに飛び込みました。 午後1時を過ぎた時間帯なので、広い店内のお客は私を入れて数名。 重いザックと金剛杖を4人掛けのテーブルに立てかけてスタンバイです。 注文はこの店の一押しの八幡うどん(740円)といなり寿司(3個300円)を。 出てきたうどんは肉やわかめ、油揚げ、ゆで卵が乗った賑やかな陣容。 だし汁は少し甘みがある優しい味です。 うどんはモチモチで、讃岐風。 空腹だったこともあり、ズルズル、フハフハで一気にすすります。 間が悪いことに、サイドメニューで頼んだいなり寿司がなかなか出ない。 しびれを切らして店員さんに訊くと、「今、作ってます」の返答。 それから更に時間が経ち、うどんをすっかり食べ終わった頃にいなり寿司が登場。 この間の悪さに文句の一つをつけようかと思いましたが、テーブルに立てかけられた金剛杖を見て、「いかん、いかん」。 ここはお大師様の手前、ぐっと我慢して店を出ました。 お遍路の旅は、人間修行の旅。 食べることができたことに、感謝です。     ※『うどん亭八幡』徳島県阿波市市場町大野島新ノ池8-1 不定休 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
ブログでの読書記録の更新をサボっていた。 2月は2冊、3月は4冊にとどまった。 私の読書は、それほど繊細でもないのに、リズムにのらなければ、すぐに習慣が途絶えてしまう。 読まなくても、生活にはなんら支障はない。 本無しでは生きていけないような、偏執狂的な根っからの読書家ではないゆえんだろう。 私が参加している【読書メーター】には、そんな読書家がわんさかいる。 この人はいったいどんな読み方をしているのだろうか? ほんとうに読んでいるのだろうか? だとしたら、とんでもない速読か。 …と疑いたくなるような、毎日、5冊も10冊も感想をアップしてくる人がいる。 一字一句活字を追う私のスタイルからは、ありえない所業。 難解な哲学書や怪奇書のみに固執している人や、料理や鉄道といった特定のカテゴリに特化した人など様々な読書家で賑わっている。 このサークルの中にいると、私などごく普通の本好きでしかないし、またこれを見て密かに「自分はまとも」だと、安心したりもする。 読書は、単なる娯楽ではなく、生活の一部として体内時計に組み込まれてこそ、習慣が成立する。 それゆえ今夜の献立に悩むように、読む作業にも意外に労力を使うのだ。 活字をただ目で追っているだけでは、内容はまったく頭に入ってこない。 忘れっぽい頭を整理し、備忘録の意味もあって、30年来に渡って簡単な感想を書いて読書記録をつけているのは、“考える”という普遍的な作業を読書を通して実行しているに過ぎない。 先月は14日間の四国遍路に出ていたとはいえ、どこかで生活リズムが狂っていたように思う。 帰宅してからも、足の怪我から細菌が入るという予期せぬ病に襲われ、その間はゴロゴロと臥せっているだけで、本を開くこともなく過ぎてしまった。 健康と規則正しい生活リズムがあってこそ、私の読書があるように思う。 今月からは、好きな本を好きなだけ読む、そんな生活を取り戻したいと思う。 3月の読書メーター読んだ本の数:4 読んだページ数:1373 ナイス数:179 羆嵐 (新潮文庫)の 感想木村盛武著『慟哭の谷』を先に読んでいてよかった。 ノンフィクションとして、北海道三毛別で起きた、史上最悪のヒグマ襲撃事件のあらましを綴った予備知識があったからこそ、小説となった本作を映像を見るような臨場感をもって読み進めることができたと思う。 著者は、人食い熊を仕留めた「サバサキの兄」こと山本兵吉氏を本書では銀四郎という熊打ち名人として描いているが、これがめっぽうカッコいい。 たった一人で熊と対決するその孤高の姿に、マタギの真の強さと逞しさを見た思いがする。 読了日:03月31日 著者: 吉村 昭 自転しながら公転するの 感想プロローグとエピローグを読み返した。素晴らしい構成力と上手さに唸る。 貫一、都のシーソーゲームのような恋の行方は、昭和のラブコメ『めぞん一刻』の五代と響子のすれ違いドラマを見ているよう。 オーソドックスなパターンのようにも思ったが、そこは屈折した人間模様を描くのが得意な著者の本領発揮か。 すっきりとはいかせずに、読者を主人公・都の胸中に巻き込む計算づくの構成、最後には拍手をさせてくれる手腕はさすが。 まったく、惜しい才能を失くしたと思う。 