結願の日を迎えた。
ドンピシャで雨である。
これまでも、ここぞという日はいつも雨にやられていた。
室戸岬の最御崎寺、久万高原の岩屋寺、石槌の横峰寺、そして昨日の屋島寺等々。
まぁ、40日間も歩いていれば、仕方がない。
一晩お世話になった旅館を朝6時に出発。
大窪寺から出る14時のバスに間に合わせるためだ。
87番長尾寺までは県道3号線と、そこから逸れる遍路道を行く。
雨は強くないので、雨具は着けずに傘を差して歩く。
今日は結願の日なので、白衣も着た。
もちろん、濡れても構わない。
7時30分に長尾寺に着いた。
境内は人影もまばらで、静けさが染み渡っている。
丁寧に般若心経を読み上げ、納経を終えた。
境内にある88番大窪寺までのルートマップの案内板を見ていると、年配の男性が隣に立った。
老人は、クルマで10回も回ったが、歩いて遍路をできなかったことが、残念だとこぼした。
それほど、1回の歩き遍路は価値があるという。
実際に歩いている私にとっては、価値に当てはめること自体ピンとこないが、日本人の習性か、価値観の違いか、物事を天秤にかけたがる人が多いと思ったりもする。
だからか、三倍ご利益にほだされて、いきなり初めての遍路、山の経験もない女子学生が逆打ちをし、遭難騒ぎを起こしたという。
…これは、生き字引の岡田屋のおじいちゃんの話。
歩いてみて思うが、時計回りに歩く順打ちは、理にかなった歩き方で、3月から歩き始めた私には季節の移ろいや風向き、コース取りも体に馴染んで、心地よかった。
旅先で会った逆打ちのお遍路さんには、さも自分が凄いことにチャレンジしているぞ、というオーラを周りに振り撒いている人もいた。
徳は、宣伝するものではない。
黙っていればカッコいいのに、もったいないではないか。
自慢するくらいならやらない方がいいだろう。
さて、長尾寺で会ったご老人、大窪寺で結願したら「打ち込みうどん」をぜひ食べてみて、と勧められたことを早速インプットした。
「あと、一つ」のコールを自分にかけて、雨のなかを再び歩き出す。
県道3号線に並走する遍路道には、地蔵堂、釈迦堂、高地蔵、馬の墓といった遍路道ならではの名跡が出てくる。
雨に煙る道を、往時の雰囲気を味わいながら歩くのは、歩き遍路ならではの贅沢なひと時だ。
前山ダムの道の駅の向かいには「おへんろ交流サロン」があり、休憩がてら立ち寄る。
お目当ては、申請すれば無料で貰える「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」とバッチ。
実は、これが欲しかったのだ。
大窪寺で2000円出して書いて貰う「結願書」ではなく、歩き遍路だけが貰えるこれが欲しかった。
ちなみに私の番号は、1276号だった。
サロンの職員に大窪寺へのルートを訊かれ、予定していた山ルートの女体山遍路道を、雨で道が荒れているというアドバイスであっさりとパスする。
昨日の屋島寺でのやり取りとはエライ違いだが、ここは素直に、約3㎞歩けば県道3号線に合流すると勧められた旧遍路道を歩くことにした。
同席していた外人のカップルも同意し、私の後から少し距離を置いて歩くことになった。
旧遍路道は、時おり出てくる丁石以外、舗装された坂道を登るだけで短調。
雨で展望も効かないので、休むことなく歩く。
県道との合流点の額峠に出ると、草に埋もれた遍路道があり、いかにも人が歩いていないような雰囲気が濃厚だった。
遍路道にこだわる私としては、有無もいわずに突入であるが、私が「let's go」と振り返って手招くと、後続の外人カップルは、躊躇している。
特に奥さん?が、顔をしかめているのが面白い。
結局、カップルは県道を歩くことになり、私は雨と濡れた草にびしょ濡れになりながら、苔むした道を進むことにした。
遍路道にはたくさんの行き倒れたお遍路の墓があった。
当時の村人が手厚く葬ったのだろうか。結願を目前とした死は無念だったと思う。
最も、訳あって歩き続けるしかないお遍路もいたはずだ。
それを思うと心が痛む。
