けたたましく鳴る携帯の警告音で起こされた。
地震は不安を増長するように、長く揺れた。
寝入りばなである。
すぐにテレビをつけると、震源地は埼玉県南部であるという。
しかし現金なもので、疲れていたのか、余震の心配をよそにすぐに寝入ってしまった。
朝起きてニュースを観ると、高崎の震度は3だった。
いずれにしても、旅先の災難だけはごめんだ。ホテルの建物と心中はしたくない。
今日は40㎞先の熊谷に宿を確保したので、行けるところまで歩くつもりだ。
ホテルがある高崎駅前から中山道に戻り、上信電鉄とJR信越本線、更に上越新幹線の高架を渡る。
通勤や通学の人々が行き交う旧中山道を黙々と歩く。
早くも汗だく状態。
予報では季節外れの気温が30度近くになるらしい。
ちなみに明日は気温がぐっと下がるということなので、毎日が目まぐるしく変化するジェットコースターのような寒暖差である。
倉賀野宿が近づくと松並木が続く道となった。
集団で登校する小学生の列と挨拶を交わしながら進んだ。
暑いのにマスクは可哀想だが、このご時世ではしかたあるまい。
私は人とすれ違うときにマスクを着けるが、歩き旅でマスクを着けっぱなしは考えられない。
即、熱中症で救急搬送されそうだ。
どっちにしても面倒な世の中になったものだ。
ドラッグストアになっている本陣跡を過ぎ、常夜灯がある二俣に出ると倉賀野宿は終わり。
中山道らしい雰囲気もほとんどなかった。
これは次の新町宿や本庄宿も同じだった。
思っていた通り、都心に近づくに連れ、江戸時代の街道の名残りは薄れていくようだ。
県境を越え埼玉県に入ると、暑さもピークになってきた。
本庄宿を過ぎて出てきた八幡神社はまさに砂漠のオアシス。
涼しい風が抜ける賽銭箱がある社殿で、ザックを枕にしばしまどろんだ。
汚れてテーピングだらけの裸足を向けてしまったので、神社にひとときのお礼とお詫びを込めて、少しばかしお賽銭を奮発した。
これでバチは当たらないだろう。
深谷が近くなったからか、中山道はネギ畑の風景のなかを通り抜けていく。
深谷といえば渋沢栄一だが、中山道沿いには彼にちなんだ名跡があるのか、興味をもって歩いたが、深谷駅前まで三軒の酒蔵を除いては何もなかった。
さすがにこの暑さではもう歩く気が起こらず、今日はここまでとする。
明日は熊谷から戻ってこの続きとしたい。
愛知県の明治村にあるようなレンガ造りの巨大な駅舎の深谷駅から高崎線に乗車。
日焼けして火照っている顔や腕は、今日の闘いの勲章である。
大袈裟だが、汗だくの体や痛むマメも同じ。
今夜は、ゆっくりと風呂に浸かって労ってやろう。
◼️2021年10月8日 群馬県高崎市~埼玉県深谷市
◼️45011歩 29.25㎞
◼️東横イン熊谷駅北口
◼️晴れ

※倉賀野宿の脇本陣

※倉賀野宿の石仏

※倉賀野宿の常夜灯

※県境を越え埼玉県に入った

新町宿を過ぎ、コスモスが咲き乱れる古墳があった

本庄宿の近くで見つけた石仏

※お世話になった八幡神社

※深谷が近づくとネギ畑が出てきた

※小山川に架かる滝岡橋を渡った。花崗岩で造られた歴史がある橋。

※今日のアイドル

※深谷宿の菊泉酒造

※同上

※深谷宿。こちらも酒蔵だろうか

※まるでテーマパークのような深谷駅
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おはようございます。
これが!駅とは…思いませんでした!
素敵な駅です♪
当時のままなんでしょうか?
コメントありがとうございます!
深谷駅は1966年に改築にあたって、東京駅に似せてレンガで造られたそうです。
レンガについては渋沢栄一にあやかったみたいですよ。
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