快晴、気温2度。
ゆっくりと身支度をし、NHK朝ドラを見てからホテルを出発。
今回の旅は、新調したモンベルのトレイルランニング用シューズを履いているので、マメ防止のマッサージクリームを念入りに塗り、いつもマメができてしまう部分にはテーピングをした。
新羽島駅から名鉄電車に乗り、昨日ゴールした須賀駅まで戻り、おもむろに歩き始める。
通勤、通学時間が過ぎていたのか、下車したのは私一人だった。
阿遅加神社から境川の堤防に上がると、雪を被った伊吹山が見えた。
親鸞聖人御旧跡の碑と2体の地蔵尊があり、右手には境川の穏やかな流れ。
土手にはラッパ水仙が咲き、のどかな風景に癒された。
墨俣宿に入り、本陣跡にある東屋で休憩。
二つ用意したサーモスの水筒型の魔法瓶には、ホテルのコーヒーとお茶を詰めてきている。
それにしても『魔法瓶』とは、なんとも不思議なネーミング。
どうしても大昔にあった、取手が付いた重たくてでかいポット型の象印魔法瓶を思い出す。
今は便利な世の中である。
休憩所を出て、墨俣城に寄り道。
城内は昨年の春にカミさんと見学したので、写真を撮って踵を返す。
吊るし雛がショーウインドを飾る墨俣宿を離れ、一里塚を見ながら犀川の土手をずんずん歩いた。
新揖斐川橋を渡ると伊吹山が間近に迫ってきた。
大垣宿に入ると美濃路は鍵型に曲がったりするが、詳細な案内板が随所にあり迷うことはなかった。
芭蕉の奥の細道の結びの地を過ぎると、ゴールの垂井宿は近い。
すっかり、はげ山になってしまった赤坂の金生山を眺めながら歩く。
ウミユリやフズリナ(紡錘虫)といった古生代ペルム紀の化石が出ることで有名なこの山には、石灰岩の露天掘りの鉱山がある。
化石採集に夢中になっていた中学生の頃によく通ったが、50年前の風景とは比べ物にならないくらい無残な姿になってしまっていた。
JR東海道線の踏切を越えると、美濃路に残る唯一の松並木が続く道となった。
東海道や中山道ではふつうに見た風景だが、妙に懐かしく感じた。
ほどなく中山道と美濃路の追分に到着。
まぎれもなく、中山道を歩いた一昨年に通った場所だ。
名古屋から3日間をかけて歩いてきたが、なんの感慨もないままゴールとなった。
ちょっとばかし醒めていたのか。
寒さにやられて、旅を楽しむ余裕がなかったのかもしれない。
まぁ、次に機会があるなら、秋の風景でも探して歩いてみるのも悪くない。
■2023年2月16日 岐阜県羽島市~垂井町
■36785歩
■23.91㎞
■晴れ

※起宿と墨俣宿との間の宿に入ると、三叉路の右手には美濃路の案内板と道標があった。羽島市

※境川の堤防に上がると親鸞聖人御旧跡の碑と2体の地蔵尊があった。安八町

※伊吹山と奥美濃の稜線が見えた。安八町

※東小熊の一里塚跡 安八町

※長良川を渡り、墨俣宿へ向かう。大垣市

※墨俣宿本陣跡。大垣市

※墨俣宿には寺院が多い。土岐悪五郎の墓がある明台寺。大垣市

※墨俣城に立ち寄った。大垣市

※墨俣宿脇本陣。大垣市

※脇本陣のプレート。大垣市景観遺産

※墨俣宿では商店のショーウインドに吊るし雛が飾られていた。大垣市

※東結一里塚跡の石標。大垣市

※米の宮之趾の碑。穀物・食物の神で、稲荷神社の主祭神。大垣市

※ 小栗判官と照手姫の物語にまつわる伝説を残す町屋観音堂。大垣市

※結(むすぶ)神社。縁結びの神として有名な神社。大垣市

※大垣は水の都。美濃路名古屋口御門跡碑の裏には水門がある広場があった。大垣市

※美濃路大垣宿問屋場跡看板と石標が建つ寶来屋の建物。せんべいを売っていた。大垣市

※大垣宿本陣。あいにく休館中だった。大垣市

※創業250年(宝暦5年)の柿羊羹の老舗つちや。荘厳な建物に驚く。大垣市

※住吉燈台史蹟船町港跡。天保11年(1840)に港の道標と夜間の目印として建てられた。大垣市

※高橋橋を渡る。大垣市

※奥の細道結びの地にある芭蕉の像。大垣市

※大垣宿から垂井宿に向かうと焔魔堂があった。大垣市

※久徳一里塚。大垣市

※垂井宿が近づくと伊吹山が間近に迫ってきた。垂井町

※美濃路に残る唯一の松並木。1㎞以上にわたって続く。垂井町

※15時。中山道と美濃路の追分にゴール。垂井町

※JR東海道線垂井駅より帰路に着く。
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