コロナ禍に翻弄され計画が大幅に変更、迷走した中で、自宅がある岐阜県から東西に歩を延ばし、北は北海道苫小牧、南は九州最南端の佐多岬までの2400キロを歩くことができた。
苫小牧から宗谷岬までの約400Kmは来年の宿題となったが、北海道から鹿児島までの日本列島に不完全ながら一本の線を引くことができたのは収穫だった。(下図)
とにかくいろいろあった94日間であったが、来年の完歩を実現する上で、旅の総括をしてみたいと思う。
【計画の変更と迷走】当初の計画は、4月12日に佐多岬を出発し、北上しながら7月下旬に宗谷岬にゴールする110日間の旅の予定だった。
しかし、出発間際に新型コロナの第一波の影響を受け、飛行機の欠航、宿泊施設の休業等が相次ぎ、1ヵ月後に出発を変更延期することになった。
その間に政府による緊急事態宣言が出され、計画実現ができないまま迷走し、先が見えない状態だった。
私が住む岐阜県は5月末まで県外の移動自粛要請が出されており、その間はトレーニングを兼ねて、以前から距離を延ばしていた岐阜県内の中山道を歩くことで縦断の旅に備えた。
5月末で緊急事態宣言が解除されたが、すでに計画は大幅に遅れており、佐多岬から宗谷岬を目指す当初計画は時期的にも厳しい状況となってしまった。
また逆に宗谷岬から南下ことも考えたが、この時点で岐阜県内の中山道をほぼ歩いていたこともあり、苦肉の策として、岐阜県から東西に距離を伸ばして日本縦断を目指すことにした。
【アクシデント】新潟から北海道を目指した7月の旅で、右足首を痛め秋田でリタイヤすることになってしまった。
一ヶ月の旅の予定がわずか11日目でのリタイヤは、足も痛かったが、日程的にも痛い状況になってしまい、これが後々大きな誤算となった。
結局、足首の回復待ちと8月の猛暑により、7月末に行った彦根から京都の3日間の旅を除くと9月まで活動ができない状態になった。
今思うと、7月のリタイヤがなかったら宗谷岬まで距離を伸ばし、日本縦断の完歩が実現できていたと思う。
【マメに苦しむ】6月~9月にかけての長野から東北を歩いた東日本編では、マメの痛みにずいぶん苦しめられた。
小さな小石が靴底に当たるだけでも飛び上がる痛さで、青森県では温泉に浸かることもできないくらいひどい状態になった。
出発時にはマメの水泡を切って水を抜き、カットバンを貼り、更にテーピングをするのが日課。
靴のソールを替えたり、靴下を替えたり、テーピングを何重にも巻いたり、様々な工夫をしたが、つまるところマメを克服するのは皮膚を固くするしかないというのが結論である。
マメを我慢し、皮膚が固くなってくると自然に痛みもなくなった。
それまでは厚手の靴下とテーピングが一番効果があったようだ。
ただし、行動中はできるだけ休憩時に靴下を脱いで、足や靴を乾かすということが必要だということを学習した。

※出発時のマメの治療とテーピングが日課となった。青森県で。
【長雨と猛暑】梅雨の長雨が続いた7月、新潟から東北を歩いた旅は連日の悪天に嫌気がさした。
梅雨明けが遅れた8月は猛暑のために旅の再開を見送り、中断していた秋田を9月5日にスタートした。
今年の東北地方は9月に入っても各地で過去最高の気温を記録するほどの猛暑で、毎日ペットボトルを6~7本も消費する状態となった。
6月の岐阜、7月の京都でも35度超えの猛暑の中を歩いたが、炎天下の歩きは心身ともに消耗し、夏の歩き旅の過酷さを嫌というほど味わうことになった。
暑さ対策としては、熱中症のリスクを考えると歩くことを避けるのが一番だが、それでも歩くとするならば、水分をしっかり摂ることと、私の場合は日傘を差して歩くことくらいしかなかった。