遍路道には江戸時代前期に建てられた重要文化財の細川家住宅もあって、県道歩きにはない見処があった。
どうせなら外人カップルにも見せたかったが、これまでの認識では、外人遍路の多くが積極的に遍路道を歩かないと思っているので、日本を知る上で実に残念だが、無理もいえない。
最も、日本人の歩き遍路でも、遍路道を好んで歩く人は少ないようにも思う。
四国遍路を世界遺産にしたいのなら、老婆心ながら古道の遍路道を更に整備し、歩く人を増やすべきだと思う。
国道や県道ばかり歩いていては、クルマと変わらないし、何よりもったいないではないか。
歩き遍路の魅力は、遍路道を歩いてこそ、その素晴らしさを実感できると思っている。
人は易きに流れる。
遍路を修行と解釈するなら、その行への向かいかたと選択肢は無限である。
さて、遍路道は国道377号線に出ても並走し、地図ではそのまま大窪寺まで続いている。
泣いても笑っても最後の3㎞だ。
今日もロキソニンを飲んで痛みを散らしてきたが、マメの痛みは一足毎にしびれるような感覚となった。
最後のあがきの緩い坂を登ったところが88番大窪寺だった。
土産物屋が軒を並べる正面に回り、「八十八番結願」と彫られた石柱が立つ石段を登る。
山門を潜ると、そこが40日間の旅のゴールだった。
降り続く雨のなか、誰もいない境内、誰もいない本堂で般若心経を読んだ。
涙が止めどなく流れる。
こらえても、こらえきれない。
もう、涙声だ。
64才にもなって俺はこんなにもセンチだったのか?と、半ば呆れて笑いたくなった。
この涙は、いったい何の涙だろうか。
そんなことを思いながら、読経を終えた。
続いて大師堂を参拝し、最後の般若心経を心を込めて読む。
原爆の火が灯り、たくさんの金剛杖が奉納されたお堂を見ながら納経所へ。
40日間、一緒に歩いてくれた杖は持ち続けることに決めている。
納経所では係の女性が「結願ですね。長い歩き、ほんとうにお疲れさまでした」と声をかけて下さり、力強く墨書した納経帳を返してくれた。
確かに、納経帳はこれで埋まったが、ほんとうに私のお遍路は終わったのだろうか。
まだ、実感は湧かないし、何よりも宙ぶらりんの気分がぬぐえない。
ほんとうの実感は、納札に書き続けてきた願い事が成就したときかもしれない。
まだまだ、先は長いのだ。
山門を出て大窪寺を後にした。
土産物店で「打ち込みうどん」を食べた。
朝、長尾寺で会った老人から、ぜひ食べて欲しいと勧められたうどんだ。
美味かった。
柚子の香りと、まろやかな上品な味噌の味が腹に染み渡った。
店を出ると、あれほどしつこく降っていた雨が上がって、薄日が差していた。
後は、予定通りにバスと電車を乗り継ぎ高松を経由し、さらに高速バスで大阪に出ることになる。
そして、明日は最後のお勤めが待っている。
お大師様に会いに、高野山に向かうのだ。
◼️2023年5月31日 香川県さぬき市~大阪府大阪市
◼️36920歩 24.00㎞
◼️雨のち晴
◼️KOKO HOTEL大阪なんば

※87番長尾寺山門

※同、仁王像

※同、本堂

※同、大師堂

※県道から遍路道に入る

※同上

※雨の田んぼを見ながら歩く

※阿弥陀如来を祀る一心庵

※高地蔵。傍らには馬の墓もあった

※おへんろサロンから丁石道の旧遍路道に入った

※同上

※遍路道に残る六十六丁石

※か細く続く遍路道

※江戸時代前期の建造物と云わる細川家住宅

※国道から大窪寺に続く遍路道の分岐

※88番大窪寺が近づく

※88番大窪寺山門に到着。いよいよ結願に向かう

※同、山門

※同、裏門。遍路道を歩くとここに出てしまう

※同、仁王像

※同上

※88番大窪寺本堂

※同、大師堂

※同、原爆の火

※同、奉納された金剛杖

※杖の先はすり減り、花が咲いたようになった

※打ち込みうどん

※四国八十八ヶ所お遍路大使任命書
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