読了日:03月31日 著者: 山本 文緒 さあ、巡礼だ―転機としての四国八十八カ所の 感想この春、四国遍路に出発する前に半分読み、帰ってから残りを読んだ。 著者と同様に、野宿しながら歩き遍路を体験した身としては、歩いてお遍路をするという体力的な厳しさ、その日のねぐらの心配など雑念に振り回される日常が手に取るように理解できた。 八十八ヶ所を結願したあとの著者の思いは、これで終わりにしたくないという、金剛杖を奉納しない態度に表れているが、反面、終わってしまったことの虚さもあったようだ。 文章がくどく、冗長で、脱線する部分も多く感じたが、数少ない歩き遍路の体験記としては、充分読ませてくれた作品だった。 読了日:03月31日 著者: 加賀山 耕一 無人島のふたり: 120日以上生きなくちゃ日記の 感想死と向きう遺作となった作品だけに、清々しいほど素直な文章で書かれている。 闘病記とは、病気と闘い打ち勝つための力強さが溢れている日記だと思っているが、魂の灯りが少しづつ消えていく治る見込みがない日記には、どうしても暗さと閉塞感がつきまとう。 自らの死を受け止め、心の平穏を追い求めた著者の作家魂と夫婦愛に敬服。 読了日:03月23日 著者: 山本 文緒読書メーターメインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
イオンモール長久手は自宅から40分。 最近、自宅近くにできたイオンモール土岐にはシネマがないので、長久手にはもっぱら映画を観るためだけに遠征しています。 映画を観てランチに立ち寄るのが、フードコート内にある肉そばと丼の店『十兵衛』さん。 モール内にある数ある店の中でもお気に入りで、かなりの頻度で訪店しています。 メニューは肉そば(牛、鶏)と天丼。 基本はつけそばなので、だし汁たっぷりの山形の冷たい肉そばとは違いますが、これはこれでいけます。 牛も鶏も食べましたが、私のお気に入りは鶏。 コシがあるそば(二八でしょうか)に、甘辛のつゆがよく合います。 トッピングの白ネギは辛め。 鶏つけそば(850円)は、ピリ辛のつゆに生卵を溶いて、ツルツルとすべるように喉に流し込む。 これが美味い! 鶏天丼とミニそばのセット(790円)もボリューム満点で食べ応え十分です。 甘辛のモチモチの天丼もいけますね。 この店のウリは、そばが中盛、大盛が同一価格ということでしょうか。 初訪店時は、大盛に挑戦しましたが、私には多すぎたみたいで必死に完食しました。 最近は中盛ですね。 リーズナブルで、かつ、美味い蕎麦屋はなかなかありませんが、フードコートとあなどるなかれ。 山形のそばに慣れ親しんだ身には、そばは安くてボリュームがあるのが絶対条件。 それでいて美味ければいうことなし。 そば好きの私にとって、この店は今のところ一押しのそば屋の一つです。 ※過去レポはこちら 長久手『そば匠十兵衛』牛つけそば      ※『肉そばと丼 そば匠 十兵衛』愛知県長久手市長久手中央土地区画整理事業地内5・10・11街区 イオンモール長久手 3F メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
岐阜県恵那市串原という山間の小さな集落へ、今が盛りのしだれ桃を見に行ってきました。 ここは知る人ぞ知る隠れスポットです。 昨年は4月下旬に訪ねましたが、すでに開花の時期は終わっており、今回はリベンジです。 古民家を背景に、白、ピンク、紅色のしだれ桃がぐるりと取り囲む景色は、まるで桃源郷のようです。 水が張られた棚田に映る桃の花が素晴らしい。 この日はフルートとピアノのコンサートも開かれるということでした。 12年前に植樹した2000本のしだれ桃が育ち、この数年からようやく見ごろとなってきたと地元の方がおっしゃっていました。 集落の周りも、まさに春本番の百花繚乱。 満開のしだれ桜のピンクが目にまぶしい。 帰路に立ち寄った同じ恵那市にある樹齢300年の「ひよものしだれ桜」(岐阜県指定天然記念物)は、ちょっとばかし時期が遅かったのか、落花盛ん。 来年のリベンジを誓いました。 このところ病に臥せっていましたが、ようやくエンジンがかかり始め、気分転換の一日となりました。            ※ひよものしだれ桜 メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