※炎天下の昼下がり、道の駅の東屋でしばしの昼寝。新潟県村上市で。
【宿泊】94日間の旅のほとんどをビジネスホテル、民宿等の宿泊施設で泊まった。
東北、北海道は宿泊施設も少ないのでテントを持参したが、テント泊が5回、駅でのビバークが1回という結果となった。
新型コロナの影響を受けてキャンプ場が休業しており、幕営地を探す苦労もあった。
同様に民宿、旅館の廃業、休業も多くあり、宿泊地をJRの駅をいくつも戻ったところで予約するケースも多くなった。
そのため、朝一番の電車でスタート地点に戻るということも何度もすることになった。
テントやシュラフ等の幕営道具を持った旅はザックの重さも8キロ近くになり体力も必要とするが、東北と北海道を歩いた3週間の旅では体が順応し、それほど重さを気にせずに連日30kmの距離をふつうに歩けるようになっていた。
要は、慣れだろうか。
来年の苫小牧から宗谷岬までの400kmはテント泊でチャレンジする予定である。
宿泊料金については、8月から始まった政府のGO TOトラベルキャンペーンの恩恵もあって、通常料金の35%割引で泊まれたのは費用節約の上で大変ラッキーだった。
また、宿泊施設から貰う地域共通クーポン(1枚1000円)もありがたく、コンビニやスーパーで毎日の夕食や行動食を購入することができた。

※北海道豊浦町で。コロナの影響でキャンプ場が休業しており、幕営地を探すには苦労した。
【衣類と装備】ホテル泊を基本とした場合は28リットルのザックで約5キロ、テント泊の場合は35リットルのザックで約8キロを担いた。
これくらいだとそれほどの負荷を感じることなく歩ける。
ただし軽量化を図るために余分なものを持たないということを徹底した。
シャツ・下着類については着ているものを除くと、替えはすべて1枚が基本。
ズボンの替えは持たなかった。
また、雨具については超軽量のゴアテックスの雨具にした。
10月からの旅には防寒具としてジャージ1枚と軽量のダウンジャケットをプラスした。
洗濯はマメにしたが、ほとんどの場合、風呂場での手洗いで済ました。洗濯機は1週間に1回程度。
衣類は持ちすぎると意外に重いので、ぎりぎりの必要枚数で軽量化を図るのがベストだと思う。
装備についても軽量化を図るのを念頭に置き、テント泊の場合は幕営道具として世界最軽量の1人用のテント、夏用の軽量シュラフ、エアマットのみを持参。
コンロやガスカートリッジ、コッヘル等の炊事道具は持たず、ホテル泊との違いはテント、シュラフ、エアマットの三点セットを持つか持たないかだけにした。
それ以外の重量があるものとしては、折りたたみ傘と地図、ライト類くらいだろうか。
地図は必要なルートのページだけコピーをして持参した。

※テント泊装備リスト。出発時にはシュラフカバーや枕、トイレットペーパー、衣類等を更に減らした。
【食事】朝食…ホテル泊の場合は朝食付きを予約し、ない場合はコンビニのおにぎりかサンドイッチが基本。
昼食(行動食)…昼食時に飲食店で土地の食べ物を食べたかったが、タイミングを外したり、コースによっては飲食店がなかったりで、なかなかタイムリーに実現しなかった。
ほとんどの場合、コンビニのパンかおにぎり、麺類。ビタミン不足を補うために果物としてバナナ、みかん。
行動食はオールレーズン、せんべい、柿の種、道の駅で購入する餅、まんじゅう等。
飲料については、夏はペットボトルを必ず2本を持ち、コンビニで一日2回のコーヒータイム。炎天下ではコンビニのあずきバーをよく食べた。
夕食…スーパーかコンビニの総菜が基本。飲食店での外食はほとんどしなかった。たまに夕食付きの宿に泊まったが、その場合は思いっきり食べた。
アルコールは友人と会食した以外は基本飲まなかったが、脂肪を燃焼するトクホのノンアルコールビールはほぼ毎晩飲んでいた。

