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45年ぶりに読む、谷崎潤一郎著『春琴抄』

二回目のワクチン接種から4日が経過し、すっかり左肩の筋肉痛も消えました。
今にして思えば、接種翌日の体のだるさとちょっとした悪寒は、やはり副反応だったかもしれません。
どっちにしろ、あとは抗体ができるのを待つだけ。

全国的に拡大する感染まん延に対処するには、今のところ接種しかないのが現実です。
感染者が多い20代、30代の接種を早急に拡充する手を打つのが国としての責務であると思いますね。
本日、開会式が行われるオリンピックのゴタゴタといい、ワクチン対策の甘さといい、国はいったい何やってるんだといいたい。

…まぁ、あんまりカリカリしても血圧が上がるだけなので、ちょっと冷静になって本の話を。

春琴、ほんとうの名は鵙屋琴…で始まる谷崎潤一郎の不朽の名作『春琴抄』を再読しました。
45年前の高校生の頃、山口百恵と三浦友和コンビの同名映画が封切られており、それに感化されて手に取った小説です。
結局、映画は観ることもなく小説で我慢していましたが、今思うと観とけばよかったと後悔しきり。
古い作品なのでレンタルで探しても見つからず、こうなりゃ、アマゾンプライムで購入するしかないかなと思っています。

さて、『春琴抄』ですが、うぶだった高校生の時読んだ印象は、春琴に対する佐助の献身的で純粋な愛にいたく感動したことを覚えています。
その後、谷崎の代表作『痴人の愛』や『鍵』『瘋癲老人日記』を始めとした一連のマゾヒズム、フェティズム作品を、私自身の成長とともに何度も再読しましたが、いずれの作品も10代で読んだ時の印象とはまったく違うものになっています。

谷崎作品の奥深さとそこに広がる世界観は、やはり谷崎がただものではないということを再認識させられます。
10年長生きしていたら谷崎がノーベル賞を獲ったであろう、ということもうなづけます。

『春琴抄』もしかり。
わずか70ページの短編にも関わらず、改めてこの作品の凄さに圧倒されました。
谷崎を読むうえでその根底を貫流しているマゾヒズム的幻影を理解して、初めてその作品群の端緒に触れることができた気がします。
春琴と佐助の関係は単なる主従ではなく、そこにはゆがんだ愛のカタチが見え隠れしています。
火傷を負う前の春琴の美しい顔を永遠の残像とするために、自らの眼球を針でつく佐助の究極の自虐行為は、常人には理解できないマゾヒストとして精神的快楽の極致にあったとも解釈できます。

10代で手に取ったのは、まだ早かったと、今になって思います。
でも、10代で読んだからこそ、今の読書を楽しんでいるわけです。
10年後、20年後に読んだら、また印象が変わるかもしれませんが…。

十人十色の読み方がある。
真の名作とは、まさにこうした作品のことを言うんでしょうね。

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[ 2021/07/23 ] 読書 | TB(0) | CM(0)

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