お遍路から帰って10日が経ちましたが、その間に予期せぬ病で臥せっていました。 足のマメから細菌が入り、足が大きく腫れ、熱が出た症状です。 お遍路の後遺症ですね。これは…と勝手に解釈しています。 でもって、主治医から本日の診察でようやく完治のお墨付きをもらいましたので、ここにご報告したいと思います。 事の発端は、帰宅してから5日目の朝。 カミさん孝行をしようと思い、北陸方面への一泊温泉旅行に出発する日でした。 朝起きると、何だか体に力が入らず、全身の節々が痛い。 おかしいなぁ…と思いながら、出発。 福井までの3時間を運転し、レストランで昼食。 ところが、その待ち時間で体調が一変しました。 悪寒が走り、目がチカチカし、全身の関節がバラバラになるような痛み。 もう、これは只事ではありません。 かつて罹った、インフルエンザの症状に似ています。 それでも昼食後にはフラフラの体で丸岡城に立ち寄り、急な階段を登って天守閣へ。 チケット売場に設置された体温計は38.2度を計測し、ブザーが鳴りましたが、おそらく計測ミスだと思ってそのまま入場しました。 お城を出て、さて、これから石川県の山間にある温泉に向かおうと思い、運転席に着こうとするも、もうフラフラで前が良く見えません。 カミさんに運転を代わってもらって倒れるように助手席に乗り込みました。 この状態では、宿に行くことはとても無理かもしれません。 とりあえずは温泉街まで行き、クリニックで診てもらってから旅館にチェックインするつもりで電話を入れました。 コロナとインフルを疑いましたが、お遍路から帰宅して人とはほとんど接していないので、もし陽性だったらまったく身に覚えがありません。 クリニックでは、熱が出てからある程度時間が経過していないとPCRやインフルの検査をしても反応しないと言われ、そればかりか、そんな体調ではせっかくの温泉もお料理も楽しめませんので、帰ったほうが良いのでは…というアドバイス。 結局、宿まであと10㎞という目前で、キャンセルの連絡を入れ、帰宅することになりました。 3時間後、カミさんの運転で自宅に戻り、そのままベットに倒れ込みました。 右足の甲は真っ赤に腫れ、悪寒と熱でフラフラでした。 翌日、かかりつけのクリニックの発熱外来へ。 コロナとインフルの同時検査をクルマの運転席で受けました。 結果はどちらも陰性だったので、車中から診察室へ。 主治医の診たてでは、血液検査の結果をみると炎症反応と白血球数が非常に高いことから、おそらく足のキズから細菌が入ったのが原因だろうということでした。 その日は抗生物質の点滴をし、帰宅しました。 それから5日目。 熱も無くなり、足の腫れも引き、血液の数値も正常値になったことで、晴れて完治となった次第です。 思い起こすと、今回の病には伏線があったようです。 お遍路をスタートして9日目に、民宿ですごい寝汗をかきました。 その前々日に道の駅で眠れないまま野宿してから体調が今一つだったので、体温調節がうまくいっていないと自己診断していました。 また、その頃から小さなマメがいくつかできてきたので、消毒をして安全ピンで水を抜いていました。 夜になると右足の甲が浮腫んだりしていましたが、朝には浮腫みは消えていたのでいつものことだと思って、それほど気にしていませんでした。 しかし、お遍路11日目以降は、宿に泊まるたびに寝汗をかき、衣類も布団もびしょ濡れ状態に。 それでも、日中の行動中は体調も良く、元気で歩けてました。 そんな状態で2週間のお遍路を終え、帰宅しました。 そして、いつものように日課のウォーキングを再開したりしていました。 しかし、寝汗は改善せず、夜中に何度も下着やパジャマを替える始末。 そして迎えた帰宅から10日目の朝に起こったことが、前述の内容です。 おそらく、お遍路中に入り込んだ細菌がずっとくすぶっていたんでしょうね。 体力の低下とともに、それが暴れ出した。 そんなところだと思います。 温泉旅行を楽しみにしていたカミさんには、謝るしかありません。 それにしても、足のマメ。 たかがマメとあなどるなかれ。 今回は、痛い教訓となりました。  ※丸岡城(福井県坂井市) メインサイト『 琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★ ↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪   
| HOME |
|