※熊本県津奈木町でのランチタイム。
【歩行について】1日平均30kmを目安に歩いたが、総距離から平均値をとると26kmくらいになった。
歩き方のリズムとしては、出発時から10kmを休憩なしで歩き、それからほぼ5kmごとに休憩を取っていくパターンで歩いた。
連日30km超えの距離を歩くと、慣れてくるのか、20km台では物足らなくなってきた。
旅を通しての最高値は38kmだったが、軽量、天候状態が良ければ40kmくらいは行けると思う。
30kmを歩くに要する時間は、休憩を入れて平均7時間程度。7時に出発して14時頃にゴール。買い物をして15時にチェックインが基本的なパターンとなった。

※炎天下の県道を歩く。秋田県象潟市で。
【歩道とトンネル】中山道を除き、北海道では国道5号線、東北では7号線、中国では2号線、九州では3号線といった、いわゆる『一ケタ国道』を中心に歩くことが多かった。これらの国道は大方、歩道が整備されており歩きやすかったが、山間部に入ると歩道が無くなるケースも多くあった。
しかし、除草がされておらず歩道に覆いかぶさっていることもあり、交通量が多いなかで身の危険を感じて歩いたこともあった。
また、トンネルについても同様で、歩道の有無と交通量の多さで通過するときの難易度が大きく変わった。
九州の熊本から芦北に至る国道3号線を通る三太郎峠に連続するトンネルは、歩道がない上に距離も長いが、近年開通した南九州自動車道路(無料区間)へ交通量が分散されたことにより、通過の危険もそれほど感じなかった。
反面、実にしょっぱかったのは、山口県岩国にある国道2号線を通る全長1136メートルの欽明路トンネル。
交通量が非常に多く、歩道とは名ばかりの幅50センチほどの段差を、大型トラックの風圧に耐えながら側壁にへばり付くように歩いた。
側壁は覆い被さるようなロケーションなので、トンネルから出てきた時には、進行方向の左肩と腕がススで真っ黒になっていた。
トンネル通過用グッズとして、マスク、蛍光たすき、ヘッドランプ、赤色ライト、ザックに設置する点滅ライトを使用したが、中でも有効だったのは点滅ライトである。
これは自転車用のライトで100円ショップでも購入できるが、トンネルばかりでなく、歩道がない道においてもザックに取り付けて多用した。
明らかにこれに気づいたクルマが、私を大きく避けて走り抜けていくことが多かったので効果は大きいと思われる。

※秋田県内の国道7号線。交通量が多く、歩道が無い状態が続く。

※熊本の佐敷トンネル1570メートル。目立つように白いシャツとトンネル通過用のフル装備で突入。

※ザックに取り付けた自転車用の点滅ライト。
【旅の費用】当初計画では約80万円を予定していたが、50万円ほどで収まった。
内訳は宿泊費30万円、交通費(移動費)10万円、食費10万円といったところ。
8月から始まった政府のGO TOキャンペーンの恩恵が大きく、宿泊の多くが3000円代で泊まることができ、更に1000円分の地域共通クーポンの補助があり、当初計画より大幅に節約することができた。

※ありがたかった地域共通クーポン。
【美しい日本~繁栄と衰退】2400kmを歩いた縦断の旅は、日本の自然景観の素晴らしさ、美しさを改めて感じることができた。
南北に長い日本列島は地域それぞれに特色があり、家屋の造り一つとっても屋根や塀、石垣等地方色が出る変化がある。
気候が違うように、言葉の違いもしかり。無人販売所に並ぶ野菜や果物も違う。
そんな変化を歩き目線で追っていくのは、歩き旅ならではの楽しみであり、醍醐味だった。
反面、旧街道が通る山あいでは集落そのものが朽ちて無人となった廃村にも遭遇したし、人の気配がしない閑散とした町や集落も多くあった。
また、駅周辺の商業地や住宅地でも『売家』や『売地』の貼り紙、立て看板を多く見かけた。
店舗にいたっては、シャッターが下りた店や貼り紙がある休業の店、解体されないまま錆びついた巨大なパチンコ屋やボウリング場、ホテルや施設をうんざりするくらい見てきた。
新型コロナの影響ばかりではなく、こうした現状を見れば見るほど、地方の衰退は私たちが思っている以上に加速度がついているのではないだろうか。
地方にあるJRや私鉄の駅はどんどん無人化され、昭和時代に造られたレトロな公営住宅には老人の姿しかない。
都会への一極集中と地方の空洞化は、もはや当たり前になっている。
旅をして思うのは、美しい風景や人がいない静かな山村、小さな町を歩くことで心が癒されていくことを感じた。
反面、肩がぶつかるくらい人がいる都会を歩けば、その喧騒に心が刺々しくなるのを感じずにはいられなかった。
しかし、自分が住んでいるのはそんな都会である(地方都市であるが)。
何でも手に入れることができる便利な都会に住むことで、生活の充足感と安心感を得ているのだ。
これを矛盾と言わずして、なんと言うのだろうか。

※新潟県弥彦町で。
【旅の出会いとやさしさ】94日間の旅で出会った歩き旅の同志は、山形と函館ですれ違った2名のみ。
山形で出会った大阪の方は、日本海沿いを青森から敦賀まで歩く途中。
また、函館で出会った神奈川の青年は宗谷岬から佐多岬までの日本縦断を目指す途中だった。
大阪の方とは住所を交換し、その後、無事にゴールされたことを知った。
コロナ禍の影響からか自転車で旅をしている人も少なく、全期間を通して5~6人しか見ていない。
今回の旅を通して、人のやさしさに幾度となく触れる機会があった。
新潟と北海道では「乗っていきますか」とクルマから声をかけられ、熊本ではみかん農家のおばあちゃんからみかんのお接待を受けた。
また、トイレを借りたガソリンスタンドの店員さんや旅館の女将さん、昭和レトロな商店街の乾物屋のおばあちゃんからは「がんばって!!」とエールを送られた。
通学途中の子供たちや自転車の高校生からも、すれ違いざまに何度もあいさつをされた。
極めつけはゴールの佐多岬に立ったとき、写真を撮ってくれた大勢の若い人たちから送られた拍手の輪。
コロナ禍のなか、接触することを極力避けるがために、人と話すこともなく一日が孤独に過ぎたこともあったが、人のやさしさに触れることで心が癒され、次の一歩を踏み出す活力に結びついていった。
まだまだ日本も、捨てたもんじゃないと思う。

※人のやさしさにも触れ、北海道から鹿児島までの2400kmを歩くことができた。
メインサイト『
琺瑯看板探検隊が行く』もどうぞご覧ください★
↓♪ 良かったらポチッとお願いします ♪


- 関連記事
-
スポンサーサイト
2400キロすごいです。私には無理かな~と。それにしも5キロから8キロを背中にしょって歩くって想像すると・・・・
慣れると平気になるもんですかね??
「94日間のまとめ」拝見しました。私は主に海沿いを歩いたのですが、つちのこさんとほぼ同じルートもあります。
掲載された写真で見覚えのある風景が40枚ほどありました。
自分のアルバムを見直し当時の出来事などを懐かしく思い出すことができました。
ありがとうございます。
北海道では羆が出た情報を得ていたのでホイッスルを吹きながら歩き怖かったのですが エゾシカ、エゾイタチ、キタキツネを見かけた時は癒やされました。
北海道の日本一長い直線道路(美唄~滝川 29.2km)は歩いても歩いてもまっすぐ!
安全な道路ですが気分的にまいりました。
群馬、新潟県境の三国トンネルは二度と通りたくないトンネルでした。走行車両多く歩道なし、狭小、危険!
歩行者がいるとは思わなかったようでトラックが私の手前で止まったことがありました。
トンネル通過グッズに耳栓は非常に有効で騒音からの疲労が軽減されます。トンネルを出たら逆に耳栓は危ないので外します。
私の場合、一日の歩行距離は平均すると30km弱、昼食会場は多くの場合屋外の適当な
空き地でした。
歩道のない道路は安全優先で迂回するようにしましたが迂回できないときは身の危険を感じましたし、雨天時はトラックの巻き上げる水しぶきに悩まされました。
過疎地の空き家、閉店して廃墟と化したレストランなどの多さに大げさではなく日本の将来が心配になりました。
人の優しさにも触れました。北海道では私を追い越したバイクの青年が左手を左右にふり遠ざかって行ったことがあり、何を意味しているのか分からなかったのですが大きなリュックサックを背負い歩いている私にエールを送ってくれたことに気づいた時にはバイクは 見えなくなっていました。
京都の山中で薄暗くなった夕方、すぐ横に車が止まり50代と思われる女性から「乗りませんか」と言われたことがありますが「歩いているので」と丁重にお断りしました。
どちらかと言うと女性(昔若かった方)の方に多く声をかけられました。やはり女性の方が本質的に優しいのでしょう。
だから男は女性に弱いのです。
ちょっと脱線しました。
マメに悩まされたことは全く同じですが、このブログでどなたかが「ボルダースポーツ」 という皮膚保護クリームを推奨されていましたので、先日「プロテクトJ1」という同様効果のあるクリームを購入して試してみました。
近くの低山まで往復10km歩き山頂(標高300m)まで登り5kmほど縦走しましたが足の異常はありません。連日30km歩行したわけではありませんが効果ありと判断しました。ぜひお試しください。
取り扱い店は少ないのですが私は「スポーツオーソリティ」で購入しました。
80ml入り税込み1980円でした。
二度目の日本縦断歩き旅(残りは仙台~北海道納沙布岬)を再開するときに使おうと思います。
宗谷岬まで歩かれた後も歩き旅をされるようでしたら沖縄本島縦断と波照間島をお薦めします。
沖縄本島南部で畑の中の道を歩いていると戦争中、負傷兵の病院として使われたガマ(洞窟)がありました。
この洞窟は地元の人しか知らないので歩き旅でなければ見ることは出来なかったと思います。
戦争の傷跡に触れることになり厳粛な気持ちで戦没者にお祈りしました。
エメラルドグリーンに輝く沖縄の海を眺めながら歩くことは北海道、本州、四国、九州では味わうことはできません。
日本の最南端は「沖ノ鳥島」ですが一般人が行くことはできません。
一般人が行くことのできる日本最南端の島は「波照間島」ですが、この島の岬に立つと
最果ての地まで来たという思いがこみ上げ日本列島を歩いて縦断したという感動に浸る ことができました。
改行がうまくできないので読みにくいと思います。すみません
コメントありがとうございます!
5~8キロというのはかなり少ない重量ですが、慣れると全然平気になりますよ。
この重さを超えると、歩くことにも負荷がかかってきます。
コメントありがとうございます!
同じような経験をされていることに驚きました。
実は、沖縄や奄美を含めた南西諸島の歩き旅は兼ねてからやってみたいと思い、本土の縦断が完歩できたときに予定しております。
波照間島はぜひ行ってみたいですね。
佐多岬に立った時、本土の四極に到達するということをライダーの方が多くやられていることを知りました。
宗谷岬、納沙布岬、佐多岬、神埼鼻の4つですが、神崎鼻のみまだ未踏です。
これもいつの日か訪ねてみたいと思います。
歩き旅さんの二度目の縦断旅が順調にいくことをお祈りします。
コロナが早く収束するといいですが。
コメントの投稿